No.58 手紙


 ーーーーその日、私は地下室の生活をしてから初めて外に出た。


 外へと続く階段を昇り、ガタガタ音を立てながらカモフラージュの為に置かれている瓦礫をどかす。

 久しぶりの外気の新鮮な空気に、ほっとしつつも周囲を見渡せば、焼けた痕が残る屋敷の瓦礫の山だった。屋敷が燃え尽きてから、なんら整理もされず、そのままの状態だ。

 此処は、形も残らず燃え尽きた屋敷の焼け跡にしか見えない。


 まぁ確かに、まだ此処に私達が住んでるとは誰も思わないだろう………。


 でも、それをカモフラージュになるからと、エリザベートが指示し、身を隠す為にワザと屋敷を燃やしたって事だ。エリザベート的にこれが忍者ごっこ……?


 いや、でも本当よくこんな事を思いつく……


 って待って、今は私がエリザベートで、私がエリザベートの頭を使っているって事で……え? 待って、それって、私がコレを思いつかなかったって事は、私がエリザベートの頭を使い切れてないって事になる?


 確かに、彼女の記憶力は凄くいいから、頭の回転も早いのかとは薄々思っていたけど……。


 いや、でも、使い切れてないって……それは、ちょっと悔しいんだけど。


 私は早朝の、少し霧がかかっている中で、ゆっくりと屋敷の焼け跡を見回っていた。外の空気は久しぶりなだけあって気持ち良く感じる。ただ周囲が焼け跡と言うこともあり、色々な物が焦げた臭いが鼻に付き、どうしても深呼吸をする気にはなれなかった。


 ーーーーーーパカッ、パカッ、パカッ


 突然、近づいてくる馬の蹄の音に私は身構えながら、慌てて大きな焼けた木の陰に隠れる。

蹄の音が止まり、薄霧の中から一人の男性が屋敷の方へと近づいて来ていた。私は瓦礫の影から、こっそりと男性を覗く。服装など、まるで平民のように見える姿だったけれど、知っている顔にホッと安堵した。


 身を隠す必要性が無いと判断した私は、そのまま瓦礫から顔を出し、声をかける。


「おっ、お嬢様!? もうお体はよろしいのですか?」


「ええ、おかげさまで」


 確か名前はエルフレットと呼ばれていた気がする。

 カトリーヌの執事だった。


「お嬢様の体調が回復されたのなら、何よりでこざいます。私も安心致しました。あぁ、そうです。丁度良くお嬢様へのお手紙をお預かりしておりました」


 エルフレットはゴソゴソとバックから手紙をさがしている。


「私に? 誰から?」


「ご友人だと伺いましたよ」


「そう、誰かしら……」


 私はエルフレットから手紙を受け取ると、エルフレットは私の顔色を伺うように口を開く。


「あの……カトリーヌお嬢様は?」


 私は俯き、ただ首をゆっくりと振ることしか出来なかった。


「そうですか、まだ、お目覚めにはなりませんか……」


「ジョゼ叔母様が果物が必要だと言っていました。少しでも栄養がある物をと……手に入りますか?」


「それが……今は何処も果物が高等しているのです。以前は簡単に手に入っていたルートは現在使えなくなっています。私も色々探しては見てはいるのですが……やはり物資そのものが手に入りにくいですね」


「そう、じゃぁやっぱり王都の方が果物は手に入りやすいのね?」


「ええ、そうですね。バストーン領に比べれば王都の貴族街の方が、手に入りやすいです。やはり品揃えにおいても全ては王都に集まりますから」


「そうなの……」


 私はそれ以上、何も言えなかった。現状今の私達では王都には戻れない。


「お嬢様、私もまた探して参ります。もう少し離れた場所で探せば見つかるかも知れませんし。気を落とすとお身体に良くありませんよ」


 そう言ったエルフレットは荷物を抱えながら地下へと降りていった。


 私はまだ、地下に戻る気にはなれず、そのまま、屋敷の庭を歩きながら、木陰の木の下に腰を下ろす。


 先程エルフレットから手渡された手紙を見てみると、封筒の裏の差出人には、アシュトンと名前が書いてあった。


「アシュトン?」


 アシュトンって、あの貴族院で私を庇ってくれた男の子? デジールと一緒に居た子だ。


「確か医者の子だと言っていたっけ……でも、何で私に手紙?」


 私は疑問に思いながらも封を切って中を確認する。中には手紙が二枚と、小さく折り畳まれた薬包紙が三個入っていた。

 


【拝啓、エリザベート様】


ーーーエリザベート様に頼まれた薬を、何とか作る事が出来ました。睡眠作用がある薬草と、強い麻酔の効果がある薬を調合したものです。エリザベート様が仰る通りの効果が得られるのかは正直分かりませんが、僕が知り得る限りで、近い効果は得られると思います。薬を同封致します。

この薬を飲むと、数分で睡魔に襲われ、同時に麻酔による麻痺が体を巡ります。これを服用すれば、まず、二、三日は昏睡するかと思います。エリザベート様が何故このような薬を必要とされるのかは存じませんが、この薬がもっと必要であれば、少々時間は掛かりますが御用意することは出来ますーーーー



 一枚目の手紙はそこで終わっていた。二枚目の手紙には何故か、マーティンについてのことが書かれていた。


 マーティンが所在している場所など妙に詳しく書いてあり、その後に、アシュトン本人との連絡手段も書かれてあった。


 手紙の内容を全て読み終えても、いったいこの内容が何を意味しているのか、私には全く分からなかった。ただアシュトンの手紙の最後に、エリザベートではなく、明らかに私宛の言葉が一言だけ書かれてあった。



 ーーーーエリザベート様、最後に頼まれていた言葉をお送りします。これは合言葉と言ったほうが良いのでしょうか?



    【エリッサ、悪役になれ】



 私はこれを読んだ時、思わず息を呑んでいた。手が震え、ドクドクと心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 この手紙はアシュトンから私宛に送られてきた物だけれど、この言葉は間違いなく、エリザベートが私に送って来た言葉だ。


 悪役になれ…………


 その言葉が私の胸に深く突き刺さる。


 分かっていた。自分がこの世界で、どれだけ無能で、何も出来ない存在なのかを。


 今の私は、エリザベートから逃げて、何も見ないようにして。それでも結局、何も出来なかった事に傷ついて、そして迷っている。


 いまだ、答えなど出なくて。どうしたら良いのかも分からなくて……。


 でも今、エリザベートが私に一つの答えを提示した。これは私にとって、究極の選択だ。


 ーーーー悪役になれ


 このメッセージは、皆んなを守る為に、私に残忍になれと言っているのだろう。


 ただ、それでも【悪役】になれって事は、私ではないって事でもある。実際はエリザベートが動く事を意味しているのだろう。でもそうは言っても、結局は同罪だ。【悪】だと知って、私はそれを許容する選択を迫られているのだから。


 この体は、今は私の体なんだ。いくら私が所詮、ただの【役】だったとしても、いざとなったら罪を問われ罰を受ける覚悟も決めなければならない。


 この同封してある三つの薬包紙、この薬を飲むと、多分私は眠りエリザベートが目覚めるのだろう。


 皆を……いいえステインを守る為には、私は罪を犯さないといけない。


 多分きっと他に道はない。それも分かっている。


 エリザベートが提示した悪役の罪の重さはきっと今の私には想像もつかない重さなのだとも思う。


 あぁ、やっぱり、こんなんじゃどの道長生き出来ないだろうな……私……。


 罪か……あんなに憎いエリザベートに私は……。


 どうするべきか分かってはいても、私の心は揺らいでいた。


 ゆらゆらと揺れる心をそのままに、私は地下室へと戻る。地下室に戻ると、コールがジョゼ叔母様の元で食事の準備の手伝いをしていた。


 地下室の生活で侍女や使用人達はいない。身の回りの生活は全て自分達でやっていた。


 コールが小さいながらに、お手伝いをしていると、ダリアがよたよたと、ジョゼ叔母様の方に寄り、スカートを少しだけ引っ張りながら話しかけていた。


「ジョゼフィーヌさま、私も何かお仕事をさせてください……」


 ダリアは馬車の怪我で、体を強く打ち、腕の骨も骨折していた。明らかにまだ休んでいなければならない体で、歩くのもやっとのはずなのに……。


 それでも、彼女はジョゼ叔母様に仕事をもらいたがっている。


 ジョゼ叔母様はしゃがみダリアに視線を合わせると、優しく微笑みながら、そっと頭を撫でていた。


「ダリア、貴女は身体を休めるのが仕事なのよ。元気になったら、たくさんお手伝いして頂戴ね。ここは大丈夫だから。さぁ、ベッドに戻りなさい」


「でも……」


 俯くダリアに、困ったような顔をしたジョゼ叔母様と目が合った。


「あら、エリッサ、貴女もそんな所に居て。でも、ちょうど良いわね。ダリアを寝かしつけて欲しいの。貴女達二人はゆっくり休むのが今は一番なんですから」


私はジョゼ叔母様の言葉に頷き、ダリアと一緒に寝床まで手を繋いでゆっくりと歩いた。彼女の寝ている場所もまた、本で積み上げたベッドだ。小さなダリアを抱き上げ横に寝かせる。


「エリザベートさま、わたし、このお家の為に何かしたいです。だって、みんな、こまってる。だから、わたしも何かお役にたちたいの」


「ありがとう。気持ちはとても嬉しいわ。でも貴女はまだ小さな子供なの。そういう事はもう少し大きくなってからでいいのよ。まずはその怪我を治さないとね」


「でも、わたしは、こまってるエリザベートさまやジョゼフィーヌさまを助けたい」


「ねぇ、ダリア、あなたは私が怖くないの?」


「今は、そんなにこわくないです……少しだけ、こわいけど」


 子供の強がりと、その素直さに思わず笑みが溢れる。


 「ダリア、無理をしなくていいわ。私を怖いと思ったらすぐに離れなさい」


 ダリアは少し考えるようにしながら頷くと「やっぱり今はこわくないです」そう言って笑った。


「いまは、わたしのお家がここです。まえは、ずっと、さむくて、さみしかった。こわかった。でも、エリザベートさまのアクマがいなくなって、はじめて名前をもらって、それからさみしいのが、なくなりました。いっぱい、みんなが優しくしてくれて、ご飯もおいしくて。あったかい。

だから、わたしは、みんなのお役に立ちたいと思ったの」


 ダリアの真っ直ぐで純粋な瞳に吸い込まれるように、私は思わずダリアの小さな手を握っていた。


「あ……」


 ダリアは少し驚いたのか、体を一瞬ビクリと硬直させる。


「ごめんなさい」


「大丈夫です。少しおどろいただけ。エリザベートさまの手は、あったかいです」


「ダリア、私の事はエリッサって呼んで」


「エリッサさま、ですか?」


「ええ、貴女は私の大切な家族よ」


 私の言葉にダリアは本当に嬉しそうに、笑った。


 ダリアは、握っている私の手を、そのまま自分の顔へと近づけると、敬愛のキスをした。

 

 小さな子供が、辿々しくも、自分の意思をしっかり表現している。

 その仕草がこの世のものとは思えないほど可愛いく、そして美しく私の目に映り、焼き付いた。


 そうだ。私はこの愛しい子達を大事にしたい。こんなに可愛い仕草をする、この小さな女の子を大事にしたい。笑顔を消したく無い。

 私は確かに、守ると言ったんだ。生きている限り全力をもって守り支えると、あの時そう言った……。


 あの言葉は私にとって嘘じゃない。今でも全力で守りたいと思っている……。


 私はダリアを寝かしつけると、そのまま、眠るカトリーヌの元へと向かった。


 カトリーヌは変わらず綺麗な顔で寝ている。私はそっと、彼女の近くに座り、寝ている彼女の手を握った。カトリーヌの腕には痛々しく見える痣がハッキリと残っている。足も包帯で巻かれ固定されていた。


 カトリーヌの手首が少し細くなったように見えた。


「ねぇ、カリー、ちゃんと食べないと駄目だよ。美人さんじゃなくなっちゃう」


 私は返事をしてくれないカトリーヌに語り続けた。


「私、ここでの暮らしは諦めるよ。だってお屋敷が燃えちゃったからね。だから、王都のお屋敷で我慢するよ。だからカリー、一緒にそこで暮らしましょうね。

ああ、そうだ、お友達も呼んで楽しく暮らすのはどうかしら? あのお屋敷大きいでしょ? お部屋もたくさんあるし、きっと賑やかになるよ。勿論、ジョゼ叔母様や、コール、ダリアも一緒。皆で楽しく暮らすの。

きっと、食卓は大騒ぎね。カリーが一番ワガママだから、食事のメニューはカリー中心に決めていいよ。

きっとデンゼンパパも許してくれる。だって愛する娘のわがままだもんね。

楽しく暮らしていくの。そうだ、今度カリーと一緒に旅をするのも楽しそう。だって私、この世界のこと全然知らないから。

きっと物知りのカリーがすっごく偉そうに、私に教えてくれるんだろうね。そうね、まずはエレノアお姉様のいる国に行こうか。

カリーは……きっと、カリーは、エレノアお姉様のことは、嫌いだからとか言って、嫌がりそうだけど……でも、私はまだ会ったことがないの……だからカリーに紹介して欲しくて……だから三人で……一緒に……」


 握る、カトリーヌの手には私の涙がぽたぽたと滑り落ちていく。


「ねぇカリー、起きてよ……」


 カトリーヌは起きない。分かっている。きっと、このままでは確実に衰弱して死んでしまう。


 砂糖も塩も当然無い。


 今の彼女に出来る事は少しでも栄養がある物を口に含ませる事、でも、もうその果物も少ない。


 どうすれば果物を手に入れられるのか、私には分からない。どうしたら、この状況が変わるのか、どうすればいいのか……。


 きっと、私の嫌いな奴なら全てを知っているのだろう。そして、皆んなを助けられる力を持っているのだろう。


 私はカトリーヌの手をそっと離した。そのまま、ゆっくり、外に出る入り口へと歩いていく。


「エリッサ? 駄目ですよ。貴女も休まなくては」


 ジョゼ叔母様が心配そうな顔で私を見ている。ジョゼ叔母様の蕁麻疹はずっと引かないままだ。ジョゼ叔母様自身、看病を続け、無理をしているのも分かっている。いつ倒れてもおかしくはない。


「叔母様、この後、私の言動が変わったら、少し距離を取って下さい。多分叔母様には危害は加えないとは思いますが、お身体には良くないでしょう」


「……? 何を言っているのエリッサ……」


「叔母様……私は、まともな人間でありたかった。善良であろうと思っていたんです。でも、ごめんなさい。それはきっと叶わない」


「エリッサ………?」


 私はジョゼ叔母様に背を向けて、そのまま地下室を飛び出した。焼けた屋敷の瓦礫を踏むと、粉々になって崩れていく。


 しばらく庭を歩いていると、次第にポツポツと雨が降り始め、私の頬を濡らしていった。


 もう、どうにも出来ない。


 私が必死で我慢してきたことは全て無駄だった。

 

 私が、がんばってきた事も全て駄目だった。


 だから、もういい。もういいんだ。


 悪役にも何でもなろう。私の選ぶこの道が正しいとは思わない。


 でも、この暴力から逃れられないなら。私はその暴力で立ち向かうしかないのだろう。


 もういい、解き放とう。


 醜い暴力……大っ嫌いな暴力を一生懸命抑えてきたけど。


 もういい。


 解き放とう。


 それでしか、生きる道が無いのなら。

 皆んなを守る方法が見つからないのなら。


 私は甘んじて暴力に飲まれよう。


 私は降り注ぐ雨の中、覚悟を決めて、自分の理性を“手放した”。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る