No.89 貴族街の夜


 マクニール邸は静かな夜を迎えていた。

 侍女オリビアはロウソクを片手に暗くなった廊下を歩き、屋敷を巡回している。本来、マクニール邸で行う夜の巡回は男性の使用人の役目であった。がしかし、その日は巡回する使用人が体調を崩し、代わりの者が居なかったので、侍女であるオリビアが屋敷の巡回を行っていた。


 最近のマクニール邸はピリピリとした空気を漂わせている事が多く、オリビアは常に気を張り巡らせていた。リリーお嬢様が、呪いの儀式の贄として使われ、寝たきりのままになってから屋敷の中の空気が変わった。屋敷の主であるハイン様は、劇場であった騒動以来、度々癇癪を起こすようになっている。毎日のように些細な事で、ハイン様は使用人に手を上げた。


 オリビアはそんなハインに恐れ、巡回もハインの寝室のある廊下までは行かず、手前の階段で足を止めた。

 引き返そうとしたその時、突然、屋敷の裏口からカンカンと変な物音が聞こえた。オリビアは裏口へと回ると、外の扉の前に拳ぐらいの石が幾つか転がっていた。

 オリビアが不思議に思い、石を拾おうとしたその瞬間。


 ーーーーガッシャーンッ!!


 屋敷の何処かで窓ガラスが割れる音が響き、驚いたオリビアは、慌てながら音がした方へと向かう。


 ふと声のようなものが聞こえ、足を止める。どうやら二階から声が聞こえてきているようだった。二階には主人であるハイン様と奥様が寝ているはず。


 行けばハイン様に打たれるかもしれない、そう頭を過ったが、振り払うように頭を振り、オリビアが階段を駆け上がろうとしたその時、2階から悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。


「貴方達!! 一体誰なの!? 何するの!? 来ないでっ! 貴方! 貴方助けて!」


 ガッシャーン!!


「きっ貴様! ここを何処だと思っている!?」


 ドガッ! ガッターン!


「いや、来ないでっ来ないでぇぇぇぇっ!」


 ドガガガッ!!


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 オリビアの足は自然に止まった。背中にゾクリとしたものが走り、この先へ進まない方が良いと頭の中で言っている。

 婦人の悲鳴はもう聞こえない。オリビアは早鐘のように鳴る心臓を抑えようと胸に手を当て深呼吸した。

 臆病な気持ちを無理矢理押し込めるようにオリビアは一気に二階へと上った。



「貴様ら、ここを何処だと思っている。顔を見せろ愚劣者が!」


 主人であるハイン様の叫び声が聞こえた。


 ドガッ!!


「旦那様!? 大丈夫ですか!? 失礼致します!!」


 オリビアは主人ハインの寝室のドアを開け中に入る。目の前に広がった信じられない光景に、思わず立ちすくんだ。


「ぐがぁ……」


 今まさに屋敷の主人であるハインの胸にナイフが刺さる瞬間がオリビアの目に映った。


 ハインを刺している者は頭巾を被り誰なのか分からない。

めり込むようにキラリと月明かりで光るナイフがハインの胸の奥へ埋められていく。ナイフを根元まで指すと、一度ナイフを引き抜き、再度刺した。


「ぐががが」


「きゃぁぁぁーーーーっ!!」


 オリビアは叫ぶ事しか出来なかった。

 

「黙れ女! お前も殺されたいのかっ!?」


「ひっ!」


 もう一人、頭巾を被った男が近くで声を荒げる。


 繰り返し刺され続けていたハインの口からは血が流れ始め、痙攣し引きつった目からは既に光が失われていた。

 苦しみもがいていた両手も力が抜け落ちる。

 そのままパタリと動かなくなり、ドサリと身体ごと落ちた。


 オリビアの左横ではハインの婦人が血を流し倒れている。


「貴方達、一体何を!ハイン様を……」


 ハインを刺していた頭巾の男が、呟くような低い声で言った。


「おい、ここはもういい。この屋敷に残る貴族は、あとはリリー嬢だけだ。リリー嬢は生かしておかないと」


「あぁ、そうだったな。おい女。怖がらせてしまってすまなかった。お前を傷つける気はない。それと、ここ一体の貴族街は今は危ないから外を出ないほうがいい」


 ズキンを被った男二人はそれだけ言うと、割れた窓ガラスから近くの木に飛び移って下に下りて行った。


 オリビアはただ起きた事が信じられず呆然とし、へなへなと床に座り込んでしまった。

 異変に気づいた他の使用人がバタバタと動き出した音にハッとして立ち上がる。


「……お、お嬢様」


 オリビアは慌ててリリーの部屋へと向った。それと同時に、使用人達が次々と、ハインの寝室へと駆け込んで来たのだった。



 マクニール邸の襲撃から貴族街の惨劇が始まった。


 いつも通り静かな夜のはずだった王都に、人々の悲鳴や、物が破壊される音が響く。


 窓ガラスは割られ、悲鳴は次々に連鎖していった。


 初めはイデアに関わる貴族だけを襲っていたはずだったが、言伝に次から次へと粛清対象は広がり、その線引きはどんどん曖昧になっていった。結果的にステイン派ではない貴族のほとんどが粛清対象になり襲撃されていった。そしてその中でも貴族院に通っている貴族の家は真っ先に襲撃されていく。


「息子だけはっ!! 息子だけはやめて!」


「残念だが、その息子が悪の原因なんだよ」


「いやぁぁぁぁぁっ!!」


「母さんたすけてぇぇぇぇぇぇ……」


グッシャ!


「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


「安心しな、すぐにお前も同じところへ送ってやる」


「ぎゃゃぁぁっ!」


 粛清対象に女、子供は関係ない。派閥すらも関係なく、ただ、貴族院に通う者がいるというだけで、襲撃は行われる。


 実際、襲撃を行う人数もやたら多かった。ステイン派の貴族に雇われたゴロツキもいれば、一部の兵士もステイン派の貴族達に買収され襲撃に参加していた。   

 兵士達は傭兵が殆どで、ステイン派の貴族達に金貨を渡されると二つ返事で襲撃に加わった。



 襲撃は、何者にも阻まれる事なく行われていた。貴族街、平民街、市外通行門の警備兵は居なかったのだ。

 エリザベートにより、用意周到に根回しがされていた為、ステイン派の貴族達は襲撃を行う者たちを数時間で集めることが出来ていた。そしてその日の夜の王都ガーデンは王宮以外、丸腰の状態であった。


 貴族達を襲っていたのはゴロツキの雇われものが多かったが、貴族街の憲兵や警備兵など、兵士が応戦することがないと分かると、ステイン派の貴族達も傭兵達も狂ったように貴族を襲い始めたのだ。


 家主が襲われる中、使用人達は主人を助けようと必死で応戦する者もいたが、貴族街の至る所で襲撃を受けているのだと知ると、真っ先に逃げ出す者が多かった。応戦しなければ使用人達に危害を加えていないと何処からか情報を得た者は、屋敷の主人を差し出すような動きまで見せていた。


 この夜、貴族街には大勢の悲鳴が上がり、途切れる事はなかった。



 そして、同じ頃、貴族院では貴族街の騒動を聞きつけた教職員が急いで貴族院に集まっていた。


 教師全員が集まる頃には、数名の生徒達が貴族院に逃げ込んできている状態だった。彼らの殆どが血だらけで、傷を負っている。


 次々と逃げてくる生徒の中にはナイフが胸に突き刺さり、手で必死に押さえながら、貴族院に逃げ込む生徒もいた。


 教師達は負傷した生徒達を一階の教室に入れると、貴族院で勤める医師を平民街から呼びに行った。


 しかし、貴族院に勤務する医師は誰一人として動こうとはしなかった。

 皆が揃って「憲兵の居ない町で外に出ることは出来ない」そう言った。

 教師達は断った医師らを強く罵倒したが、それで状況が変わることは無かった。


 医師を呼びに言った教師達が困った様子で貴族院に戻ると、逃げてきた生徒達は更に増えていた。


 貴族院だけが唯一襲撃を受けず、ここだけは安全だと聞きつけた生徒達が逃げ込んで来たのだ。そしてそれは、生徒だけに留まらず、貴族達も貴族院に逃げ込んで来ていた。


 教師達はこの惨劇に途方にくれながらも、己が助かりたいが為に罵倒し合う貴族達を貴族院の中へと誘導して行く他なかった。


 辺り暗く、廊下にロウソクを灯し、貴族院は明るくなっていった。

 だが、貴族街から聞こえる人々の悲鳴が暗い外から響く度に、校舎内に逃げ込んだ教師、生徒、貴族の者、皆が震え上がっていた。


「一体どうなっているんだ!? 何が起こっている! 他国の襲撃なのか!? 憲兵はいったい何をしている! 役立たず共め!!」


 教師であるマシューがうろたえながら言う。


 それを近くで聞いていた手負の貴族が、息も絶え絶えに呟いた。


「ス……ステインだ。ステイン派の貴族達が、我々を襲っている。あれは間違いなくステインだ」


「…………ステイン……?」


 マシューはその貴族の言葉に顔色を変えた。以前エリザベートを見捨て、暴言を吐いた己の記憶が鮮明に甦る。


「嘘だ……そんな、ステインだなんて……まさか、反逆者だぞ?」


 マシューの言葉に、他の貴族達は諦めたように首を振りながら答えた。


「反逆者だからこそ、今襲っているんだろ。恐らく軍を見方につけたんだ。この国は、いや、王族は終わりだよ」


「いや、しかし、だとするならば王は我々を匿ってくれませんか?」


「ふん、王が? この状況で誰をどう匿うというのだ。くっそっ、私もステイン派であれば良かった。マクニールの言葉にまんまと踊らされてしまった」


 手負の貴族はハハッと力なく笑う。


「たしかにな……名誉が欲しければ王に付け。金が欲しければステインに付けと言うが、命が欲しければステインに付けの方が正しかった……な……」


 そう言いながら、ゴホッと音を立てて口からだらりと血を垂れ流し、その貴族は動かなくなった。


 周りにいた貴族達は、目のやり場に困ったように視線を逸らし、死んだ者を見ようとしなかった。

 

 マシューは顔面蒼白になりながら、頭をかきむしる。


「そんなっ……そんなっ、駄目だ、駄目だ。こんな事あってはならない。あってはならないんだ!!」


 ふと目に止まった、窓に映る貴族院の正門に灯がともり次第に明るくなっていく。

 教師達は憲兵が来たのだと、安堵し、お互いに声を掛け合いながら正門を凝視する。

 だが、明るくなった正門を凝視していた教師の一人が大きな悲鳴をあげた。


 そこには松明で照らされたエリザベートがニッコリと微笑み、仁王立ちしていた。

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