No.44 アシュトン日記 足跡


 あの日、エリザベート嬢を庇い、頭を切ってから僕は学院に行っていない。出血は酷かったが、父に縫って貰ってからは全く問題はなかった。

 二日後、ステイン家の使用人が見舞いとして家に来た時、しばらく学院には行かないようにと釘を刺された。具体的にいつまで休めば良いのか、そう聞くと、その使用人は、お嬢様は"いずれ分かる"そう伝えるように、との事だった。


 いずれ分かる。それを聞いた時、僕は何のことだかさっぱり分からなかった。


 けれどもその日は突然訪れ、そして本当に明確だった。


 日が傾きかけた頃だった。父が働く診療所から家に帰って直ぐの出来事だ。父の元で働く看護人が慌てた様子で「急患です」と父を呼びに来た。

 たまたまそこに居合わせていた僕は、その看護人の言葉に耳を疑った。


「貴族院で事件がありました。貴族院の生徒二人が死亡、一人が重傷なのですが、先生。その生徒が……その………」


 既に診療バックの中身をチェックしながら準備をしていた父は、状況説明を渋る看護人に向かって怒鳴る。


「その生徒がどうした!?」


「あの、全身に無数の針が刺さった状態で、貴族院にいる在中医師にも見ては貰った様なんですが、誰にも処置が出来ないそうで、先生にお願いしに来たんです」


「針?」


「それが、その、異常なまでに体に針が刺さっていて」


「まぁいい。見た方が早い。すぐに行く」


 そう言ってバックを片手に出て行こうとした父に、僕は思わず声をかけていた。


「父さん!」


「ん? あぁ、アシュトンお前の言わんとしてることは分かる。お前の通っている学院だ。帰ったらお前にもちゃんと色々教えてやるから」


「父さん、ありがとう」


 父さんはそのまま勢いよく家を飛び出して行った。

 その日、僕は気になって父さんの帰りをずっと待っていたが、結局父さんは帰っては来なかった。


 次の日の昼になって、ぼろ雑巾のように、くたくたになりながら、ようやく父さんが帰宅した。


「ジェニファー、頼む。暖かい紅茶を入れてくれ」


「はい、ただいま」


 母さんは父さんの様子を見て、急いで紅茶を入れる準備をし始めた。父さんはいつも座っている椅子にぐったりと腰を下ろし、何処を見るわけでもなく。ただ放心したように天井の方を見ていた。


「父さん」


 僕は疲れきった姿の父さんに、気まずさを感じながらも声をかけずにはいられなかった。


「なぁ、アシュトンお前、ダーバァというのを知っているか?」


 父さんの視線は天井のまま、その表情からは何も、読み取れない。


「だーばぁ?」


「いや、知らないのならいいんだ」


 そう言って父さんが首を振ると、暫く黙り込み、深いため息を吐いた後、僕を見た。


「お前と同じクラスの娘だったよ」


「………え!!?」


「貴族院で亡くなっていた貴族の生徒はミーシャ嬢、アデラ嬢。そしてお前も昨日聞いたと思うが、全身に針を刺されていたのがリリー嬢だった。

私も医者を始めてから結構長いが、あんなのを見たのは初めてだ。見たことがない。全てが異様だったよ。その、見た目も勿論だが、身体の臓器を痛めないように、バラバラの大きさの針が千本も体中に刺さってる様は凄まじいものがあった。今の彼女は針の傷で化膿し腫れ上がり、見る影もない」


「え? じゃぁ、リリー嬢は」


「あぁ、ショック死していなかったのが奇跡だった。だが、今もこん睡状態だ。予断はできんし、いつ目覚めるかも分からん。」


「いったい、誰がやったの? 分かったの?」


「それが………お前は本当に運がいいな。今お前のクラスの子たちが憲兵に拘束され、事情を聞かれている頃だろう。目撃情報だと同じ制服を着た青年が、その部屋から走り去って行く後ろ姿を見た者がいたらしい。

憲兵はお前にも事情を聞きたいと言っていたが私が証人としてお前が無関係なことを説明はしといた。もしかしたら、ここにも事情を聞きにくるかも知れんが、大した事は聞かないだろう。今現在行方がしれない貴族の男子が数名いることから彼らが犯行したのではと憲兵は言っていたからな」


 母が湯気の立つ紅茶を父の前にあるテーブルにそっと置く。


「はい、あなた。それで、今日はもうお休みになられるんですか?」


「いや、少し休んだらまた診療所に戻る。二時間たったら起こしてくれ」


「あら、それは大変ですね」


「仕方がないさ。貴族の娘さんだ。それにあんな傷を負いながら生きていられるのも、医者としては正直、興味深いんだ」


「父さん、それはどういう意味?」


 父さんは紅茶を冷ましながらゆっくり飲むと、真面目な顔をして僕を見つめる。


「さっきも言ったが。針はな、千本も体中に刺さっていた。刺されていた針の深さはそれぞれだったが、深いものは、かなり深くまで刺さっていた。だがな、ちょうど計算されたように、大事な臓器を傷つけないように針は止まっている。それも何本も。あれは偶然に出来る代物じゃない。わしでも真似は出来ん。まぁもし、お前と同じ歳の少年が本当にやったのなら、それはもはや奇跡に近いだろうが……こうも惨たらしい奇跡などないな。

猟奇殺人というものかもしれんが、あんなにも気が狂ってるような事件、本当に初めて見たよ」


「気が狂ってる……ねぇ、父さん。さっき言ってたダーバァって?」


「ああ、憲兵が言っていたんだ。針が刺さっていたリリー嬢の周りには、囲むように、血で円が描かれていた。何かのマークか、印のようなものに見えたそうだが、その印の下に【ダーバァ】と血液で書かれていたらしいんだ。そして同じ印はリリー嬢の足の裏にも描かれていたよ」


「ダーバァ………」


「アシュトン、悪い。私は少し仮眠をとる。この話しは、また今度にしてくれ」


「うん、引き止めてごめん。お父さんありがとう」



 ………………ダーバァ。


 まったく聞きなれない言葉だ。そして、それ以上にどうしても嫌な感じがする。もやもやと晴れない霧のかかったような気持ちになるのは、ステイン家の使用人の言葉が僕の脳裏に過り、引っかかっているからだろう。

 あたかも、この事件が起こる事を分かり、予言のような言葉で"いずれ分かる"そう伝えるようにと僕に残したエリッサ様。

 学園に来るな、など、まるで最初からこの事件が起こる事を知っていたかのように思えてならない。


 もしかしてあの優しいエリッサ様が………?

 いや、そんな、まさか。


 僕はぶんぶんと首を振り、自分の頭に浮かんだ言葉を無理やり排除した。


 そして、翌日、更に事態は急変した。犯人が見つかったと知らせが届いたのだ。


 犯人はアイヴァン・ダウエル。豚小屋で首を吊り、死んでいたそうだ。

 その豚小屋には同じく行方が分からなかったクリフとギルの遺体らしきものも発見されたらしいのだが、その殆どが豚に食べられていたらしく、本人だと確定するのは難しいらしい。状況的に見て高い確率でクリフとギルだという話だ。


 そして、アイヴァンが犯人だと断定された理由として、彼の遺体の胃袋から、人間の肉を食べた痕跡があること、そして直筆の遺書が残っていたことが大きかった。


 遺書の内容はあまりにも衝撃的な内容らしく公には公表されていないらしい。だが、僕は手紙の内容を知っていた父さんに、頼み込み、少し強引に内容を聞き出した。


 【ダーバァ】


 それはどうやら悪魔の名前らしい。

 アイヴァンはその悪魔を召喚する為の儀式をリリーを使って行ったのだ。

 そのリリーの体は無事に悪魔の子を宿し、呼び出すことが出来たのだと遺書に書いてあったようだ。

 父はあえて僕に伏せていたようだが、強く問い詰めた僕に、確かにリリー嬢には暴行されていた痕跡があったと静かに言った。


 随分と狂った内容だと思った。

 

 この遺書の内容が公開されないのも分かる。





 僕はアイヴァンが犯人だと知らされた翌日から学院に通うことにした。


 教室に入ると、明らかに重たい空気が漂っていた。皆、殆ど会話もせず、人の顔色を伺っているような感じに見える。


「アシュトン君」


 僕が教室に入ると、ほっとしたような顔をしたデジールが駆け寄って来て、声を掛けてきた。


「アシュトン君は今日来たんだね。頭の傷は、もう大丈夫?」


「うん。傷はもうだいぶ良いんだ。それより、デジールはエリッサ様の事で何か知っていることはないか?」


「え? エリッサ様? 何も聞きいてないけど、どうかしたの?」


「いや、ちょっと気になっただけだよ」


「あっでも、ステイン家の使用人の人達が殆ど屋敷を出て行ったって噂は聞いたの。その後すぐにエリッサ様の侍女の方が来て、学院は危ないから暫く行かないようにって言われたわ。それから、何か噂を聞いたとしても、心配ないからステインの屋敷を尋ねて来るような事は、しないようにって言われてたの。だから私もエリッサ様のことは全く分からなくて」


「屋敷に来るな?」


「うん」


 確かに今のステイン家は大変ことになっているのは知っているけど……ん?


「デジール、君はエリッサ様のお屋敷行ったことがあったんだね」


「ええ、一回だけ。あ!」


「あはは、もう、遅いよ。デジール。それで、お屋敷はどうだった?」


「私からは話せません。今度エリッサ様本人から聞いてください」


 少しだけ、むくれたような顔をしたデジールは、そのままそっぽを向いてしまった。


「デジール悪かったよ。今度、ちゃんと本人に聞いてみる」


 僕は、言いながら、頭の何処かで、"今度"があるのだろうか。そう考えていた。

 エリザベート・メイ・ステイン。彼女は今、何を考え何をしているのか。そしてこの現状を何処まで知っているのだろう。


 ふと僕の横で会話をしながら、通り過ぎて行く貴族の生徒がいた。


「おい、この学院、悪魔に呪われたって、本当かよ」


 僕はその生徒の言葉に思わずギョッとする。

 アイヴァンの遺書のことは口外していないはずだったのに何故今、悪魔の話が出ているのか………。


 僕はデジールとの会話を「ごめん」と言って無理矢理切り上げると、会話をしていた二人の貴族の後を追いながら呼び止めた。


「あの、すみません。その話、悪魔の事を何処からか聞いたのですか?」


「え? 何処からって、貴族は皆知っているだろ。なんせリリー嬢の足の裏にあった紋は悪魔の印だからな」


「え………?」


「あぁ、そうか。お前ら平民は知らないのか。悪魔信仰は、貴族のごく一部の中で行われているものだからな。貴族の授業の中でも軽く触れる程度だが、悪魔信仰には、絶対に関わらないようにと教えられるんだ。中でも、ダーバァ信仰は禁忌中の禁忌らしい。そんな禁忌の紋でリリー嬢を囲い、儀式を行ったって言うじゃないか。

それで、憲兵もダーバァ信仰の儀式のことを事細かに調べていたからな。調べている憲兵の顔も青ざめてたよ。恐ろしい話だよな」


 説明してくれた貴族は、次は誰かが悪魔に殺されるんじゃないかと話していた。


 僕は聴き慣れないダーバァ信仰の事で頭がいっぱいになった。平民が知らない、貴族の信仰。

 

 禁忌の信仰。


 貴族の………。


 何故だか、どうしても嫌な予感がする。


 僕は騒ぐ鼓動を抑えながら、自分の席へと戻った。

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