No.34 アシュトン日記 其の二


 エリザベート様を庇い、デジールが刺された。


 そうクラスの奴らが話していた。僕はその場にはいなかった。僕が教室に入った時には、教室は騒然としているだけで、当事者であるリリー嬢やデジール、エリザベート嬢は既に教室にはいなかったのだ。


 ミーナ先生がクラスの異変に気づき、事情を他の生徒から聞くと、慌てて医務室に向かって走って行った。

 その様子を見ていたクラスの生徒は、騒然とした中で、それでも始まる授業を淡々と受けている。

 結局、授業が終わっても、リリー嬢達やエリザベート嬢、そしてデジールが教室に顔を出すことはなかった。


 その日の授業が全て終わると、すぐにザワザワとクラスの至る所でリリー嬢とデジールの話が飛び交っていた。

 勿論、表面上は貴族達が話していたけれど、平民も皆、コソコソと話しているのは分かっていた。

 そりゃそうだろう。なんて言ったってリリー嬢がエリザベート嬢に歯向かったのだ。中流貴族のマクニールの令嬢が、あのステイン家に牙をむいたのだ。


 飛び交う会話の中、クラスの貴族の者達の中には、リリー達の行為を肯定する者もいた。それはある種の反逆者のようにも見えた。

 殆どの貴族達はステイン家を恐れ、口を閉じている。ただそれでも、一部の肯定派の者達の話を遮る貴族は誰もいなかった。


 きっと既に広まってしまっているステイン家の噂が、事態の根幹にあるからなんだろう。


 リリー嬢もそうでなければこんな愚かな真似はしないはずだ。

 ただ、それでも僕から見ればリリーのした事は愚かな行為にしか思えなかった。たかだが噂ごときで、ステイン家に歯向かったのだ。


 家柄の古さであれば同格かもしれないが、貴族社会での格は全く違う、ステイン家とマクニール家なのだ。正直、リリー嬢はそこまで浅はかな娘だったのかと、僕は思っていた。


 そして今、リリー嬢の暴虐を肯定している者達もそれは同じだ。彼らはいったい何を自分達が言っているのか、本当にそれを理解しているのかと思う。


 ステイン家に歯向かう事、それは王族に歯向かう反逆者と同等に近い事なのに……。


 それでも、不思議な事に事態は、リリー嬢の暴虐を助長させる流れになっている。まるで誰かが図っているかのように……。



 デジールが手の負傷をして、学院を休み始めてから一週間が経った。エリザベート嬢もリリー嬢もまるで何事も無かったかのように学院に通っている。周囲も気持ち悪いくらいに沈黙していた。

 ただただ、その静かな教室を僕は不気味に感じながら過ごしていた。




 そして、事態は急変する。


 その日の朝。王都ガーデンの住人は、皆騒然としていた。


 グエン殿下が亡くなったと発表されたのだ。


 昨夜、劇場で突如血を吐き、そのまま亡くなったらしい。そしてその場所に一緒に居たのがステイン家の長女である、カトリーヌ嬢だったのだ。


 またしても殿下の死際にカトリーヌ嬢がいた。


 その話を聞いた僕は、もしかして本当にカトリーヌ嬢が? と一瞬頭を過った。本当に一瞬だけだ。


 それでも、自分がそう思った事に驚愕し、より一層、胸騒ぎを覚える。


 きっと僕以外にも同じように考えた人は沢山いるだろう。何故なら、疑っていなかった僕でさえそう思ったのだから。


 噂を知っていた殆どの者は考えたはずだ。


 あの噂。王子の毒殺は本当の話だったのでは?

 その犯人はやっぱりカトリーヌ様なのでは? と……。



 その日から、学院は休校になった。

 カミール殿下の死から日を経たずして、グエン殿下が亡くなった事は、エスターダ国全体に衝撃を与え、今回は貴族も平民も関係なく、休校になった。


 グエン殿下の葬儀はカミール王子のように盛大ではなく、静かに行われていた。王都ガーデンに住む人々は、既にグエン殿下の死を悼むというより、立て続けに亡くなった王子の死に不安を感じているように見える。


 そしてやはり、僕の胸騒ぎのような予想は的中し、噂は止まる事なく、どんどん人々に浸透していっていた。


 王子は毒殺され、殺したのはカトリーヌ嬢だと。


 そしてその噂は、カトリーヌ嬢の動機まで語られるようになっていた。


 カトリーヌ嬢はカミール殿下を一心に愛していた。だが、三女エリザベート嬢が現れ、その美しさを見たカミール殿下はエリザベート嬢に惚れてしまった。カミール殿下はカトリーヌ嬢ではなく、エリザベート嬢と結婚したいと言い始め、カトリーヌ嬢との婚約破棄を進めようとしていた。悲しみと嫉妬に狂ったカトリーヌ嬢はカミール殿下を毒殺。


 そして、次に婚約を結んだグエン殿下もやはり、結婚するならエリザベート嬢が良いと言った。嫌々ながらの婚約だとカトリーヌ嬢は知り、自分を無下に扱うグエン殿下に、逆上したカトリーヌ嬢は、グエン殿下を毒殺。


 嫉妬に狂ったカトリーヌ嬢は、感情のままに王子達を毒殺したのだと。


 そう拍車をかけて噂は広まり、浸透していった。



 最初その話を耳にした時、何てくだらないとそう思った。殺害動機が雑すぎるからだ。そもそも嫉妬であれば、カミール殿下を毒殺するより、三女エリザベート嬢を毒殺するほうが早いし確実だろう。カトリーヌ嬢がカミール殿下を手に入れたい、婚約を破棄したくないと考えるならばエリザベート嬢がいなくなるのが手っ取り早いし、王族を殺害するよりリスクも少ない。なのにカミール殿下を嫉妬からの毒殺として、片付けているこの噂の動機がどうも気に食わなかった。


 そしてそれは、グエン殿下の殺害に対しても同じだ。そもそもカミール殿下と同じ方法である毒殺を選ぶなんて、もし仮にカトリーヌ嬢が本当に犯人なのであれば、私が犯人ですと言っているようなものだ。バカなのか? と本気で思う。


 それに感情的に王子を殺してしまったのであれば、毒殺ではなく、間近にある武器や警護の者が所持している短刀などを、とっさに使うだろう。しかし、それも屈強な兵士が囲う中で、まず少女が犯行に至る事は難しい。『衝動的犯行』であれば殺害自体が難しいのだ。


 だが噂の死因は毒殺だ。毒殺であれば必ず、計画的犯行になる。


 計画的犯行であれば、誰だって普通、自分が犯人のように仕組んだりはしないだろう。


 この噂には不自然な点が多すぎる。カトリーヌ嬢を犯人にするには無理があるのだ。


 噂というより。完全なるデマのようにしか聞こえない。


 それでも、このバカげた噂がまるで、真実かのようにガーデン中に広がり、貴族はおろか、平民でさえ皆がカトリーヌ嬢を疑い始めていた。


 あっと言う間にグエン王子の葬儀から一週間が経ち、学院が再開される。


 教室にエリザベート嬢の姿は無かった。


 僕は少しホッとする。この噂の最中、もしエリザベート嬢が学院に来れば、トラブルに巻き込まれかねない。


 特に、今は……。


 リリー嬢を始め、いつもこのクラスで騒いでいる、アイヴァン達男子も、そろそろエリザベート嬢にちょっかいをかけ始めるに違いない。


 公爵家が王子殺しをしたと。王家に反逆を起こしたと。


 彼らの目を見ていたら分かる。ギラギラと血走ったように見えるその目は、鬱屈していた日常を、今なら叩き壊せるチャンスだと思っているのだろう。

 長らく在り続けた権威の象徴でもある、公爵家を今なら叩きのめせると。背後にいる親達をも含め、皆、下克上を狙っているのだ。


 愚かなアイヴァン達ならやりかねない。


 そしてこのクラスではそれを誰も止めないだろう。教師でさえ、この噂を信じている素振りがあるのだから。


 よく考えればそれがデマであることは明らかなのに。皆何かに洗脳されたかのように噂を信じるものが増えている。それが、不思議で恐ろしかった。



 それから数日後、デジールが登校してきた。左手には痛々しく包帯が巻かれている。


 僕はチラチラと怪しまれない程度にデジールを観察していた。リリー嬢がまたデジールにちょっかいを掛けないか心配だったからだ。だが、リリー嬢はデジールに見向きもしなかった。


 代わりにリリー嬢は、ステイン家がどれだけ残忍で、悪どい家柄か、その強欲さで、今までどれだけ、エスターダ国を牛耳ってきたか、それを皆に必死に唱えていた。


 今こそ王子殺しの長女カトリーヌ嬢を断罪するべきなのだと、キラキラと目を輝かせながら話している。


 王族の次に権力のあるステイン家をこれほどまでに、こき下ろしにしているのだ。いずれ報復があるとすれば、マクニール家もリリー嬢も一溜まりもないだろう。それを知らないはずがないのに、そんな恐れなど全くないような素振りだ。

 クラスの中にいるステイン家の派閥に属している、貴族の生徒もリリーの言う事に、否定もせずに黙っている。


 これは僕の知る貴族社会の中で異常なことだった。


 授業が終わり、僕はとっさにデジールを呼び止める。


「デジール、少しいいかい?」


「………ええ」


「その、エリザベート嬢のことなんだ。君が隠したがっている事も分かっているつもりだ。僕は口外するつもりはない。ただ、知りたいんだ。デジール、君はエリザベート嬢と親しくしているだろう? 今エリザベート嬢は大丈夫なのか?」


「大丈夫って?」


「噂のことだよ。君も分かっているだろ。今やステイン家が国賊かのように思われている」


「そんな事、一部の方の噂に過ぎませんよ。皆が国賊などとは思っていません」


「うん、分かっている。だけどこの噂、不自然な勢いで広まっていると思うんだ。ステイン家の権威も何もあったものじゃない。だから、心配なんだよ。エリザベート嬢が」


「アシュトン君はステイン家の噂は嘘だと思っているのね?」


「もちろんさ。こんなのくだらない噂にすぎない。デマだよ」


「そうね。でも、何故アシュトン君がエリザベート様のことを心配にするの? エリザベート様と親しかったのですか?」


「親しくはないよ……ただ、何となくだけど、僕が心配しちゃ駄目かい?」


 デジールは探るように僕をじっと見つめた。


「いえ、そんな事はありませんよ。私もエリザベート様とは、そこまで深くお付き合いしているわけではありません。ただ、どうしても今、エリザベート様の事について、お話する方を信用できないのです。疑心暗鬼になっていることは自覚しています。ですが、私の言葉で、少しでもエリザベート様にとって、何か不利な状況になるのだけは避けたいので」


「君はエリザベート嬢と本当に真摯に向き合っているんだね。うらやましいよ」


「……アシュトン君?」


「僕は、君が左手に傷を負っていた時、その場にはいなかったんだ。でもその後、騒然としていたクラスの中で人伝に聞いたんだよ。デジールがエリザベート嬢を庇って傷を受けたって。それって凄い事だと思うんだ。だって君は、エリザベート嬢の為に命をはれるってことだろ。僕にはその勇気がない。羨ましいよ」



「それは……いいえ、私もそこまでの勇気はないですよ。あの時、最初はただ恐怖で動けなかっただけ。でも背後にいたエリザベート様だけは守らなければと、とっさに心がそう動いた。それだけなの。きっとアシュトン君の心も、こうと決めたらきっと同じことをすると思う」


 彼女はそう言いながら、優しく微笑むと少しだけ頭を下げた。


「アシュトン君、ごめんなさい。どうしても今は、エリザベート様のことについて、話すことは出来ません。だけど、アシュトン君がエリザベート様を少しでも思って下さるのであれば、もし何かあった時に、守ってくださいませんか?」


「え………?」


「今の私には、そう言うことが精一杯です。今、エリザベート様が大丈夫なのかどうか、私も知らないのです。でも、もし今後エリザベート様に何かあったら、何かあるのなら、少しでも力になりたい。そして同じように思ってくれる仲間がいれば、私も心強いです」



 何も言葉が出て来なかった。彼女の真摯な目を見て何も言えなくなってしまった。デジールはエリザベート嬢と関わるようになって本当に変わった。小柄で、ほわんとしているようなイメージが強かったデージルが、こんなにも芯の強い子だとは思わなかった。


 僕は彼女ほど真摯な気持ちがある訳ではない。心配も勿論している。ただそれ以上にエリザベート嬢に興味があるのも事実だ。彼女のもたらす空気や存在感、そして、デジールという一人の少女をここまで変えた事実に………。


 僕はただデジールに向けて、ゆっくりと頷いて見せた。

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