No.38 学院の闇
この部屋に入ってきたのは地理学を教えているマシュー先生だった。少し前にデジールを廊下に立たせ、私も便乗して廊下に立った時の男性教師だ。
「誰だ? この部屋は生徒の出入りは禁止だぞ」
私はマシュー先生の前に立ち、頭を下げる。
「申し訳ありません。お部屋をお借りしています」
私を見たマシュー先生は、心底嫌そうに顔を歪めた。
「エリザベート嬢か……今、学院で騒動になっているのは、お前だな。また随分とはしたない格好をしている」
「申し訳ありません。でもこれには理由があるのです。マシュー先生、どうか、私達を匿ってはくれませんか?」
「残念だが、私はステイン派ではないし、どちらかと言えばステインは嫌いな方だ。まさか、このような時が来るとは私も思わなかったが。世の中どうなるか分からないものだな。
ククッ、ステイン……いい気味だ」
「せ、先生……?」
マシュー先生は私を見てニヤリと笑い、その瞬間大きく息を吸った。
「エリザベート・ステインが、ここにいるぞっ!!」
「嘘でしょ……」
マシューは怒鳴るように大きな声で叫び、その姿を見ていた私は思わず絶句していた。
「貴方教師でしょ? 生徒を守るのが、教師の責任であり役目でしょう?」
「ははははっ、生徒? 王子殺しの家族など守る価値は無いだろ。むしろ、私自身で手を下さないだけマシだと思え」
「酷い……」
デジールが小さく呟いた。
確かに酷いと思う。正直、教師なら守ってくれると思っていた。私が甘かった。
でも今、そんなこと言っている場合ではない。すぐにでも、マシューの声を聞いた者がこちらへ向かってくるかもしれない。
「デジール、アシュトン行くよ」
私はマシューを睨みながら部屋を出た。
今この学院にステイン家の味方はいないと考えるべきなんだろう。すぐにでも、この学院を出るのが一番安全だけど、ここまで酷いならカトリーヌの事が心配だ。
私は足を止めると二人を呼び止めた。
「デジール、アシュトン、ここで分かれましょう。あなたたちを、こ以上巻き込む訳には行かないわ。私はお姉様を探して、この学院を出て行く。デジールも帰りなさい。アシュトンは特に早く帰って、すぐに傷の手当てをするべきよ」
「そんな、駄目です」
デジールは子供のように、嫌だと首を振り、その瞳は潤み始める。
「デジール。もう、これは学生同士の喧嘩とは違うわ。命の危険が伴う。だから、これ以上あなたたちを巻き込む訳にはいかないの。デジール、お願い、アシュトンを送って行ってちょうだい。一人で家まで帰れるか心配だから」
「そんなの嫌です。こんな危ないところにエリッサ様お一人だなんて、置いて帰れません。私もお供します」
「僕も大丈夫です。こんな傷、大した事ありませんよ」
「アシュトン、大したことあるわよ。今激しく動いたら、また出血が酷くなるわ。あなた、医者の息子なんでしょう。なら分かるはずよね? それとも、大丈夫だと痩せ我慢する気? 自分に体もまともに把握できない人間が、今後医者として他人の体なんて見れるの? いいから帰りなさい」
「………」
「それからデジール。気持ちは本当に嬉しいわ。でも私はそんなにヤワじゃないの。アイヴァンを倒してたの見てたでしょ? ただ、闇雲に一人になろうとしてるわけじゃないのよ。私は、私自身を守れても貴女を守れる自信は無いの。デージル、貴女は自分を守る術を持たず、むしろ自分を犠牲にして、私を守ろうとしてくれるわ。その気持ちは嬉しい、ありがとう。でもね、それはダメよ。私はそれを許しません。だから悪いけど、今のこの状況では貴女は足手まといなの」
私はボロボロと涙を零していくデジールの頬を優しく撫でて、微笑んだ。
「お願い、そんな顔しないで、大丈夫。私こう見えて強いのよ? なんたって次期将軍候補なんだから」
「エリッサ様……」
「っさぁ、早く行きなさい。デジール。アシュトンを頼んだわよ。正門以外に、裏門があったはずよね? 二人とも裏門から帰りなさい」
二人を行かせるために、強引に背中を押すと、振り向くアシュトンの顔も、デジールの顔も辛そうに顔を歪めていた。
「エリッサ様っ……どうか、ご無事で……」
「大丈夫よ。この騒動が落ち着いたらまた、会いましょうね。そうそう、私デジールの入れた紅茶が飲みたいの。また入れてくれる?」
「もちろんです」
「おいしい紅茶、用意しているわね」
「はい」
私が笑いかけると、デジールは泣きじゃくる顔を必死に笑顔にしながら応えてくれた。「じゃぁまたね」そう言って二人の背中をトンと押してやる。
デジールとアシュトンは、振り返る事なくそのまま外へと続く中央階段へと向かって歩き始めた。
私が一緒でなければ、彼らは無事に貴族院から出られるだろう。標的は私、いや、ステインなのだ。
彼らの後姿を少しだけ見送ると、私はカトリーヌの教室へと続く別の階段へと向った。
今、私がいるのは四階で、カトリーヌのいる上級生の階は二階だった。デジール達が向かった中央階段からでも二階へは行けるが、中央階段はかなり目立つ。私は校舎の両端にある、階段の右側を選び進んだ。
二階へは、すんなりと降りることが出来た。けれども、カトリーヌの教室へ行った事がなかった私は、教室が何処だか分からない。不思議と廊下に人通りはなかった。長い廊下をひたすら歩き、カトリーヌが居ないかそっと見て回った。
カトリーヌは見つからない。でもすぐに、私が歩いている廊下の反対側にある教室の窓から、賑やかな声が聞こえてきた。
不審に思った私は、一旦その賑やかな教室から離れ、誰もいない教室に入ると、廊下の反対側の窓から外を見る。いくつかの教室の窓から生徒が身を乗り出すように、下を覗き、楽しそうに下に向かって物を投げ落としていた。
下には、校庭の花壇の中央にマーティンが立っている。校舎の窓から投げつけられている物が当たり、痛そうに顔をしかめながらも、その場から動こうとはしていなかった。よく見ると、マーティンは何かを庇うように立っていて、その背後には小さくしゃがみ込んでいるカトリーヌがいた。
私は一気に、血の気が引いていくような感覚に襲われ、慌てて一階へと続く中央階段へと走り出していた。
中央階段の手前で貴族の生徒が私を見つけると、大きな声で騒ぎ立てたが、気を止める余裕はない。私を取り押さえようと向かって来る者もいたけれど、私は早くカトリーヌを助けに行かなきゃと、それだけで頭がいっぱいだった。
早く行かなきゃ、それだけだった。
「エリザベート! 見つけたぞ!」
「ーーーぐぁっ!!」
既に身体の感覚はなかった。取り押さえようと向かってきた者を容赦なく、なぎ払う。自分の目で見るものが、どこか映像を追うカメラのようにも見えた。
ーーーー悪癖。
きっとこれはエリザベートの悪癖だ。
あれほど嫌だった、止めたい悪癖だった癖に、今は早くカトリーヌの所に向いたい。その一心だった。
嫌のに、暴力なんて振るいたくないのに、私の前に立ちはだかる者が煩わしい。私は矛盾したこの感情を無視して、階段を駆け下りた。
「この王子殺しのステインが!!」
向かって来る者がスローモーションのように見え、私の視線は彼の腕を見た瞬間、手首を掴み捻りあげながら蹴り落とした。
ーーーーーーバキッ。
「ーーーぐはっ!」
人の骨が折れる音を初めて聞いた。
それに構う間もなく、次々と生徒が襲ってくる。
不思議と、人間の何処が弱いのか、どうすれば痛めつけることが出来るのか、自然に浮かんでくる。
「てめぇ!!」
ーーーーーベキィッ!
誰かの顔面が階段の角にぶつかるのが横目に見えた。
私はそれもかまわずに、ただ走った。
校舎を出て校庭に出ると、すぐにボロボロのマーティンの姿が見える。
「マーティン!! 姉は!?」
私はマーティンに叫ぶ。振り向いたマーティンは涙を浮かべながら私を見た。
「けっ、怪我をしている。立てないみたいなんだ」
私はそのままカトリーヌに駆け寄り、「姉さん、どこを怪我したの?」そう言って肩を掴んだ。
「………エリッサ……私、足を」
「足?」
カトリーヌの足を見ると、足首が赤く腫れ上がっている。
「何かに足をぶつけたみたいで……」
「マーティンさん。姉を抱えること出来ますか?」
「僕もそうしようとしたんだけど、その、カトリーヌが、はしたないって言って……いっ!」
ーーーーバンッ。
ーーーーーーーバシッ。
話している間にも、次々と校舎から物が投げられてくる。それを全てマーティンが盾になるように受け止めていた。
いつまでマーティンが立っていられるか、そんな声が、笑い声と一緒に頭の上から降ってくる。
「お姉様! 今、体裁なんてどうでも良いでしょ!! 何なら気絶させて無理矢理連れて行きましょうか!?」
焦る私に対して、ぶんぶんと首を振って、小さな子供みたいにカトリーヌは嫌がった。
「私にとって体裁は大事なの! 大切なの! エリッサもステインの女ならーーー」
ーーーーパシンッ!
思わず私の右手がカトリーヌ頬を叩く。
「痛ったぃ」
「お姉様、いいですか、貴女の体裁せいで、今、マーティンはぼろぼろなのよ。次にわがままを言うのなら半殺しにして気絶させます」
「じょっ、冗談でしょ………? エリッサ」
「私を知る姉なら分かるよね」
青ざめるカトリーヌを無視して、マーティンを呼ぶ。
マーティンは大人しくなったカトリーヌをおぶるとすぐに正門へと向かって走った。
「罪人どもが逃げるぞ!!」誰かのそんな叫び声から投げられる物が増え、激しくなっていった。
追ってきた生徒たちが校舎を出て、石やレンガを投げ始める。
近くに落ちた、レンガが音を立てて砕けた。
こんな物、頭に当たったらマジで死ぬ。
幸いレンガはかする程度で済んだが、私も幾つか体に石が当たり痛みを覚えていた。
あと少し、そんな思いで必死に走っていると、前方から大きな、よく通る声が響いた。
「皆、止まれっ!!」
ザワりとした、どよめきと共に、人の動きが一斉に止まる。
私達の前には王族である白い宮廷服を着た、エーム王子が立っていた。
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