No.33 異変から事件へ
グエンと顔合わせの日の当日の朝、カトリーヌは何気ない顔をしていた。落ち着いたドレスを着て、屋敷の玄関口をゆっくりと歩きながらこちらへ向かって来る。
私はカトリーヌが心配で、せめて、見送りだけでもと思い、カトリーヌが来る前に馬車の前で待っていた。
私の前に立ったカトリーヌは、少しだけ眉間にシワを寄せながら「何か悪さでもするつもり?」と不審そうな顔で睨む。
「お姉様のお見送りにと待っていたのです」
「ふん。昔のあんただったら、馬車の車輪の金具を抜いている。それくらいはしてそうだけどね」
「え………」
エリザベートはそんなことまでしてたの?
「まさか、本当に抜いてないでしょうね!?」
私の驚いた顔に誤解したカトリーヌは、慌てて馬車の車輪を確認し始めた。
「お姉様、私はもう子供じゃないんですから、そんないたずら、しませんよ」
「それを、いたずらで終わらせる、あんたが本当に怖いわ。下手すれば死ぬのよ? まぁでも、それも今更ね。それより、侍女に聞いたのだけれど、グエン殿下の態度が随分と変わっていたらしいわね。あんた、あのグエン殿下にいったい何をしたの?」
「えっ? ……ええ、私も本当に驚きました。まぁでも、そんなに? グエン王子の態度を変えてしまうほどの出来事は無かったような………?」
目を細めたカトリーヌの、冷たい視線が私を襲う。
あははは、ですよねー。
でも弁解も何もない。あの日の出来事はグエン王子が語らない限り封印だ。まぁグエン王子も今更誰かに話す事もないだろうし。
うん。ないない。封印。封印。
「っさ、さぁさぁ、お姉様馬車にお乗りください。グエン王子を待たせてしまいますよ。それから、一応グエン王子には気をつけて下さいませ。王の時期、後継者になってから気が荒くなっているようでしたしね」
「何言っているのよ。惚けてもムダよ。あんたがそのグエン殿下をボッコボコにして、今は周りが驚くほどに大人しくなっているんでしょ」
はいはい、その通りですよ。私が犯人です。
カトリーヌは小さなため息の後、いつもと同じように「ふん」と鼻を鳴らすと、ふわりとしたスカートを持ち上げた。
「まぁ、エリッサにそのような心配されずとも、この、わたくしはカトリーヌ・ライ・ステイン。殿方の扱いは心得ているわ」
カトリーヌはそう言って、馬車の中へと乗り込んで行った。
この様子であれば、カトリーヌは大丈夫なのかな。
私はすぐにでも出発しそうな馬車を見つめていると、カトリーヌがすっと馬車の窓を開けた。
「ねぇ、そんなに私が心配なら付いてくる?」
思いもよらなかったその言葉に、私はとっさに「いいのですか?」そう声に出していた。誘っておきながらも私の返事に驚いた表情のカトリーヌ。
「え、付いてくるの?」
「お邪魔にならなければ……」
いや、まぁ普通に考えれば邪魔なんだろうけれど。
カトリーヌは少し考えたような仕草の後、私に向けて顎をしゃくると、馬車に乗るように指示をした。
まさか一緒に行けると思っていなかった私は、お出かけ用のドレスでもないし、何も持ってきてはいない。まさしく手ぶら状態だったけれど、そのまま躊躇わずに馬車に乗りこむと、久しぶりにカトリーヌの向かい側の席に座った。
「本当に来るとは思わなかったわ。馬車からは極力出ないでよね。もし出るなら遠くにいなさいよ」
「はい、それは勿論。私は御姉様が心配なだけですから」
「ずいぶんと殊勝ね。まぁ、グエン殿下を痛めつけたエリッサが近くにいると分かるだけで、彼の癇癪も失せるでしょうけど」
まぁ確かに、それが狙いで付いて行くのだけど。
「でも、馬車に乗ってから言うのも何ですが、本当に良いのですか? 私が勝手に付いてきて」
「別に良いんじゃない? 馬車から出なければ」
そう言いながら視線を窓に向けるカトリーヌのその手は、ほんの少しだけ震えているように見えた。
私はそっとカトリーヌの手を握り締める。やっぱり一緒に付いて来て良かった。そう思った。
「お姉様、大丈夫ですよ。私がいますから。何も心配はいりません」
カトリーヌは少し困ったような、複雑そうな顔をしながら私を見ている。
「あんたが本当に分からないわ。以前のあんたからは想像もつかないことを言ったりするくせに、暴力は健在なんて、あんた、いったいどうなっているのよ?」
「正直に言いますと、私もどうなっているか良く分からないです。暴力については自分でも制御できなくて困っているくらいなので」
「確かに、根本が暴力の怪物だものね。そう変わろうとしても変われないってことかしら。でも、そうだとしても、やっぱり今のあんたは……エリザベートは、まるで別人みたいよ」
「そう言ってもらえると、私も安心します」
「何よそれ」
「私はお姉様の妹になりたいのです。本当の家族になりたいのですよ」
「ふん、だから気持ち悪いこと言わないでよ。私はあんたを怪物としか見ていなかったわ。まぁでも、そうね。今なら少しだけ妹として、見てあげなくもないわ」
「……はい」
「ふふっ本当、随分と素直ね。ああ、それから私を崇める事を忘れてはダメよ」
「はい、お姉様」
私は苦笑しながらそう答えた。
馬車は王都ガーデン、貴族街の西にあるべリング噴水で止まった。「あんたはここで待っていなさい」ニッコリと笑ったカトリーヌはそう言って一人馬車から降りた。
馬車の中から、窓越しにカトリーヌを眺める。噴水周辺には物々しい雰囲気で、グエン王子の警護の兵達が立っていた。
カトリーヌは頭を下げている警護兵の間を抜けながら、噴水中央にゆっくりと歩いていく。カトリーヌの警護に当たる兵士が後を追うように付いて行き、カトリーヌの姿はすぐに見えなくなった。
それから数分後、隣に大きな馬車が止まった。馬車から降りるグエン王子と、私は偶然にも窓越しに視線が合う。私は頭を下げてニッコリとグエン王子に微笑んだ。その瞬間、グエン王子の瞳は驚いたように見開き、凍りついたかのように固まってしまった。そして、しばらくすると、俯いてしまったグエン王子は、そのまま顔を上げる事なく、カトリーヌがいる噴水へと向かって歩いていった。
グエン王子の様子は明らかに私に対してビビっているものだった。そんなに怖がることないのに、そう思いながらも、自分の身体であるエリザベートがやらかした事を思い返して、そりゃぁやっぱり怖いか、と考え直した。
グエン王子は噴水で、すぐにカトリーヌと会えたのだろう。姿は見えなかったけれども、周囲を取り巻く兵士の集団がそのまま貴族公園へとゆっくり歩いて行った。
馬車からだいぶ離れた所で、ようやく二人の姿が見える。彼らの表情は見えなかったけれど、雰囲気は落ち着いてるように見えた。ほんの少しだけ安心したような気持ちになり、ため息をつく。
一時間ほど過ぎただろうか。噴水周辺の兵士達が慌しく動き始め、カトリーヌとグエン王子がこちらの馬車に向かって歩いて来た。
エスコートするグエン王子が、今私が乗っている馬車のドアを開けると、一瞬にしてカミール王子と同じ匂いが馬車の中に漂った。思わず吸い寄せられそうになるその落ち着く良い匂いに、私の心臓がドキリと跳ねる。
「さぁ、どうぞ。カトリーヌ嬢。足元にお気をつけ下さい」
グエン王子が差し伸べる手を取りながらカトリーヌは馬車に乗った。
「ありがとうございます。では、グエン殿下。次はチベンチャで」
「ああ、俺も楽しみだ。ではカトリーヌ嬢……それとエリザベート嬢、失礼します」
グエン王子は目を伏せたまま、明らかに私の顔を見ないように、そのまま馬車の扉を閉めた。馬の蹄の音と一緒に馬車はすぐさま出発する。
カトリーヌの顔は来た時とは違い、存外機嫌が良さそうだった。
「あの、お姉様。チベンチャって何ですか?」
「あら、そんな事も知らないの? チベンチャは観劇よ。王が反逆者を成敗する劇なの。成敗するときチベンチャって言いながら成敗するのよ。そのとき、観客も皆んなで一緒にチベンチャって叫びながら盛り上げるの。楽しい劇よ」
な、何か激しい劇っぽいな………。
「それで、そのチベンチャを見に行かれるんですか?」
「ええ、グエン殿下がチベンチャを見たいと仰ったので、私も見たいですと言ったら、今度一緒にチベッチャを観に行こうって誘われたのよ」
「では、今回は落ち着いてお話できたのですね」
「ええ、グエン殿下は、それはもう別人のように紳士になっていたわ。誰かさんのお陰かもね」
カトリーヌは、私を見てニッコリ笑う。まだ幼なさが残る、あどけない彼女の笑みに私も釣られて微笑んだ。
それから二日が経ち、カトリーヌとグエン王子の二度目のデートの日が来た。まさか、次のデートが二日後だとは思っていなかった私は、正直驚いた。
ずいぶん早い約束をしたんだなとは思うけど、チベンチャの公演日がちょうど二日後にあり、早く噂を沈めるためにと、どうやら王の計らいもあったらしい。
チベンチャの劇は夜に行われるらしく、その日の夕方、粧し込んだカトリーヌは、馬車に乗ってチベンチャの劇を見に行った。
流石に二回目のデートについて行く程、私も野暮ではない。
もしも、カトリーヌがこのデートに行く事に、チラリとでも不安そうな様子を見せたなら、付いて行こうかと考えたかもしれないけれど、グエン王子に対しての不安は、すでに無さそうだった。
むしろ、カトリーヌはカトリーヌで、チベンチャを見に行く事を、とても楽しみにしている様子だったので、私は見送りだけすると、その後は自室でゆっくりと過ごしていた。
暫くして、屋敷の異変に気付く。いつもは静かな夜なのに、何やら廊下から騒がしい声と、忙しなく動く人の気配を感じた。
何事かと思った私は立ち上がり部屋の扉へと向かおうとする。部屋の灯りが揺れると同時に、扉を叩く音とマリアの声が響いた。
「どうぞ」
私の返事と共に入ってきたマリアは険しい顔をしている。蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れて、マリアの顔に影が差していた。
「先程、グエン殿下が吐血して倒れました」
全く予想していなかった言葉に頭が真っ白になる。
「ーーーーえ? 吐血……って?」
「カトリーヌお嬢様はご無事で、すでにこちらに向かっているようです。情報はまだ定かではないのですが、グエン殿下は相当な量の血を吐いた後、亡くなられたという話も出ています」
「まっ、待って、マリア、それはどういう事?」
「劇場の観客が数名、グエン殿下の姿を目撃していたらしく、その姿はどう見ても死んでいたと………」
吐血……死……また?
すぐに思い出されたのは、カミール王子だ。マリアの報告内容はあの時、カミール王子が亡くなった時とほとんど同じ内容だった。
何故……? どういう事?
いったい何が起きているの?
今回もカトリーヌに目の前で王子が倒れた。何で? 偶然? いや、偶然にして出来過ぎている。
カミール王子が亡くなった日は、ずっと泣き続けながら震えていたカトリーヌ。彼女は大丈夫だろうか。
いや、大丈夫なわけない。
そんなわけないんだ。
私は抑える事が出来ない胸騒ぎに、思わず屋敷の門口へと向かって走り出していた。
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