No.18 デジール日記 その三


 教室からは授業を進めているマシュー先生の声が聞こえていた。人通りのない廊下で、佇みながら私とエリザベート様は話をしている。エリザベート様は本当に色々な事を聞いてきた。それはまるで小さな子供のように嬉々としていて、分からないことを全て吸収するかのようだった。


「デジールは、いつも何を食べているの? やっぱりパン?」


「ええ、パンにスープ、後はじゃが芋と魚ですね」


「へぇ、お肉は食べないの?」


「あまり食べません。滅多に食べられないのです。特別な日には食べますが、毎日食べるものではありません」


「鳥のお肉も食べないの?」


「鳥ですか? いえ、食べたことは無いです」


「そう、鶏はいないのね」


「にわ? ……それは何ですか?」


「いえ、何でもありません。そうですね、麺類はあります? えっと……細長い、ツルツルした食べ物です」


「麺類? パスタのことですか?」


「そうそう、パスタ」


「この国では食べないです。遠方の国ではそれを主食にしている国がありますが」


「デジールはパスタ食べたの?」


「ええ、以前父に連れられて、ラーバルの国に行った時に食べさせてもらいました。でも小さな粒の塩味が強くて、あまり美味しくは感じませんでしたが」


「粒の塩味……タラコスパゲティー食べたいなぁ」


「タラコ?」


「あっ、いえ、何でも無いんです。あと、この学院についてなのだけど、貴族の方と平民の方で随分と格差があるように見えますが、学校以外の場でも身分格差って激しいんですか?」


「ええ、そうですね、それは勿論。貴族の方は皆特別な方々です。ですが、本当にごく稀ですが、平民の方が貴族としての爵位を得る事もあります」


「もしかして、その反対もありますか?」


「確か、以前爵位を剥奪された貴族の方がいましたね。平民になったとは思うのですが、すぐに隣国デールに国外追放されてしまったので、その後どうなったかは……」


「そう、爵位を剥奪……やっぱり行動には自重しなくちゃ……」


 エリザベート様はそう言うと、考え込むように、俯いた。随分と不思議な事を聞いてくる。爵位の剥奪なんて、そうあるものでもないし。

 どちらかと言えば剥奪する側であるステイン家には関係ないだろう。


「何かあったんですか?」


「いえ、私の体質のことで、凄く不安なことがあるの……」


「体質……?」


 いったいエリザベート様は何を悩まれているのだろう。ステイン家の三女であり、ここまでの美貌の持ち主が、悩むことなんて無いように見えるのに。


 私が考えていると、エリザベート様は思い出したかのように「そういえば」と私に聞いてきた。


「デジールさんがリリーさんに目を付けられているというのは、いったいどういった理由なんですか?」


「………………」


 私は予想していなかった言葉に、息が詰まってしまった。リリー嬢を思い出すだけで恐怖心に襲われる。


 私が黙り込み、その表情を見ていたエリザベート様は何かを察したように険しい顔をして呟いた。


「もしかして、いじめを受けているの……?」


 いじめ? とは何だろう。聞いたことの無い言葉だったけれど、多分エリザベート様が想像されていることは正解だと思った。何故なら彼女の表情は険しく、それでも、私を労るような瞳だったから。


「エリザベート様、リリー嬢にはお気をつけ下さいませ。彼女は何をするか分かりません。勿論エリザベートお嬢様に手を出すなんて事は無いでしょうが、もしものことがあります。本当にお気をつけ下さい」


「そうですね、私がいじめを受けたらリリーさんを殺してしまうかもしれません。それは絶対に避けなくては……」


「ーーーーえ? いま、なんと……?」


「あ、えっといや、その……そ、そう! パパ! 私のパパは怖い方なので。それより、デジールさんは大丈夫なのですか? リリーさんにいじめを受けてて」


「私の父が遠方の国にいるのですが、その父に相談の手紙を出しました。今はその父の返事を待っている所です」


「そう、お父様に……もし、辛くなったら私を頼ってくださいね。何が出来るか分かりませんが、力になります」


「ありがとうございます。でもエリザベート様にご迷惑は掛けられません」


「あら、もう私達お友達じゃない。迷惑だなんて思わないから、貴女も迷惑かけてしまうなんて思わないで。相談されない方が寂しいわ。ね?」


「……はい」


 エリザベート様は優しく親しみのある方だ。貴族院でいろんな貴族の方を見てきたけど、彼女のような方には会ったことがない。

 お会いするのも話すのも今日が初めてなのに、私の話を本当に親身になって聞いてくれているのが分かった。


 だからこそ、リリー嬢の事が頭を過り不安になる。エリザベート様がもしリリー嬢と揉めてしまうような事があったら……。


 そんな不安から、私はエリザベート様の優しさを、心から素直に受け入れることに躊躇していた。


「ね、デジールさん。今度、私のお屋敷に遊びに来ませんか?」


 彼女は私が戸惑っているのを知ってか知らずか、私の心を揺さぶるようなキラキラした瞳で話しかけてくる。



「いっ、いえ、そんな、私みたいな者が」


「心配しないで。他の人に知られなければ大丈夫でしょ? 私、もっと貴女とお話がしたいの。是非、今度の休日にでもこっそり私のお屋敷を訪ねてきて」


「でも……」


「此処じゃ、色々話すにも話せないでしょ? 学院内で会話するより、きっと私の部屋の方が落ち着いて話せるわ」


 良い事を思いついたと、そんな風に嬉しそうに話すエリザベート様を簡単に無下にするようなことは出来ない。

 確かに学院内で話す方が色々とリスクがある。ならば此処はエリザベート様の誘いを受ける方が安全かも知れない。


「分かりました」


「やった! じゃ、今度の週末に」


 彼女がそう言ったあと、タイミング良く授業は終わりを迎えた。エリザベート様はそのまま何事も無かったように教室に入られ、私も少し距離を置いてから、教室に入った。


 その日、最後までリリー嬢の攻撃は無かった。皆がエリザベート様に気を使っているのが見ているだけで分かる。でも、不思議とエリザベート様に声を掛けたり、仲良くしようとする人は誰一人居なかった。


 エーム殿下が学院に来た時も皆、気を使っていた。でもエリザベート様のそれとは少し違っているように思う。


 何故だろう?

 彼女に近寄りがたい何かがあるのだろうか。凄く親しみやすく話してくれるのに。


 次の日も同じようにリリー嬢の攻撃は無かった。このまま攻撃が無くなれば良いけど、多分エリザベート様がこの貴族院に慣れ始めた頃に、きっとリリー嬢の攻撃が再開する気がする。たぶん今の平和はそう長くは続かないだろう。私はそう思っていた。


 エリザベート様が私の席を通り過ぎる際に、小さく折りたたまれた紙を私の机の上に落としていった。最初、私も気づかないくらいの小さな紙だ。

 いつの間にか机の上に置かれてあったその紙の面には【デジールへ】と小さく書かれていた。私はその紙を丁寧に開ける。

 そこには

【明日は週末ですね。是非私のお屋敷に来てくれると嬉しいです。ただこれは強制ではないから、無理をしなくてもいいの。もし来てくれるなら、屋敷の門番に声を掛ければ大丈夫だからね。明日はお昼を一緒に食べましょう。楽しみにしています。エリザベート】


 小さな紙にはそう書かれていた。まるで密書みたいなやり取りをするチャーミングさと可愛い文字に、少しだけ心がほっこりとして、思わず顔が緩みそうになる。

 それと同時に、本当に行っていいのか不安にもなった。あのステイン家のお屋敷に足を踏み入れるのだ。本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。


 私はエリザベート様がくれた手紙をしばらくじっと見つめていた。この可愛らしい手紙に私は応えたい。見つめるうちに、だんだんと、その気持ちが強くなっていった。可愛らしいエリザベート様に応えなくては、と。



 その日の夜、私は自分の外出用の服を全て出して眺めていた。どれもステイン家には似つかわしくない服ばかりだ。

 悩んだ末、私は制服を選んだ。貴族院で着ているものだから、一番失礼にならないと思う。それに、この制服は仕立て直したばかりで、まだ綺麗な状態だった。


 翌日の朝、私は制服を着て、首都ガーデンの町を歩いた。大道路をまっすぐ歩くと、大きな王宮が見えてくる。突き当たりを左に曲がり、貴族街を歩く。その貴族街の奥の方に広大な敷地と大きなお屋敷が見えた。ここがステイン家のお屋敷。


 エリザベート様は、門番に声を掛ければ大丈夫だと言っていたけれど、場違いすぎる雰囲気に私は戸惑うしかない。門はあまりに大きく、その門の横には強そうな騎士にも見える格好をした門番が立っているのだ。


 私はビクビクと怯えながら門番に尋ねた。


「あ、あの、すいません。エリザベートお嬢様に呼ばれました、デジールと申します」


 門番は最初、鋭い目つきで私を睨んでいたけれど、エリザベート様のことを話すと「待つように」と言い、すぐに黒服の執事を呼び出した。


 執事の方は私にお辞儀をしてから、にこやかに笑いかける。


「ようこそいらっしゃいました。さっ、エリザベートお嬢様がお待ちです。こちらへどうぞ」


 そう言うと私を屋敷へと案内してくれた。


 門をくぐり、お庭を通る。そこにはまるで別世界が広がっているようだった。綺麗な噴水に立派な彫刻、貴族院の校庭も凄いと思ったけれど、ここは桁違いに広く、まるで全てが芸術の世界だ。私はステイン家の全てに圧倒されていた。


 平民の私が足を運んではいけない。完全に場違いな場所に来てしまったと少し後悔しながら歩いていると、執事の方はやんわりと笑いながら「そう、硬くならずに堂々とお歩きください。貴女様はお客さまですから」と優しく私に声を掛けてくれた。


「はい」


 私はなるべく胸を張るように意識しながら歩いた。それでも、身震いをしてしまう。


 ここが貴族のお屋敷……いや、エスターダ国最高のお屋敷。ステイン家だ。

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