No.81 宴の食事
目を開けてすぐに、私は頭を抱える。最悪だ。
三時間くらいは横になったけど、体調はあまり良くならなかった。とにかく頭が痛い。そして体も倦怠感からかとても重い。
私は自室を出て、屋敷の中を見渡した。もともと、荒らされていた屋敷ではあったが、海賊の船員達が居座って余計荒れ始めているように見えた。
表玄関へと続く大階段の上で私は足を止める。
周辺に人の気配はなかったが、少し離れた奥の方から男達の笑い声が聞こえてきた。
私は自分の手のひらを見つめながら、その場で立ち尽くす。
私はここで兵士を殺した。
でも正直、実感がない。まるで夢でも……いいや、悪夢でも見ていたかのように全く実感がない。そして驚くことに、こうして思い返してみても、恐怖心や罪悪感なども感じられないのだ。
エリザベートが目覚めていたあの時、あの瞬間、確かに嫌悪感や気持ち悪さはあったのに……彼女が居なくなって思い返してみても、人事のように感じている自分が居る。
「私、人を殺したのに……」
でも多分それは今さらなのだろう。私がエリザベートになった時、きっとこの体で何人も殺したはずた。私が知らないだけで……。
そしてそれは分かっていた事でもある。エリザベートに身体を許すとはそう言う事だと理解していたのだから。
だから、そう、今さらなんだ。
でも、それでも私は初めて、私が私の意識がある時に人を殺めた。それなのに何とも感じない自分がいる。それが悲しかった。
私、心が壊れちゃったのかな?
確かに殺めた兵士は武器を持って、私に襲い掛かってきた。エリザベートは心なく正当防衛と言っていたけれど、正当防衛だったから罪悪感や嫌悪感がないのか。
あぁ、でもそうじゃない。だって二人目の時は明らかに、エリザベートから向かっていった。私はそれを同じ目で見て感覚も共有していたんだから。
やっぱり私は、心が壊れてきているのかもしれない。
「はぁ……」
でも、今、落ち込んで考え込んでも仕方ない。私はこの道を選んだんだ。逃げるんじゃなく、立ち向かうって。落ち込むなら全て終わってから落ち込もう、まだ終わっていない。私にはやることがある。出来ることがあるんだ。
見つめていた手のひらを握り、私は男達の声がするダイニングの方へと向った。
ダイニングへと入った瞬間「あぁ……」と思わず声が漏れる。ある意味予想通りと言うべきか、海賊の男達はベンケを囲むようにして、宴とばかりにドンちゃん騒ぎをしていた。
「オジョウ!!」
私の姿に気が付いたベンケは嬉しそうに持っていたグラスを、高く掲げる。
「ベンケ、これは?」
「オジョウ、ここの屋敷の食料倉庫に食料が残ってまして、こうして皆で宴を」
「そう、楽しそうね」
「オジョウもこちらへ! ささっ、どうぞ」
ベンケは私に席を譲るように立ちあがり、促されるまま、私はベンケが座っていた席に座る。
「オジョウ、ずっと寝てましたし、腹減ってますよね? 何食べますか?」
「それじゃぁ……」
そう言って私はテーブルの奥に置かれていたお肉を指差した。それを見ていた男の一人が急いでお肉を小皿に盛ると、ベンケに差し出す。ベンケは小皿を受け取りながら、ニカッと笑うと私の前にお肉が盛られた小皿とフォークを「どうぞ」と言いながら置いた。
「ありがとう」
横に置かれたフォークは誰かが使用した物だった。他に新しい物は見当たらない。私は近くにあったフキンでフォークの先端を拭くと、前に出されたお肉をフォークに刺して口に運んだ。
「ん!」
美味しい、この味食べたことある気がする。
具合が悪いのも少し元気が回復するような美味しさだ。
「ベンケ、お肉美味しいですね。この料理はどうしたのですか?」
ベンケは少し首をかしげながら、隣にいた船員に視線を送る。その視線に気付いた船員の男はすぐに私に説明してくれた。
「ここの食料庫にあった材料で俺らのシェフが作りやした」
「そうだったの。あぁでも、やっぱりそうでしたか、船での食事はどれも美味しかったので、同じ方が作ったのね」
「食料庫の肉は兵士達の物だったみてぇだが、もう必要ないですからな。どれもが新鮮な肉でうめぇ」
そう付け加えるように言ったベンケは、大きな肉を丸呑みする勢いで口の中に放り込み、酒を水のようにがぶ飲みしている。
「ここの屋敷はガーデンの兵士達が宿舎のようにしていたみたいですね。寝泊りしていた痕跡がありましたから」
「そう、宿舎ね。まぁ確かにここで寝泊りするのは合理的でしょうし、兵士達もきっと豪華な宿のように思えたんでしょう」
私は肉を食べながら、料理を見つめ、ゴクリと飲み込むと、船員の男に向かって言った。
「あの、このお料理をマーティン、いえ、ルイ殿下とジェフにも届けて欲しいのだけど」
「分かりました」
返事をした男は綺麗な皿を用意し、盛り付けようとする。
「あの、できるだけ綺麗に盛って下さいね」
「あ、はい」
「それから、この料理を作っているシェフに合わせてもらえませんか? お礼が言いたいの」
男は料理を盛り付けていた手を止めて、少し困ったように眉を潜めた。
「それは構いませんが……でも、良いんですか? だいぶ愛想のないやつですよ。気分を悪くするかもしれません」
「構いません。大丈夫よ。私はただ美味しいと伝えたいだけです」
「そうですか、まぁそれなら……」
私はニッコリと笑って頷いた。
男は、盛り付けていた皿を置くと、渋々といった表情で「少し待ってて下さい。呼んできます」そう言ってダイニングから出て行った。
まぁ、海賊のシェフだもんね。きっと、強面の頑固な料理人なんだろう。あの船員の人の様子じゃ気難しい人なんだろうなぁ。でもこういった機会でもないと多分話せないから、今のうちにお礼は伝えないとね。料理が美味しいのは間違いないのだし。
数分後、先程の船員の男が戻って来ると、彼の背後には、白いシャツを着た小柄な青年……。
いや、どう見ても少年くらいの年齢の子が現れた。可愛らしい顔立ちだが、目元は頑固そうな強い意志を宿しているように見える。大きく成長したら、将来有望、モテそうな顔立ちだ。
「えっと……?」
私は思わずその少年を見て、船員の男に視線を送る。
「お待たせしました。オジョウ、コイツです。名はラドフと言いやす」
「ラドフくん」
私の言葉に明らかに気分を害したように少年の眉間に皺が寄る。
「おい、俺がガキに見えるのか?」
「あっ、ごめんなさい」
「おい! てめっ、ラドフ! オジョウになんて失礼な口の利き方をするんだ」
「んなもん知るか! 誰であろうと、俺を子供扱いするのは許せねぇだけだ」
「あ、良いんです。私の方が失礼でした。ごめんなさい、ラドフさん。
ただ料理のお礼をどうしても伝えたかったの。頂いた食事が本当に美味しくて。船の食事の時も毎日楽しみにしてたの。いつも美味しい料理を作ってくれてありがとうございます」
「ふん。話しはそれだけですか? 俺はコイツらの腹を満たしてやるのに忙しいんだ。料理が美味い? そんな当たり前なことを言われても困るんですよ。要件がそれだけなら俺は戻る」
「えっと……あ、はい。どうもありがとうございました。ラドフさん」
「あぁ、それとあんた、船長なんだろ? 船長の癖してビクビクと、船員に気を使うって、どうかと思うよ。名前もさん付けて呼ぶヤツなんか此処にはいない。この世界はナメられたら終わりだ」
「おい!! ラドフ、いい加減にしろ!」
「良いんです。ご指摘はごもっとも。忙しい中、無理にお呼びしたのですし。ラドフ、忙しいのにごめんなさい。でも来てくれてありがとう。今後も美味しい料理を期待してますね」
「言われるまでもない。俺のやるべき仕事はきっちりやる。それだけだ」
ラドフはそう言って背を向けると、そのままダイニングを後にしようとした。
「おい、ラドフ!」
ベンケがラドフを呼び止める。
「何だデカブツ」
「良かったな」
「あ? なにが?」
「良かったなと言っているんだ」
「別に喜ぶことなどないが?」
「いいや、お前は喜ぶべきだ。なんせオジョウの機嫌が良いからな。お前のその態度、オジョウの機嫌が悪かったら、死んでるぞ。きっとこの食卓のド真ん中にお前の生首が置かれていただろうな」
その言葉にラドフはバッと振り返り私を見つめる。そして周囲の船員の男達を見渡すと、皆が揃ってベンケの言葉に頷いていた。
困惑した様子のラドフは、捨て台詞のように「気をつける……」そう言って前に進もうとして、ふと足を止めた。視線の先にはマーティンの為にと、盛り付け途中の料理。
「これは?」
ラドフの問いに男が「殿下の食事だ」そう言うと、ラドフは「俺がやる」そう言って、皿を奪い取るように持って厨房へと消えて行った。
なるほど。気難しく、態度も悪いけどやっぱり仕事は妥協できないタイプだ。見かけはあんなにも幼く見えるけど、何処か不思議と惹きつけられる雰囲気を持っていた。
ただ……やはりあの態度は危険だろう。
私はベンケだけに聞こえるように「ありがとう」と呟く。
「いえ、アイツの為ですよ。オイラも料理気に入ってるんでね」
ベンケの忠告は最もだ。今の私はエリザベートという怪物に変貌してしまう。怪物の時にもしラドフが私にあんな態度をとっていたら……ベンケの言っていた事は冗談にもならない。
私を怖がらせ、近づけないようにする。これも皆さんへの配慮で、結果的に守る事へ繋がるのかもしれない。無闇にエリザベートに傷つけられないようにするのも、私の務めだ。
私は改めて男達を見渡すと、ニヤリと笑って見せた。
「確かにベンケの言う通りね。私、今日はとても機嫌が良いですから、おまえ達の腹を満たす者を殺さずに済みました。でも、これは一回だけです。次は……」
言いながら自分の親指を立てて首になぞる様に引き、そのまま下へ向ける。
このジェスチャーは一番分かりやすいだろう。
みるみるうちに男達の顔色が一気に青ざめていく。
「私ね、食卓に首を乗せて食事するの好きよ? おまえ達の可愛い首を飾るのもきっと素敵ね」
カラーンと誰かがフォークを落とした。皆の喉仏がゴクリと上下に揺れている。
まぁ、これだけ脅せば大丈夫かな? 彼らは海賊で、きっと善人かと言えばそうではないのかもしれないけど、でも今は仲間だ。傷ついてなんて欲しくない。
けど、今の私のセリフが冗談に聞こえないってことはやっぱり私が寝ている間のエリザベートは本当に怪物的な振る舞いをしてるって事でもある。私も振る舞い方を本当に気をつけないと。
静まり返る中、ピリついた空気をぶち壊すようなベンケの豪快な笑い声が響いた。
「ガハハハ、オジョウ。首を切る時は是非オラにやらしてくれ。楽しみだ」
いやいや、ベンケ。それ笑って言うセリフじゃないよ。怖いこと言うのはエリザベートだけでいいから。
私は口元をだけ意識して、弧を描き、目だけは冷たくベンケを睨んだ。
「っさ、さぁ、オジョウがご機嫌だ! 皆はしゃげー!」
ベンケの声により、切り替えの早い男達はまた騒ぎ始める。
私はお肉を食べながら、ダイニングの荒れた景色を眺め、小さくため息を吐いた。
そういえば、お客さん来るんだよね。ここ掃除しなきゃ。この人達ってちゃんとお掃除できるのかな?
私は、絶望感にも似た不安を消し去る様に、お肉を口に頬張った。
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