No.2 地下室に足を踏み入れて


 マリアの視線は伏せられたまま、酷く言いづらそうに、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。


「お嬢様が頭のお怪我をされて気を失うまでは、お嬢様は……その、失礼ですが、悪魔に取り付かれていらっしゃったかと」


 あ、悪魔? この世界は、そんなファンタジーな世界なの?


「悪魔って……じゃぁ今、悪魔は何処に?」


「さぁ、どうでしょう? 今は悪魔はいないように思います」


「そう……悪魔……。悪魔が取り付いていた私って、どんな風だったの? もしかして、体に何か文字が浮かんだり、私の首が180度回転したり、声が男の人のだみ声になったり……?」


 マリアが発した、意外な悪魔という言葉に、子供の頃見たホラー映画を、自然と思い浮かべてしまう。

 あれは本当に怖かった。階段のシーンを見て眠れなくなったのを今でも覚えている。


「いえ、そのようなことはありませんでした。あの、もし本当に知りたいのであれば、地下室をご覧になりますか?」


「地下室?」


「ええ、ただ、今のお嬢様が知れば……その……かなりショックを受けられるかと思います。その覚悟がお有りでしたら……ですが」


 お屋敷の地下、いったい、その地下に何があるのか、ここまでマリアが言うのであれば、それなりの覚悟は必要なんだろう。


 悪魔に取り憑かれていたというエリザベート……。


 怖い気持ちはあったけれど、エリザベートを知るためには、どの道避けられない。私が生きていく為にも、悪魔に取り付かれていた私を知らなくては………。


 地下室に足を踏み入れると、すぐに異臭がした。言い表せないような凄い臭いだ。私は薄暗い地下室をロウソクで照らしながら進む。


「な…に………これ」


 私は絶句してしまった。


 先に進むマリアが手慣れた手つきで、明かりを灯していった。薄暗かった地下室の、全貌が見えていく度に、息が詰まる。


 まるでどこぞのお化け屋敷の部屋のようだ。地面には血痕らしきものが広がっていて、それも古いものから新しい物まで、まだらにベッタリと残っている。

 ノコギリや刃物が、直ぐに手に取れるよう、至る所に並べられていて、床には手械や足枷がそこら辺に転がっていた。

 向かって右手側が部屋のようになっていて、左手側は格子型の牢屋みたいになっている。牢には人はいなさそうだけど、血痕の量がすさまじい。

 部屋を見ると、そこには人の首のようなものが飾られていた。私は怯えながら、その首のような物を、恐る恐る指してマリアに聞いてみる。


「あのぉ……あれって、人形ですよね……?」


 マリアは無表情に首を振り、さも当たり前のように言った。


「あれは、お嬢様が先日飾られると仰った浮浪者の生首です」



 ……………。



「え………?」



「もう一度言います。お嬢様は悪魔に取り付かれていたのです。ただ、それだけなのです」



 マリア…………。



 って、いやいやいや!!!



 どう見てもこれ取り付かれたって次元じゃないでしょ!? 部屋の位置からは牢がよく見えるし、飾られてる物も、凶器も、何もかも、ここに在る物が全てを語ってくれている。これはどう取り繕っても悪魔に取り付かれたんじゃなくて、エリザベートが悪魔だったんでしょ!!


 でも、それでもマリアに確認しなくてはならない。たとえその答えが絶望的だと分かっていても、一縷の望みをかけて……。


「あのぉ……マリア、もしかして、私ってかなり人を殺していたりします?」



「ええ、それはもう」



 はいっ、終わったー!!


 終わりました私の人生!!


 終了ですぅ。


これはもう頭を抱えるしかない。どう見ても、どう考えても取り返しの付かない過ちを犯してしまっている。この後私が罪を償ったとして、償いはきっと……死罪。


 えぇ、これは間違いなく死罪ですね。


 最悪だ………。


「ですが、全て浮浪者や身寄りの無い者たち、または犯罪者などです。問題はありません」


 いや、問題ないって……そんなの関係ないよね!? 人を殺すのに身分はまったく関係ないよね!? 人殺しよ? 人殺しは罪よ? 重罪よ? 問題ありまくりよ!!


「………あの……ちなみに、私が他に何か犯罪を犯した事は?」


「いいえ、お嬢様は犯罪など犯したことはありません」


 犯罪はぁ、すでに犯してますからぁー

 殺人は立派な犯罪ですぅ。


 どう見ても凶悪犯! 歴史に残る凶悪犯! 罪を償えないほどのサイコキラーですっ!!


 そういえば、悪夢だと思っていた血みどろの女性の姿は、確かここの牢だった筈、すでに朧げな記憶を辿りながら重ねてく。

 あぁやっぱりそうだ、ここだ。ここに確か女性が居た。


 悪夢じゃなかったんだ。本当にここで……。


 ーーーーコン


 地下の奥のほうで小さな物音が聞こえた。


「マリア、今の音は?」


「お嬢様が幽閉している者たちです」


 私は恐る恐る奥へ進み、牢を覗いた。

思わず口元を手で押さえてしまう。臭かったからではない。現実があまりにも酷いと実感したからだ。


 そこには、まだ幼い、幼女が傷だらけで壁に張り付けにされていた。辛うじて生きてはいるが、見るに耐えないその傷にはもはや言葉さえも出なかった。


「マ……マリア? これも、私が………?」


「ええ、奴隷の子でございます」


「なんて、酷い……早く牢から出してあげて!!」


 マリアは急ぎ人を呼ぶと、牢を開け、その幼女を鎖から解いた。侍女はそのまま床に寝かせようとしていたが、私の指示で地下の部屋、私が使っていたと思われるベッドに、その女の子を寝かせた。    

 女の子の血だらけの傷跡を見て直ぐに牢の入口手前に掛けてあった血に濡れたムチで傷をつけられたものだと分かった。あのムチに着いていた血は全てこの子のものだという事だ。

 酷すぎる。小さな女の子は何も言わなかった。私とは目を合わせないようにしている。ただただ、私を恐れている。それが嫌でも理解ってしまった。     

 まだふわふわとした掴み所がない現実と今の現状でも、目の前にいる、こんなに小さな女の子が、こんなにも、心を無にしたように恐れている姿を見てしまったら、嫌でも私が行った残虐性を実感してしまった。


 最悪だ。本当に、この美少女は悪魔だったのだ。そして私はそんな悪魔だった少女に生まれ変わってしまった。私は今後どうしたらいいの?


「お嬢様、隣の牢の少年も介抱してもよろしいですか?」


「隣にもいるの……? すぐに、お願い」


 マリアは牢を空けると、痩せ細った少年を抱きかかえ出てきた。顔には、大きな火傷の跡があり、腕にも切り傷や他にも無数の傷跡があった。


「酷すぎる……」


「見た目も酷く、衰弱はしていますが、先程の女の子よりは元気ですよ」


 マリアが抱えた少年はガクガク震えていた。その姿があまりにも可哀想で、私は思わず男の子に触れようと手を差し伸べようとした。


「あぅ」


 男の子は自分を守るように腕で顔を隠し、酷く怯えている。


 そう……そうだよね。この少女が、いや、違う、私がやっていたんだよね。だから今どれだけ手を伸ばしても、言葉を連ねても、私に彼らを癒せはしない。怯えさせるだけだ。

 それに例え身体の傷は癒えたとしても、心の傷は一生残るだろう。トラウマとして残り、今後の人生も日々闘わなければならないかもしれない。

 私はこの現実を目に焼き付け、この子達の事をしっかりと考えなければいけないのだ。そして、今はこの子達の目の前から、少しでも早く姿を消すことが、一番彼らのためになる。私にはこの子達が、少しでも早く元気になるようにと祈り、侍女達に託すことしか出来ないのだ。


 私はマリアや他の侍女たちに、傷ついた少女と少年の介抱を頼み、すぐに地下室を後にした。


 エレノアの部屋に戻り、私は暫く考える。


 悪魔の私が、今後どう生きていくか。

 地下室の状況、あの子供たち……私は絶望を感じながら呆然としていた。受け止めきれずにいるのだ。


 それでもしなければならない事は明確にある。


 しばらくして、戻って来たマリアと、すぐに私の部屋の片付けの算段を話し合った。話の中で、地下以外にも私の部屋があるらしいことが分かったけれど、その部屋は現在、拷問器具や死体の皮、骸骨、などエリザベートのコレクション室になっているらしい。


 私は深く頭を下げ、その部屋の中にある物全てを、燃やして欲しいとマリアに頼んだ。



 数日後、地下全体と元エリザベートのコレクションルームとなっていた部屋の改築と改装が行われた。侍女達が事前に、エリザベートが行った、数々の所業の代物や、残忍な痕跡を、跡形もなく綺麗に掃除し、改装の業者を数十人入れて作業を始めた。

 リニューアルされた地下施設は、食材などの保管庫として使い、余ったスペースは、物置にした。今まで物置部屋としてしか使われていなかった、一階の部屋の中身を、丸ごと地下に移動したのだ。空室になったその部屋を、綺麗に清掃して整え、私はその部屋を、地下で拷問を受けていた子供達の部屋とした。


 私の元コレクション部屋も、中の物はほとんど全て処分したとはいえ、あえて窓を塞ぐように置かれていた家具や、カーテンの色のせいで部屋が全体的に薄暗く、気持ち悪い雰囲気が漂っていた。

 私はマリア伝え、業者に頼み、家具を全て出してから暖色だった壁を真っ白に塗り替えた。その後出来るだけシンプルなベッドとクローゼット、机と椅子を選び、それらを部屋へと入れてもらった。

 結果、姉のエレノアの部屋より随分と殺風景になってしまったけれど、今の私にはぴったりな部屋だと思う。


 改装工事を始める数日前、マリアと改装準備を進めていく中で、ジョゼ叔母様に、お屋敷の改装をする事を承諾して頂かなくてはと、会う約束をとりつけてもらおうとした。

 けれども、叔母様からのお返事は、このお屋敷の権利は全て私が持っているため、承諾などは必要ないとの事だった。しかも叔母様は、数年前から私を見ると蕁麻疹が出てしまうらしく、数日は引かない蕁麻疹は、身体の負担になるからと、マリアに会うのを止められてしまった。


 こんなに広いお屋敷に一緒に住んでいるのに、叔母様とはまだ一回しか会っていない。本当にこれで良いのだろうかと、悩んだりもしたけれど、エリザベートが行っていた事が、相当なストレスとなり蕁麻疹が出るようになったんだろう。


 そりゃストレスMAXだよね………。

 蕁麻疹も出るよ。うん。


 ただ関係を改善したい私としては、悩みどころではある。謝るにしたって、叔母様に対して直接何をしたのかは、具体的には分からないし。

 いや、まぁ悪魔なエリザベートが、同じお屋敷に住んいるだけで、ストレスは溜まっていくとは思うけども。


 どうしたら良いかなぁ。


 ともあれ、先ずは監禁、拷問されていた子供達を何とかしなければ………。



 改装を終えて落ち着いた頃、静かになった屋敷の中、私は子供達の部屋を訪れた。


「失礼します」


「どうぞ」


 部屋に入ると、侍女のカーラが穏やかに出迎えてくれた。カーラは子供達のお世話係としてマリアが指名した侍女だ。マリアと同い年らしいけれど侍女長のマリアと立場が違うのだと聞いた。

 しっかり者に見えるマリアに比べてカーラはおっとりとして優しげな女性に見えた。


「子供達を見に来ました。大丈夫かしら」


 カーラは子供達を一つのベッドに座らせ、二人の手を握りながら「大丈夫よ」と優しい声で囁いた。戸惑いと恐怖心に揺らぐ子供達の瞳が落ち着いた頃、カーラは私に場所を譲るように立ち上がり、ゆっくりと私に向かって頷いた。


「カーラ、ありがとう」


 私は出来るだけゆったりと動き、子供達に歩み寄る。怖がらせない距離まで近寄り、静かにそっとしゃがみ込んだ。

 子供達の視線が、私より上になるように出来るだけ体を下げ、私は見上げるように子供達の胸の辺りをそっと見つめ続ける。

 怖がらせないように私は細心の注意を払わなければならない。


「あなた達に、残酷で耐え難い仕打ちを強いた事を謝らせて下さい」


 私は跪き頭を下げた。


「本当にすみませんでした。ごめんなさい」


 私は続ける。


「あなた達のその傷は一生残ると思います。謝れば許される、などとは思っていません。女性であれば、お嫁にいけないかもしれない、男性でも、仕事に就けないかもしれない。それほどの傷を、私はあなた達に負わせしました。その償いはいたします。

私が生きている限り、あなた達には不自由ない生活を送れるように、私が全力をもって守り支えていく事をお約束いたします。

本当に、こんな事を言える立場ではないのですが、今後のあなた達が幸せに生きていくための手助けを、どうか私にさせてください」


「もう、痛いのはない?」


 男の子が小さな声で呟いた。


「ええ、私はもう2度とあなた達を傷つけたりしません。お約束します」


「ね?言ったでしょう?お嬢様は怖い悪魔に取り付かれていたの。でももうお嬢様は悪魔から解放されたから、怖くないって、もう大丈夫だからね」


 側にいたカーラが子供達を優しく抱きしめながら言った。カーラの優しさが子供達に伝わったのか、子供達は何度も小さく頷いている。ほっとしたような安堵のため息と、目尻に浮かぶ子供達の涙がカーラの肩越しに伝わってきた。



 この子達にした酷い仕打ちは、私がした事ではない。それでも私はこの体で生きていくと決めた。それに伴うケジメはつけなければならない。

 私は心に重たい枷をはめられたような気持ちになった。

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