No.39 覚醒
「諸君! これより、このステインの者たちはエーム・サン・クレインが引き受ける。これ以上の手出しは無用!! 良いな!!」
エーム王子の、透き通ったよく響く声に、さっきまで煩かった校舎が静まり返る。
まだ可愛らしさと幼さを残しつつも、やはりその威厳は王族なのだと皆に知らしめているようにも見えた。
その隙に、私とマシューは正門に向って走り、学院の門を出る。
エーム王子とすれ違う時、マーティンにおぶられているカトリーヌを睨んだエーム王は、小さく「無様だな……」そう呟き、私は思わず顔を顰めた。
私達はそのまま近くに置かれていた馬車に乗り込む。けれども、ほっと息つく間もなく、エーム王子が私達の乗る馬車にまで来て、ドア越しに私を呼んだ。
「エリザベート嬢、少しお話があるのですが良いですか?」
「分かりました」
私はマーティンにカトリーヌを頼み、そのまま馬車を降りると、エーム王子に促されるまま、隣に止められた王子の馬車に乗り込んだ。
「さて、まずは大変な目に合われましたね。エリザベート嬢」
「はい」
煌びやかな馬車の中で、エーム王子はそう言うと、近くにあったポットから、そのままティーカップへと優雅にお茶を入れ始めた。
「エリザベート嬢は、時が来ればこの騒動、収まると考えているでしょう? 僕もね、最初はそう思っていました。でも思っていたより、状況は悪くなる一方だ。僕の見立てでは、この騒動、このままでは収まりませんよ」
エーム王子はカップに口をつけて、ゆっくり飲むと、カチャと小さな音を立ててソーサーの上に戻した。
「僕はね、エリザベート嬢が心配なのです。貴女だけは救ってあげたい。そう思っています」
「あの、それは、どういう意味ですか?」
「もう、この騒動はステイン家を潰さないと収まらない、そこまで来ているという事です。デンゼン公もカトリーヌ嬢も残念ではありますが、それ相応の処罰は受けるでしょう」
「お姉様は王子殺しなどしていません」
「ええ、きっとそうでしょうね。でも、もうそんなことは関係ないのです。今のこの事態は真実を突き止めても収まるものではありません。兄が二人死に、その混乱で国の動きが止まりました。今は国民に示さねばならないのです。王の権威を、王家の権力を」
「権威……権力……」
「ええ、そうです。事態を収めるには王の名の下、ステインを……ですが、エリザベート嬢、美しい貴女まで巻き込まれる必要はありません。ですからこれは僕からの提案です。
いずれ、事態が収まった時、私の側室になりなさい。貴女だけなら匿える」
「あ、姉はどうなるのですか?」
「早かれ遅かれ、死刑台にあがるでしょう」
「それは、お父様もですか?」
「さぁ、そこまでは分かりませんが、その可能性はありますね」
「………………」
「エリザベート嬢、悪いが時間はない。今決断を」
「私……私は……」
私の首筋から背筋にかけてピリリと痛みが走る。
ああ、そうか、この痛みはエリザベートが嫌がっている。その拒絶の痛みなのか。
こういう時は、ちゃっかり意志表示をする私の本能が少し図々しいとは思うけれど、確かに今回は私もエリザベートと同意見だから仕方ない。
カトリーヌを見捨てる、なんて事は出来ない。
本当の姉ではないし、わがままで自分勝手で、小言がうるさい少女だけど、憎めなくて可愛いくて、何だかんだ仕方がないって……少しの時間だったけど家族ってちゃんと思えてる。
だから、そんな彼女を見捨てられない。
「私………私は、姉の側にいます」
「そうですか、残念ですね。手、震えてますよ」
そう言われて、自分の手を見てみると、エーム王子に言われたとおり手が震えていた。
エーム王子がティーカップに紅茶を注ぎ、それを私に差し出した。
「これを飲んで、落ち着いてください。貴女の決断は尊重します」
「ありがとうございます」
私は震えた手で紅茶を受け取ると、一口、二口、ゆっくり飲んだ。でも、それ以上飲む気にもなれず、もう早く帰りたい、その思いでカップを置いた。
「では、エーム王子、私はこれで」
「ええ、もうこれで貴女と会うことはないでしょう。健やかな精神のままに、いつまでも」
私はエーム王子が残したクサいセリフに会釈を返し、そのまま煌びやかな王家の馬車を降りた。
カトリーヌの待つ馬車に戻るとカトリーヌが不安そうに私を見つめている。
「何か言われたの?」
「いえ、別に」
「別にってなによ。私を引き渡せとか、そういう話じゃなかったの?」
「そんな話ではありませんよ。私だけ匿ってくれるって申し出だったのですが、断ってきました」
「断った? 何故断ったの? エリッサ」
「家族を見捨てるなんて事、私には出来ません。お姉様、私はお姉様の家族ですよ。一人になんてしません」
カトリーヌは少しだけ俯くと、小さく肩を震わせた。
「エリッサ……本当、なんなの。あんた最近、私を泣かせてくる言葉が多いわね。何、今度は女神でも取り付いているんじゃないの」
素直じゃないカトリーヌは、泣きたくないのか、歯を食いしばりながら顔を上げると私を睨むように笑う。
「ふふっ。女神、そうかもしれませんね」
カトリーヌは「生意気ね」そう呟いた。
「すみません、お姉様。ですが、私は自分の身は自分で守れます。私こう見えて強いんですよ」
「確かに、そうね、貴女次期将軍だものね。王子の保護なんかいらないか」
「ええ」
私は微笑みながらふと、窓の方を見た。
馬車の窓越しに、エーム王子が細い長い棒のようなものを口にくわえる姿が見える。その先から白い煙がゆらゆらと立っていた。
………………え?
煙草? エーム王子って若かったよね。って、エリザベートとと同じ歳じゃない。まだ子供でしょ。煙草だよね、あれ。
可愛らしく笑う印象だったエーム王子が色々と衝撃的すぎてビックリだった。さっきの会話も随分大人びていた気がする。王子だから?
それにしても、似合わない。
窓越しのエーム王子は、雲のような濃い煙に、ボヤけて見えた。
「なに見ているのエリッサ?」
「エーム王子が煙草を吸っていたので、ビックリして」
「はぁ? そんなこと、もうどうでも良いでしょ、早く屋敷に帰りましょ」
カトリーヌの合図で馬車が動き始めた。
カトリーヌの隣では燃え尽きたかのように、マーティンが爆睡している。傷だらけで、ボロボロになりながらもカトリーヌを守ったマーティンを見直してはいたが、その傷でよく眠れるなと正直関心しながら、私はその寝顔を見ていた。
「お姉様、マーティンさんは……」
「このまま、屋敷に一緒に来てもらうわ。傷の手当もしてあげたいしね」
「そうですね」
カトリーヌもよく見ると痣だらけだった。顔にも小さな痣が所々浮かんできている。正直ここまで酷いとは思ってはいなかった。学院であれば、多少なりとも止めてくれる教師くらいはいると思っていた。でも、私の考えは甘かったのだ。
本当に大変なことが起こり、そして今も起きている。
この後、何がおき………………
あれ? 何か急に眠くなってきた。
息が……
「どうしたの? エリッサ。何だか顔色が凄く悪いわ」
「い、息が……」
息が出来ない。肺に酸素が入らない。空気が………。
目の前が真っ暗になっていく中、遠くで声が聞こえた。
ふふふ。そうよ、ゆっくり息を吸うの。ゆっくり、いいわ、上手よ。後は、そのまま眠りなさい。そう瞼を閉じて………
瞼をとじる……瞼を………?
大丈夫。この苦しみは大した事じゃないわ。体の機能を抑えれば、貴女は死なない。私がちゃんと制御してあげる。
え、死なない?それってどういう……あぁ、ダメだ。眠い。
お休みエリッサ……後は私に任せなさい。
「どうしたの? エリッサ」
カトリーヌの心配そうな声が遠くで聞こえた。
ーーーーーー私はゆっくり目を閉じた。
ーーーーーーそして私はゆっくりと目を開ける。
久しぶりの視界に少しだけ眩しさを感じる。
目の前には久しぶりに見る、カトリーヌ。
「ふふっ。無様ねぇ、カリー。そんなに傷だらけになって」
「え? ……ええ」
「あぁ、久しぶりに良い気分よ。自由に体を動かせるってやっぱり素敵ね。そうね、せっかくなら、やっぱり、あの胸が高鳴る高揚感も欲しいわね。久しぶりにあの快感も味わいたいわ」
「エ……エリッサ? どうしたの?」
「あぁ、カリー、あんたは部屋に籠もっていなさい。これ以上あんまりにも下らない我がままばかり言うなら、左足の小指を私のコレクションに追加してもいいのよ?」
「エリッサ……あなた……」
「ふふっ。いい顔しているわね。思い出してくれた? カリー、貴女は私のペットなの。ペットはペットらしく、飼い主のいう事を聞きなさいね。ふふふ」
青ざめ怯えるカリーに私は微笑む。
私は馬車の窓から見える空を眺め、雲行きの悪い天気に思わず笑みが溢れていた。
さぁ、ステイン家を汚した者達を、どう遊んであげましょうかしら。
ふふふ、ふふふ……きっと楽しくて最高の快感を味わえるわね。
誰にも邪魔されず、私の思うがままに……。
それに、やってみたいことが、たくさん増えたわ。
そうね、これはエリッサのお陰ね。私の知らない彼女の世界の記憶が、こんなに楽しいモノだなんて。最高よ。
…………ふふっ。
さぁ皆さん私を楽しませて頂戴。
仲良く あ・そ・び・ま・しょ。
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