第49話 巻き込まれし凡人陰陽師



「なに?!」


 静かに始まり、静かに終わった病院での大事件。

 時を同じくして、真夜中の寝室で布団を跳ね上げ、寝ぼける暇もなく一瞬にして覚醒した男がいた。

 混乱する頭を叩き、現状を整理した男はすぐさま対応を開始した。


「もしもし、私○○県■□市の市里いちさとと申します。同市内にある□△病院の結界が破られました。脅威度3以上、4以下と推定されます。おそらく殺人型。直ちに近隣陰陽師の出動をお願いいたします。陰陽師登録番号は………」


 まずは陰陽庁の緊急E妖怪Y対策課Cへ連絡し、現地へ陰陽師を派遣してもらう。

 今回のように妖怪の発生が明確なときは、知覚した陰陽師に報告義務が発生するのだ。


「くそっ、よりによって俺の担当で発生しやがった」


 市里は舌打ちしながらスマホを優しく放り投げた。

 全力で叩きつけたくなった心を、修理費用という名の良心が引き留めたのだ。

 ようやく知名度が上がってきた彼にとって、無駄な出費は避けたいところである。


 その代わりとでもいうように、リビングへ向かった彼は電灯の紐を乱雑に引っ張り、室内物干しにぶら下げたままの服へ着替え始める。


「鍵と、スマホは……あぁ、くそっ」


 一度寝室へ戻り、現代の必須装備品をポケットに突っ込んだ。

 陰陽師衣装の上にロングコートを羽織り、準備完了。

 マイカーに乗り込んだ彼は、煌々と光るヘッドライトを頼りに夜道を走り抜ける。


「ああっ、ったく。とことんついてねぇ」

 

 車道を独占していた市里は、ここまで一度も止まることなく進むも、あと少しというところで赤信号に捕まってしまった。

 なんでここは点滅信号じゃないのか、そんな理不尽な怒りが信号へ向けられる。

 はやる心を鎮め、青になると同時アクセルを踏み込んだ。


 現場に着くと、そこには既に3人の陰陽師が集まっていた。

 2人は顔馴染みだが、残り1人はあまり見ない顔だ。

 集会で挨拶をした記憶はあるのだが……。


「遅くなって申し訳ありません。□△病院担当の市里です」


「市里さん、お疲れ様です。私たちも今来たところです」


「今回は私の不手際でご迷惑をお掛けして――」


「挨拶をしている暇はない。発生地点を教えろ」


 市里の謝罪を遮ったのは、この場で唯一あまり面識のない男。

 年齢は市里より少し上くらいに思われるが、眉間に刻まれた皺と疲れたような顔で一回り上に見える。

 男はかなり焦っているようで、発言した次の瞬間には瞑想状態に戻ってしまった。


「連れが悪いな。この病院にはこいつの関係者が入院しているんだ」


 そう言って馴れ馴れしく肩を叩いてきた男。

 普段なら鬱陶しく思うそのノリも、尊敬する相手にされたのなら別だ。


殿部でんべさんにまでご迷惑をお掛けして、大変申し訳ございません。しかし、殿部家は出動要請の範囲外では?」


 殿部家は、この地域に住む結界術を継承する家系の間では有名だ。

 並の結界術よりも一段上の性能を誇り、県庁の仕事も任せられるような、歴史と実績がある御家なのだ。

 それこそまさに市里の目指す陰陽師像である。


「こいつに叩き起こされてな。ついて来てやったんだ。『厄介なことが起こっているかもしれない』って言うから来てみれば、本当に妖怪が出たみたいじゃねぇか」


 殿部曰く、連れの男は峡部家の当主らしいが、市里にはピンとこなかった。

 関東陰陽師会ではなく、別のグループに所属しているのだろう。

 殿部家とどういう繋がりがあるのか気になるところだが、今はそんなことを聞いている場合じゃなかった。


 言い方こそ腹立たしいものの、峡部の指摘はもっともだ。

 一刻も早く妖怪の位置を特定し、被害が広がる前に4人で退治しなければならない。

 こうしている今も被害者が増えているだろう。


 瞑想している峡部は10の小さな召喚陣を起動していた。

 それだけで、彼が召喚術の使い手であり、病院内に式神を向かわせていることが分かる。

 本来自分がすべき偵察を代行してもらっているのだ、頭を下げずにはいられない。


「結界が破られたのは霊安室の上空。一瞬で破壊されたことから、殺人型だと思われます。私の結界は脅威度までならしばらく耐えられるので、瘴気が検知されていないことを加味して、4以下だと思われます」


 いち早く情報を共有しようと、市里は早口で伝えた。

 顔馴染みの陰陽師が要点をメモし、瞑想中の峡部の肩を叩き、見せてくれる。

 すると、式神が一斉に霊安室の近くへ移動し始めた。

 市里にはその様子が見えないが、もしも見ることができたなら、峡部家と殿部家の間で付き合いがある理由も理解できることだろう。


 建物内に妖怪が入り込んだ場合、事前に敵の位置を把握することが肝要となる。

 脅威度2や3ならいざ知らず、4ともなれば出会い頭の不意打ちで死ぬ危険性が高い。

 さっそく自分も偵察を――と、懐から偵察用の札を取り出したところで殿部に声を掛けられた。


「なぁ、念のために確認したいんだが、本当に妖怪が出たのか?」


「……? ……えぇ、間違いありません。私の結界が破壊されましたから」


「それは俺も確認してる。だがよ、どうにも妖怪の臭いがしないんだよな」


 陰陽師には霊力以外にも必要な才能がある。

 それは霊感だ。


 霊を見たり、聞いたり、気配を感じ取ったり、痕跡を発見したり、とにかく様々な方法で霊的存在を感知する能力のことである。

 人によって才能の高さも感知方法も変わり、殿部は見るだけでなく、臭いで妖怪の存在を感知できるらしい。

 目に見えない範囲に居ても、臭いで先に敵を捕捉することが出来る。戦いを生業とする陰陽師にとって、霊感は強ければ強いほど良い。


「4がいるにしちゃあ臭いが弱すぎる。だが、結界は確かに破壊されている。となると、どっか別の場所に移動した可能性もあるな」


 殿部の予想を聞いた顔馴染みが、それを否定する。


「それこそないでしょう。弱っている入院患者獲物を放ってどこかへ行くなんて、ありえない」


「普通はそうなんだが、この病院にいるとは思えねぇんだよなぁ……。殺人型だろ? 強がこんだけ探しても出てこないってことは、そもそも居ないとしか考えられねぇ」


 脅威度4の殺人型であれば、間違いなく派手に暴れまわっているはず。

 抵抗できない入院患者たちを虐殺し、その殺人衝動を満たしていることだろう。

 だが、強の式神たちは血の匂いはおろか妖怪の痕跡すら見つけられていない。

 偵察を開始して既に20分以上経つ。ともなれば、いよいよその存在が疑わしくなってくる。


「どこにも見当たらない。さっきの情報は間違いないのだな」


「は、はい! 就寝中だったとはいえ、自分で築いた結界を破られて気づかない陰陽師はいません!」


 市里は思わず声を荒げた。

 今回結界を破られた病院の仕事は、彼にとって勝負をかけた大仕事である。

 依頼元は地元でも有名な病院。病に侵されている患者が集まることから、穢れが溜まりやすい。

 実力よりも一段上の依頼だったが、ここで上手く行けば実績となり、今後斡旋される依頼もそれに見合ったものになる。

 この依頼が紹介された時、彼はチャンスだと思った。パッとしない市里家の名を広める絶好の機会であると。たとえ、病院側が経費削減のために、格落ちの安い陰陽師を探していたと知っていても。

 依頼料から少し足の出る高価な道具を揃え、市里家に伝わる最高の儀式を行い、今自分が築ける最高の結界を作り上げたのだ。

 前任者に引けを取らない傑作だと、自信を持って言える。


 破壊された時の警報機能も間違いなく組み込んだ。

 そんな逸品を否定されては、駆け出しとはいえプライドが傷つく。


「そうか……」


 強い反論を受け、強は思案に沈む。

 そんなとき、市里のスマホに連絡が入った。


『こちら緊急妖怪対策課です。市里様の番号でお間違いありませんか』


「はい、市里です。現場に到着しました」


『市里様の報告を受け、占術班が捜査を行いましたが、近隣に妖怪の反応はありませんでした。先刻の報告は、嘘偽りない事実ですか?』


「は?」


 何を言われたのか、市里は理解できなかった。

 間違いなく現れたはずの妖怪が、いない?

 そんなはずはない。

 人目につかないよう正門に設置してあった札が焼き切れていたし、深い眠りを破るほど強い結界消滅の感覚もあった。

 これで妖怪が存在しないなんて、ありえない。

 誰かが嫌がらせで壊せるほど生半可な結界ではないし、人為的な原因に心当たりもない。

 良くも悪くも市里家は無名なのだ。


「間違いありません。妖怪が出ました。出たはず……なんです……」


 しかし、ここに来て彼の自信が揺らいだ。

 陰陽庁の占術班が読み違えることはない。

 しかも、通報を受け、捜索範囲を限定したときの精度は凄まじい。


 その占術班が「妖怪はいない」という。


 近隣に移動したということもないのであれば“そもそも妖怪は発生していない”という結論に至るのは至極当然の流れだ。


 命懸けで自分の尻拭いをすることになると思っていた市里は、脅威度4の殺人型と戦わずに済んで安堵した。

 それと同時に、この後の自分の処遇がどうなるのか、頭を抱えるのであった。

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