No.6 デンゼンパパは怖いお方?


 ・・・ーーーーコンコン


 控えめなノック音が静かな部屋に響く。


「どうぞ」


「失礼致します。お嬢様、旦那様がお呼びです」


 流れるような綺麗な所作で、頭を下げながら執事は言った。


 ついに……ついにこの時が来てしまった。


 はぁ、お父様か……まずは怒られるわよね。姉のカトリーヌを引っ叩いてしまったんだもの。パパに会うのはただでさえ怖そうで嫌だったのに……。


 私は自分で、初対面のパパに『怒にられる』というフラグを思いっきりぶっ刺したようなものだ。


 ………あぁ、ものすごく気が重い。


 執事に案内されるまま、重たい身体を引きずるように、私は屋敷の中央にあるお父様の書斎に通された。


「失礼致します。エリザベートお嬢様がいらっしゃいました」


「うむ、入れ」


 お父様の部屋に足を踏み入れると、部屋の正面にはとても大きく立派な机があった。

 そして机の向こう側には窓があり、その窓から見える中庭を眺めながらお父様は静かに立っている。私からは後ろ手に手を組むお父様の後ろ姿しか見えない。

 けれども、そのいかにも怖そうな低い声と広くて大きな威圧感たっぷりの背中から醸し出されるオーラに、私の不安ゲージはMAXを超えようとしていた。


 ………もう


 もういっそ先に謝っちゃう!?


 潔く大きな声で謝っちゃえば良くない!!?

 そうだ、それがいい、そうしよう!!



「あのっ……お父様!」


「待て」


 その静かな低い声に私は思わずビクリとしてしまい。息が止まる。


 やばい、めっちゃ怖い。


 お父様はそのまま静かに左手を上げると、軽く振った。


 その動き一つで私の背後にいた執事は、「失礼致します」と言い、静かに書斎室から出て行く。バタリと重い扉を閉める音が部屋の中にやけに響いた。


 ………ちょっ………えっ!?


 二人っきり?


 いやあぁぁぁぁぁぁっ!!


 怖いんですけど。

 めちゃくちゃ怖いんですけど。


 私は恐怖から自分のスカートをぎゅぅっと握り締め、お父様の背中を見つめながら言葉を待った。


「良く来たな。エリッサ。さて、私が今何を思っているか分かるか?」


 ………っはい。


 カトリーヌお姉様の事ですね。


 えぇ、分かっておりますともお父様。姉妹の喧嘩にしてもあれは酷すぎます。私が1番自覚しております。パパがお怒りになるのも当然……。


 でも、パパっ、弁明を許されるのならあれは私じゃないのっ。私じゃないのよっ!!



 神様っ!!


 どうかっ!!


 どうかお願いします!!


 パパのこのお怒りを、しずめたまえ!!



「ごめんなさいっっ!! お父様。私が全て悪いのです」


 私はお父様の背中に向かって深く深く頭を下げた。

 これはもう謝ったもん勝ちだ。


 静かな沈黙の中、お父様が椅子に腰掛ける気配がする。


「顔を上げなさい」


 私は言われた通りに恐る恐るゆっくりと顔を上げた。

 お父様の姿が私の視界の中へと徐々に入っていく。

 その身体は大きく、がたいがいい。長い髭は整えられ、髪の毛もグレー混じりだが綺麗にオールバックに整えられていた。目や鼻の彫りが深く、威厳がそこに在る、そんな風格の持ち主だ。


 けれど……。


 顔をあげた私と目が合い、お父様のその瞳が大きく見開いた瞬間。


「エリッサちゃんっっ。少し見ない間にまた美しくなって!!」


 そう言いながら破顔した。



 ーーーーーーーん?



「あ、あの……お怒りなのでは………?」



 首を傾げながら不思議そうな顔を見せるお父様。


「ん? 何を言っておる? わしが怒っているなど、何のことじゃ? あぁ、カリーちゃんとの事を気にしているのじゃな。いや、エリッサちゃんは悪くないぞ。むしろ、わしは誇らしい。このステイン家のため、愛する姉を断罪するエリッサちゃん。

話は聞いたよ。カリーちゃんがエリッサちゃんの噂を流しておったことを……でもそれはステイン家の名誉に関わる事。それをエリッサちゃんがカリーちゃんの為に……心を痛めながら、それでも立派に断罪したとな。

わしは誇らしいのじゃ………」



ーーーーーー・・・・・。



 あ、あーーー、うん。


 この人、駄目な親だ………。



「い……いいえ、お父様、全ては私が原因です。全ての責任は私にあります。私はお姉様に危害を加えました。この罪は重く、やはり私は表に出てはいけない人間です。ですから……」



「ーーーっ!!? あの、エリッサちゃんが、わしに話しておる!! 感激じゃぁ、私は感激じゃぞ!!」



 ーーーーーー・・・・は?



「今までのエリッサちゃんは、わしとなぞ、話もしてくれなかった。そりゃぁ、もぅ、寂しかったのじゃ」


 お父様は感慨深げに感動しながら、1人でうんうんと納得するかのように頷いている。


「そうか、やはりエリッサちゃんは天使になってくれたんじゃな。ジョゼが言っていたことは本当だった。わしは嬉しいぞ。エリッサちゃん、今日からこの屋敷で暮らしなさい。これからは、わしの側に居ておくれ」



 なっ……なんだこの親は……いや、親子関係は……。



 既に威厳のカケラもないお父様は、鼻の下を伸ばしながら、だらしのない顔をして、私を見つめている。風格が漂っていた体は、可愛い女の子がやるようなモジモジ、クネクネとした動きをしていた。


 気持ち悪い。


 デンゼンの体格が、ガチムチマッチョだから余計に気持ち悪い。


 私はそんなデンゼンを、半ば呆然としながら眺めている。



「あの、お、お父様、それではお姉様が、あまりにも可哀想です。私がここに居れば、きっとお姉様が傷つきます。ですから私をジョゼ叔母様の居る屋敷に、お戻しください」



「ーーーっ」



 クネクネとした気持ちの悪いデンゼンの動きが止まると、途端に眉尻がじわじわと下がり、瞳は瞬く間にうるうるしていった。



「エリッサちゃんっっ………うぅっ……」



 デンゼンは大粒の涙を零しながら急に泣き始める。



「嬉しいぞっっ、わしは嬉しいっ!! 姉に気を使って、この王都を離れると!? あぁ、何と天使……わしの子育ては本に正しかったんじゃな」



 いいえ、大失敗です。



「あの、ですからお父様っ、私は……」


「いいのじゃ、エリッサよ。お前の言い分も分かっている。でも大丈夫じゃ。それにこんな美しい天使のエリッサちゃんをカリーちゃんが許さないわけが無いじゃろ?エリッサちゃんは謝っておるんだし、カリーちゃんもいずれ、エリッサちゃんのその天使の優しさに気づくじゃろ」


 天使ではなく悪魔です。

 エリザベートは今でも悪魔ですよ。


「お父様……」


「さっきから水臭いぞ、エリッサちゃん。昔みたいにパパと呼んでおくれ」


 ダメだこの親父、完全に私を見ていない。


「……………パパ」


「うっひょぉー! あのエリッサちゃんがパパって呼んでくれた!! ああ、なんと神々しい、エリッサちゃんが天使すぎる!! 前に会った時など、わしの事をうるさいと、ナイフで舌を剥ぎ取ろうとしていたのにっ。そのエリッサちゃんがっ! あのエリッサちゃんがっ! パパっ……パパって……もう、わし死んでもいい」


 ………あの……パパ……どうかしてます。


 舌を剥ぎ取ろうとする子供なんか、勘当しておくべきです。


 ああ、でもここで私が流されるわけにもいかない。



「パパ、でも、どうかお願いします。私をジョゼ叔母様のお屋敷に……」



 デンゼンパパは、小さなため息を「ふぅ」とついたあと、すぐに泣き止んだ。そして急に真剣な顔で、私を見つめてくる。本当に一瞬で威厳を纏い、人が変わってしまったかのように……。


 そこには、確かに公爵の称号を持つステイン家の当主がいた。



「いいか、エリザベートよ。お前はステイン家の女として生まれた。そして、その責務は必ず果たさなければならない」


 パパは一度ゆっくりと髭を撫でると、話を続ける。


「わしはな、ステイン家の女として、お前を公爵令嬢の模範となるような、立派な女性にさせたいのじゃ。社交界に出て、しっかりと貴族院で学び、ステイン家の女性として立派に跡取りを生んで欲しい」



「私が、ステイン家の跡取りを………?」



「それは、そうじゃろ。カトリーヌは王子に取られてしまい、エレノアもこの国を出て行ってしもうた。残るはエリザベート、お前だけじゃ。お前を妹ジョゼフィーヌの元に預けておったのは、分別がつく年までお前を男共から隠しておきたったからじゃ。そして今日こうしてお前に会って、わしは核心した。お前はステイン家を背負って立つ女になると。そしてその技量がエリザベート、お前にはある。

ここで、立派な公爵令嬢になっておくれ」



 ……………………嘘。



 嘘でしょう!? エリザベートがサイコキラーだったから、あのお屋敷に隔離していた訳じゃなかったの!!?


 まさか、あんな離れた山奥のお屋敷にエリザベートが隠されるよに住んでいたのは、ただ社交界の男達から隠す為、その為だけ…………?


 ステイン家……やっぱり狂っとる…………。


 それに、今のお父様の発言……


 なんか私の立場が何か大変なことになってない!!?

 この厳つい雰囲気のとんでもなく金持ちな公爵家の跡取りが私って……。


 いやいや、私はひっそりと静かに暮らしたいのだ。

 このままだと、また私の体が勝手に人を傷つけて、罪に問われ、最悪……処刑なんてことも…………。


 死ぬ。ダメだ。マジ死ぬ。身体が勝手に起こす罪で、私の早死にフラグ決定だ。


 まずい、まずい、まずい………。


 私は自分に起こりそうな未来を思い浮かべ、青ざめる。そして一人青ざめている私を他所に、いつの間にかまた、威厳を捨てているパパが、ニマニマと私を見つめていた。


「それでな、エリッサちゃん。今日はマクニール家で晩餐会があるのじゃ。本来ならカリーちゃんが出席する予定だったんじゃが……ほれ、エリッサちゃんに、ほっぺをペチンされて、今は顔が、まん丸ちゃんになってしもうた。流石にあんなカリーちゃんを出席はさせらぬ。かといって、マクニール家の晩餐会を今日欠席をしてしまうとな……ステイン家の面子がつぶれてしまうじゃろ? マクニール家にも、娘がおる。貴族の男共はそれを目当てで来るようなもんじゃ、我がステイン家としては、マクニール家の娘との格の違いを、見せつけねばならぬ。しかし、カリーちゃんは行けない。困った……非常に困った事態じゃ。

そこで、だ、エリッサちゃんに、この晩餐会に出席してもらいたいんじゃ」


 げっ…………


 私は慌てて首を振った。


「む、無理ですよ! 私が社交界なんて……知識がありません。こんな小娘に何にもできませんよ!? むしろステイン家の格を落としてしまいます。それに晩餐会だなんて、人もいっぱいいるのでしょう? 私………」


 私は、私が何をしでかすか分からない……無理よ。


「エリッサちゃん。さっき、エリッサちゃんはカリーちゃんの件で、"全て私が悪い"と言っていたね? 心からそう思っておるなら、パパは責任を、とってもらいたいなぁ。エリッサちゃんの誠意、見せてもらいたいなぁ。

今日の晩餐会に出て、あのムカつくマクニールをぎゃふんと言わせて欲しいなぁ……なぁんて」



 このっ、狸親父めっ。


 先に言質を取られている私にはもはや断る術がない。

 確かにカトリーヌを傷つけたのは私だし、いや、私ではないけど………私は悪くないけど、原因は間違いなく私だ。確かに責任は私が取るべきなのだろう。


 ーーーっっく……リスクはあれど、ここは仕方がないか。


 私は静かに頷くしかなかった。



「分かりました。でも私は何も出来ませんよ」


「ああ、晩餐会に出席するだけで、いいのじゃ、そこに居て、ただニッコリと笑ってくれればそれでいい、それだけでいいのじゃ」


「それがステイン家の面子になると?」


「そうじゃ、この国の貴族の中で全てにおいて、我がステイン家がトップなのじゃ。それはな、エリッサ、例え嫁いでゆく娘でさえも、ステイン家が一番なのだと他の貴族に知らしめねばならぬ」


 ーーー強欲。でもきっとそれがステイン家をここまでの金持ちにし、そしてこの国で何よりの地位を持つ公爵の称号を維持している。それこそが何よりの証なんだろう。


 そしてそのステイン家の娘である私は嫌でもこの強欲な世界に身を投じなくてはならないのかもしれない。


 それが私、エリザベートの運命だとしたら……。


「まっ、エリッサちゃんは、このステイン家の跡取りだから、嫁にはやらぬがな。これからはパパとずぅーっと一緒じゃ」


 ニコニコと機嫌が良さそうなデンゼンパパは「よしよし、ではさっそく晩餐会用のドレスを選んでおいで」そう言って、机の上にある金色のベルを鳴らした。


 ベルが鳴り終わると同時に、待っていたかのように執事と一緒に、マリアも現われる。パパは早急に晩餐会のドレスの支度をするように命じた。



 私はそのまま自室に戻ると、あれよあれよと慌ただしく侍女が動きまわり、ドレスを並べていく様子を紅茶を飲みながら見ていた。


「お嬢様お好きな物をお選び下さい」


 目眩がしそうだ。

 どれもこれもキラキラとした宝石を鏤められている。このドレスはいったい幾らくらいするのか………。

 私が普段着ている物も充分上等なもので、それでも頑張って控えめで許してもらっているのに。

 侍女はまだまだドレスを運んでくる。いったい何着あるのよ……。


 私の身体は一体しかないです。


「もうこの中から選ぶので、これ以上運ばなくて良いですよ」


 私がマリアに言うと「畏まりました」とすぐに他の侍女達を止め、ようやく部屋に入ってくるドレスが止まった。


「しかし凄いのですね。一生分のドレスがあるような気がします」


「いいえ、お嬢様。一生分ではなく一回分です」


 ーーーーえ?


 あぁ、でも確か映画の中で見たことある。貴族のステータスとして、一度来たドレスはもう着ないんだったっけ? あれ? でもドレスって確か完全オーダー制ではなかったかな? 前のお屋敷でも採寸はしたけど。


「マリア、後でお姉様にお礼を伝えて頂戴」


「何のお礼でございましょう?」


「何のって、このドレスは本来カトリーヌお姉様のものでしょう? サイズは同じくらいだったのかしら」


「いいえ、こちらのドレスは全てお嬢様の物にございます。これでも一応、晩餐会に招待された側としての礼儀を守り、全てマクニール家より、格を落としている物のみになります。残念ながらお嬢様がお召しになった時点で、どれも最高級になってしまわれるでしょうが……。

それからサイズにつきましては、デンゼン様の命により月に一度は、お嬢様のサイズをお手紙にて、お知らせしております。デンゼン様は、お嬢様がいつでも社交界に出れるようにと、以前から準備されていらっしゃいました」



 マジですか………あの狸親父。


 でも月一で娘のサイズを教えろって………なんかキモチワルイ。


 私がドレスを決めると、準備の為に侍女達は更に慌ただしく動き始める。私は何もかもされるがまま、ただ立ち続けた。



「お嬢様、お綺麗で御座います」


「ありがとうマリア」


 でも嬉しくない。


 エリザベートがサイコキラーでなければ……私の身体が勝手に動いたりしなければ……もう少しマシな気分だったかもしれない。


 でも正直今は、全くもって嬉しくない。だって不安しかないのだから。


 私は着飾ったドレス姿を鏡越しに見つめる。煌びやかなドレスに、顔面偏差値MAXのこのサイコキラー。

 マクニール家の娘より、格上だということを知らしめて来い、そうパパは言っていたが、確かにこの美貌に太刀打ちできる者は、なかなかいないと思う。


 ただ立っていれば良い。

 本当にそれだけで良いのだ。


 無事、晩餐会が終わりますように。何事もありませんように。私は鏡に映るエリザベートの身体に向かって祈った。


 屋敷の正面玄関に行くと、馬車が待っていた。来たときの漆黒の馬車とは違い、物語に出てくるような、お姫様が乗るカボチャの馬車だった。白地に細やかな金の蔦の細工が入った、煌びやかな馬車が止まっている。


「マリア、こんな派手な馬車に乗るの?」


「お嫌ですか?」


「目立ちすぎよ。もう少し落ち着いたのがいいわ」


「ですが、今のお嬢様のお姿につりあう馬車は、この馬車しかありません。あとは現在、王宮に止めてある旦那様専用、王宮用の金馬車くらいでしょうか。お持ちする事はできますが。旦那様にお借りできるようにお願いしてきましょうか?」


 マリア、人の話は聞きこう?


 落ち着いた馬車が乗りたいと言ったのに、なんで更に派手な馬車に替えようとするのよ。


「マリア、いいわ。我慢して乗ります。」


 私は煌びやかで重いスカートを持ち上げ、その派手なカボチャの馬車に乗り込んだ。


気は重いけれど、いざ、マクニール家の晩餐会へ!

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