第107話 特別な力
土曜日の夕方。
夕飯の支度ができたところで、お母様が親父を呼びに行った。
「貴方、夕食の時間ですよ。……貴方? 開けますね」
その後すぐ、お母様の悲鳴が家中に響きわたった。
「貴方! 大丈夫?! しっかりして!」
「お母さんどうし――救急車、
「おとーさん!」
俺が駆けつけた時には、畳の上で倒れ伏す親父をお母様が揺さぶっていた。
救急車を呼ぶために慌ててスマホを取り出すも、突然の出来事に俺の頭は絶賛混乱中。
くそっ、急いでいる時に限ってスマホのロックが開かない。
いや、確か緊急事態にはすぐ電話を掛けられるようになっていると聞いた気がする。
ようやくテンキー画面になったところで、親父の意識が戻った。
「うっ……」
「貴方、今救急車を呼びますから」
「救急車はいらん。呼んでも無駄だ」
えっ、どっち。
念の為に呼んだ方が良いと思うんだけど、無駄って言ってるし。
俺とお母様は顔を見合わせ、本人の判断に従うことにした。
お母様に支えられながら畳に座りなおした親父が事情を説明し始める。
「少々、無理をし過ぎた。……はぁ。霊力を何度も枯渇させたのがまずかったようだ」
親父は一ヶ月前に始めた“無霊力状態体験訓練”を続けていた。週末は俺への指導を先に終わらせ、その後は霊力を消費する仕事を片付ける。
俺がいても邪魔になるだけなので、指導の後は居間で復習していた。だから、親父が訓練中にどんなことをしているのか把握できていなかった。
こんなことになるなら仕事部屋で見守っておけば……というのは結果論か。
「2度目までなら耐えられるが、それ以上になると精神が悲鳴を上げ始める。5回目で意識を失ってしまったようだ」
「その前に止めておこうよ。死んだらどうするの?」
「本当にびっくりしたんですから。もう大丈夫なんですか?」
「まだ
「おとーさんだいじょーぶ?」
優也が心配そうに尋ねる。幼い息子に頭をヨシヨシされ、さすがの親父もバツが悪そうだ。
家族に心配をかけた罪、しっかりと反省しなさい。
「だが、多少無理をした甲斐あって、何か掴めた気がする」
「それは良かったけどさ」
こいつ、反省してねぇ。
なんで俺が見ていないときに限ってこんなことを……。
指導者として、俺には監督責任があった。
仕事の邪魔になるとか考えず、しっかり見守るべきだった。俺も反省しないと。
とりあえず、親父のことは男子小学生と同じくらい危なっかしい奴だと認識を改めよう。鬼の時と言い、目を離すとすぐに無茶するから……。
親父が立ち上がろうとしてふらつく。
お母様に支えられてなんとか立ち上がるも、まだ辛そうだ。
「うっ……少し……寝る」
「寝室に行きましょう。後で軽食を持っていきますから」
「すまない。頼む」
家族そろってゆっくり寝室へ向かう。
お母様が親父を支え、その反対側を俺の触手と優也の小さな手で支えている。
多分、優也の気遣いが何よりも親父の反省を促す材料となろう。
親父を布団に寝かせると、死んだように眠りについた。
心配しつつ、俺達は寝室を後にするのだった。
~~~
翌朝、親父は何事もなかったかのように起きてきた。少しだるそうだが、顔色も元に戻っている。
普通に朝食を食べ、普通に談笑し、普通に仕事部屋へ向かった。
「お父さん、本当にもう大丈夫なの?」
もしかしたら家族の前で強がっているんじゃないかと心配して聞いてみるも、親父は俺の頭に手をのせて否定する。
「一晩寝て霊力は回復した。そも、霊力が枯渇して死ぬという話は聞いたことがない。心配するな」
心配するなと言われて安心するには、親父のこれまでの行いが悪すぎる。
1回枯渇するだけで辛そうだったのに、それを短時間に5回も繰り返すとか、体に負荷が掛かって当たり前だ。
子育てと同じく、指導中は片時も目を離さないように気を付けることにしよう。
「私ももう、若くはないのだな。あの頃ほど無茶はできないようだ」
俺からしたら十分若いけどな。
それでも、30過ぎたら次第に衰えていくあの恐ろしさは共感できる。
日々過酷な訓練を受けているとはいえ、老化からは逃れられないのだ。
今まさに老化を実感している親父が何故ここまで無茶をしたのか。いや、陰陽師として力を求める心は理解できるのだが、それにしては性急にすぎる。
ここまで割とのんびりやって来たじゃん。
何が親父をここまで駆り立てた?
「この前、家について聞いてきたな」
「うん。手入れしないのかって話ね」
陽彩ちゃんと遊んだ日の週末、親父に尋ねた。
その時の答えは、はっきり言って説明不足だった。
「結界を壊したくないんでしょ?」
「そうだ」
我が家に張っている結界、これが原因らしい。
陰陽師の持ち家には基本的に結界が張ってある。対妖怪の専門家が妖怪被害にあっては元も子もないからだ。
手で触れるようなものでもないので、普段生活していて意識することはない。
しかし、確実に我が家の安全を守ってくれている大切な代物だ。
庭師や改装業者を入れて我が家の結界に何かがあったらまずい、とのこと。
結界が壊れたなら殿部家に依頼すればいいだけだと思ったが、あの後親父がお母様に呼ばれて有耶無耶になってしまった。
「私には、この結界を治す手立てがない」
親父曰く、この結界を作ったのは300年前の峡部家当主らしい。
「当時の殿部家当主と協力し、制作したという記録がある」
つまり、結界作成技術の半分は殿部家にあるわけだ。
世代を超えた盟友である殿部家の技術を盗もうとするなどありえない。
再度結界を作り直すなら殿部家にお願いする必要があると。
「籾さんにお願いすれば?」
親しき仲にも礼儀あり。報酬さえ支払えば引き受けてくれるに違いない。
と、思っていたのだが、どうも本題はそこではないようだ。
「この結界の
ん? 殿部家じゃなくて、峡部家が?
結界を築くうえで1番大切なのが、その名の通り“要”だ。
結界のプロフェッショナルである殿部家に協力を依頼したなら、当然要を作ってもらうはず。
なんで殿部家ではなく、峡部家が作ったんだ?
「その要の製法も残されているが、私には再現できなかった」
「どうして?」
「その理由が、ずっと分からなかった。過去の記録にも「失敗した」という記述しかない。そのどれもが、原因不明とされていた」
そう言って親父は書棚から一冊の本を取り出す。
しっかりとした装丁は300年の時を感じさせない綺麗なものだった。
「材料も製法も、それほど特殊なものは使われていない。要そのものは作れる。しかし、機能しない。その原因として、私は最後の一文が引っ掛かっていた」
なるほど、文体が古いうえに達筆すぎて読みづらいことを除けば、確かに作り方は簡単だ。
ただ、俺の知る限りでは材料費がなかなか凄いことになりそうだが、そこは問題ないのだろうか。
材料一覧を眺め、製法が記されたページをじっくり読めば、結界の要となる物が頭の中で出来上がる。
そして最後の工程には、こう書かれていた。
『要に真なる霊力を注ぐべし』
なるほど、これはもしかして……。
「以前の私は“真なる霊力”を結界の核となる霊力と解釈していた。だが、お前に霊力の精錬を教わり、この結界のことを思い出したとき、気がついた」
「ご先祖様は霊素のこと知ってたのかな」
知っているだけじゃなくて、作れるんだろうな。
霊素、もしくはそれ以上の精錬霊素も。
そうか……いや、そうだよな。
1000年以上続く陰陽師の歴史のなかで、霊力の精錬に誰も気が付かないなんて有り得ないよな……。
慣れると簡単だもんな……。
「お父さん、ちょっとトイレ」
「あ、あぁ」
廊下を歩きながら深呼吸。
すぅーーはぁーー
すぅ〜〜はぁ〜〜
目的地である寝室にたどり着いた俺は、光源のない部屋で襖を閉め切り、布団に潜り込んだ。
柔らかい要塞に枕を引き摺り込んで顔を埋め、ここまで我慢した感情を解放する。
「ううううぅぅぅうぅぅうううう!」
霊力の精錬、既知の技術かよ!?
ご先祖様、俺より使いこなしてるじゃん!
俺だけが知っている特別な技術じゃないかな~と期待していたのに!
幼少期に! 頑張った! 意味!
うわぁ〜、あぁ〜、ぐぁ〜〜。
身体強化は武僧が似た技術持ってるし、武士の気は身体強化の上位互換だ。
霊力の操作だって成長率によっては晴空君に追いつかれかねない。
考えれば考えるほど気分が落ち込んでいく。
はぁ、世の中そう上手くいくわけないよな。
誰よりも俺がよく知っていることだろう。
2度目の人生、あまりに都合よく行き過ぎだと思ってたんだ。
うん、そうか、それほど特別なわけじゃなかったんだな、俺。
……なんか涙出てきた。
いや待て、俺にはまだ他と違う“特別”があるじゃないか。
触手と大量の霊力、そしてなにより前世の記憶。
これらがあるだけでも十分すぎるくらい特別だろう。
既知の技術だって、その全てを習得している人間はこの世にどれほどいるというのだろうか。
そうだよ、俺はすごい!
全て極めれば最強の陰陽師になれる! ……はず。
はぁ……最近調子に乗ってたかもな。
初仕事こなしたし、妖怪倒せちゃったし、人に教える立場になって、親父がなかなか習得できないものだから、つい。
これからは謙虚堅実に頑張るとしよう。
布団から這い出した俺は、親父の仕事部屋に戻るのだった。
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