No.37 それぞれの負傷
クリフの足が私に直撃する、そのほんの手間だった。
「やめろっ!!」
そんな叫び声と共に、突如、現れた知らない青年が、クリフにタックルをして、そのまま二人とも私の横に倒れこんだ。
「アシュトン君!!」
デジールがそれを見て叫ぶ。
アシュトン? この子はデジールの友達? クリフを止めたと言うことは、とりあえず味方なのだろうか。
クラスメイトのほとんどは観客のように、ことの成り行きをただ見ているだけだ。
アシュトンはクリフの上に馬乗りになり、押さえつけながら、私が足にしがみ付いている青年に向かって叫んだ。
「アイヴァン!! バカな真似はやめろ!!」
ーーーーアイヴァン。私を蹴った青年はアイヴァンと言うのか。
「平民の分際で、俺に指図するんじゃねぇよ」
「こんな愚考を行う者が貴族を名乗るな! お前は家畜以下のバカだ」
アシュトンの言葉に、アイヴァンの顔がみるみるうちに赤くなり、背後にいた青年に怒鳴りつけた。
「ギル! お前はさっきから、何ボケっとしてる! 奴隷平民をぶちのめせ!」
そう言われたギルと呼ばれた青年は慌てて、近くに置かれていた椅子を持ち上げると、アシュトンに駆け寄りながら、思い切り投げつけた。
「アシュトン君危ないっ!!」
デジールの叫び声と一緒に、椅子が床に叩きつけられる音が響いた。
ギルの投げつけた机は、アシュトンの頭に直撃し、クリフを抑えていたアシュトンはそのまま倒れてしまった。
騒然とする中でリリーとアデラ、ミーシャの甲高い笑い声だけが聞こえる。
「無様ねぇ」
近くで高みの見物をしているリリーは、私を見下ろしながらニッコリと、笑った。
「ねぇ、アイヴァン、あなた何もたついているの? 全く、エリザベートに遊ばれて」
「違っーーーーこいつ、離れないんだよ。くそっ!!」
「ホント、仕方がないわね。いいわ、なら手伝ってあげる」
リリーは言いながら私に近づいてくる。けれども、私はアイヴァンの足をしがみ付くので精一杯で、リリーに気をまわす余裕などなかった。
「無様なものねエリザベート、ふふっ、私がもぉーっと無様にして差し上げるわ」
耳元で囁くような甘い声と一緒に、脇腹にチクリと何かに刺されたような感覚。その後すぐにズキリと強い痛みが走った。
ーーーー痛いっ!!
私はそれでもアイヴァンの足にしがみ続けた。
脇腹がズキン、ズキン、と痛みを訴えるのと同時に、私の中に怒りが込み上げてくる。
怒りで爆発しそうになるこの衝動は、あの時、リリーを思いっきり叩いた時の衝動と同じだ。
この怒りは抑えないと。でないと私はエリザベートになってしまう。
まるで強迫観念にでも取り付かれたように、私は必死で怒りを押さえつけていた。
堪えきれない怒りを無理矢理押さえつけている反動のせいか、アイヴァンにしがみつく私の手が震え始め、次第にガタガタと痙攣し始める。
「なっ、なんだ」
しがみ付いた手から伝わる振動のせいで、アイヴァンが私の異変に気がつき、慌てて足を動かした。
「こ、こいつ、震えているぞ、気持ち悪い。早くどけ! 離せっ!」
「あらあら、ついに、おかしくなっちゃったのかしら? エリザベートさん」
リリーの面白そうに笑う声が頭の上から降ってくる。
私だって止めたい。怖い。
既にしがみついている自分の手に力を込めている感覚さえ無くなってきていた。
それでも勝手にガタガタと震える痙攣は、酷くなっていく一方だ。私にはどうしようも出来ない。
エリザベート、駄目よ。お願いだから出てこないで!!
ぼんやりと幻覚のように、エリザベートの顔が浮かんだ。彼女の瞳は明らかに怒りに満ちいている。
それでもその口元だけは、私を嘲笑うかのように、弧を描いていた。
ーーーー駄目っ。
「ーーーーなっ!?」
アイヴァンが驚くような声を一瞬上げた瞬間、私の体は一切、制御できなくなっていた。
しがみついていた手を持ちかえて、アイヴァンの足を一気に上に持ち上げる。体勢を崩したアイヴァンは、頭から床に倒れていた。
私はアイヴァンの足を持ったまま、顔面めがけて思い切り蹴り飛ばしたあと、そのまま顔を踏みつけた。
グリグリと体重をかけて、ねじ込むように踏みつける。
こんなの駄目だ。こんなことしちゃいけない。私はエリザベートじゃない。私はそんな人間になりたくない。
駄目だ!
エリザベート! やめてっ!!
心の中で叫んだと同時に、アイヴァンの顔を踏み続けた私の足がすぐに止まった。
と、止まった……………?
安心している場合じゃない。ハッと我に返った私は、とっさに叫んだ。
「逃げるよ!」
私は近くにいたデジールの手を取り、急いで起こし、そのまま教室を出る。
リリーやクリフ、ギル達は、突然の私の反撃に驚いたのか、呆然としている。おかげですんなり教室から出ることが出来た。
一気に廊下を走り抜ける。背後から追うような足音に振り返ると、私を庇ってくれたアシュトンと呼ばれた青年も一緒について来ていた。私達はそのまま校舎奥にあった扉の中へと駆け込む。
デジールが胸を押さえ、息切れを整えながら、壁によりかかり、私の顔を審判そうに覗き込んだ。
「エリッサ様、お怪我はありませんか?」
息を整えながら、ふと、自分の体の異変に気がつく。
「怪我?」
そういえば、脇腹が痛かったような……。
自分の脇腹を覗くように見ると「エリッサ様!」と悲鳴のような声でデジールが私を呼んだ。
あの時、リリーに何かされたことは分かっていたけれど、白い制服から赤い血がじわり滲み、その中心からは細く長い針が私の脇腹に突き刺さっていた。
「エリッサ様、すぐに座って下さい」
デジールは、部屋にあった椅子を、急いで私の前に置く。
その椅子に座る前に、アシュトンと目が合った。アシュトンの頭からは血が流れ、顔面血だらけになっている。どう見ても私より、彼の方が重傷に見え、私は脇腹を押さえながらアシュトンの方へと体の向きを変えた。
「デジール、椅子をありがとう。そして貴方も私を庇ってくれてありがとう。貴方の怪我の方が酷そうね。先に手当てをしましょう」
「いえ、僕は大丈夫です。こう見えても僕は医者の息子ですから、これくらい………」
アシュトンはそう言ったが、頭からの出血は止まらず、既にアシュトンの足元も覚束ない様子だった。
「足元がふらついてます。すぐに止血しないと。早く座ってください。私のこの傷は大したことはありません」
私は、言いながら、刺さった針をすっと抜いた。針は細いし、見たところ深くまでは刺さっていないようだ。臓器を傷つけられている感じはしなかった。化膿さえしないように気を付ければ、たいしたことは無いだろう。
私はそのまま強引にアシュトンを椅子に座らせる。オロオロとしているデジールに私は声をかけた。
「何か止血できるような物は無いかしら?」
部屋をキョロキョロと見渡したデジールは少し考えた後、自分のスカートをたくし上げた。
「申し訳ありません。この部屋に使えそうな物が見当たりませんので、私のスカートを裂いてそれをお使いください」
「ああ、いいアイディアね。ナイスよ、デジール。でも貴女のスカートは裂かないで」
「え………」
私は自分のスカートをたくし上げ、さっきまで自分の脇腹に刺さっていた針をスカートの端から線を書くように引き、一気にスカートを引き裂いていった。
シンプルだけれど、ワンピースドレスのような制服のふわりとしたスカートは柔らかく、包帯代わりとしては最適だ。
「エリッサ様なんてことを……」
躊躇いなくビリビリとスカートを引き裂く私を見ながら、デジールは驚いたように口を塞いでいた。
「私の家にはドレスが山のようにあるわ。制服もまだ数着あるもの。こんな物くらい、たいした事ではないのよ。それに、助けてもらったのは私の方。私は、当たり前の事をしているだけ。アシュトンさん、それにデジールも本当にありがとう」
「でも………」
不安そうな顔をするデジールに私は引き裂いた布の塊を無理矢理手渡す。
「デジール、この布でアシュトンさんの傷を抑えてあげて。出来るだけ強く圧迫して抑えて。悪いけど、今の私にはその力がないから、お願いね」
「でも、エリッサ様も血が………」
「私の傷は手で押さえれば止まるわ、さぁ早く。お願いデジール」
デジールは私の指示通りアシュトンの頭の傷を抑えた。
私も片手で脇腹をの傷を抑えていると、アシュトンが心底不思議そうに私を見つめている。
「あの、エリザベートじょ……いえ、エリザベート様、なぜ今、この様な状況の中で学院に来られたですか?」
まぁ、そりゃそう思うのが普通だよね。
私は苦笑いを浮かべながら、自分の予想を遥かに超えているこの状況に呆れていた。
「お姉様が行くって聞かなくて、潔白を証明するとかで……。さすがにお姉様一人、学院に行かせることは出来なかったわ。まぁでも結局、私もこのザマです。自分の考えが甘かったわ。私達同様、お姉様も大変な目に合われているかもしれませんね。大丈夫かしら………。
そう言えば、アシュトンさんは何故、私を庇ってくれたのですか? もしかしてステイン派の方とか?」
私の問いにアシュトンはゆっくりと首を振ると、デジールに「動かないで」と注意され、気まずげに笑った。
「いいえ、僕はただの医者の息子です。ただ、この馬鹿馬鹿しい状況を見るに見かねて。それにずっとデジールが下らない事で傷つけられるのを知っていました。そして僕はいつもそれを見ているだけでした。それがもう嫌だった。それだけです」
「あら、貴方は立派なジェントルマンね。そうね。デジールは可愛いものね。私も守ってあげたい存在だわ」
「エリッサ様……」
デジールは恥ずかしいそうに顔を赤らめテレていた。その仕草がまた、可愛いらしくて私の庇護欲を掻き立てる。
「アシュトンさんは」
「アシュトンでいいです。僕はただの医者の息子ですから」
「そう、なら貴方も、私の事はエリッサっと呼んでください」
「あ……はい」
「それで、アシュトンはデジールと、その、どれくらい仲が良いのかしら?」
こんな状況下の中で何だけれども、ここはやはり二人がお付き合いしているのかどうかは、女子として気になる所だ。
まぁそんな私の密かな期待も、アシュトンとデジールが二人そろって首を傾げてしまったので、シロだというのはすぐに分かった。
「いいえ、デジールとはここ最近になって少し話すようになった程度です。エリッサ様とデジールが親しいのが気になって、デジールに問いました。それくらいです」
「そうなのね。じゃぁ二人はこれから仲良くなるのね」
「え……あ、はい。でも身の程知らずとは分かっていますが、その、エリッサ様とも」
「あら、アシュトンと私はもうお友達よ。こんな紳士を友達にしないはず無いわ。ね? デジール」
「はい」
私がニッコリと笑うと、デジールも柔らかく微笑んだ。
アシュトンは嬉しそうに笑うと、ちょっと恥ずかしい気に俯いた。
「アシュトン君、だから動いちゃダメ」
「あ、ごめんなさい………」
この様子を見ていた私は、何だか仲間が出来たような気持ちになって、少し嬉しく感じた。
自分の脇腹の出血が止まっているのを確認した後、私はワンピースドレスのスカートを再度、裂き始める。今度は包帯のように一定の幅と長さになるように裂いていった。
「デジール、どう? アシュトンの血は止まった?」
「いいえ。止まってはいませんが、でも先程よりだいぶ血は減ってきました」
私は覗き込むようにアシュトンの頭の傷口を見ると、確かに出血は落ちついてきてはいたが、傷口はパックリだった。傷があまり大きく無いのが幸いだ。
「その傷は、縫わないといけないわね。医務室で縫ってもらうことは出来ないかしら」
「この騒動では医務室も危険です。僕はこのまま帰って父に傷を見てもらいます」
「そうね。できれば早く処置したほうがいいのだけど、仕方ないわね。デジール、これを包帯代わりにアシュトンの頭に巻いてくれるかしら。キツめに巻いてあげて」
私はデジールに裂いた、包帯代わりの布を渡した。
デジールはそれを受け取ると、アシュトンの頭に丁寧に巻き始める。
私のふわりとしていたロングワンピースのスカートがミニスカートのようになってしまった。
ミニスカートは、学生時代以来、久しぶり過ぎてちょっと恥ずかしい。
覚束ない手でデジールが、一生懸命アシュトンの包帯を巻き終えた時だった。
ーーーーーーゴト。ガチャ。
突然、部屋の扉が開く音がした。
私とデジール、アシュトンは身構えながら、静かに扉の方を見つめていた。
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