No.45 アシュトン日記 手紙


 僕は学院の帰り、アイヴァンが自殺をして発見されたという豚小屋を訪れた。その豚小屋は、薄暗く人気のない、ひっそりとした場所にあった。


 ここに来る前に、この豚小屋の所有者に話しを聞きに行き、見せて欲しいと言うと、奇妙そうな顔で僕を見ながらも、許可をしてくれた。 

 所有者は高齢だった。歳のせいもあり、豚の世話をするのは二日に一回の頻度になっていたそうだ。


 豚小屋に入り見渡すと、確かに荒れているような感じがした。そして、実際にここでアイヴァンやギル、クリフが死んだのだろう。その痕跡として、牧草や豚にはまだ血が残っている。


 奥に進むと、テーブルがそっと置かれているのが見えた。テーブルの手前の天井柱にはくっきりとロープがくくり付けられた後が残っている。


 多分、ここでアイヴァンが首を吊っていたのだろう。

 このテーブルに乗り、テーブルから飛び降りた………。

 テーブルを少し蹴るようにして飛び降りたのかもしれない。床にはテーブルのズレた跡が血の線のように少しだけ残っていた。


「何か気づいた事でもあったかね?」


 突然背後から声が聞こえ、ビクリとしながら僕が振り向くと、そこには豚小屋の所有者の老人が立っていた。


「あの、発見されたのはこの柱で合っていますか?」


「ああ、そうじゃよ。もう本当にびっくりした」


「何か変わった物とかはありませんでした?」


「はははは、まだ子供なのに、あんた、憲兵みたいなことをいうんじゃな」


 憲兵?

 やっぱり憲兵も同じ事を聞いたのか。


「気を悪くしたなら謝ります」


「いや、別に良いんじゃよ。憲兵にも言ったが、あの光景……何もかも、全てが異様じゃったよ」


「そうですか。僕もある程度のことは聞きましたが……あの、このテーブルに遺書が?」


「ああ、そうだったと思う。ただ、あの時は気が動転していたからなぁ。申し訳ないが、ちゃんとした事は覚えていないんじゃよ。ただ、鮮明に覚えているのは、この豚小屋が真っ赤に染まっていたことだけじゃ、今はだいぶ血を落としたがね」


「それは、ショックですね……。あの、その時アイヴァン本人も血で汚れていたんですか?」


「アイヴァン? それは首を吊った子かい?」


「はい」


「あぁ、そうだねぇ」


 そう言ってその老人は少し考えるように「うーむ」と唸った。


「いや、違う。彼は比較的綺麗だったよ。白い制服だったのを覚えているからね。ただ、胸には血で変な文字のような物が書いてあった。そうじゃ、あの姿も異様じゃった。赤と白の彼の姿が印象に残ってる。ああ、でも、それ以外は彼は綺麗じゃったよ。汚れていた感じはなかったな」



 文字……多分それはダーバァの儀式として自ら血で書いたものだろう。でも、どういう事だ?


 豚小屋が血だらけなのに、二人を殺したアイヴァン本人は返り血を浴びていなかったという事か?


 白い制服が血の紋以外は綺麗なまま?


 そんなバカな。


 儀式の為に、胸にだけ血の紋を書いたのは、まだ分かるが、豚小屋が真っ赤に染まるほど、血液が飛び散っていたのなら、アイヴァン本人だって、真っ赤になる程返り血を浴びている筈だろう。


 そうで無いのなら、自殺する前に、あえて綺麗な制服に着替えたという事か?


「この小屋に血で汚れた制服はありましたか?」


「あぁ、憲兵さんが貴族院の制服を二着見つけたそうだよ。わしは見てはおらんが」


「二着? それは汚れていましたか?」


「汚れどころか、憲兵さんは言っておったよ。ズタボロの制服じゃったって」


 ズタボロ……そうなると、その見つかった制服は豚に食べられてしまったクリフとギルの制服の可能性が高い。

 アイヴァンの血で汚れた制服が無いのなら、着替えてはいないという事か? あれだけのことをして制服が汚れていない。それはどう考えてもおかしい。


 制服を洗った? ダーヴァの儀式のために………?


「そう言えば、今ふと思い出したんじゃが、首を吊った少年ね。あの子やけに良い匂いがしたんじゃ。ただでさえ、豚小屋なんて臭いじゃろ? それに血の臭いも酷かった。なのに、少年に近づいた時にふわっとな。やわらかい、何か花のような匂いがしたのを思い出したよ」


「匂い……ですか」


「ああ、まぁただ、それだけなんじゃがな」


 同じクラスにいてアイヴァンから花のような匂いがした記憶はない。儀式の為に制服を洗ったから、その時の匂いか?


 いや、どうだろう。


 そもそも、根本的な問題だが、アイヴァン本人が、ここまで手の込んだことをする奴には見えないし、悪魔を呼ぶ理由が全く分からない。

 ふざけたノリで悪魔信仰を……? いや、確かに、ふざけていた奴ではあったが、ここまでの事をしでかすようには、どうしても思えない。自分の命を絶つような、そんな奴だとは、やはりどうしても思えないのだ。


 納得する為に、わざわざここまで来たのに。

 どうしても、僕の中で違和感が膨れ上がっていく。


「勿体無いが豚は処分しないといけないじゃろうなぁ。なんせ人を三人も食ってしまったからな。なんとか続けてきたこの豚小屋も、もう壊すしかないじゃろ」


「え? 三人ですか?」


「そうじゃ。憲兵さんいわく、豚が食べたのは三人らしい。少年二人と馬車の御者だと言っていたよ」


「御者?」


「ああ。どうやら彼らと一緒に御者の行方も分からなくなっておったからな。おそらく豚に食べさせてしまったんじゃろって憲兵さんが言っておったんじゃ、あの豚の餌箱に頭を粉々にした後があったから、もうだれが誰だか分からないらしいがな」


「あれ? でも御者の服は見つかっていないんですよね」


「そうなんじゃが、少年、二人の服もズタボロで殆ど見分けがつかないくらいじゃったしな」


「そうですか………」


「あんたも、もういいじゃろ。そろそろ帰りなさい。日が落ちる。今の世の中物騒でたまらんからな。憲兵さんもここで色々調べておったが、随分と怯えている様子じゃったぞ。何かの儀式とか言っていたからな。ああ、そうだ、お前さん、儀式って何のことだか分かるかね?」


「いえ、そこまでは、ただ呪われると、皆が言っていました」


「そうかい。そりゃ、怖い、怖い。呪われる前にここを早急に取り壊さんと」


 僕は老人に挨拶をすると、豚小屋を後にした。


 ただ、すぐには帰る気になれず、僕は何故かさっき老人から聞いた、匂いという言葉が、無性に気になっていた。それと同時にアイヴァンの制服が綺麗な事もだ。僕は、どうしてもそれが気になり、少しでも手がかりをと思いながら周辺に何かないか探して歩いた。




「あった」


 思わず一人で呟く。

 豚小屋から五十メートル程度、離れたところに、寂れた井戸があった。


 井戸の縁にかけられたロープを引いていくと、水音と、重みが手に加わる。どうやら井戸水はまだ使えるようだった。


 井戸の縁に顔を近づけ匂いを嗅いでみるとかすかに錆びた鉄のような、そんな血の匂いがした。


 やっぱり………。

 多分きっと、ここでアイヴァンは制服を洗った。


 納得して顔を上げようとした瞬間、血の匂いと共に、甘い花のような香りが、かすめる。

 僕は眉を潜めながら、周囲を見渡した。よく見ると井戸の周囲に花びらが、まばらに落ちているのが気になった。

 辺りに花を咲かせているようなものは見当たらない。花びらだけが落ちている。

 僕はその花びらを追うように見ていると、花びらは点々と森の方へと続いていた。


 だいぶ日が傾き、夕暮れ時の森の中は薄暗く、不気味な感じはしたけれど、僕は何かに取り憑かれたかのように、その花びらの跡をたどって歩いて行った。


 どれくらい歩いたろうか。一定の間隔を開けて落ちていた花びらが急に途切れてしまった。 

 周辺はすでに暗く、足もとも見えにくい中、僕は周囲に花びらが落ちていないか探していた。


 ーーーーーーーガッサ。


 急に足元に何かが引っかかり、僕は体制を崩して、地面へと倒れこんでしまう。


「痛った………」


 ん? あれ?


 何だ? なんか変な臭いがする。何かが腐敗しているような臭い……。


 僕は暗い森の中、その臭いのする方へと犬のように四つん這いになりながら進んだ。

 そして、そこに何かがある事に気づく。見える所までたどり着いた時、僕は驚きのあまり、ひっくり返った。


「うわぁぁぁぁっぁ!」


 腰を抜かしながら後退りし、それでも目が離せず、それを見ていた。


 僕の目の前には腐った男の死体が横たわっていた。


 心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うほどドクドクと鳴り響き、冷や汗が一気に湧き出る。


 僕は、恐る恐る死体に近づいては怖くて後ずさるを何度か繰り返していた。


 どうしよう……どうしよう。

 頭の中は真っ白だ。


 気づけば真っ暗になり、月明かりが照らし始めた。

 死体が月明かりで青白く見える。


 その男の死体は、少し獣に食べられた後もあるが、腐りながらも状態は保っていた。

よく見ると手元に何か握っている。


「なんだ………?」


 僕はビクビクしながら、死体へと近づき、その手に握っていた紙を取った。


 どうやら、男が握っていたのは手紙のようだった。


 僕は手紙を開け、暗闇の中、月明かりだけを頼りにその手紙を読んだ。


【心優しき者よ。願わくば彼を埋めて欲しい。そして共犯者よ。貴方の家の花壇の下】


そう書かれていた。


「う、埋めるって……」


 多分この男の死体は御者だ。豚の餌にはなっていなかったんだ。


 でも何故だ……何故こんな所に………?


 手紙に書かれた“共犯者”その言葉が、何故かこの死体がここにある事の理由のように感じた。


「これ、埋めるの………?」


 僕は一度家に帰ることにした。死体には、念の為に落ち葉をなるべくかけて、さらに分かりづらくして来た。自分がまた来れるように、迷わないよう目印も残した。


 色々考えて、それだけは絶対にありえないと思っていた。

 でも……僕はその事実を認めたくなかっただけだ。


 自分が納得したくて豚小屋を確認した。


 あの手紙を読んだ時。やはりそうか。と納得している自分がいた。それと同時に"共犯者"それが誰のことなのかも僕は知っている気がした。


 僕は家に帰ると、すぐさま自分の家の花壇を見回した。


 すると奥にひっそりとある花壇の一つに、家で植えている花とは違う花びらがまかれているものがあった。

 それは、あの古びた井戸にまかれていた花びらとも違う花びらだった。


 僕はそこを勢いよく手で掘った。


 ああ、やっぱり共犯者は僕だったんだ。


 花壇の中には手紙が埋まっていた。


 僕は震える手で、その手紙を開いて読み進める。


【親愛なるアシュトンへ、勘が鋭い君がこれを読んでくれることを切に願います。君がこれを読んでいる頃には、私はすでに王都ガーデンには、居ないでしょう。貴方に迷惑をかける事になるのは重々承知の上で、頼みがあるのです。

勝手な頼みだとは思いますが……】


 手紙にはそれから幾つかの頼みごとが書かれていた。そしてその最後にはエリザベート・メイ・ステインその名前で締め括られていた。


 ………エリッサ様。


 僕がこの手紙の中に書かれている頼み事を聞くという事は、今後、僕が彼女に絶対の忠誠を誓うといことだ。


 これは僕に共犯者になれとそういう事だ。


 あの心優しいエリッサ様があんな残虐で酷い行いをし、そして更に僕に共犯者になれと言う。


 今だに信じられない。貴族でありながら、自分の事より他人を優先していた、あの彼女が………?

 もちろん僕の見てきた彼女は断片的だ。付き合いもデジールほど無い。それでも彼女の雰囲気だけでも、絶対こんな事をするようには見えない。

 絶対にありえない。僕はどうしてもそう思ってしまう。


 それでも僕の手にある現実は、僕に共犯者になれと、そう残酷に告げていた。


 エリザベート・メイ・ステイン。


 彼女はいったい何者なんだ。


 貴女はいったい何なんだ!


 彼女を理解する事が出来ない自分自身にさえ、怒りを覚える。自然に僕の手の中で手紙はぐしゃりと歪んでいた。

 

 そして、そのまま、僕の心も一緒に歪んでいくような、そんな気持ちになっていた。


 翌朝早朝、僕は手にスコップを握りしめ、勢いよく家から走り出した。

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