番外編 02 ベンケと剣 弍。


 オラが振り下ろした剣を、すばしっこい小娘は、ひょいと避ける。軽く脅すつもりで斬りつけたが、ニヤリと笑う小娘の放つ異様な殺気に、気を引き締めた。容赦しちゃいけねぇ、そうオラは直感した。


 いったい、何なんだ。このガキは。

 ボロボロの服を着て、ただのちっこいガキのくせして。しかも左手は怪我をしていて使えない。

 そんなガキ、オラだったら簡単に殺せるはずなのに。それなのに、何故かこの少女が放つモノがオラの心臓をぎゅっと締め付ける。

この感覚は、どうしてかあの沈む船の時に似ていた。


 まさか、オラは怖いのか? 

 こんな小娘が……?


「ねぇ熊さん、顔が赤くなっているわ。可愛い」


「何だと!?」


「ふふっ、思ったんだけど、これって決闘よね? だから、もし私が熊さんに勝ったら、熊さんの全て私に頂戴ね」


「馬鹿がっ、オラがお前なんぞに」


「ええ、そうね。だから私が負けば、私の頭をかち割ればいいわ。それはそれできっと楽しい未来」


 小娘はそう言い放った瞬間、左手の包帯に隠していたナイフを引き抜くと、すばやくオラに近づき、オラの足に小さなナイフを切りつけた。その素早い動きにオラは何も出来ない。だが、オラにとってはそんなナイフ痛くもかゆくもなかった。軽く引っ掻かれたようなもんだ。


「そんなもん、オラにはきかねぇ!」


 オラは小娘に向かって、獲物をおもいっきりふる。小娘に当たったと思ったが、小娘はそれよりも一歩後にいた。その後、何度振ってもあと一歩のところで当たらない。ちょこまかと虫のように動く小娘にオラは苛立ちを覚えた。


 その時だった。

 オラの足が急に止まり、全く動かなくなってしまった。

 いったいどういうことだ?

 何が起きた?


 オラが戸惑いを隠せず、自分の足を見つめていると、小娘が物凄い勢いでオラの腕にナイフで突きたて、よじ登りオラの肩にまたがった。そしてそのままオラの顔目掛けナイフを振り上げた。


 オラは反射的に目を瞑る。

 その瞬間、オラはもうダメだと思った。

 すぐに衝撃が顔面に走ったが、痛みは無かった。


「ふふふ、私の勝ち。ねぇ、熊さん、蓄積ダメージって知ってる? 私がね、熊さんの足に何度も切りつけたナイフには麻痺の効果のある薬を塗りつけていたの。熊さんみたいにおっきな体だと、本当は麻痺状態にすることも難しいんだけど、私、何度も何度も足を斬りつけたでしょう? それから熊さんがいっぱい足を動かしてくれたお陰でちゃんと麻痺の効果が出たみたい。ね? 足動かせないでしょ? 体も少し違和感あるかしら? ふふ」


 オラは、この小娘が何を言っているのかよくわからなかった。ただ、分かるのはオラがまだ死んでいないという事だけ。

 そっと目を開けば、オラの口にナイフが突き刺さっている。正確にはオラの前歯の隙間刺さっていた。


 小娘と目が会う。

 オラはその時ハッキリと恐怖した。

 優しく微笑むこの小娘に、鳥肌が立った。


 「大丈夫。怖くないわ、痛みは一瞬だけ」


 そう告げると、ナイフをねじ上げ、再度、オラの前歯目掛けナイフを叩き付けた。


 ナイフが折れるのと、同時に、オラの前歯も折れてしまった。いや、違う、前歯を抜き取られたんだ。


 小娘はオラの前歯を持つと、満足そうに眺めた。


「ふふっ、これで熊さんは私の物ね。これからはずっと私の側にいなさい」


「オラを殺さないのか?」


「殺す? なぜ? あなたみたいな優秀な人材、私が殺す訳ないじゃない」


「オラが優秀? やっぱり馬鹿にしてるのか。オラはお前に負けた。怪我してるお前に、男のオラが馬鹿みたいにあっさり負けた。クソッ、情けねぇ」


「あら、泣いているの?」


「泣いてねぇ」


「ふふ、確かに今ここで死んだら情け無いわね。小娘に簡単に殺された、ただの大男。とっても間抜けだわ。ふふふ」


 オラは情けねぇ奴だ。やっぱりただの馬鹿だったんだな……。


「でもね、熊さん。これからはあなたは私のもの。だからあなたのその感情も私の物だから」


 何を言っているのか分からなかった。

 オラは思わず首を傾げた。


「貴方の全てが私のもの。だから、熊さんの痛みも、辛さも、憎しみですら私のモノよ。もし、辛いのなら全て私のせいにしたらいいわ」


「どういう意味だ?」


「私ね、これから王族と戦わないといけないの。だから熊さんに出会えたのは本当にラッキーだと思ってる。だって、今から貴方は私の物、熊さんは私の剣、そして盾になるのよ。でもそうね、もし貴方の心の剣が折れそうになったその時は私に刃を向けても構わないわ。だって熊さんに殺されても私はなんら問題ないもの」


 飄々と話すこの小娘がオラに何を言っているのか本当に分からない。

 ただ、今まで出会ったどんな人間達とも違うことだけは分かる。皆オラの事など見ていなかった、恐れるか、馬鹿にするか、それだけだ。でもこの小娘からはどちらも感じられない。真っ直ぐオラを見ていた。


「けど、オラみたいな弱い奴、役にたたねぇべ」


「あら、貴方、自分がどれだけ優れた人間か分かっていなかったのね。そうねぇ、勿論今後の貴方次第にはなるでしょうけど、貴方、この国で英雄になれるわよ。いいえ、この国だけじゃない、他国にもあなたの名がとどろくほどになるわ。そもそも、こんな所でくすぶっていたのが奇跡なくらい」


「オ、オラが英雄?」


「そう、あなたは英雄になるの。そして私の剣であり盾」


「あんたは一体なにもんだ?」


「私の名はエリザベート・メイ・ステイン。今、この国の王族に敵対している公爵令嬢よ」


 ステイン? そりゃ流石にオラでも知っている名だ。そしてステインが今王族によって指名手配されているのも知っている。そんなステインの一大事にオラがこの娘、エリザベートの剣になる? 

 この娘に負けたオラに、選択肢などないことは分かっているが、それでもステインの名を持つこの娘の剣になることなど、どえらいことだ。


 オラの人生ずっとツイていないと思っていた。そして、そんなもんだと諦めてもいた。

 だが、ふとオラは思った。

 今まで、オラがくすぶっていたのは今この場に立つ為だったんじゃねぇか? と。

 皆に馬鹿にされ、船の中に一人残され、船長の夢を捨てた。その全てが、今、ここに立つ為だったとすれば……。

 あぁ、きっとそうだ。オラはこの小娘の前に立つ為に今まで生きてきたんだ。そう考えれば今までのオラも救われる。


 実際のところ、この小娘が本当にステインの娘なのかは分からない。だが、ステインを名乗るこの娘が放つ殺気は異様だ。これから本気で国を滅ぼしに行くのだと思わせる。


 それだけでステインの血なのではないか納得もしていた。いや、正直オラはそんな事どうでもいい。

 例えこの小娘がステインでなくとも、オラのこの気持ちはもうきっと変わらねぇ。


「私の剣よ。これからは私の為に血を流し、私の為に英雄になるがいい。剣が私を見限るのであれば甘んじて私の命を差し出そう。だって私の剣だもの。死ぬなら己の剣で死にたいわ」


 そう言った小娘は、オラから引っこ抜いた血に濡れた歯を空にかざし、ニタリと微笑むと、そのまま飲み込んだ。


 オラは無性に胸が苦しくなった。こんなの初めてだ。恐怖の苦しさじゃない。胸が熱くて熱くて、涙が出そうになるこの感覚はなんだ。


 あぁ、でもオラはもうこの時をもって、この人の剣だ。剣なんだ!!


「剣だ。オラはもう、アルジの剣だ……」


 そう、無意識に呟いていた。


「アルジ? 主人て意味かしら?」


「アルジはダメか?」


「そうねぇ、これでも私、年頃の女の子なのよ。お嬢様って呼んでほしいわ」


「オ、オジョウ?」


「ふふ、それはそれで良いわね。良いでしょう。オジョウでいいわ。で、熊さん、貴方のお名前は?」


「オラか? オラに名前なんかねぇ。皆がオラを呼ぶ時は、ビックベアって呼ぶ。だから、ビックベアでいい」


「あら、それはダメよ。ビックベアなんて、英雄の名前じゃないわ。そうねぇ、大きくて、強くて、忠義者。実は最初から、熊さんの話を聞いた時からピッタリな名前があったの。本当は通り名にでもと思っていたけど……。名がないなら丁度良いわ。貴方の名を私が授けましょう。これからベンケと名乗りなさい」


「ベンケ……いい名だ」


「ええ、強く立ち続ける者、ベンケ。これからは私の剣となり盾となり私を守りなさい」


「オジョウ」


 オラは無意識に強く頷いていた。満足そうに笑うオジョウは、もう殺気もなく、ただの少女のように見える。


「さぁっ、行くわよ」


「え? 何処へです?」


「ここに来た目的を達成する為に。これから火薬を探しに行くの。山を登るから早く足を動かせるようにしといて頂戴」


 オラの身体から軽々と飛び降りたオジョウはスタスタと先へ行ってしまう。



「ちょっ、え? 待っ、待ってくれぇー! オジョウ!」


 動かない足を棒のように引き摺りながらオラは必死にオジョウの後を追った。


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