No.76 船長室には居られない


 船長室に入った途端、私とマーティンは、狭い船長室で何故か見つめ合っていた。


(あれ? エリザベート。この後どうするの? 何でマーティンを船長室に? 何か話す事でもあるの?)


(別に何もないわよ。仮にも殿下を船長室以外に案内できる場所なんてないでしょう? 此処が一番安全だし。それに私も船長室以外で寝泊りなんてしたくわないわ……。ああ、駄目だわ。この薬、効果が短いのね。凄く眠くなってきた。ジェフが来て、イデアと会う時になったら、また薬を飲みなさい。いいわね。エリッサ」


「え? っちょっと。待って、急にそんな……。嘘でしょ?」


 ふっと体の違和感が無くなると、頭の中で響いていたエリザベートの声も急に聞こえなくなった。それと同時に、急速に体が鉛のように重く感じる。


「あの、ど、どうしたんだい? エリザベート嬢」


「あ、えっと、いえ何でも……あははは」


 うすら笑いで誤魔化しながらマーティンを椅子の方向へと進める。


「とりあえず、こちらへどうぞ」


 私は持っていた鞘を壁に立てかけると、近くにあった小さな椅子を持ち、マーティンから距離を取って座った。


「…………」


「…………」


「あの、えっと、それで僕はどうすれば?」


「そ、そうですよね。私も殿下に対して何て言えば良いか分からないのですが……」


「殿下はよしてくれ、マーティンで構わない。僕はただの貧乏貴族だよ。君みたいなステインの令嬢に敬意を示される理由はないんだ。ただのマーティン、そう呼んでくれ」


「そうですか。では、改めて言うのも何ですが、マーティンにはこの船長室にいてもらいます。此処は海賊船ですから、船員も皆、気質的に荒い者が多いです。ですので、この船長室がマーティンにとって一番安全な場所だと……」


「う、うん……そうみたいだね。ここにいさせてもらうよ。それで君は?」


「私はこの船の船長ですから、この船長室に……」


 っていや、ダメだ。無理よ。船長室で二人きりは無理。狭いし、マーティンは王子だし、いや、そもそも男女だし……。そうよ。男女でこんな狭い部屋にずっといるなんて無理。私から見て正直、マーティンは魅力的な男性では無いけど、でも私そもそも男性と長時間、狭い空間で二人きりって、体験したことないし。いや、止めよう。思い返すと私の歴史が悲しく思える。


 私が勝手に一人で落ち込んでいると、ドタドタと足音を立てながらずぶ濡れのベンケが入ってきた。


「オジョウ! オジョウ! ガーデンに一人で入られたとか!? 大丈夫だったんですか?」


「え……えぇ、ベンケも元気そうでなにより」


「ん? このひ弱そうなガキは?」


「ベンケ、言葉が失礼です。こちらの方はマーティン。この船のお客様です。一日、二日、この船にいてもらいますから、船員の皆には彼に失礼のないようにとベンケから伝えて下さいね」


「分かりやした。で、そいつはずっとこの船長室にいるんですか?」


「そうね。この船に客室はありますか?」


「ないですよ。海賊船ですから」


「そう。じゃぁ、マーティンはやはり此処ににいてもらうしかないですね」


「オジョウは?」


「私……」


 私はマーティンをじっと見る。ベンケを見てビクビク怯えているマーティンに、やっぱり男としての魅力は一切ないなと納得しつつ、それでもずっと一緒にこの部屋で二人きりも絶対に嫌だなと思っていた。


「ベンケ、私と一緒に貨物室で寝泊りしましょうか。私の部屋を作ってくれる?」


「それは勿論構いませんが、でもいいんですか?」


「ええ、お客様は大切に! この船の掟にしましょうね」


「オキテ?」


「とりあえず行きましょう。さっベンケ」


 ベンケを船長室か追い出すように押しながら、私はマーティンに視線を送る。


「では、マーティン。ここでゆっくりしてて下さい。食事等は後で船員がお持ち致しますから」


「あ、う……うん。ありがとう」


 マーティンの返事を聞き、私はニッコリ笑うと、そのまま逃げるように船長室を後にした。


 貨物室に行くと、ベンケが早速私の為に、仕切りを用意して、私の部屋を作ってくれる。


「ありがとう。ベンケ」


「オジョウと一緒だなんてオラ嬉しいだ」


「あー、そうだね」


 一応ベンケも男性だった。でも……


「クマさん……」


「ん? 何だべ?」


「何でも」


 私にとってベンケはクマさんだ。怖い時もあるけど、男とかそう言う感じじゃなくて、ペット? なんかキャラクター的な。うん、凄くクマさんな感じがピッタリなんだよね。


 一緒でも安心安全。いや、でも、クマさんとなら寝起きできる感覚って、私可笑しいのか?


「オジョウ、こんな感じでいいですか?」


「あ、うん、ありがとう」


 ベンケが作ってくれた、貨物室の一角に出来た私の部屋は、急拵えもあり少し雑多な感じに見えたが、それでも慣れればなんとか落ち着いて過ごせそうだった。それと共に、薬の副作用なのか体が鉛のように重く、だるさに襲われていた私は、とにかく早く横になりたかった。


「ベンケ、悪いけど、私横になりたいの。お布団はある?」


「少々お待ちを、オジョウ」


 ベンケはっせっせと貨物室にある藁を集め、作った仕切りの中の一角に敷き詰め、その上から、白いシーツをかけた。


「これでいいですか?」


「ありがとうベンケ。私ちょっと寝るから。ベンケ、あとお願いね」


「は、はい」


 私は藁のベットに飛び込む。落ちつかない貨物室なはずなのに、それでもそんな事が気にならないほど私の体は休息を求めていた。


「おやすみ……クマさ…ん……」


 横になった途端に襲われる眠気に逆らう事なく私は目を閉じ、眠りに落ちた。






 ブルリと震え、寒さで目が覚めると、起き上がった途端に私はくしゃみをした。


「っくしゅん」


「大丈夫ですか? オジョウ?」


「ええ、大丈ックシュン」


 んー風邪でも引いたかな。


「オジョウ、ちょうど先程お客が来たようで。会いますか?」


「お客? もしかしてジェフ?」


「あぁ、そうです」


「ジェフは船長室に通したの?」


「ええ」


「分かった。ありがとう」


 私はそのまま、貨物室を出て船長室に向おうと扉を開ける。振り返ると、ベンケが私に付いてきていた。


「ベンケ、船長室は満員。ベンケは貨物室でお留守番よ」


「留守番ですか……」


「仕方ないでしょう? 大っきなクマさんなんだから」


「ク…クマさん?」


 私はベンケを置いて、船長室に入って行った。


ーーーーコンコン


 ノックの後の返事を待ってから、船長室に入ると、ジェフとマーティンが私を見て立ち上がった。


 頭を下げるジェフに私は座るように促す。


「ジェフ。お疲れ様です。意外に早かったですね」


「エリザベート嬢の運が良いのですよ。こうもタイミングが良いと少々恐ろしく思います」


 ジェフは頬の皺を刻みながら、少し困ったように笑った。


「では、イデア妃殿下に会えるのですか?」


「ええ、本日会えます。しかし、エリザベート嬢はイデア妃殿下に会われて何を……?」


「えっと、ちょっとその答えは待って貰ってもいかしら?」


「え、ええ……分かりました」


「くっしゅん」


 私は堪えきれなかったくしゃみをした後、船長室に置かれた木箱を開け、そこから厚手のマント取り出してそのまま羽織った。


「ちょっと失礼」


 そう、マーティンに一言、告げてからマーティンの前に置かれていた水の入ったコップを取り、持っていたアシュトンに作ってもらった薬を口に入れ、そのまま水で流し込んだ。


「風邪ですか?」


 ジェフが心配そうに聞いてくる。


「大したことありません。少々お待ち下さい」


 私はニッコリと微笑んで返した。


 ジェフとマーティンの二人は顔を合わせて、首を傾げる。何を待つのかと聞きたそうだったが、私は構わず、立てかけてあった鞘を持ち、目を瞑った。


 気持ち悪い感覚が押し寄せてくる。


(……全く、最悪ね。何が大した事ないのよ。この私に風邪を引かせたわね? 貨物室なんて、信じられないわ。何故船長室に居なかったの?)


 段々と頭の中で大きく響いてくる文句の言葉に、私は再度ニッコリと微笑んだ。


 ジェフが首を傾げ、私に答えを求めるように見ている。


「あぁ、失礼。イデアに会って何をするか聞きたいのよね? 答えは、撹乱よ。私がガーデンにいることを分からせる事で、今後の動きが取りやすいの」


「しかし、それはエリザベート嬢にとっては」


「ふふっ。大丈夫よ。私の役目はあと少しでお仕舞いです。後は勝手に物事が動くわ。さっ、これから忙しくなるわよ。

ジェフ、イデアに会うのにはまだ時間はあるの?」


「ええ、夕方になりますからまだ時間はあります」


 私は船長室の窓から外を覗き見る。日はまだ高い。


「そう、ちょうど良かったわ、イデアの前に会っときたい人がいるの」


「誰に会われるのですか?」


「ふふふ、行ったらすぐ分かるわよ」


 私はそう言うと、抱えていた鞘を船長室の端に大切そうに立てかけ、船長室を出ようとドアまで向かった。


「あ、あの、僕も行くの? 怖いよ」


 私が扉に向かおうとすると、座ったままのマーティンが呟くように言った。ジェフは心配そうに、そんなマーティンをただ見ている。


「はぁ。マーティン、貴方、そんな女の腐ったようなこと言ってないで、しっかりしなさい。さぁ、早く立って。少しは男であることを証明して見せなさい。私の兄になるんでしょう? ほらっ、たったか行く!」

(マーティンへの言い方が酷すぎるよ。王子なのに……確かに私もマーティンは弱腰だなぁ、とか思うけど)


「う、うん……」


 重たそうに腰を上げるマーティンに私はニヤリと笑う。


「マーティン、心配せずとも、貴方は私の隣にいればいいの。ただ隣にいればいいだけ。さっ、行きましょ。それともここで海賊達に……」


「いいいい行くよ! 行く!」


「そう、なら早く行きましょう。クション!」


 私は自分のくしゃみに少しイラつきながら、二人に構わず、扉を開け船長室を出て行った。

(って、ねぇ! エリザベート何処行くの!?)

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