No.57 暗い部屋
目を開けると、そこは暗い石の天井だった。
じめじめとした石の壁、背中はごつごつと痛みを覚え、硬い石の上に寝かされているようだった。
ここは……ここは、きっと多分牢獄だ。
体がもの凄く痛い。痛みで全く動かない。
でも、生きてる?
あぁ、私、きっと拷問でもされたのかもしれない。記憶は無いけど。こんなに体が痛いのなんて、あの死際の事故以来はじめての感覚だ。
いや、もしかして、もうすぐ死ぬのだろうか。
「……あ………あ」
一応、ガラガラだけど声は出る。でも、声を出したら誰かに見つかる?あの兵士に殺されるのかな。
あぁ、カトリーヌもジョゼ叔母様もあの後どうなっただろう。
みんな……………。
私はあの最悪の光景を思い出し、自然と涙がこみ上げてくる。
きっと私も、もうすぐ死ぬね。あの子達も守れなかった。私にはもう何もない……。
涙が頬を伝い落ちていく、滲む世界にぼんやりと人影がうつり、私は慌てて瞬きをした。
突然、幼いコールの顔が私の視界に現われる。
私は思いもよらなかった彼の姿に驚き、思いっきり息を吸い、声をあげようとした。
「コッ、ーーーーっくぅっ」
その途端に、ズキンと背中に強烈な痛みが走り、私はそのまま体を硬直させ、呼吸が止まる。
「ジョゼフィーヌ様! ジョゼフィーヌ様! エリザベート様が、めざめました!!」
ーーーーえ? ジョゼ叔母様も生きてる!?
コールは慌てながら、大きな声でジョゼ叔母様を呼びに行った。
私は痛みに耐えながらも、コールが生きている事とジョゼ叔母様が生きている事に嬉しさが込み上げていた。
戻って来たコールと一緒に、ジョゼ叔母様は、慌てた様子で私の視界に入ってきた。心配そうな顔をしながら私の顔を覗き込む。
「あぁ、エリッサ、よかった。突然、倒れたので驚きましたよ。あれから二日も眠ったままで……」
二日!?
あれからってどう言う事?
何があったの?
「……おば……さま……」
「エリッサ、大丈夫ですか? 起き上がれますか?」
出来るだけ声を出そうとして、体にもゆっくり力を入れようとしたけれど、全然ダメだった。ちゃんとした声は出ないし、体の痛みが強すぎて力を入れる事が出来ない。
「……おば……さま……」
「声が出せないのね……無理は良くないわ。すぐに水を……コール水を持ってきてちょうだい」
「はい」
「エリッサ、落ちついて。安心なさい。貴女が使用人や侍女達に指示したように彼らはヨーワンとトールリ領に向いました」
ーーーーーーえ?
私の指示? 私そんな記憶無い…………。
コールが持ってきた水をジョゼ叔母様が受け取り、綺麗な布で湿らすと私の口に当ててくれた。冷たい水の感覚が少しずつ口に広がり気持ちがいい。喉が乾いていたのが、自分でもよく分かり、徐々に体に慣らして行くようにゆっくりと水を飲んだ。
「……あり……」
「いいのよ、喋らなくて。貴女は、まだ寝てなさい。大丈夫だから」
「……ま……って……カ……」
「カリーも大丈夫よ。エリッサ、あせらなくて良いのよ。ゆっくり、ゆっくりね」
ジョゼ叔母様はそう言って、私の肩をそっと撫でた。私の視界に入るジョゼ叔母様の細い手首から、蕁麻疹が広がっているのが見える。
私の為に無理してくれているんだ。そう思うと、今度は感謝と嬉しさから、また涙が溢れそうになった。
私は涙が溢れる前に、そっと目を閉じる。正直、今の状況は全く分からない。ただ今は体を癒さなければいけない、それだけは分かった。
いったい、何があって私の体はこんな事になったの………。
あぁ、駄目だ、あんまり深く考えるのは止めよう。
今はただ、何も考えず、身体を癒す事に専念しなければ。
私は再び襲ってきた睡魔に身を委ねた。
それから更に二日が経った。私はようやく体を動かせるようになり、食事もゆっくり取れるようになった。
体を動かし、起き上がる事ができるようになって、初めてここが何処なのかが分かった。
此処は私にとっての目覚めの場であり、最も嫌な場所だった。
バストーン邸の屋敷の地下牢。私が改築をお願いし、今は倉庫になっていたはずなのだけど………。
今は、おおよそ元の倉庫とはかけ離れた場所になっていた。
一面には、本、本、本、本の山になっている。壁の端に食料があるだけで、殆どが本や書類が山積みになっていた。私の寝ていた場所も石ではなく、ベッド代わりに本を詰まれたものだった。通りでゴツゴツしているし、絶妙な段差で痛いわけだ、と納得していた。
「叔母様、何故ここに?」
「何故って……貴女が燃やしたんですよ? ニンジャごっこ? とかです。侍女達に燃やせば身を隠せるとおっしゃって、屋敷を全て燃やしたと聞きました。
まさか、燃えた屋敷の地下で暮らすとは、私も最初は驚きましたよ」
もっ燃やしたの………? あの、立派なお屋敷を!?
しかもニンジャって忍者? 何で?
もう私、ついに放火魔にまでなってしまった………。
あぁ、でもコレはエリザベートだ……彼女ならやりかねないし、躊躇う事なく、あの立派な屋敷を燃やしそうだ。
そうか……私は、また知らないうちにエリザベートになっていたんだ。それならば全て納得がいく。
記憶がないことも、こうして皆んなが生きていることも……。
「叔母様、ごめんなさい。私、少し記憶が無いんです。屋敷を逃げ出して、馬車が倒れてしまってから何があったのですか?」
「記憶が……? まぁ、そうよね。あれだけの事があったのだもの。……そうね、最初は、私もステインの兵が襲って来るなど、あり得ないと思っていました。ですが、あれは紛れもなくステイン領の兵でした。領主であるステイン家に反旗を翻したのです。そしてあの後、残念ながら、私達は逃げ切ることは、できませんでした。一度は死を覚悟しました。慰み者にでもされるくらいならば、カトリーヌを殺して私も死をと……けれども貴女が、カリーも私も、そして子供達を守ってくれたのですよ」
ジョゼ叔母様は少し思い出したかのように、間と一呼吸おいてから続ける。
「確かに少し………残忍でもありましたが。でも、それでも、紛れもなく貴女が私達を助けてくれた事には変わりありません。貴女がいなければ間違いなく皆、殺されていたでしょう。
以前の私は、貴女が怖くて仕方がありませんでした。今でも体が拒絶しているのはその恐怖心が、まだ、残っているからなのかもしれません。
でも、あの時の貴女は本当に頼もしく思いました。強く、たくましく、気品のある女性。貴女は紛れもなくステインの女性です。デンゼンが貴女を可愛がるのが分かる気がしましたよ。
エリッサ、今一度、感謝します。私達を助けてくれてありがとう」
私はジョゼ叔母様の感謝の言葉を聞きながら、自分の両手を見つめていた。
何となく予想はしていたのだ。ここで目覚めてから。いや、私が眠り、エリザベートに乗っ取られた事を知ってからずっと……。
そうか……私は人を殺めたのか。
ジョゼ叔母様は私を褒め、感謝しているけど……でも、褒められても、そもそも、それは私じゃない。
エリザベートだし。いや、今は私がエリザベートだけど、でも……あぁ、やっぱり複雑だな。
唯一、"残忍だった" ……その言葉が私の頭にこびりついていた。きっと正当防衛だとは思うけど………殺した事には変わりない。
私は手のひらを見つめたまま、呟く。
「カリーに会わせてもらえませんか?」
「カリー……今は眠っているの。寝かせておいてあげて」
「そうですか。カリーは私の事、何か言っていませんでしたか?」
「……いいえ」
「そうですか……」
カトリーヌに会いたい。
今、私は無性にカリーの、あの笑顔が恋しくなっていた。あの無邪気で可愛い笑顔に会いたい。彼女に抱きついて、馬鹿って言いたい。
そして、いつものように高飛車な態度で理不尽な、わがままを言って欲しい。
そう思った自分に思わず苦笑する。まさか、そんな事を心から望むだなんて思わなかった。
もう少し体が動けるようになったら、カリーに会いに行こう。
私はそう心に決めながら、自分の身体の回復に専念した。
ゆっくりとそれでも着実に癒えてきている自分の身体を確認しながら、少しずつ体を動かしていく。リハビリをしながら気づいた事は、私のこの全身の痛みは、筋肉痛や至る所の筋を痛めたようなものだと次第に分かってきた。
全く、エリザベートめっ!! 一体、何をどうしたら、こんな筋肉痛やら、身体中の筋がおかしくなるのよ!! 信じられない!!
エリザベートがこの体を自由にしたせいで、この痛みを私が一人で抱える事になった。正直、夢でも何でも文句を言いたいけど……言ってやりたいと思うけど、でも、言えない。
やりたい放題して、勝手に体を使って、勝手に返して……でも、何でだろう……今回私は、凄くほっとしている。それが何故か不思議だった。
あんな残忍で悪魔で、人の気持ちなど全く考えないエリザベート。暴力的で、大嫌いで、それは変わらないのに。でも……それでも、彼女に助けられた。
私だけじゃない、エリザベートは皆を助けた。助け方はどうであれ、いや、正直、知りたくはないけど、でも彼女が皆を助けてくれたんだ。
だって、結局私には救えなかった。
感謝……したくないけど、でもこのほっとした気持ちは彼女が与えてくれた気持ちだ。
認めたくないけど、今はこの気持ちを深呼吸しながら味わいたい。
翌日、私は起き上がり、地下室を歩いてみることにした。まだ体はズキズキと痛みがあるけれど、歩けなくは無い。若さなのか、何なのか、エリザベートの回復力は凄いと思う。
いや、やっぱり若さなのかな……。
私は自分のすべすべの肌をつねった。ほんと若いって凄い………。
私が寝ていたのは、地下室の物置の角だった。暗い地下室だったけれど、小さなロウソクが所々に灯されていて、そこまで不気味な感じはしない。
改築前、最初にこの地下に足を踏み入れた時は、本当に怖かったけれど………。
私は自分が寝ていた所の、真向かいにあるロウソクの所まで歩いてみた。体がギシギシと痛く、ロボットのように小刻みに体を動かす事しか出来ない。
ようやく向かいにあったロウソクの所まで、たどり着き、積まれた本の影に、私と同じ様に、本の上に寝かされている人を見て息を呑む。
「お姉様……」
私は思わず呟いていた。
私の一番会いたいと思っていた人は私の近くで眠っていた。
カトリーヌは、まるでお人形さんのように、綺麗な顔をして寝ている。
「お姉様……カリー?」
私は彼女と話がしたくて、寝ているのも構わず、カトリーヌを起こそうと、彼女を呼んだ。
まだ覚束ない足で近づき、彼女の暖かい体に触れ安心する。
「カリー、カリー?」
………? カトリーヌ………?
「カリー? 起きてくださいよ。少しで良いですからお話させてください。怒っても良いから、ねぇ、カリー」
何で?
起きない。カリーが起きない。こんなに揺さぶっても、声を掛けてもカトリーヌが起きない。
どうして……?
どうして起きないの………?
私は次第に不安から騒ぐ心を振り払うように、カトリーヌに声を掛け続けた。
「起きてください!! カリー、起きて!」
いやいや、冗談でしょう? 駄目よ、駄目だよ。カトリーヌ、起きてよ。私、貴女に色々話したいことあるんだよ?
それに、私貴女に怒りたいんだよ。
怒らせてよ。
その後、いつものように、理不尽な言葉で私を困らせていいから………。
カトリーヌにかけられている布団を握り締める手に力が篭る。
「エリッサ、いくら呼んでもカリーは起きないわ……」
私の背後からそっと、ジョゼ叔母様の手の温もりが感じられた。その声には悲しみが宿っている。
「そんな……なんで……?」
「貴方達二人ともが気を失っている間に、医師を呼び、見てもらいました。エリッサは肉体にダメージは強くあるものの、時期に回復するだろうと、仰っていました。けれどもカリーは全身を強く打ちつけ、左足の骨折と……それから、一番強く打ったのが頭だったようです。そのせいで、目覚めないのだろうと。カトリーヌが今後目覚めるのか、それは医師にも分からないそうです」
……そんな……頭?
それを聞いた、私は絶望にも似たような感覚に襲われる。
だって、ここには日本の技術などない。
「そんな、イヤです。だって、カリーが起きないなんて……絶対だめ。カリー、起きて。起きてよカリー。私と一緒に居るんでしょう? ずっと一緒って言ってたじゃない。一緒に居なきゃダメだってカリーが言ったんだよ? あれは嘘だったの?
ねぇ、一緒に王都で暮らすんでしょう。ねぇカリー、カトリーヌ、私のお姉ちゃん……お願いだから目を開けてよ……」
私の目から涙がボタボタとカトリーヌに向かって落ちていく。それでも、カトリーヌは全く動かず、綺麗なまま目を閉じていた。
ジョゼ叔母様は声を震わせながら、話を続ける。
「医師が言うには、カリーの体を出来るだけ衰弱させないようにとのことでした。ですから、今は小まめに水分や、果物を搾った物を口に含ませてはいるのですが……そろそろ果物も少なくなり、手に入れようにも、近くの村や町に果物を扱う処が少なくて。
まさか果物をここまで欲する事になるとは……」
確かにカトリーヌ自身に衰弱の色が見える。
このままでは、痩せ細るだけだ。そして、それは脳どころか死に直結する。
私達の心配などよそに人形のように眠り続けるカトリーヌ。
こんなのずるいよ。本当何かのお姫様のつもり? 誰かにキスされないと起きないの?
そんなのカトリーヌじゃないでしょう? カリーはそんなお姫様じゃない。私に悪態をついて、偉そうにして、身勝手に振る舞って、私を困らせてばかりで。
でも、強がりで、無邪気に笑って、いつも笑ってて………。
私は、ただ泣くことしか出来なかった。
今望むのは、カトリーヌの笑顔が見たい。
ただそれだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます