No.7 ホンモノの王子様


 夕暮れの中出発した馬車は、大した時間もかからず、数十分後にゆっくり止まった。馬車の窓にはベールのような薄いカーテンが掛けられていて、外の様子はハッキリとは見えない。カーテン越しに見える淡い光りや、人の話し声で、賑やかさだけが伝わってきた。


「お嬢様、マクニール家に到着しましたが、もう少々、お待ち下さいませ。そろそろエスコートの方がいらっしゃいますので」


「エスコートの方? 私はマリアと一緒に出席するのではないの?」


「お嬢様、申し訳ありませんが、侍女である私は、この馬車から降りることは出来ません」


「えぇっ!? そんな……」


「大変申し訳ありません。この晩餐会に出席できるのは、招待状をお持ちの貴族の方のみになります。私は、こちらの馬車の中でお嬢様のお帰りをお待ちしております。心配なさらずとも、マクニール家の給仕人や使用人が沢山いらっしゃいますから、大丈夫ですよ」


「でもマリア、私、マナーや決まり事など何も知らないのですよ。どうしたらいいの……」


 てっきり、マリアが一緒に来てくれるのだと思い込んでいた私は、途方に暮れるしかない。マリアがいるから、何とか大丈夫だと自分に言い聞かせて来たのに。

 私は、何も分からないキラキラとした、晩餐会などという場所に、1人で乗り込む度胸なんて、カケラも持ち合わせていない。

 そんなの無理だ。


 マリアは途方に暮れている私を見て優しく笑った。


「お嬢様、ご安心下さい。エスコート役の方は、この様な場には十分慣れていらっしゃる殿方でございます。それに、お嬢様が、社交の場の知識に不安をお持ちだとしても、エスコートするその方が、お嬢様に恥をかかせる様な事など万が一にもございませんよ」


 そうか、エスコートと聞いてもしかして? とは思ったけど……。


「エスコート役の方はやはり、男性なんですね……」


 無理よ、そんなの余計無理!!


 私、自慢じゃないけど、男の人にエスコートなんてされた事ないしっ!!


 例え、その男性の方が、華やかな社交界のプロで、私に恥をかかせない様にしてくれたとしても、私が彼に恥をかかせてしまう事は、大いにあり得る。色々な意味で、今の私には不安要素しかないのだし!


 欲望と見栄の集まりみたいな社交場で男性が恥をかくことそれは……。


「マリア、その殿方が社交の場にいくら慣れていらっしゃっても、私がもし粗相をしてしまい、フォローする為に彼が恥をかいてしまったのなら、それは……」


「えぇ、それは勿論、社会的に死にますね」


 ですよね。私そんなの責任取れない!!



 ーーーーーーコンコン


 馬車の外から小さなノックの音が聞こえた。


 ちょっ……もう来たっ!!?

 待って、待って、お願い待ってぇ、私、全然覚悟出来てない!!


「大丈夫ですよ。お嬢様、お嬢様はただ笑っていれば、それだけで完璧です」


 私が『待って』と止める前にマリアは外に向かって「どうぞ」と声をかけてしまった。

 すぐにガチャリと馬車の扉が開くと、眩しいくらいの光と、差し出された大きな手が見える。


「いってらっしゃいませ。お嬢様」


 マリアの言葉に背中を押され、もはや状況は引くに引けない状態だ。差し出されたままのエスコート役の男性の大きな手は微動だにせず、私を待っている。私は1つ大きな深呼吸をして覚悟を決めた。


「行ってまいります」


 大きなその手に自分の右手を乗せると、そっと握り返し、まるで躊躇う私に「大丈夫だよ」とでも言うように、外へと優しく引いてくれている。


 『王子様』そんな言葉が一瞬、頭によぎったけれど、粗相をしない為にも足元を見ながら、私は慎重に、慎重に、馬車の扉をくぐり階段を降りた。


 ふぅ、とりあえず第一関門、突破ね。

 ドレスの裾を踏んづけて転ぶなんてヘマはやらかさなかったわ。


 私はニッコリと笑いながら、エスコートしてくれた手の持ち主に感謝を述べた。

 けれど、見上げた彼の顔を見た瞬間、私の動きは完全にフリーズ。

 まるでお伽話の中に一瞬で入ってしまった、そんなような、そんな気持ちになった。


「お、王子……さ……ま……?」


 そう、目の前にいるのは、まるで夢に見た王子様だ。

 スラリと背の高い王子様が私を見ている。

 精悍なその顔立ちと、柔らかな雰囲気、白い金刺繍の入った貴族服を爽やかに着こなしている。その姿はまるでお伽話から飛び出した王子様……。


 っておいっ!!


 危ない! 危ない!! 危うく妄想トリップする所だった。


「しっ……失礼しました。あの、ありがとうございます」


 私の言葉に彼もまた、ハッとしたように、一瞬驚いた表情の後、ニッコリと優しく微笑んだ。


 マジで私の妄想の産物が、具現化したような王子のスマイルに思わず顔が熱くなる。

 慣れないイケメンは目の毒だ。


「お久しぶりです。エリザベートお嬢様。と、言っても、お分かりにならないでしょうね。改めて、ご挨拶をさせて下さい。私はこのエスターダ国の第一王子、カミール・デン・クレインと申します。以後、お見知りおきを」


 王子は握っている私の手を、少し上に持ち上げると、まるで、お姫様にやるような挨拶を、流れるような動きで私にする。


 まっままままマジで、王子キターーーーーっ!!


 こんな王子っぽい人が、王子様ってどんなご褒美ですか!?

 ありがとうございます。ありがとうございます。


 私は心の中で、全力で、感謝の言葉を唱え続けていた。だって夢が叶った!! 本物の王子様を拝む夢がっ!!


「ああああのっ、こっ、こちらこそ、急な変更で、私のエスコートをして頂くことになってしまい、ももも申し訳ありません。ほっ本日は、よろっ、よろしくお願い致しますっ」


 私は、長年の夢が叶った喜びと、喜びで、自分の緊張のキャパシティを優に超えていた。

 王子の顔がまともに見られない。見たいけど、見たら興奮のあまり鼻血とか出ちゃうかもしれない。それはダメだ。


 絶対ダメっ!


 そんな心中慌てふためく私を知ってか知らずか、堪えられないと言うように、クスクスとした王子の小さな笑い声が、頭上から聞こえてきた。


 私は思わず顔を上げて、王子を見上げてしまうと、さわやか王子は「失礼、あまりにも可愛らしくて」と私に向かって、とんでもない爆弾を投げつけた。


 みるみるうちに、私の顔に熱が帯びて行くのが分かる。


「小さい頃に、一度だけお会いした時も、とても可愛らしかったですが、今のように緊張されている御姿も、とても可愛いのですね。先程、馬車から降りられた時の御姿を見て、あまりにも、お美しく成長されていらっしゃったので、本当に驚きましたが、緊張していらっしゃるエリザベート嬢を見て、安心しました。貴女は、お変わりなく可愛らしい。そんな所は、姉上のカトリーヌにそっくりだ」


 止めて止めて、社交辞令って分かってても、そんな褒め台詞をスラスラと言わないでっ、私の心臓が、いくつあっても足りないっ。


 でも、そうだ。元々この王子様と一緒に、出席する予定だったのは、カトリーヌお姉様だもんね。

 お姉様とはやっぱり元々知り合いみたいな感じ……? 呼び捨てなんてだいぶ親密そうだけど。


 まぁでも王子様、一個訂正、私とカトリーヌは似てないと思います。


「あ、ありがとうございます。急な姉の代役など、私で務まるかどうか分かりませんが、ご迷惑をおかけしないよう気をつけます」


「いえいえ、そんな堅苦しくなさらずに。貴女はいずれ私の義理の妹になるのですから、もっと気を楽にして下さい」


 いずれ? 義理の妹……?

 って事はパパがカトリーヌを王子に取られた、と言っていた王子はこのカミール王子!!?


 通りでカトリーヌと呼び捨て!!


 わぁおっ!! カトリーヌお姉様やりおる!!

 へぇー、この爽やかイケメンのカミール王子がねぇ。ちょーっと、すこーしだけ残念な気持ちもあるけれど、元々、王子様がさらってくれるなんて夢は、叶うとは思っていない。拝むだけで十分だ。義理の妹なんて私にとっては、逆に美味しい立場でしかない。


 めっちゃ役得。

 それに実際問題、身体の問題を抱えている私には、恋をしている余裕などないし。


 そうだ、そうだよっ。王子を拝んで喜んでる場合じゃなかった。身体が暴走してカミール王子に迷惑をかける、なんて事は絶対あってはダメなのだから。

 気を引き締めなきゃ!!


「カミール王子、お姉様の事、本当に申し訳ありません」


「何故、エリザベート嬢が謝罪を? カトリーヌの事でしたら私が後日、落ち着いた頃にでも、お見舞いに伺いますよ」


 王子は今日、カトリーヌが来れなくなった本当の理由を知らないのだろう。そりゃ、そうだよね、身内の恥などパパは言わない。それでも、私は謝らずにはいられなかった。


「でも、せっかくの晩餐会、本来ならお二人で来たかったでしょうし、お姉様もきっと、とても楽しみに……」


 そうだ、今日はお姉様とカミール王子にとってのデートのようなものだったのに……私はカトリーヌの腫れた顔を思い出して、申し訳なさでいっぱいになった。


「エリザベート嬢、姉想いのお優しい方ですね」


 違いますよ、王子。全ては私、エリザベートが悪いのです。謝罪は、優しさからなどではなく、罪悪感からです。憎し、エリザベート、このサイコキラーめ。


「そんな悲しい顔をなさらないで、私とカトリーヌは、今後いくらでもこの様な場には来れます。むしろ私は、こんなに美しいお嬢様の、慣れぬ社交場の指南役にして頂けるなんて、役得だと思っているのですよ?」


「そんな都を……」


「それに、こう見えて、私はあの気難しいカトリーヌの、ご機嫌の取り方は上手いんです。大丈夫。任せて下さい」


 少しだけ、悪戯っ子のように笑う王子につられて、思わずクスリと笑みが溢れた。

 さすが王子、フォローも上手い。まんまと軽くなってしまう私の心が、少しだけ、憎らしいと思ってしまった。


「エリザベート嬢、社交場ではその笑顔です。せっかく、いらっしゃったのですから、楽しみましょう?」


 そう言って、エスコートされるがまま、私はカミール王子の腕にそっと手を添えながら、マクニール家のお屋敷の中へと入っていった。


 カミール王子の腕に手を乗せた時、王子からふわりと良い香りが私の鼻をくすぐる。

 匂いまで良いって本当にどんなけ完璧な王子様だ。

 香水か何かだろうか?

 思わずその匂いをもっと嗅ぎたくてクンクンと吸い寄せらそうになる衝動を必死に堪えた。


 ちょっ危ないっ。私危ない!! ダメダメ!!

 王子の誘惑に惑わされないように、私はしばらく口呼吸に専念する事にした。


 マクニール家に入り少し進むと大きな扉があった。扉の前に立つドアマンが静かに礼をしてその扉を開ける。その先には、煌びやかな世界が広がっていた。

 私の目の前には、大きなホテルのようなパーティー会場が広がってる。天井からは大きなシャンデリアがぶら下がり、幾つか置かれているテーブルには立派なキャンドルと一緒に、豪華な食事、形式は立食のようで飲み物をトレーに持つ給仕人がそこら中にいる。

 華やかではあるけど、ギンギラギンのステイン家に比べれば、断然落ち着いていて好感が持てる華やかさだった。


 私と王子が会場内に進んで行くと、明らかに周囲がざわつき始めた。華やかに着飾った紳士や淑女の視線が一斉に集まり、心底居心地が悪い。


「カミール殿下の隣にいる女性は誰だ!?」

「凄い美女だな」

「あんなに美しい人は見たことがない」


 視線と共にヒソヒソした言葉がそこら中から聞こえ、注目されているのが分かり思わず視線が下がってしまう。


「エリザベート嬢、大丈夫ですよ。貴女があまりにも美しいから周りが驚いているだけです。人の目を恐れてはなりません。下を向かずに笑っておあげなさい」


 王子にそう優しく言われても、多数の人の視線など気分の良いものではないし、慣れない場で楽しくもないのに笑えない、そう思っていると、王子はそっと私に耳打ちをする。


「あちらの紳士をご覧なさい。ソースが鼻に付いてます。どうしたら鼻にソースがつくんでしょうね?」


 王子の言う方向を横目でチラリと見ると、確かにソースを鼻につけた紳士がこちらを見ていた。しかもそのソースが鼻の下へとどんどん垂れていく。

 気づいた紳士は、あろうことか舌を伸ばして、ペロリとそのソースを一瞬で舐めてしまった。


 それを目撃してしまった私は、思いっきり吹き出しそうになり、笑いを堪える為に下を向くと「コラコラ下を向いてはいけません」と王子が笑いを堪えながら言う。

 ならばお手本を見せてもらおうじゃないかと、カミール王子を見ると、その王子も口元に手を当てながら下を向いて、必死に笑いを堪えていた。


 王子もだめじゃん!!


 笑いを必死に堪える王子と目が合い、お互いにニッコリと笑い合ってから気を取り直す。


 もう一度その紳士を見ると、近くにいた給仕人に、鼻のてっぺんに残っていたソースを教えてもらえたようで、慌てたように鼻を拭いていた。

 教えて貰えて良かったね。そう思って見ているとその紳士と目が合った。


 私は彼に向かって自然に微笑んでいた。


「なっなぁ今、俺を見て笑ってくれた!!? 見ただろ!?」

「いや、違う俺だ。俺を見て笑った。」


 そんな声が通り過ぎていく背後から聞こえて来たけれど、私はもう他者の声や視線は気にならなくなっていた。


 会場には本当に沢山の人達がいる。"見られている"それを意識すれば、様々な声を拾ってしまうけれど、自分が見ている立場になれば、案外周囲の目や声は、気にならないものだと分かった。

 正直に言えば、カミール王子と一緒に面白い人を探すのは楽しかったのだ。その後、私がだいぶ場所に慣れた頃に、カミール王子が一際目立つ席に座る可憐な女の子に目をやった。


「今日はあちらに座るマクニール家の御令嬢、リリー嬢のお誕生日会と兼任した、お披露目の場です。先にご挨拶に参りましょうか」


「あの、カミール王子、私、お恥ずかしながら、こういう場での挨拶の仕方を存じておりません。どうしたら……」


 きょとんとした王子の顔はすぐに柔らかな笑顔になる。


「ははっ。エリザベート嬢は真面目なのですね。大丈夫ですよ。そうですね『ありがとうございます。以後よろしくお願いします』それだけ言えば、終わりますよ」


ちょっ……それはあまりにも適当すぎやしないか、王子様よ。


 私が挨拶を真剣に考えながらカミール王子と供に歩いていると、向こうから人をかきわけるように、ずかずかと大股で歩いて来る1人の若い男性が来た。


 少し長めの髪の毛を後ろで1つに束ね、浅黒い肌が健康的なイケメンだ。カミール王子よりも身長が高く、ワイルドなのか、ヤンチャなのか黒い貴族服を大胆に着崩していた。


 その男性が、私とカミール王子の前に立ちはだかると、彼はカミール王子に向かって「兄上、エリザベート嬢のエスコートは俺がやる。今すぐ変われ」そう言った。



 ………………え?


 えぇっ?


 兄上?カミール王子を兄上って言った?ならこのヤンチャ系イケメンも王子様!!?


 私のエスコートを変わりたいだとっ!!?


 ついにっ。


 ついに拐われイベント、キターーーーーっっ!!?

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