No.35 意地の張り方


「起きなさい、エリッサ」


 暗い、暗い、何も見えない中で声がする。


 ーーーーだれ?


「誰って、私よ。エリザベート。つまり貴女よ」


 わっ私じゃない。私は貴女みたいな酷い……


「サイコキラー?」


 そう、サイコキラーじゃないわ。


「ふふふっ。そうね。でも、リリーを殴った時、エリッサ、貴女は私と同じ感情を共有出来たはずよ? 人を傷つけて快感を得ていたじゃない」


 快感? そんなことない。あれは………


「否定できる? スッキリしたでしょう? 気持ち良かったでしょう? そもそも以前の貴女ならリリーを叩いたりしたのかしら?」


 それは…………


 叩いたりしない。きっと叩けない。暴力は何も生まないと思ってきた私は、ただ見ているだけで怒りを胸にしまうだけだったはずだ。


「あははははっ。良かったじゃない。感情の思うままに行動できて、体で感情を表現できることは良いことよ」


 人を傷つけることが良いこと?


「そう。本能は素敵。ふふっ。だって貴女が傷つけたのよ」


 でも、確かに怒りは感じたけど……私は……


「あら、もしかして人のせいにする気? 貴女、最低ね」


 違う。ただ実感がないの。私が叩いた実感が……あの時もよく分からなかった。


「ふーん。自分が嫌なところは、他人に押し付けるのね。まぁいいわ。どうせ貴女は、エリザベートになるのだから」


 どういう事? 私は私よ。エリザベートになんか絶対ならないわ。


「ふふっ。確かに、私、エリザベート・メイ・ステインは死んだわ。魂は完全に死んでしまった。貴方とこうして話しているのは、魂の抜け殻、エリザベート・メイ・ステインの体そのもの。私って本当に自我が強かったのね。だって体全てがエリザベート・メイ・ステインなんだもの」


 身体全てがエリザベート?


「んー、そうね。簡単に言うと体の意思って言えばいいのかしら? 本能そのものよ。ふふふ、そんなに驚いた顔しないで。面白い話はこれからよ? 今まで貴女も私もお互いに嫌がって反発してきたわ。体と心がアベコベなんですもの。本当は私を制御しようとする貴女なんて大っ嫌い。でもね、だんだんと、同化していっているの。私には分かるわ。貴女がだんだんと、私、エリザベートになっているのよ。ふふふふ、楽しみね」


 い……や………嫌よ!!


 絶対に嫌!!!!!!!


「嘆いても無駄よ。貴女は私。私は貴女。本能には抗えない。貴女は必ずその快楽を味わうわ。そして知るの。ふふふふ」


 怪しげなエリザベートの笑い声が暗闇に響く。逃げたいのに逃げられ無くて、身体が重たくて、でも必死にもがく中、何か得体の知れないものが自分の中に入ってくるような感覚に襲われた。


 いや、やめてっ、来ないで!!


「ふふふっ、これからが楽しみね。エリッサ」


 いやあぁぁぁぁーーーーー!





「いやぁーっ!」


「……様 ーーー大丈夫ですか!? お嬢様?」


「え……」


 気が付くと、私の肩に手を乗せ心配そうなマリアの姿が目の前にあった。


「私……夢を……?」


「お気付きですね。良かった。何か暖かい物をお持ちしましょう」


「ええ……マリア、ありがとう。あの甘いミルクをお願い」


「レミールですね。畏まりました。すぐにお持ちします」


 マリアはそう言って、私の部屋を後にした。私はベッドから起き上がり、ガウンを羽織ると、窓の外を眺める。


 外はまだ暗いが、グラデーションように白んでいて少し赤みがかっている所もあった。もうすぐ朝なのだろう。


 あれから……グエン王子の葬儀からもう二週間が過ぎた。カトリーヌの噂を耳にしてから、驚くほど早くグエン王子が亡くなった。


 今現在、きっとカトリーヌの噂は大変なことになっているだろう。


 そのせいなのか、デンゼンパパも殆ど屋敷に戻ることがなく、色々奔走しているようだった。

 私は、カトリーヌと共に隠れるように屋敷にこもっている。学院には行っていない。でも、きっとデジールは学院へ登校し始めている頃だろう、心配だった。


 うん。やっぱり近々、私だけでも学院に行こう。かなり白い目で見られるかとは思うけど……仕方ない。


 リリーの嫌な笑みが頭に浮かび、思わず自分の手のひらを見つめる。夢の中でエリザベートは言っていた。どんどん私がエリザベートになっていると、人を痛ぶる快楽を知るのだと……。


 私は無理やり頭を振って、考えるのを止めた。


 大丈夫、所詮は悪夢だ。悪夢なのだ。私は私のまま変わらない。



 物思いにふけっていた所でドタバタと騒々しい物音が聞こえた。早朝の静かな屋敷では音が響いてやけに目立つ。


 気になった私は、部屋を出て、物音がする方へと歩いた。


「お引き取り下さい」


 執事の声がする方を見ると、屋敷の出入り口の扉に数名の使用人や侍女が集まっていた。そして、扉から必死に入ろうとしてくる誰かを追い返そうとしている。

 私はそれを大階段の上から眺めていた。



「お嬢様。その様な格好で、身体が冷えます。お部屋にお戻りくださいませ」


 甘いミルクの良い香りが私の鼻をくすぐる。レミールをトレーに載せて持ったマリアが階段を登りながら私に言った。


「マリア何かあったのかしら?」


「どうでしょう。でも、こんな早朝に屋敷に訪れる方なんて碌でもない方です。さぁ、一緒にお部屋に戻りましょう」


 使用人が、声を潜めながら押し返そうとしているが、扉に体を挟み込んだ訪問者は退くつもりはないようだった。


「旦那様はお屋敷にお戻りにはなっていません。お引取りください」


「僕はカトリーヌ嬢に話があるんだ。頼むからカトリーヌ嬢に取り次いでくれ」


「まだ、お嬢様はお休みになっています。お引取りください」


「今じゃないと駄目なんだ! カトリーヌ嬢に会わせてくれ。マーティンが来たと言えば分かってくれる。カトリーヌ嬢!!」


「大きな声を出すな! お引取りください!!」


 ん? マーティン?


 マーティンって何処かで聞いた名前だったな。随分必死にカトリーヌを呼んでいるけど。マーティン、マーティン。


 あ、マーティン!!


 私は貴族院の食堂で会った、挙動不審のマーティンの顔を思い出す。カトリーヌから無碍に扱われても諦めずに一緒にいた、あのマーティンだ。

 確かにこんな早朝にカトリーヌの知り合いだと言って押しかけて来るなんて、ある意味マーティンらしい。


 私は急いで階段を駆け降りていく。


「お嬢様!!?」


「マーティンは知り合いなの。彼の話を聞きたいわ」


 私はすぐに使用人に扉を開けさせた。


 そこに現われたのは紛れもなく、挙動不審で、やたらカトリーヌに対してしつこかった変人、マーティンの姿だった。


「エ、エリザベート嬢………?」


 マーティンは私を見るなり、いきなり怯えながら後退りをする。あぁ、そうだった。マーティンは私が怖いのよね。


 でも、こんな騒動起こしておいて、強引に屋敷に入ろうとしたくせに、私を見て怯えるってどうなのよ。


 マーティンの態度を見て、私は少し呆れながらため息を吐いた。


「朝からどうしたんです? お姉様は今はまだ寝ていますよ。急ぎであれば私が代わりにお話を聞きます」


「え、いや……エリザベート嬢に………?」


 あからさまに嫌そうな顔をするマーティンに私は思わず眉を潜めた。


 私が怖いとビビる癖に、何だその態度は。


「ここでは何ですから、どうぞ客室へ。ご案内してあげて」


 私は使用人にマーティンの案内を任せて、一度自室へと戻った。


 マリアの入れてくれた、甘いミルクを一口入れると少しだけほっとしたような気持ちになる。

 侍女に手伝ってもらいながら、シンプルなワンピースのドレスに着替えてから、マーティンが待つ客室へと向かった。


 部屋に入ると、マーティンが両手を組みながら不安そうな顔で待っている。


「お待たせしました。それで、お姉様にどのようなご用件で?」


「エ、エリザベート嬢。あのっ今、王都は大変なことになっているんだ。ステイン派と王派で諍いが絶え無い。今はまだステイン派も頑張っているけど、ステイン家に恨みを持っている貴族達も多くて、ステイン家は今凄く危ういと思う。得にカトリーヌ嬢は………」


「貴方は、わざわざそれを伝えに?」


「それだけじゃなくて、カトリーヌ嬢はすぐにでも王都から避難するべきだと思う。カトリーヌ嬢に伝えて欲しい。早く王都から逃げてって。この諍いは長続きする。出来れば王都、嫌、エスターダ国から出て身を隠した方がいい。それくらい危険なんだ。カトリーヌ嬢のためだ。必ず王都から連れ出してくれ」


 私はマーティンが必死に話す姿を見て、自分が思っているよりも事態が深刻になっていることを実感した。


「私は退かないわよ」


 突然、後から聞き覚えのある声が聞こえ、思わず振り返る。


「カトリーヌ嬢」


 そこには、しっかりドレスを着ているカトリーヌが、腰に手を当てながら仁王立ちで立っていた。カトリーヌはそのまま呆れたように首を振ると、私の隣に腰を下ろして、マーティンを思いっきり睨んだ。


「マーティン、何故ここへ来たの。屋敷に来るなんて正気じゃないわ。どうやって門を抜けたのよ」


「その……カトリーヌ嬢が心配で」


「だったら手紙を出せば良いじゃない」


「あっ……えっと、最近、カトリーヌ嬢に会っていなかったから……」


「呆れた。それじゃぁ、私の顔が見たくて、ここまで来たの? しかもこんな朝早く」


「朝じゃないと駄目だと思ったんだ。夜も昼も、反ステインの貴族達の目があるからね。ちょうど朝は動きが無いんだ。だから朝ならカトリーヌ嬢に迷惑を掛けずに会えると思って」


「迷惑よ。早朝に来るなんて迷惑以外ないでしょう」


「でも、僕は綺麗なカトリーヌ嬢に会えた」


マーティンはそう言いながら、恥ずかしそうにポッと頬を赤く染める。


 それを見た私とカトリーヌは、思わず呆れから、同時に顔を見合わせた。


 どうかしている。


「マーティンさんの忠告は承りました。お父様、お姉様とよく相談して、王都を離れるかを決めたいと思います」


「はぁっ!? エリッサ! 何言っているの? 私は逃げないわよ」


「お姉様………」


「私が王子を毒殺? 笑わせるわね。そんな根も葉もない噂に私は屈したりしないわ。だから絶対に逃げない」


「お姉様、噂を知っていらしたんですか」


「当たり前じゃない。これでもステイン家の娘です。自分が今どのような立場にいるかぐらいは知っています」


「だったらなおさら、今、お姉様が危ないことは………」


「だからよ、逃げたら私が犯人ですって言っているようなものじゃない。ここは堂々としていれば良いのよ。だって私は潔白なんだから」


 その言葉にマーティンが反論した。


「事態はそう単純じゃないんだ。潔白とかそう言う次元のものじゃなくなってる。もう派閥の争いになっているんだ。ここ何日か、ステイン派の貴族が闇討ちにあったとも聞いている。いつ何処でカトリーヌ嬢が襲われてもおかしくない状況なんだよ」


「だからなんなの!? ステイン家はそんなことに屈したりしないわ。襲われたら襲われた時よ。私はこんな事では屈しないし、逃げないし、負けない。私達ステイン家は絶対に負けないの。私を犯人に仕向けた奴は必ずステイン家が報いを受けさせる。それがステイン家。誰であろうと、何であろうと。私は、私達は屈しない。だから、マーティンの助言は聞けない。絶対逃げない!」


 カトリーヌは興奮しながら、捲し立てるように言った。多分、カミール王子を殺したと疑われている事が誰よりも辛くて、悔しいのはカトリーヌ本人だからこそ、ここで引くことは出来ないのだと思う。


「お姉様………」


「駄目だよカトリーヌ嬢、逃げておくれよ。カトリーヌ嬢にもしもの事があったら僕は………」


「マーティンあなた、男でしょ。私に逃げろ逃げろという前に、私を守ってやるとは言えないの?」


「……………」


「言いなさいよ。マーティン!!」


「……守ります……多分……」


「まったく情けないわね。カミール王子とは大違い。本当、情けない。まぁ、もういいわ。有言実行ね。明日からちゃんと私を守りなさいよ」


「え? 明日から?」


「そう、明日から学院に通うのよ」


 そうニッコリと笑うカトリーヌ。


 私とマーティンはカトリーヌの言葉に驚き、


「「嘘でしょ!!?」」


 そう同時にハモっていた。

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