第78話 武家見学4
日中最高気温となる14時を
「あっつい」
最高気温を回避したからといって、その後すぐに涼しくなるはずもなく、俺はお天道様の下でジリジリ焼かれていた。
なぜ木陰から離れたのかといえば、親父が描いている鬼の召喚陣を見るためだ。
地面に敷かれた大きな紙に、
文字の多さは当然として、直径2mの真円が曲者だ。あらかじめ家で下書きしてあるとはいえ、墨継ぎしながら巨大な真円や模様を描くのは難しい。
これらをすべて暗記し、短時間で描き上げる親父の技量は素直に尊敬できる。
陣が完成したら、その辺縁に蝋燭や御香をセット。
あとは呪文を唱えながら陣に霊力を流して召喚すれば準備完了らしい。
「――我、霊力を糧に異界と縁を繋ぎ、式を喚ばんとする者。我が呼び掛けに応えよ!」
長い詠唱の終わりと共に鬼が姿を現した。
こいつと会うのは鬼退治以来である。
あの時は敵だった故に、こうして間近で相対すると身構えてしまう。
そもそも、身長3mのゴリマッチョが目の前に突然現れたら誰でもそうなる。
「次は個人戦でもするの?」
なにやら準備しているのは親父だけでなく、皆それぞれ札や陣を描いている。
戦闘する気満々なのが伝わってくる光景だ。
「いや、模擬戦闘を行う」
模擬戦か……そんな都合よく妖怪は現れないし、さっきのカカシでも使うのだろうか。
そんな俺の予想は見事に外れていた。
「強の準備ができたな。第一班は準備しろ」
御剣様の号令によって10人の男達が集まる。
その内訳は3人の武士に7人の陰陽師。
武士が前に出て、陰陽師が後ろから攻撃する、スタンダードな配置である。
ただ1つ疑問なのが、なぜ彼らは俺たちを囲むように立っているのか、ということだ。
「聖、こっちへ来なさい」
「えっ、うん」
親父に手を引かれて訓練場の端の方へ寄る。
木陰に戻ったおかげで暑さが和らいだ。
第一班以外の男達もこちらへ集まってくる。
訓練場の中央に残ったのは、10人の男達と鬼だけ。
あれ?
「これより模擬戦闘を行う! 気を抜くなよ!」
「「「おう!」」」
まっ、まさか。
隣を見てみれば、親父の視線は鬼へ向いている。
「戦え」
親父の指示が伝わった瞬間、鬼は1番近くの武士へ殴りかかる。
大地を踏みつける轟音と、圧倒的筋肉から繰り出される豪腕の一撃が辺りの空気を震わせた。
狙われた武士はそれを避けるのではなく、刀を下段に構え、真っ向から立ち向かう。
―――!
力と力の衝突は、俺の予想に反して静かに結果だけを残した。
鬼の拳に小さな切り傷がつき、武士の横に振り下ろされている。
一瞬で繰り広げられた攻防、俺の目では追いきれなかった。
結果から推測するに、真正面から殴ったはずの一撃は、武士の技によって
もはやCGの世界に片足突っ込んでいる光景。それを目の当たりにした俺は、内心興奮していた。
素人には細かい技術とかサッパリだが、体の芯から震えるような恐ろしさを感じだ。あれがきっと技の冴えというやつだろう。
かっこいい。
そんな感想を抱いてすぐ、戦場は激変した。
静かな戦場は札の巻き起こす爆発音に支配され、武士による3面攻撃によって鬼は切り傷まみれになっている。
武士が距離を取れば、間髪入れず10人の陰陽師による札の連撃が始まり、鬼を翻弄している。
親父が戦った時は、目眩しを確実に成功させるために効果の薄い焔之札を使っていた。
だが、彼らが小細工を弄する必要はない。前衛が守ってくれるこの状況において、多人数による圧殺こそが正攻法となる。
物理特化の鬼に対し、土属性や木属性といった物理効果の高い札を使っており、相性の良さと数の暴力によって鬼にダメージを与えている。
鬼も黙ってやられているわけではない。
武士へ拳を振り下ろし、その後ろで隠れている陰陽師を不意に狙ったりもする。
ただ、第一班の連携を前に、その反撃は意味を成さなかった。
武士を蹴散らそうと一歩踏み出した鬼は、いつの間にか地面に描かれた陣の中心に立たされていた。
「はっ!」
ちょこまか逃げていた陰陽師はここぞとばかりに反撃に出る。
中年の男性が印を結ぶと、塩によって隠蔽されていた陣が起動し、固く踏みしめられた地面が突如隆起してトラバサミのように鬼の体へ喰らいつく。
鬼の動きが阻害されると同時、その周囲に20枚の札が飛んでくる。
地面にペタリと貼り付いた札が再び地面を隆起させ、槍となって鬼の体へ伸びていく。
刀の一閃すらかすり傷にしかならない鬼の肌相手に、無駄と思われたその一撃は、俺の予想に反して皮膚を突き破った。
「続け続け!」
鬼は厳つい顔をさらに厳つくし、自慢の拳で己を拘束するトラバサミを破壊する。
露わになった噛み跡には、カーブを描く見事な刺し傷が残っていた。
「狙え!」
硬い皮膚の下には赤い血の流れる柔らかい肉が見えており、班長らしき武士の指示に従って札が殺到する。
鬼は自らの弱点を庇おうとするも、背後から斬りかかる武士の一撃も無視できず……全方位攻撃で畳み込まれ、なす術もなく倒れ伏した。
サラサラ塵となって崩れ落ちる奴の姿からは、なんとも言えない悲哀を感じる。
お前……そんな扱いされてたのか……。
たしかに、親父を殴り飛ばした時は腹が立ったし、とどめを刺された時はザマァみろと思った。
だけど……これは……。
訓練用の的にされているのを見ると、むしろ可哀想に思えてくる。
式神の召喚が無理矢理なのだとしたら、尚のこと不憫でならない。
(報酬の霊力もっと増やした方がいいかな。)
「悪くない連携だ。次、第二班用意しろ」
第一班と鬼が戦っている間に、今度は峡部家以外の陰陽師が式神を召喚していたようだ。
くっ、そっちはそっちで見たかった。
召喚された式神は猿に似た外見をしている。鬼よりも小さいが、毛皮の下の発達した筋肉を見れば、人間以上の力を持っていると容易に想像できる。
いったいどんな戦いぶりを見せてくれるのか楽しみだ。
俺の隣を第一班の人達が通り過ぎていく。
「よっし! 改良成功だ!」
「前回の大失敗が無駄にならなくてよかったよ。よく挽回したな」
「今日は観客がいたから張り切ったんだろ」
仲良さげに話す彼らは揃って俺へ視線を向ける。
子供の俺が見てるから張り切ったと、ならサービスしておくか。
「お兄さんたちカッコよかった!」
「お、おぉ、ありがとう」
「柄にもなく照れやがって。聖君、こいつをもっと褒めてやってくれ」
「強お前……どんな教育したらこんないい子に育つんだよ」
子供の言葉だからこそ価値がある。
たとえ打算まみれのセリフでも、見た目と声さえ子供なら付加価値が生まれる。
親父の同僚だし、あざといくらい媚を売って愛されキャラの地位を獲得しておこう。
陰陽師達の後ろから3人の武士が歩いてくる。
先の反省会を行っているようで、最初に鬼の拳をいなした男性もいた。
「あれどうやったんだろう。速すぎて見えなかった」
「知りたいか」
俺の視線から呟きの意味を察したのだろう。いつの間にか隣にいた御剣様が、得意げな表情で問いかけてくる。
俺は全力で頷いた。
「内気を習得しろ。そうすれば、儂らの世界が見えてくる」
内気がどんなものかすら分からないし、それができたら苦労はないです……よ……?
えっ、それってもしかして……。
いや、そんなまさか……。
いやいや、でもこの言い方は……。
俺は期待を込めて問い返す。
「教えてくれるのですか?」
「やる気があるのなら、教えてやる」
え!
ほ、本当に?!
いやいや嘘でしょ、だって、内気の扱い方といったら、御家の商売道具、飯の種、秘伝そのものだ。
それを赤の他人に教えるなんて、常識的に考えてあり得ない。
……常識的に考えたらありえないのだが、どうも御剣様は本気らしい。
やる気はあるか? どうなんだ、うん? と言いたげな目をこちらに向けている。
そんなの、答えは1つしかない。
「教えてください!」
「いいだろう。明日から
俺のやる気が伝わったのか、初めから教えるつもりだったのか。
なんかよく分からないけど、内気の訓練に参加させてもらえる。やったー!
御剣様は満足気に頷き、第二班の方へ向かった。
俺達のやり取りを傍で聞いていた陰陽師達が再び俺へ声を掛ける。
「おっ、御剣様に気に入られたな。それなら今日はお泊まりだな」
「俺の部屋に遊びに来るか? ゲームあるぞ」
「そろそろ休憩は終わりだ。第二班の模擬戦が始まる。また後でな、聖君」
そう言って第一班の陰陽師達は離れていった。
あれ……てっきり今日は家に帰って、明日再びお邪魔するものだとばかり思っていたが、お泊りコースなのか?
親父に聞いてみれば、当たり前のような態度で肯定された。
「聖なら、御剣様も認めてくださると思っていた」
体力測定で身体能力が高かったから期待はしていた。でも、訓練参加を認めてもらえるかは御剣様次第で不確定だった。
だから、予定を聞いたときも説明しなかったし、子供に変な期待をさせたくなかったと……。
まぁ、いいや。親父だっていつも泊りなんだし、想定しておくべきだった。そもそも、内気の訓練に参加すると決めたのは俺だし。
むしろ、訓練時間を多くとれるのは望むところだ。未知の技術習得には時間がかかるに決まっている。そうなると移動時間すらもったいない。夏休みは有限なのだから。
「何日くらい泊まれるのかな」
「御剣様は普段『戦う意志があればいくらでも』とおっしゃっている」
いや、具体的な日数を知りたいんだけど。
他陰陽師が驚いていなかったことと、親父の口ぶりから考えるに、俺以外にも御剣様のお眼鏡にかなった相手には内気を教えていると分かる。当然、親父たち社員にも教えているに違いない。
社員育成と青田買いによる人材発掘の一環だろうか。
つまり、内気そのものはそれほど極秘ではないということ。
そして、親父が教えてくれないということは――
大猿の模擬戦闘を観戦しながら、俺は内気について思考を巡らせるのだった。
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