No.14 和解への第一歩
貴族院へと向かう馬車は、ゆっくりとお屋敷を出発した。窓から外を見ると、マリアが私の乗っている馬車に向かって、深く頭を下げている。前を向くと、不機嫌そうなカトリーヌが反対側の窓を眺めていた。
「お姉様、先日はご一緒出来なかったので、本日は、お昼をご一緒にいかがでしょうか? お姉様は、いつも、お昼は何をお食べになるんですか? お好きな物はありますか?」
「朝からうるさいわね。そんな事、聞いて何になるのよ。私の事なんてエリッサには関係ないじゃない。まさかっ、あんたもしかして、私の食べる物に毒でも入れる気? そうなのね? やっぱり私を殺そうとしているんでしょ!」
え? またこの流れ!?
私がどう話しかけても、カトリーヌは私が殺そうとしているに結びつけてしまう。
そこまで私の事が怖いの? ……まぁ怖いか。
「お姉様、毒なんて持っていませんよ。それにそんな事をする理由がありません」
カトリーヌはじっとりと、疑うような目で私を見つめる。
「あんた、昔の記憶が無いって言っていたけど、本当に忘れているのね。全部、覚えてないなんて都合が良すぎるのよ。忘れているなら思い出させてあげるわ。あぁ……そうね、あれは私がまだ愛くるしい子供の頃の事よ。チビだったあんたは、私の紅茶に変な液体を入れて、私のお腹をゴロゴロのピーピーにしてくれたわ。あの時は本当に死ぬかと思った。しかも、よりにもよってティーパーティーの時よ。あんたはね、毒を入れるのに理由なんて必要ないのよ」
そ、それは……
エリザベートが酷いわ。
カトリーヌが可愛そう……。
「お姉様、あの、それでその後、お腹のほうは大丈夫だったんですか?」
「人事ね。あんたは、トイレの扉までわざわざ開かないように細工してたわ。侍女に言って何とか間に合ったけれど、危うく粗相しかけて泣いていた私に、あんたなんて言ったと思う?」
「…………」
「"あら残念ね、意外にも根性あるじゃない。お漏らし嬢って呼びたかったのに本当に残念だわ"そう言ったのよ!?
その時の貴女の楽しそうな顔は一生忘れないわ。このクソ餓鬼畜女、いつか同じ目に合わせてやるって思ったわ」
あーーーうん、それは最悪だわ。子供の悪戯の域は超えてるね。
「そんな酷いことが……」
カトリーヌの言うように、確かにエリザベートは鬼畜だ。人のことをなんとも思っていないだろう。しかし幼少期に、実の姉に対してそんな恥をかかせようとして、あざけ笑うなんて、なんて恐ろしい子なの。
「でもお姉様、今の私は昔のエリザベートとは違います。今の私は決して、お姉様を傷つけるようなことは致しませんよ」
「はぁ!? あんたどの口が言っているの? 私の事を平気で殴りつけてるじゃない」
「そ、それはそうですけど……でもお姉様が私に攻撃的だったり、襲い掛かってきているからで、私からは……」
最近分かったことがある。
というより、今までの経験的に、この体は攻撃を受けている時に、暴走する確率が高いという事だ。主にカトリーヌに反応しているけど。
でも、言葉にしてもカトリーヌの暴言が酷い時以外は、この身体は案外大人しい。こうして今みたいに馬車の中で一緒にいても、なんら問題ないし、学院に行っても今のところ体が勝手に動くことはなかった。
勿論、確信している訳ではないし、安全とは言えない。ただ、もし私が攻撃を受けたとしても、エリザベートが反撃するのを抑える方法はあるのではないかと思う。
問題なのは物理的な攻撃以外だ。分かりやすい暴言ならばまだ良い、でも最初にカトリーヌに会った時、私はカトリーヌが私の噂を社交界で流して、嫌がらせをしているなんて知らなかった。
あの時はカトリーヌを見た瞬間に私の身体は即座に反応した。まるで身体自体がセンサーのような働きをしているように。
この体には魂はない。今この身体の魂と言うならば、それは私なんだろう。
そして身体が勝手に動いて暴走する時、それは本当に、本能のみで動いている気がする。
まぁどの道、暴走を抑えるにしても、私が冷静にしっかりとしなければ……なのだけれども。
私が静かに考えていると、ポツリと本当に小さな声でカトリーヌが呟いた。
「エリッサ、貴女……私を殺したりしないの?」
恐る恐る、伺うようにカトリーヌが私を見ていた。私は安心させるためにも、そして信じてもらう為にも真剣に応える。
「ええ、お姉様。もちろんです。実の姉を殺すなんて絶対に致しません。今までの記憶は無いのですが、私はお姉様に対して、本当に申し訳なく思っているのです。勿論すぐに信用して頂こうなんて思っておりません。きっと私に対しての不信感はあるでしょうし、けれども、努力はしていくつもりです。これからはきっと、お姉様の信頼足りうる妹になってみせます。だからどうか、今暫く見守って下さい」
私は言いながら、カトリーヌに頭を下げた。
目を見開いて、驚いた顔をしているカトリーヌは、私から視線を逸らすと、少しだけバツがわるそうにフンと鼻を鳴らした。
「確かに、以前の貴女は私に対してちゃんと頭を下げたことなんてなかったわ。姉の私に敬意を示したことなんてなかった。いつもいつも私を馬鹿にするクソ餓鬼畜女だったわね。確かにそれを思えば、今の貴女は以前のエリッサとは全く違うわ。本当に暴力を振るう以外は、別人みたい。貴女、本当に以前のクソ餓鬼畜女じゃないの?」
ぐぐっと右手が少し動いた。私は慌てて左手で右手の拳を押さえ込む。
って、今の話の流れで? これも攻撃だと、思うの!?
私は堪えながらカトリーヌに言った。
「お姉様、申し訳ありませんが、少し私に対しての暴言や、屈辱的な言葉を控えて頂きたいのです。先程も言いましたが、私自身はお姉様を殺すことも、暴力を振るいたいとも思っておりません。ただ何故か、私の体が攻撃だと判断してしまうと勝手に反撃してしまうようなのです」
カトリーヌは、私を異様な物でも見るかのように、顔を歪めて見ている。
「ていうか、今ので攻撃なの? あんた、どんだけデリケートなのよ」
「申し訳ありません。私も本当にそう思います……」
「……まぁいいわ。私だって殺されるのも、殴られるのもごめんだわ。貴女の言う通りに、今後は貴女に対しての悪口は控えます……少しは。
本当にあなたの言う、いい妹になるのかは、正直信じられませんが、というか、信じるつもりだって本当にないけれど、暴言くらいなら私も気をつけるわ、多分」
ーーーーん?
あれ?
意外にカトリーヌって素直な良い子なんじゃない!? 言葉的に少し曖昧だけど、なんか分かってくれたかも。
あんなに私に酷い事されたのに、何だかんだ、こうして話もしてくれるし、信じてないとか言っているけど、結局暴言を控えると言っているし……まぁ、多分だけど。
普通に考えて、あんな事されたら、口も聞きたくないと思うのに、実はめっちゃ良い子だったんじゃない!?
「ありがとうございます。私、お姉様とは仲良くしたいのです。記憶を無くして、正直、知らない事ばかりで。ですから頼れるのはマリアや、そしてお姉様だけなんです」
「ふん、まぁ、最終的にはステイン家の恥になるような妹を持つ私が、困るしね。そうね、姉として、この私、超絶美少女の私、カトリーヌ・ライ・ステインが貴女を指導してあげても良くってよ? エリッサ、私を敬いなさい」
ピキッ……。
あれ!?
私の体が反応してる!!?
まずい!
み、右腕がカトリーヌに襲いかかろうとしている!!
悪口は言ってないじゃない! 暴言も無かったわ。
ちょっと、そこまでしてカトリーヌの事が嫌いなの? エリザベート!!
少しくらいの上から目線いいじゃない!! 姉なんだからっ!!
グッ……………。
ダメよ。ここは絶対に耐えなくては! せっかくカトリーヌとまともに会話が出来たのに!
仲良くなれそうなのに!!
私は、カトリーヌにもう襲い掛かりたくない……。
「どうしたのエリッサ?」
「いえ、何でも」
私は自身の体の反応を必死で抑えた。
まるで、カトリーヌに対しての拒絶反応のようだ。
馬車が学園の前に着いた。私が必死で堪えたかいもあって、カトリーヌは上機嫌で馬車を降りていく。カトリーヌが馬車から降りた瞬間に、右腕は軽くなり、私は自由になった。
「ふぅ……」
私は深い溜息を吐くと、気合いを入れ直して馬車を降りた。
学園、二日目だ。まだ全然慣れない貴族院だけれど、問題は起こさないようにして、色々とこの世界の事を知らなくちゃ。公爵の立場は大きいけれど、権力があるってのも諸刃の剣だ。無知だからと判断を誤り、結果、早死にしてしまうなんてこともありうる。
私の内に抱えている凶暴な爆弾の事を考えると、何事も知っていて損になるようなことはない。
知識に対しての意欲を増していると、いつの間にか、自分の教室の前に立っていた。
「エリッサ、じゃぁ私が迎えに行くから、昼に教室の前で待っていなさい」
「お姉様……」
「仕方がないから、私が食事について一から教えてあげるわ。この超絶美女のカトリーヌ様が教えてあげるのだから、感謝しなさい」
ピクッ………。
やばいっ!!
また右手がカトリーヌにビンタしたがってる。
ダメよ、抑えて!
この得意気に笑う、幸せそうなカトリーヌの笑顔は絶対に守りたい。
「……はい、お姉様。よろしくお願いします」
カトリーヌは満足そうに笑って、自分の教室へと向かって行った。
カトリーヌの姿が見えなくなると、途端に身体が自由になる。
私がギリギリで抑えられているのは、攻撃じゃなく拒絶からだから?
さっきの満足そうな笑顔のカトリーヌを思い出した。彼女の性格的にプライドが高く、気が強い。でも裏を返せばとても面倒見が良く、素直な良い子なんだろう。
多分だけど……ずっとお姉ちゃんしたかったんだろうな。でも妹がエリザベートだったから、頼られるどころか張り合うのさえ命がけだったと思う。
本人は無意識なのかもしれないけど、私に対して姉らしく振る舞えるのが、嬉しいそうに見えた。
私の身体は残念な事に拒絶反応しているけど……。
教室に入ると、クラスメイト達が私を一斉に見る。これは本当に何度経験しても居心地が悪く、気分の良いものじゃない。そして見ているだけで誰一人として私に声はかけてこない。
私は見せ物じゃありませんよ。ほんとに……。
自分の席に着き、目立たないように周囲を見渡した。そろそろ授業が始まるのに、今日はエーム王子の姿は無かった。休みなのかな?
まぁ王子だしね、そりゃ、いろいろ忙しいんだろうな。
今日の午前の授業は語学だ。古代の言葉と、今使われている言葉の共通点と、違いについてが主な内容だった。この世界の言葉は勿論、古代の言葉なんて、私は全く知らないはずなのに、先生の言葉はスルスルと頭に入ってきて、それについての言葉も内容も頭に浮かんで来る。
それはとても不思議な感覚だった。知らないはずなのに、分かるのだから。エリザベートは賢い子だったのだと思う。何より物覚えが良い。私がビックリするほど、簡単に覚えられる。
でも、だからこそ、もっと日常的な事や常識などの知識が欲しかった。そうすればこのクラスでももっと上手く立ち回れる方法があったかもしれないのに……。
エリザベートとかの記憶が全部共有出来てたらマシだったのかな?
いやいやいや!!
それはダメだわ。絶対ダメ。
サイコキラーな日常の記憶なんかやっぱりいらない!! 耐えられないわ。
ただでさえ、生き物について考えると漠然とだけど、尋常じゃない知識が溢れてくる。人体の仕組みや知識においては特にだ。それはもはや医者か? と思うレベルの知識。私は怖くて普段は全く考えないようにしている。
ゾクリと背中に何かが走り、私は身震いをしながら考えるのをやめた。
午前の授業が終わり、私は教室を出てカトリーヌを待っていた。
人通りと共にチラチラと視線は感じるものの、やっぱり誰も声はかけて来なかった。それは金バッチの有無に関わらずだ。もう少し、誰かしら貴族の子達が話しかけてきても良い気がするのに、全くそれがない。
今のところ私に話しかけてきたのは、昨日のエーム王子だけだ。
何で?
金バッチ同士なら話しても良いのに、私、気を使われてるの? いや、気を使われてるなら逆に話しかけて来るか。大丈夫ですか? とか分からないことありますか? とかも無いもんね。
私の顔をチラッと見た女子が、友達と二人でヒソヒソと何かを話しながら通っていく。
……?
…………?
ーーーーあ!!
そういえば!!
カトリーヌって私の噂を広めていたんだっけ……!?
もしかして、その噂が原因で皆が私に警戒してる?
「お待たせ、エリッサ。っさ、行くわよ。いい? ちゃんと、私について来なさい」
得意気に笑うカトリーヌが、私の前に仁王立ちしている。
……なるほど、これはお姉様が原因かもしれない。
まぁでも、これはこれでありがたいかも。私に人が近寄らないって事は、簡単に言えば安全性が上がる。そしてトラブルの確率が断然に減る。早死にコースは避けたい。リスク回避は大事だ。
そう考えると、カトリーヌが嫌がらせのために流した噂は一周回って私を守っていることにる……?
「エリッサ!? 何タラタラ歩いてるの!? 早く来なさい! 私のおすすめ教えてあげないわよっ!?」
ピクピクと動く右手は、カトリーヌの威張り散らした態度に反応している。多分、私が抑えなければ、間違いなく思いっきりビンタしてると思う。
得意気に笑うカトリーヌを見て、私は思わず苦笑してしまった。
ああ、これが私のお姉ちゃんなんだ。何故か自然にふと、そう思えた。
「申し訳ありません。お姉様」
威張り散らし続けるカトリーヌと一緒に、私は身体を抑えながら食堂へと向かった。
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