No.36 昼ドラのヒロイン
久しぶりに学院の制服に袖を通し、馬車に乗る。カトリーヌは、つんと取り澄ましたような顔で、既に座っていた。
私もいつも通り、カトリーヌの向かいに腰を下ろし、挨拶をする。
外が騒がしい。
「お嬢様! 学院に行かれるのは、お止めください。どうか、今一度、お考え直して下さい」
執事や侍女が馬車の窓越しに、学院に行くのを必死に止めようと説得している。
ため息を深く吐いたカトリーヌは、少し乱暴に馬車の窓を開けた。
「しっつこいわね。私が行くと言ったら行くのよ」
「お嬢様、旦那様が心配されます。万が一、もしもの事があったら」
「だから、そのお父様だってもう何日も、屋敷に帰って来てないでしょ。本当、いったい何をしているのやら。皆さん、私の心配よりお父様の心配をなさったら?」
「お嬢様……」
侍女や執事は、カトリーヌが屋敷から出る事を必死に止めようと、さんざん言葉を尽くして来た。が、しかし意地っ張りというか、強情というか、カトリーヌは一切耳をかさず、学院に行くと一点張りで今に至る。
ちなみに、私もこれまで散々カトリーヌを止めてはみたものの、やはり聞いてはくれなかった。もう、これは意固地になっているのだろう。
今の私に出来る事は、側にいる事くらいだ。
でも……もう一度、念には念の、最後のダメ押しで聞いてみよう。
「お姉様、本当の本当に行かれるのですか? やはり、私も心配です」
「エリッサ、まだそんなことを言うの? 私は何を言われても行くわよ。貴女は無理して来なくったっていいの。嫌なら、屋敷で待っていなさい。私一人で行くわ」
明らかに機嫌を損ねたカトリーヌは、ムスッと窓を見つめ、外で、おろおろとしている執事や侍女を無視して、窓もカーテンもピシャリと閉めてしまった。
私は顔に出さないよう心の中で深いため息をつくと、カトリーヌに微笑みかける。
「お姉様を、お一人になんて、させませんよ。ご一緒致します」
私の言葉に満足そうに笑ったカトリーヌは「それでこそステイン家の娘、私の妹よ」そう言って、馬車の出発を促した。
困ったもんだ。カトリーヌの性格的に、今の彼女を止められるのは、デンゼンパパくらいだろう。けれども、肝心のデンゼンパパは帰っては来ないし、連絡も無い。突っ走る暴走娘を止められる者はいないのだ。どう考えても自滅コースまっしぐらなのに。
学院で何があるのか、どうなっているのか、不安でしかない。どの道、私はカトリーヌを放っておくこともできないし、デジールの事も気になっていたから学院には来ていただろうけど。
馬車が学院に着いた途端、カトリーヌは勢いよく馬車から降りた。その後ろ姿を見ていた私は、カトリーヌが半ばヤケクソで来ているようにも見えて心配が増す。
「お姉様、そう急がれますと、危ないですよ」
そう言いながら、馬車を降りると、カトリーヌは「ふん」と鼻を鳴らしながら、ずんずんと歩いて行った。
すれ違う生徒が、驚いた表情をしては、ヒソヒソと会話をし始める。
「おい、嘘だろ、カトリーヌ嬢が来た」
「王子を殺したくせに、よく来られたものね」
「まったく、何故捕まらないの? 早く死刑台に上らないかしら」
ヒソヒソと話している会話は、丸聞こえで、皆んなの視線も明らかに批判的なものだった。
一ヶ月ほど前とは大違いだ。
私の前を歩くカトリーヌも、周囲の会話が聞こえているはずなのに、動揺する素振りもなく、至って平静にスタスタと歩いていく。
「エ、エリザベート嬢! 何故カトリーヌ嬢を止めなかったんだ!!」
校舎に入った途端、マーティンが凄い勢いで私を責め立てた。あんなに私にビビってたくせに、もう恐怖心は無くなったのだろうか。
「マーティンさん、私にそんなこと言われましても……これでも、ちゃんと止めたんですよ?」
「ちょっとマーティン! エリッサに話しかけないで! 貴方、殺されたいの?」
カトリーヌの言葉に、威勢の良かったマーティンが動揺しながら、後退りし、怯えた目で私を見る。
いやいやいや、マーティン。
殺しませんから。そこまでヤバ娘じゃないから……多分だけど……。
「でででっでも、カトリーヌ嬢、ここはまずいよ。すっすぐに屋敷に帰った方がいい」
鼻息を荒くするカトリーヌは、腰に手を当てながら仁王立ちでマーティンの前に立つ。
「マーティン、私はカトリーヌ・ライ・ステインよ。貴方みたいな下級貴族じゃないの。汚名は自分で晴らすのよ。私を見れば、この顔を見て頂けたら、潔白だってすぐに分かるでしょう?」
ーーーーは?
「それは……いや。いくらカトリーヌ嬢が絶世の美女でも、さすがに分かってくれないよ」
「マーティン。確かに私は絶世の美女だけれども、美女は関係ないの。この顔は潔白だと言っているの」
「………え? だから、それって美女だってことでしょ?」
「はぁ、まぁもういいわ。確かに私は絶世の美女だものね。罪深いわね」
いや、何がいいのかサッパリ分からない。マーティンもカトリーヌも頭の回路がどうかしている。会話の内容が美女で終わるって、どう考えてもおかしいでしょ。
それに、顔だけで潔白を証明できると思っているカトリーヌに、私は心底、頭を抱えるしかなかった。
ーーーー気が重い。
「さぁ、マーティン。貴方、紳士なんでしょう? 私のエスコートを特別に許します。そして、何かあったら命に代えてでも、私を守ってね」
マーティンはカトリーヌの言葉にポッと顔を赤らめ、照れたように下を向きながら「はい」と小さく返事をした。
きっとマーティンの頭の中では、カトリーヌの『私を守ってね』の言葉が連呼されているに違いない。あんなに帰れと言っていた癖に、素直にエスコートしているし……。
頼られる言葉に弱い男子って本当、単純……いや、マーティンが単純なのか?
結局、マーティンにエスコートされながらカトリーヌは堂々と学院の中を歩き、私達はそれぞれの教室へと向かうために別れた。頼りないマーティンにカトリーヌを、任せる事は心配ではあったけれど、マーティンがいるだけでもマシだろう。
それに、私も人の心配ばかりをしている場合ではない。
私の教室にはリリーがいる。きっと今の私は彼女にとって、格好の餌食だろう。易々と餌食になるつもりもないけれど、上手くかわせるかは不安だ。
それに、あの夢……。
私は、あのエリザベートとの悪夢が、頭から離れなかった。人を痛めつける快感を知る……。
そんなものは、知りたくないし、絶対にそうはならない。私は私だ。
エリザベートになんて絶対にならない。
私はそう固く心に誓い、教室の中へと足を踏み入れた。
騒めく教室の中で、ガタリと椅子の音を鳴らしたデジールが血相を変えながら、私に駆け寄って来る。
「エリッサ様!? そんな……いけません。ここは今、エリッサ様にとって、とても危険な場です。今からでも遅くはありません。すぐにお屋敷にお戻り下さい」
「良かったデジール。手はもう大丈夫?」
「え……? あっ……はい」
「デジールこそ、あれから大丈夫だったの? リリー達に何かされてない?」
「今、リリー嬢達はエリッサ様のことで持ちきりで……私には」
「そう、なら良かった。貴女が無事かどうかだけ、本当に気がかりだったの」
デジールの顔は、私をひどく心配しているように見える。その手にまだ残る、痛々しい白い包帯を見た私は、意を決してデジールを見据えた。
「いい? デジールよく聞いて。今後は私の事に構わず、貴女自身の身の安全だけを考えなさい。関わってはダメよ。もし、私に何かあっても、口を挟んだり、庇ったりしないこと。いいわね」
「そんな……出来ません。エリッサ様を見て見ぬふりなんて、絶対出来ません」
「私には事情があるの。その事情は、貴女には全く関係ないことよ」
「関係ないことないです……私は……」
突如、周囲の声がどよめき、それとほぼ同時に聞き覚えのある、かん高い声が、デジールの背後から聞こえた。
「デジール。そこを退きなさい。わたくし、そこの罪人の妹に話があるの」
でっ、出たな!! リリー!!
デジールは慌てたように振り返り、リリーを見ると私を庇うように両手を広げた。
「リリー嬢。お止め下さい。エリッサ様は悪いことなど、何もしていません」
その姿は、まるで何時ぞや見た、昼ドラのワンシーンと何故か被って見えた。
「下女の分際で! お御黙りなさい!!」
「黙りません。エリッサ様には……」
私はデジールの言葉を遮りながら一歩前へと出て、デジールの肩をそっと掴んだ。気分は既に昼ドラのヒロインだ。
「デジール、そこを退いてください」
「退きません。エリッサ様、私は退きません!」
振り向きながら、私を見るデジールの瞳は潤み、まるで可愛らしい昼ドラのヒロインのようだった。
ってちょっと、ダメよ。デジール、そこは譲れないわ。
「デジール。退きなさい。今日のヒロインは私なのです」
「え?」
緊迫する状況の中、私の訳の分からない言葉に一瞬気が抜けたように、きょとんとしているデジールの前に、私は体をねじ込ませながら、リリーの前に立った。
「さて、リリーさん、お久しぶりですね。私に何か御用ですか?」
「えぇ、そうね。大罪人の妹が、何故このような神聖な貴族院に来ているのか、不思議でしたの」
「大罪人? 姉は潔白です。いずれ姉の潔白も証明されますよ」
多分……。
「潔白? 王子を二人も殺しておいて潔白? なんて図々しいのかしら。ステイン家は、強欲な支配者と呼ぶ者もいます。本当に強欲で図々しくて、醜い家系なのね」
それはーーーー反論できない。
デンゼンパパの姿を思うと、確かに強欲ではあるし。それが、ステイン家を大きくしているのも事実だ。
それでも、今日の私は昼ドラのヒロイン。負けるわけにはいかない。
「リリーさん。そこまで私達を貶める言葉を並べるなら、それなりの覚悟はお有りなんでしょうね。いずれ姉の潔白が分かれば、ステインを汚したその言葉に対して、それ相応の報いは受けてもらいますよ。私、エリザベート・メイ・ステインの名に掛けて。あなたを決して許しまっーーー」
「おりゃぁっ!」
ーーーーードンッ!!
ーーーーーーーっ!!?
突如、私の肩に衝撃が来たと同時に自分の身体が飛んだ。
ーーーードサ!
倒れ込んだまま左肩を抑えると、さっきまで自分がいた場所から二メートル近く離れている。
顔を上げると、私を蹴り飛ばした青年が、片足を上げたままニタニタと笑って、立っていた。
ヒロインのように潤んだ目で青年を見てみても、このガキんちょには、美しさと、情というモノは理解出来ないようだ。
楽しげに、ケラケラと笑う青年を私は睨みつける。
周囲の生徒もことの成り行きを見ているだけ、ニヤニヤと笑い、私達を見ている者もいる。
私はこの時、ようやく気が付いた。このクラスは狂気の塊だと、私が思っている以上にまずい場所だと……。
「なんてことをっ……エリッサ様!!」
青ざめたデジールが、私に駆け寄ろうとした瞬間、私を蹴り飛ばした青年が、デジールの背中めがけてもう一度、飛び蹴りをする。
吹っ飛んできたデジールを私は折り重なるように受け止めた。
「「ーーーーっつ!!」」
「エ……エリッサ……さ………ま」
「デジールッ!!」
背中を蹴られた衝撃と痛みで、息が苦しそうなデジールを起こそうとした時。
「平民は奴隷らしく、地面に這いつくばってろ」
蹴った青年がデジールの背中を、更に思いっきり踏みつけた。
ーーーードスッ
「ーーーぐぁっ!!」
「デジール!! ーーーーやめてっ!!」
私は、とっさにその青年の足にしがみ付く。
「離せっ! この女!!」
しがみつく私の手を振りほどこうと、青年は足を思い切り揺さぶり、振り回す。私は、体を引きずられながら、必死に青年の足に、しがみついていた。
「チッ、おい、クリフ。こいつを引き離せ」
上からそう声が聞こえると、近くにいたクリフと呼ばれた青年が「まかせとけっ」そう嬉々としながらこちらに近づいてくる。
クリフが足を振り抜き、私に向かって蹴ろうとした時。
「エリッサさまぁっ!!」
悲鳴のようなデジールの私を呼ぶ声が響いた。
私は、それとは別に、今、自分の中に沸き起こる怒りを必死に抑えていた。
悪癖が出ないように、自分の身体を手放さないように……。
青年の足をぎゅぅっと、抱えるようにしがみつく。
痛みに耐える覚悟をしながらキツく目を閉じた。
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