No.32 謎と謎
私の目の前でリリーがデジールに傷を負わせたその日の夜。私は初めて自分の意思でデンゼンパパの書斎へと向った。
「お父様、突然、申し訳ありません。失礼を承知で参りました」
デンゼンパパは私が書斎に入った時、少し曇ったような表情をしながら、考え込んでいるように見えた。
私に気付いて、目が合った途端、デンゼンパパの目尻が下がり頬を緩める。
「何じゃ、何じゃ、わしの愛しい娘、エリッサちゃんじゃないか。そんな畏まらずとも、エリッサちゃんなら、いつでもウェルカムじゃ。わしが恋しくて来てくれたのかい? 嬉しぃのぅ」
「いっ、いえ、お父様にお伺いしたい事があるのです」
「ノンノン、エリッサちゃん。わしとエリッサちゃんの仲じゃろ? そこはパァパって呼んでくれなくっちゃ」
恥ずかしそうに、モジモジしながら言うデンゼンパパに、思わず少しの苛立ちを覚えた。
私は真面目な話をしに来ているのに、デンゼンパパも私の雰囲気で察しているハズなのに、変わらずこのテンション………。
この狸親父めっ。
そっとため息を吐いたあと、強めの口調で「パパっ」そう呼ぶと「うっひょーっ」と叫びながらデンゼンパパはクルクルと回り始めた。
あぁもぅ、鬱陶しい………。
「あのっ! パパ。わたくし、聞きたいことがあるのですが」
「ん? 何じゃ、何じゃ、何でも聞いておくれ、エリッサちゅわん」
気持ち悪いデンゼンパパを、真面目に相手になどしていられないと思った私は、そのまま話を進める事にする。
「カトリーヌお姉様の件です。本日、学院でカトリーヌお姉様のよからぬ噂を耳にしました」
私がそれを言った瞬間、デレデレしていたデンゼンパパの顔つきが急に引き締まった。
「あぁ、なるほど。その話か……で? カリーちゃんに、その噂のことは?」
「勿論、話してはいません。出来ればこんな噂、お姉様に聞かせたくはありませんので。解決できるのであれば私が対処致します。その為に参りました」
「うーむ」
デンゼンパパは少し考えこむように目を瞑り、深いため息を吐いた後、ギシリと音を立てながら椅子に深く腰掛け、腕を組んだ。
「正直、わしもまったく分からんのじゃ。今いったい何がどうなっているのか、ステインの派閥に属していない貴族達が、次々に噂を広めておる。出所を突き止めようと、色々手を回してはおるのじゃが、不思議と全く掴めん。わしはこの噂、ただの噂ではないと思っておる。それに………」
デンゼンパパは眉間に深くしわを寄せ、深刻そうな表情で私を見つめている。
「エリッサは第三王子を知っているかの?」
第三王子………?
私は少しだけ首を傾げながら、記憶を探る。
「以前、王宮の食事会で少しだけ第三王子のお話は聞かせて頂きましたが。確か、今は隣国のデール国にいらっしゃるとか」
「そうじゃ、だが今、その第三王子の所在が掴めないのじゃ。デールにいるはずの第三王子、ルイ殿下の消息が全く分からん。カミール殿下が亡くなった事によって、ルイ殿下の消息が不明である事が発覚したのじゃ。しかしな、王宮はなんら動かんし、コルフェ王にも、それとなく聞いたのじゃが、陛下も口を濁すだけじゃ。まぁ確かに、ルイ殿下の母親は側室の中でも身分の低い方で、イデア王妃には、あまり良い顔はされていなかったが、それでも第三王子。行方が分からなくなるなど、本来、おかしいのじゃ」
「あの、パパ。お話の最中ですが、今回の噂とその行方が分からなくなった第三王子といったい何の関係が………?」
「そう、そこじゃ。やっぱりエリッサちゃんは流石じゃの。
わしはな、ルイ殿下は自ら身を隠しているのではないかと思っておる。でなければどう考えても王宮が、騒いでいるはずなのじゃ。
どうもわしはな、ルイ殿下がこの一連の流れに、関わっているように思えて仕方がない。
きっとルイ殿下の後に策士、いや悪知恵を持っておる奴がおる。カミール殿下が亡くなった事をきっかけに、貴族の派閥を見出し、後継者争いに持ち込むつもり……なのではないかと思っておるのじゃ。
まぁ所詮わしの憶測なのだが。
じゃがなぁ、それしか今のところ考えられん。正直、確信するのには情報があまりに少ないのじゃ」
ルイ王子に後継者争い………? この噂は次の王座の、後継者争いのせいで起きてる噂ってこと?
じゃぁ、噂になっているカミール王子の毒殺は………。
夢で見たエリザベートの言葉がどうにも私に引っかかっていた。
「パパ、でしたらカミール王子の死はやはり偶然で、毒殺されたわけではないと言うことですか?」
「いや、それも分からんのじゃ。カミール王子の死因を調べた医師達は王宮に囲われて、全く情報を出さん。このわしにさえ、情報を出さんのじゃ。陛下もカミール殿下の死因を知っておるのか、知らないのか、分からぬ。
しかし、どうにもおかしい。こんな事初めてじゃ。
わしは今まで、あらゆる手を使って情報を手にしてきた。知らぬ事など何もない、それほどにな。しかし今回は全く情報が出ない。賄賂も、脅しも全て使ったが、全く出てこないのじゃ。
しかし、逆を言えば、ここまで情報が出ないという事は、やはり何か隠している事があるという事じゃろうな」
結局、カミール王子の死因も毒殺ではないとは言い切れない状況なのか……王宮は何を隠しているんだろう。
王様は私達に敵意があるようには見えなかったと思う。でも何かを隠してる? それとも王様も知らない所で何かが動いているのだろうか。
分からない。
いったい今、何が起きているんだろう。
分からない事がこんなにも不安を覚える事なのだと初めて知った。不穏な貴族の動きも、謎すぎる王族の内部も、今は何も分からないと言うデンゼンパパも、私は全てに胸騒ぎを覚えて、どうにも不安になる。
そして考えれば考えるほど、頭が痛くなってきた。
何の為に誰が噂を流しているのか、噂の出所と真相の謎。デール国にいるはずのルイ王子の失踪とその理由。そしてカミール王子の死因の謎。
ダメじゃん。謎だらけじゃん。
私が真剣に考え込んでいるのを見かねたのか、デンゼンパパが少し微笑みながら私に言った。
「そう気負うでない、エリッサよ」
「……はい」
「第二王子のグエン殿下とカトリーヌの婚約について、王族が何かステイン家に思うことがある、そういう事ではないのじゃろう。陛下もわし達に裏があるようには見えん。今流れているこの噂も、グエン殿下とカトリーヌの正式な婚約が、世に広まれば収束するじゃろうて。そう悩むことではない。
ただ、まぁ周囲の動きはしっかり見ておかねばならぬがな」
「はい………」
グエン王子とカトリーヌの婚約か……グエン王子は、ほんと、碌でもない男なんだけどな。
もし今後、カトリーヌに何かあったら………。
もう、どうしたら良いのだろう。ステイン家の為に最悪の男と婚約するカトリーヌ。結婚など止めた方が良いと、心から思っているけれど、それを口に出すことは躊躇われていた。
この世界については勿論、貴族の世界の事も知識としては、ままならない私が、身勝手に、感情のままに婚約を辞めた方が良いと言っていいのか。
そして、仮に婚約破棄にでもなれば、噂が更に広まり、余計にカトリーヌの首を締める事になるのではないか、そう思うと結局は動けないままだ。
カトリーヌもステイン家も良くなる道が私には分からない。デンゼンパパが言った通り、周囲の動きを見ているだけしか出来ない。それはただの傍観者と変わらないだろう。
傍観者か……結局、私はただ不安から動けない傍観者なのか。
数日が経ち、学院ではあれから特に問題は起きていない。リリーとも特に関わることもなかった。
デジールには、手が癒えるまで学院を休んでもらう事にした。何故か学院に行きたいと言っていたデジールを、私が半ば強引に、命令だと言って、傷が癒えるまではと、休ませている状態だった。貴族をある意味で嫌悪している私が、デジールに命令で縛り、学院を休ませるのも、本意ではないけれど、正直、無理矢理にでも、今は学院からデジールを離したかった。それが彼女にとって一番安全だと思ったからだ。
とりあえず今後、カトリーヌの噂さえ無くなれば、身分が重要視されているこの世界で、ステイン家の娘である私の権威も再び戻る可能性は高い。
そうなれば、リリーも落ち着き、話を聞いてくれるようになる可能性だってあるはずだ。
今はただ、その為の時間稼ぎに、デジールに休んでもらっている。それも理由の一つだった。
そして、今日、屋敷には、突然の訪問による大変なお客様が来ていた。屋敷の侍女を含めた皆が騒然とし、デンゼンパパでさえ驚きながらその訪問者を丁寧に屋敷の中へと招き入れた。
その訪問者とはイデア王妃だった。そして、その後にはグエン王子がいる。
グエン王子は私と顔を合わせようとせず、ずっと下を向いていた。最早、自信に満ち溢れていた以前のグエン王子とは別人で、纏う雰囲気さえ違って見える。イデア王妃の後に、肩身が狭そうにビクつきながら屋敷へと入って来た姿を見て思わず、少しだけ笑いそうになったくらいだった。
紅茶を一口飲んだイデア王妃はカップを置くと、ゆったりと微笑む。
「デンゼン公、この度、正式にグエンとカトリーヌ嬢の婚約が決まり、本日はグエンとカトリーヌ嬢との顔合わせの日取りを決めに参りました」
「顔合わせ、と言いますと?」
「ええ、顔合わせ……つまりは、アピールですわ。
本来であればお披露目の場を設けるべきでしょうが、それはカミールの喪に服している今、叶いません。
デンゼン公も、既にご存知でしょうが、なぜか貴族の間や王宮の中で、良からぬ噂が、急速に広まっています。これはステイン家と王族の絆を引き離そうとする酷い噂です。
このような噂をすぐに解く為にもここはアピールとして、グエンとカトリーヌ嬢が婚約したこと、仲が良いところを実際に見て頂くのが良いかと思うのです。いかがでしょう?」
「ほぅ、それは良いですな。最近耳にする話は暗いものばかりでしたので、久々に良い話を聞けて嬉しく思いますぞ。そしてステイン家への気遣いと配慮、誠に感謝致します」
「いいえ、ステイン家あってのクレイン家です。今後とも、陛下、並びに、息子グエンをよろしくお願い致しますね」
イデア王妃はそう言って深々と頭を下げた。
きっとデンゼンパパも色々悩んでいたのだろう。イデアの姿に深く感銘を受けたのか、少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「頭をお上げください。イデア妃殿下。本来ならば私達が頭を下げなくてはいけないものを、この度のお心遣いには本当に感謝致します。王族であるクレイン家の更なる繁栄の為に、わしは今後とも尽力致しますぞ」
デンゼンパパと私は深々と頭を下げ、話し合いは終始和やかに進んだ。
最終的に、カトリーヌとグエン王子の顔合わせは二日後となった。デンゼンパパもイデア王妃も早い方が良いと意気投合してのことだ。
どうやら顔合わせといっても、いわゆるデートのようなものらしく、あえて二人で人目のつくところで会うという事らしい。まさしくアピールだ。
ただ今も、カトリーヌは調子が悪いと、自室に篭ったままで、この話し合いには全く参加していなかった。
こうして見ていると、貴族や王族の結婚は本当に家同士の問題なんだなと、つくづく思ってしまう。
しょんぼり座って、黙ったまま話を聞いているグエン王子を私は無言で見つめる。
彼は私の視線にすぐに気づき、困惑した表情をしたあと、すぐに下を向いて、そのまま固まってしまった。
自分でした事とはいえ、グエン王子の変貌ぶりには本当に感心する。しかし、この状態であれば、さすがにカトリーヌに危害を加える事はないだろうと、少しだけほっともしていた。
グエン王子とカトリーヌの顔合わせデートの日はすぐに来る。いまだ部屋に閉じこもったままのカトリーヌにデンゼンパパがこの後話に行くのだろう。
彼女の気持ちを考えるだけで、気が重たくなった。
カトリーヌは、お姉様は大丈夫だろうか……。
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