No.5 姉との対面
え………?
ーーードサッ。
音を立てて、倒れ込むカトリーヌと呆然とそれを眺める私。
呆然としているのは私だけではない、その場にいた、執事もマリアも何が起こったのか分からず、その場に呆然と立ち続けていた。
カトリーヌは頬を手で押さえながら、ふるふると震えている。
う、嘘でしょ………。
手が勝手に……身体が勝手に動いた……?
「痛ったぁ……急に何するのよ!! エリッサ!!」
「いや、あの、私は何も……」
「何もって、今さっき貴女が私のことをぶったんじゃない!!!」
「いえ……あの、私じゃありません」
私は自分の手を見つめながら、握ったり開いたりして確認する。打った感触は確かに残り、ジンジンとしてはいるものの、それ以外に変わった様子はない。
普通に私の意思で動く。
いったい何が……?
叩いたのは、私はじゃない。私はちゃんと本当の事を言っている。私は、私の意思でカトリーヌを叩いてなどいない。今、訳がわからないのは私も一緒だ。
カトリーヌはゆっくりと立ち上がり、叩かれた左頬を抑えながら、痛そうにさすっている。抑える手の隙間から、左頬が赤く腫れ始めているのが見えた。
私をキツく睨むと、怒りに震えながら私に向かって怒鳴る。
「エリッサ!! もう一度言うわ。いったい何のつもり!? 久しぶりに会ったと思ったら、挨拶も無しに、いきなり私をぶつなんて!! 私がいったい貴女に何をしたって言うの!? 私は貴女のお姉様よ!!? そのお姉様を叩くなんて、許せない!! そう。そうよ!! 貴女がした事は許される事じゃないわ!! 皆から美しいと言われている、私のこの顔をぶったのよ!!? このっ超絶美……」
ーーーーバシーンッ!!
ーーーーー!!!?
私の身体は、また私の意思とは関係なく勝手に動いた。今度は私の左手がカトリーヌの右頬を思いっきりぶったのだ。カトリーヌは再び飛ばされ、音をたてて倒れ込み、うずくまった。
……なっ……な……何で!? 何で!? 何で!?
何で叩くの!!?
怖い怖い怖い、私の身体が勝手に動く!
今度は足に力が入らない。
待って待って!!動く動く!!
ちょっと待って!!必死で押さえ込もうと力を入れてみようとするのに、私の身体はそんな抵抗など、していないかのように緩やかに動こうとする。
ダメだ!!抑えられないっ!!
また勝手に動いちゃう!
私の足は滑らかに、ゆっくりカトリーヌに近づいていく。
コツン、コツンとヒールの踵を鳴らして……。
今も頬を押さえ、さすりながら痛みに耐えてうずくまるカトリーヌの前で立ち止まると、私のスカートは、上品にふわり揺れた。
………私の足が勝手に動いている。
横たわるカトリーヌのこめかみに、私のヒールの細い踵が当たり、静かにめり込んでいった。私の意思など関係なく体重をゆっくり、ゆっくりとかけていっているのが分かる。この身体はしっかりと加減を分かってコレを行っている。それが分かって私は酷く恐ろしくなった。
「ーーーっ痛いっ……痛いっ!! 痛いっ!!!」
ダメっ!!
ちょっと!! ねぇっ! 何で頭踏みつけてるの!? 誰か助けて!! お願い!! 私じゃないのっ!! 体が勝手に動いているのよ。私じゃない。私じゃないのにっ!!
「マ……マリアっ!!」
私は止めて欲しくて、何とか必死にマリアを呼んだ。
「はい、お嬢様。分かっております。執事は人を呼びに行きましたが、まだ時間はございますので、ご存分に」
ってちっがーーーーーーう!!!
そうじゃない!! マリアっそれは盛大な勘違い!!
私が泣きそうな気分になっていると、ふっと少しだけ足が軽くなる感じがした。
「エリッサ、ごめんなさいっ。謝るからぁ、ちゃんと謝るから。もうやめてぇ、私がぜんぶ悪かったから、ごめんなさいぃ。もぉ痛いのやめてぇ」
カトリーヌのその言葉を聞くと、私の体は一瞬硬直したようになり、すぐに自由に動くようになった。
ようやく、自分の意志で身体が動く。
私は慌ててカトリーヌから足をどけた。
カトリーヌは、子供のように泣きじゃくりながら私に謝り続けた。既に彼女の両方の頬は赤い腫れが広がっている。
「ごめんなさいっ……エリッサ、私はただエリッサが怖かったの。怖くて怖くて、たまらなかった。だから、エリッサの噂を社交界に流したの。噂が広まれば、エリッサは貴族社会にいられなくなる。そしたら私の前からずっと姿を消してくれるじゃない。だから……」
「……お姉様」
「「お嬢様っ!!」」
ようやく到着した侍女や執事は私達の間に何が起こっていたのか分からず、オロオロとしながらも、とりあえずカトリーヌの肩にガウンをかけた。
侍女の1人はカトリーヌの顔を見て慌てたように冷やす物を取りに向かう。医者の手配をしに向かった者もいた。
この場に残った者達はそのまま立ち尽くし、何度も何度も私に謝るカトリーヌを静かに見守っている。
立場上、彼らは今の私達に口を挟む事は出来ないのだろう。
殊の顛末を見守り、私達の指示を待つことしか出来ないのだ。
私は正直どうすればいいか、分からなかった。カトリーヌが話した噂については本当のことだと思うし、カトリーヌの取った行動は結局自衛だ。
よっぽどエリザベートが怖かったのだろう。だからカトリーヌのした事を私には責めることは出来ない。それでも私の体はそうではないようだ。
私の意思や考えとは全く違って凄く怒っている。そう感じる。身体が私に向かって怒っているんだと叫んでいるようにさえ思えた。
まぁでも、私に言わせてみればエリザベートは自業自得、カトリーヌの方がよっぽど可愛そうだ。
「……エリッサ、私を殺すの?」
ビクビクとしながらもカトリーヌは私に聞いた。
私はカトリーヌに、ちゃんと分かるよう、大きく首を横に振る。
「そんな、殺したりなんてしませんよ。それに私はお姉様に対して怒っていません」
「は? ……何言ってるの? 凄く怒っているんでしょ? だからほっぺたいっぱい叩いて、頭踏みつけたんでしょう? それとも拷問? 私に謝らせる為の拷問だったの?」
まぁそう思うよね、普通。
「いいえ、私は本当に怒っていませんよ。体が勝手に怒っているだけで、私は全然……」
「なにそれ、何を言っているの? 私をからかっているの?」
そりゃそうだよね、信じてくれないよね。信じられないよね。それも分かる。でも本当の事なんだか仕方ない。……困ったな。
どうしよう……そろそろいい加減ことを収めないと。
一階にいる氷嚢を持った侍女が、慌てた様子でこちらに向かって来ているのが見える。カトリーヌの両方の頬も、いよいよ、おたふくのように腫れ上がり、とても痛々しく見えた。
私が、しでかした事だけど、本当に早く冷やしてあげないと……。
ちょっと強引だけど、仕方ない。
「お姉様、さぁ、お立ちになって」
私はカトリーヌに手を差し伸べると、カトリーヌは少しだけ躊躇いながらも、私の手を握り返してくれた。そのまま侍女に支えられるようにカトリーヌは立ち上がり、手渡されていたハンカチで何度も目元を拭きながら、それでも涙を流し続けた。
今、彼女にとってはこの世の終わりのように感じているのだろう。可愛そうなカトリーヌ。
「お姉様、お許しください。どうやら私はまだ悪魔に操られているみたいです。でも本当に、本心は、お姉様を傷つけるつもりはないのです。お姉様が仰った私についての噂も、本当のことです。全ての落ち度は、私自身にあります。本当に申し訳ありません」
私は深く頭を下げた。
「そんな事言っても信じないわ、エリッサ。信じられる訳ないじゃない。私を殺すのね。そう言って私を安心させといて、背後から殺すつもりなんでしょ」
「そんなっ、お姉様を殺すなんて。決してそんなことはしません!! お姉様を安心させてからだなんて……そんな酷い。それなら最初からお姉様を叩いたり、踏んだりしません。私はお姉様を傷つけたりしません」
「すでに傷つけているじゃない!」
あ、確かに。
「えっと、今後です。申し訳ありません……」
「っ……バカにしてっ……もういいわ。パパに言い付けてやるっ! エリッサが私を殺す気だって」
あ、まずい!
私はとっさに、自分の右手を抑えた。
「お姉様、申し訳ありませんが今日は、もうこの辺で……やはり、私の体がお姉様に、危害を加えようとしています」
「ほら見なさい。傷つけるつもりなんじゃないっ。私を殺すつもりなんじゃないっ!パパに言いつけてやるんだからっ!!」
「いけませんっ。お姉様っ、これ以上私の身体を怒らせないでっ」
私は震える右手を左手で抱えるようにギュッと押さえ込む。
「この悪魔っ!!」
カトリーヌは、そう吐き捨てるように言うと、侍女が持つ氷嚢を取り上げながら、逃げるように私の前から立ち去った。
私の目の前からカトリーヌが消えると、何事もなかったかのように、すぐに右手の震えは止まる。
「っはぁーーーーー」
大変なことが起きた。
私のこの体は、どうやら自我を持っているようだ。私の意思とは別に、体が勝手に行動してしまう。これは本当に大変なことだ。
もし次、同じようなことが起きたらどうしよう。
今回は叩いただけで済んだ。いや、暴力は良くないけれど、それでもそれだけで済んで良かったと思ってしまう。
だってもしかしたらこの体、本当に人を殺しかねない……。
まずい。そんなこと絶対に嫌だ。絶対にあってはならない事だ。
今後、私は自分の体に細心の注意を払わなければいけない。
今はもう私の体なのだ、きっと次は止められる。
いや、絶対に止めなければならいのだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
そっと、私の側に立つマリアの顔を見て、私の力が抜ける。
「マ、マリアぁーーー」
「はい。お嬢様、何でしょう」
「私、やっぱりまだ悪魔に取り付かれているみたい」
マリアはきょとんとした顔をしている。
「いえ、お嬢様は悪魔になど取り付かれていませんよ?」
「………え? さっきの私見ていたでしょ?」
マリアはゆっくりと首を振る。
「いいえ、以前のお嬢様なら、カトリーヌお嬢様をすぐに階段から突き飛ばしていました。躊躇うことなく、殺すつもりで」
……………。
あ、あー、そうよね。そうだった。私、エリザベートが、そんな生ぬるい子じゃないって事忘れていたわ。うん。そうね……。
「ふぅ……マリア、ありがとう。……うふふふっ……変ね。少し、気持ちが軽くなった気がするわ」
そうだ。まだ大丈夫。私は悪魔じゃない。
私はそのまま、自分の部屋に案内され、ようやくベッドに腰を下ろした。この部屋はとても煌びやかな部屋で、私のお屋敷にあるエレノアの部屋と同じような豪華な部屋だった。
この後、お父様と会うんだよね。大丈夫かしら。
もし、またカトリーヌの時と同じような事になったら………。
このお屋敷に来てすぐに自分の体が勝手に動くことを知った。今の私は、心の底から、前のお屋敷で細々と暮らしていきたいと、そう思っている。
このままでは誰かを傷つけかねない。何がきっかけで、私の身体が勝手に動くのかも分からないのだから………。
はぁ、帰りたい……気が重い。
お父様に会ったら、何とか説得して、ジョゼ叔母様が居るお屋敷に返してもらおう。
でないと、本当に私は何をしでかすか分からない。
私は私が怖い……。
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