No.74 ジェフの過去


 私がマーティンを"ルイ殿下"と呼んでもマーティンはあまり驚いた表情はしていなかった。ただはにかむように笑っている。


「さっ、最初から知っていたのかい? 君を最初に見た時、随分と怖い女性だと思っていたけど、やっぱり君は僕が思っていた以上に怖い人だったね」


 私はニッコリと微笑んだ。


「時と場合によります」

(いや、あんたは怖いよ。普通にホラー感覚で怖い。

でも、まだ信じられない本当にマーティンが王子? だって隣国にいるんじゃなかったの? デンゼンパパだって第三王子のこと色々調べていたのに。こんなに近くにいるなんて……)


 会話を聞いていたアシュトンが急に跪く。


「殿下、存じ上げなかったとはいえ、数々の失礼な振る舞い、申し訳ありません。お許しください」


「良いんだ。アシュトン。そう畏まらずに、今まで通りにしてくれ。僕は第三王子を辞めたんだよ。自分の命欲しさにね」


 私は思わず眉をひそめる。


「辞めた? 隠れていただけでしょう? 本気で辞めるなら、それこそ他国へ行くでしょう。でも貴方はまだ、この国にいる。それはまだ貴方が第三王子であろうとしているからじゃないの?」

(ちょっと、言い方!)


「いいや。僕は辞めたんだ。違う。そうじゃないな、僕には最初からそんな資格はないんだよ。

でも父が側にいるようにと、この国に留めさせた。国から離れることは許されなかったんだ。

僕の母はね、父の妾だったんだよ。だから周りには僕を良く思わない人がいっぱいいて……子供の時に命を狙われたことがあるんだ。

母は平民で。いや、それは建前で本当は奴隷出身だった。父がギャラディーの戦で遠征しているとき、奴隷であった母を気に入ったらしい。最初、父は母が奴隷だったことを隠して王宮に招きいれた。でも僕が生まれて物心つく前に、母の素性が王宮内で発覚してしまったんだ。母は死んだよ。そして僕も命を狙われた。だから父は僕の素性を隠し、マーティンとして、貧乏貴族として、王宮から逃がしてくれたんだ。でも、この国からは離れさせてはくれなかった。多分、何かあった時、僕を直ぐに殺せるように……」


「ふふっ、間抜けな殿下ねぇ。すぐに殺せる? それならなぜジェフがいるの? ジェフは貴族ですよね?」


 ジェフはひどく言いづらそうに口を開いた。


「ええ、さようです」


「しかもただの貴族ではない。そうですよね?

学院で起きた騒動の時、貴方はすぐにステイン家の屋敷に現われた。マーティンを迎えに来るにはあまりに早すぎるし、執事が単独でステイン家に出向くこと自体、普通の貴族ではないわ」


 ジェフは重苦しく語り始めた。


「……私は以前、第三部隊の将軍を勤めていました。本来の爵位は子爵。キャラディーでの戦いの指揮補佐は私が勤めていました。

キャラディーでの戦いは酷いありさまでした。最後は戦とも言えないくらいです。そしてその、キャラディーでの戦いが大敗したのは私のせいでした。ですが陛下は最後まで私を攻めませんでした。この大敗で得るものはあったと、そうおっしゃって。私は自ら責任を取り将軍である地位を降りました。陛下は止めて下さいましたよ。でも私には耐えられなかった。そんな私に陛下は爵位を上げてくださったのです。当時私の家系は男爵でした。しかし王はこれまでの苦労をねぎらい、私に子爵を与えて下さったのです。私は陛下に深い負い目とそして返しきれない恩を感じました。

それから月日は流れ、ルイ殿下が命を狙われた時、私は思ったのです。王に報いねばと……小さなルイ殿下を守らねばと。

コルフェ陛下も命を狙われているルイ殿下の事は、酷く悩んでおられました。

そして、ルイ殿下に身を隠してもらうことにしたのです。そして護衛を私にと。

陛下がルイ殿下をこの国に留めさせたのはいずれ、殿下には第三王子として、また王宮に迎え入れる用意があったからです。決して命を奪う為ではありません」


「あら、ジェフは将軍だったの? それは想定外。私はてっきり……いえ、何でもないわ。でもそうね、将軍の貴方が側にいるなら、なにかと安心ですものね。陛下がルイ王子をいずれ王宮に迎え入れる意向があるのは分かるわ」


「分からないよ! いいや、君達は分かったとしても、僕には分からない。父、いいや、コルフェ王の気持ちなんか僕には分からないし、気まぐれかも知れない。母さんもそうだ。コルフェ王の気まぐれで母は死んだようなもんだ。ぼ、僕も母も、王宮に入れなければ良かったんだ。別の国に追いやっておけばよかった。だってそうだろ? 周りが汚らわしい身分と言うのなら、そのままにしておけばいいんだ。まがい物の僕は、母と同じように死ぬ運命なんだよ」


「まがい物? それは違うわ。貴方はれっきとしたこの国の正統な王子で、そしていずれこの国の王になる方」

(ーーーーえ?)


「は? 何を言っているんだい、エリザベート嬢」


「グエン殿下が亡くなった今、お姉様との婚約は第三王子である、貴方に引き継がれる。

この国の噂では、ステイン家の娘を妻に持つ者は国を治めると言いますね? 貴方が王になるんですよ。殿下」


「ははっ。まさか、やめてくれ。僕はただのまがい物だよ」


「ふふふっ、まがい物は貴方ではありませんよ。本当のまがい物は王宮にいる王妃イデアです。あのババァが、腐ったまがい物。貴方はこれからそのまがい物を追い出し、王子に戻るのです」


「イデア王妃……? それは……いや」


「ジェフ、貴方には分かりますよね? カミール王子の遺体を見れば。これは王宮の花、マリーの毒で死んでいることを。そして、王宮の人間の中で、王子を殺す動機がある人間は二人しかいない。イデアとエームです。そしてジェフ、貴方には分かるはず。エームは兄殺しが出来る人間ではないことを、ただのぼんくら王子であることを。そしてイデア。貴方は王宮にいる間、薄々感じていたんじゃないんですか? あの女の強かさを……ルイ殿下の母君を死に追いやった、奴隷の素性を王宮に広めた人間を……」


「……」


 マーティンは険しい表情で言った。


「えっ……。どういうことだ? イデア王妃が? そんなまさか……」


「じゃぁ誰が、奴隷だと分かってそれを広めるんです? 陛下? ありえません。他の王子? いいえ、知らないはずです。家臣? 王の意向に背くものなど直ぐにバレます。それを良く知っているのは当時将軍だったジェフ、あなたが良く理解しているはず。妾の素性を知ること、そして噂を広められるのは、当時ただ一人、イデアだけ。あのババァはルイ殿下が邪魔だった。その邪魔なルイ殿下を王宮から簡単に追い出せて、良い気分だったでしょうね」


 マーティンは震えた声で呟く。


「……い、イデア王妃…………」


 私はマーティンの顔を覗き込みながら言う。


「信じられない? なら、イデア本人に聞いてみますか?」


「え……そんなことできるわけ、いや、そんな無謀なことできないよ」


「怯えているだけなら死にますよ? それこそ、カトリーヌと共に。惨めにあのババァの思う壺になるだけです」


「でも……」


「私もちょうど、あのババァに宣戦布告をしたいんです。安心してください、今回はただ話をするだけですから」


「…………」


「はぁー。ぐだくだとハッキリしない殿下ですね。ジェフ。貴方ならイデアに襲撃する事くらいできるでしょう? 教えなさい。イデアに出くわす場所を」


「襲撃?」


「ああ、違うわね。言葉のあやよ。今回イデアに襲撃はしないわ。私は、ただイデアに会いたいだけ。会える場所まで私と、ルイ殿下を連れて行って欲しいの」


「少々、お時間は掛かるかと……」


「ふん、期日は明日までね。明日か明後日には会えるはず。それ以上は待てないわ。出来ることに出し惜しみなんてしなくていいの。いい? ジェフ。マーティンを、ルイ殿下を守りたいのなら、私の言うようにするの。くれぐれも迅速に。お願ね」



「はい……畏まりました」


 ジェフは半ば諦めたような顔をしている。もはや表情を隠す執事の顔は消えていた。


 私は気にせず、マーティンを睨んだ。


「ルイ殿下、貴方も貴方よ。イデアに嵌められたのはカミール王子やグエンの馬鹿だけじゃない。貴方もそうなの。このまま、まんまとエスターダ国をあの女の支配下にする気? 己の欲の為に実の息子を簡単に殺せるあの女。あの女がもしこの国を掌握すればこの国は必ず滅びるわ。それでもいいの? 貴方の、お母様の仇を取りたいとは思わないの?」


「…………」


「イデアを殺すのは私がやってあげる。貴方は私の傍らにいて証人にさえなれば良いわ。でも最終的にこの混乱を収められるのは王族である貴方しかいないのよ。それともこのまま、むざむざと死ぬ気?」


「死ぬって……」


「あら、そうなるでしょう? イデアにとって貴方はどう考えても邪魔な存在なんですもの。このままだとコルフェ陛下も殺されるでしょうね。今現在だってどうなってるか……。陛下が死んだら、それこそどんな手を使っても貴方を殺しに来るわ。どの道貴方に選択肢なんて無いのよ。私の側にいて、私に従ってれば良いの。それが命がけであろうと、一人で死ぬより、私と一緒に死んだ方が寂しくないでしょう? ね? で・ん・か」


 わざとらしい上目使いで見つめる私に、ぐっと押し黙ったマーティンはただ静かに頷いていた。


 その姿はまるで何かに操られたかのような機会的な返事だった。


「では、一緒にイデアに会いに行き行きましょう」


 満足気に微笑む私は、そう言って、脇に置かれた鞘を大事に抱えた。

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