No.59 揺れる心


 庭でエリザベートが目を覚ますと、手には薬が入っていたと思われる薬包紙がクシャクシャになって握り締められていた。


 その薬包紙を見つめたエリザベートは雨の中、ニタリと笑う。


 そのまま起き上がり、跡形もなく焼けた屋敷を眺めると、満足そうに笑い、上機嫌で瓦礫の中を歩いた。


「ほんと、随分キレイに焼けたのね。ふふふふ」


 足を踏み入れる度に、粉々に崩れていく木片を楽しそうに踏み荒らしていく。その姿はまるで、新雪に足跡を残しながら遊ぶ子供のようだった。


「焼け焦げた匂い……素敵。せっかくなら人肉の匂いもあったら良かったのに。今度、燃やす時は玩具も一緒に燃やしましょうか。楽しそう。ね? マリア………」


 エリザベートは無邪気に笑いながら、後ろを振り返った。


 そこにマリアの姿はない。


 さっきまで、楽しそうに笑っていたエリザベートの顔は、みるみるうちに影を帯び、曇っていく。

 興が冷めた、まるでそう言うかのように、木片を蹴飛ばすと、地下への出入り口へと向かった。


 ーーーーガラガラ、ガタン。


 地下室へと続く階段に置かれたカモフラージュの瓦礫を乱雑にどかすと、エリザベートはズカズカと音を鳴らし地下室へと降りて行った。


「ジョゼ! ジョゼ!! いるんでしょ。出てきなさい。話があります」


「どうしました!? 急に大きな声を出して」


 ジョゼフィーヌがエリザベートの声の方へ慌てて、向かう。階段下でエリザベートの顔を見た瞬間、ぶわりとジョゼフィーヌの顔が蕁麻疹により赤くなっていった。


「ねぇジョゼ、マリアを知らない? 私、あの子をしばらく見てないの。何処に行ったの?」


「え……? 突然どうしたの? あなた……貴女が、マリアを解雇したのよ? 覚えていないの?」


「私が、マリアを……解雇? ……何よそれ、私知らないわよ!!」


 エリザベートの態度の違いと、それに急に声を荒げる姿に、ジョゼフィーヌは戸惑っていた。


「ねぇ、本当に急にどうしたの? マリアの事は貴女が理由も言わずマリアを解雇したのよ? あの時、屋敷にいた皆が驚いたわ。私も理由を貴女に聞いたのよ? 言えないって言っていたのは貴女。マリアも見るに耐えなかったわ」


 エリザベートはそれを聞いて、体をガタガタと震わせ始めた。


「……エリ……ッサ……」


 ジョゼフィーヌはエリザベートの異様な剣幕に身の危険を感じ、思わず後ずさる。



「エリッサ!!」


 ーーーードン!


 エリザベートはそう叫ぶと、自分の左手を壁に押し付け、思いっきり自身の右手で、左手を叩き付けた。


「やってくれたな!! エリッサ!!」


 ーーーーッドン!


「私の大切な子を」


 ーーーーッドン!


「私の意識が完全に無い間に!!」


 ーーーーッドン!


「何も出来ないような顔で、卑劣な真似をして!」


 ーーーーッドン!


「許さないっ!! 絶対に殺す!!」


 ーーーーッドン!


「殺してやるっ!!」


 ーーーーッドン!



 エリザベートの左手はみるみるうちに、真っ赤に晴れ上がっていった。


 ジョゼフィーヌは先程までと全く違うエリザベートの様子と、その異様な自傷行為の姿に、どう言葉をかけてよいのか分からず、戸惑い、ただ呆然としていた。


 ひとしきり自身の左手を殴りつけたエリザベートは、荒げる息を整えながら、深いため息を吐く。


「エ……エリッサ……? ねぇ、本当にどうしたの? ……貴女、手が」


「ジョゼ、私のこの手を手当てしなさい。それと、手当てが済んだら、ここにある書類を一通り見ますから、書類の整理をお願い」


「本当、いったい、何があったの……? エリッサ……」


「早くしろ!! 殺されたくなければ私の言う事を聞け!! 私は今、すっごく怒っている。ここまで人を憎んだことはないわ!!」


「でも、それって、あなた……」


 エリザベートはジョゼフィーヌに最後まで言葉を言わせないようにキツく睨み、黙らせる。


 睨まれたジョゼフィーヌはそれ以上、何も言葉を発する事はなく、淡々と水桶を用意し、コールと共に、エリザベートの左手の手当てをし始めた。


 暫く水で手を冷やしても、エリザベートの手の腫れは落ち着く事はなく、寧ろパンパンに腫れ上がっている手は、間違いなく、手の甲の骨が折れているからだった。


 ジョゼフィーヌは手頃な木を持ってくると、エリザベートの手に当て、添え木にし、包帯代わりの布を巻きつけて固定した。


 エリザベートはジョゼフィーヌに手当てをされている間も、時間を惜しむかのように、すぐにデンゼンの書類に目を通しはじめた。


 ジョゼフィーヌの手当てが終わると何食わぬ顔をして、一度グルグルに固定された自身の左手を眺めると、何も言わず、また右手だけで、器用にページをめくりながらデンゼンの書類を読み始める。


 それから、エリザベートは何かに取り憑かれたかのように、睡眠もとらず、食事もあまり取らず、ただひたすらにデンゼンの書類や本を読み続けた。


 ジョゼフィーヌはそんなエリザベートを、何とか休ませようと声をかけたが、エリザベートは「そんな時間はないわ」と視線は書類に向けたまま答えるだけだった。


 何度かエリザベートに声をかけるうちに、近づこうとするだけで、エリザベートの鋭い眼光に睨まれ、遂にジョゼフィーヌは、エリザベートに近づく事さえ出来なくなった。


 食べ物と、飲み物だけは尽きないよう、近くに置き、コールが定期的に見ては、なくなり次第補充する。


 そんな日が三日間過ぎた。


 エリザベートはパタリと本を閉じると、手元に置いていた封筒をジョゼフィーヌに突き出した。


「ジョゼ、この手紙を出して頂戴」


「ヴィルヘルム将軍宛……?」


「ええ、そうよ。くれぐれも頼んだわね」


 エリザベートはそう言って、ふらふらしながら自分の寝床へと入り、そのまま力尽きたように、眠った。


 その後、何度かジョゼが声をかけても、反応せずに眠るエリザベートの姿は、まるで死んでるかの様にも見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る