No.40 エリザベートの微笑み


 馬車が屋敷に到着すると、エリザベートはゆっくりと馬車から降り、侍女のマリアを呼びつけた。


「すぐに私の着替えの準備を。それから、マリア。あなたは私の部屋に来なさい。頼みたい事があります。あと、ついでにカリーと、マーティンを手当てを誰かしてあげて。マーティンは違う部屋に隔離するように。後で聞きたいことがあります」


 てきぱきと指示をしていくエリザベートを見て、一部の使用人は顔色を変えていた。朝とは明らかに違う様子の彼女に呆然と立ち尽くす執事や侍女。


 エリザベートはニヤリと笑って使用人達を見つめる。


「あなた達、動きが鈍いようであれば、容赦なく殺しますよ」


 察しの良いマリアはすぐに深々と頭を下げて「畏まりました」そう告げると、指示を引き継ぐように、使用人達を動かし始めた。


 自室に戻ったエリザベートは、自ら制服を脱ぎ捨て、その後を追うように、侍女達が急いで、服を着せていく。

 身支度を整え終えると、マリア以外の侍女を部屋から追い出し、ベッドの上に座った。

 エリザベートは、ニッコリとマリアに向かって微笑む。


「マリア、これから忙しくなるわよ。どうやら私には時間がないようなの。ぱっぱと楽しまないと。その為にも、欲しい物があるわ。調達して来て頂戴」


「畏まりました。何なりと」


「そうね、針を。ふふっ、面白いのよ。エリッサの世界では千本飲ますって風習があるらしいわ。まず針を千本用意して頂戴。ただし、出所が掴まれないないよう幾つか分散して購入して。購入者も流れ者を使いなさい。お金を掴ませても口を割りそうなら殺して構わないわ」


「承知致しました」


「それから、貴族院で私と同じクラスのアイヴァン、クリフ、ギルの家柄と生い立ち、登下校はどの道を使っているのか、どの馬車を使っているのか調べておいて。そうね、その際、人通りのない道があるかどうかも調べて頂戴。ふふっ、それとね、人があまり来ない豚小屋を探して欲しいの。頼むわねマリア」


「はい」


「あら、なぁに? 私のことで、随分気になるっている顔をしているわね。悪いけど、今は貴女にも話す時間はないの。ふふっ、そんな不思議そうな顔しなくても後で話してあげるわよ。さぁマリア、時間がないわ。この屋敷の使用人、執事、侍女達、全ての者を屋敷の大階段の下に集めて頂戴。今すぐに」


 エリザベートはマリアにそれだけ伝えると、すぐにカトリーヌの部屋へと向かい、許可も取らずに強引に部屋の中へと入って行った。


 カトリーヌは薄着のシュミーズだけの状態のまま侍女達に手当てをされていた。全身痣だらけになりながらも、見たところ深い傷などは無い。


「カリー、三、四日はここで大人しくしていなさい。私、少しやりたいことがありますから、それが終わったら一緒にジョゼの所に行きましょう」


 カトリーヌは痛みに耐えながらも「エリッサ、私は逃げないわよ」そう言ってエリザベートを睨んだ。


「ほんと、馬鹿ねぇ、カリー。もう少し、頭を使いなさいと何度も言ってきたでしょう? 負ける戦をしても意味がないの。ステインの女なら、そのぐらい分かりなさい。逃げるんじゃなくて、まず体制を整えるの。一時撤退よ。あらヤダ。しゃべり方がエリッサっぽくなっているわ。ふふふ、面白いものね」


「エリッサ? 何を言っているの?」


「あぁいいの、こっちの話よ。とにかくジョゼのところに行きますからね。余りわがままを言わないでね。カリー」


 納得がいかない、そんな顔をしながらも、カトリーヌは渋々頷いた。

それを見たエリザベートはカトリーヌの手当てをしている侍女に向かって「もう、ここはいいから、大階段の下に行きなさい」そう指示をした。


 訝しげに首を傾げる数人の侍女は、カトリーヌの手当てをしていたその手を止めて、エリザベートを見る。


「今、でございますか?」


「ええ、今よ」


「ちょっとエリッサ、私、怪我しているの」


「そんな傷、大した事ないわ。侍女の手が空いた時にでも見てもらいなさい」


「そんな、イヤよ。今手当てするの」


「カリー、そのぐらい我慢しなさい。だいたい、その怪我だって自業自得でしょう。自分の愚かな行為を身をもって感じながら反省してなさい。さぁ、あなた達、何ぼさっとしているの。早く行きなさい」


「か……畏まりました。失礼致します」


「待ってエリッサ。本当にどうしたの? 急に……」


「どうもしないわよ。貴女が愚かで、デンゼンが老いたせいで私が死ぬに死ねないだけよ。ふふふっ。まぁ、これはこれで、私を楽しませてくれているけどね」


 そう言って、妖しく笑ったエリザベートはカトリーヌの部屋を出ていった。そのまま大階段の方へと向かい、下に集められた使用人達全てを見下ろすと、静かに、良く通る声でエリザベートは話し始める。


「お前達の働き、ステイン家当主、デンゼンに変わり、このエリザベート・メイ・ステインが礼を言う。皆も知っていると思うが、今、ステイン家は、愚かなカトリーヌの所為で、危機的状況にある。今後、起死回生を図るにあたり、お前達の身も安全ではなくなるだろう。

特に身寄りのある者、家族を養っている者はその危険が高まると考えられる。家族を使い、お前達に擦り寄る、もしくは人質としてステイン家を裏切るよう仕向けてくるだろう。

そうなれば、私は、裏切った者の家族諸共、報復の為に必ず殺す。女、子供、どんな者でもだ。

それを避けるため、今ここで働く者に家族有る者は、本日限りでステイン家の使用人を辞めて貰う。それから恋人がいる者もだ。

お前達の大半は、この屋敷から逃げ出したいと考えているだろう。それでいい。

今後ここに残り、仕える者は、更に命の危機に晒される。王族に命を狙われるか、私に殺されるか。

さぁ、おまえ達は誇り高いステイン家の賢い使用人だ。ずぐに身支度をし、屋敷を後にするがいい。給金については誓約書の通り、保証してやる。

逃げたい者は、皆逃げろ。今しかないぞ」


 エリザベートの言葉に皆が沈黙していた。三百人以上はいる使用人達が皆、お互いの顔色を伺うよう見つめ合っている。


 そこに、もう一押しするかのようにエリザベートは一際大きな声で言った。


「死にたくなければ、この屋敷から、今すぐに立ち去れ!」


 エリザベートの言葉に皆が一斉に動き始める。慌てて荷物を纏め、次々と屋敷を後にしていった。


「お嬢様、よろしいのですか?」


 マリアが伺うように聞くとエリザベートは慌ただしく動く使用人達を見て満足そうに微笑んだ。


「ええ、奇襲を掛けるのであれば身軽がいいのよ。使えない味方など要らないわ。確か、ヨシツネだったかしら。面白いわよね」


 エリザベートがふと、屋敷の出入り口である扉の方を見ると、そこには一人の紳士が立っていた。使用人の一人がその紳士を屋敷に入れたのだろう。近くにいた侍女が紳士の話を聞いてこちらに向かって来た。


「お嬢様、マーティン様のお迎えにいらした方がお待ちです」


「すぐに行くわ。客室に通しておいて」


「畏まりました」


 侍女は深々と頭を下げると、紳士の元へと向かった。


 エリザベートが客室に入ると紳士は深く頭を下げる。仕立ての良い服を着て、それをピシリと着こなしていた。歳は五、六十くらいだろうか。白髪まじりだが清潔感漂う紳士だ。


「マーティン坊っちゃまをお迎えに上がりました」


「貴方がマーティンの?」


「はい。執事を務めております。ジェフと申します。お忙しい中、申し訳ありません」


「執事? ……随分と身なりが良さそうに見えますが」


「大した物ではございませんよ。それより、お屋敷が随分と慌ただしいご様子、大丈夫ですか?」


「ええ、問題ありません。ただの人件費削減です。マーティンは今別室に居ますが、こちらにお呼びしますか?」


「そうして頂けると助かります」


「マリア、マーティンをこちらに呼んで来て頂戴」


 マリアはすぐにマーティンを呼びに行く。その間に、エリザベートがジェフに尋ねた。


「ひとつお聞きしてもいいかしら」


「なんでしょう?」


「マーティンは随分と私の姉、カトリーヌにご執心のように見えますが。彼はいつもああなのですか?」


 エリザベートの質問にジェフは苦笑した。


「ええ、まっすぐな方ですから」


「反面、人に対して酷く怯えてる所も見られますが」


「……そうですね。幼少期に色々ありましたので」


「幼少期?」


「左様」


 エリザベートは訝しげにジェフを見ていたが、すぐに「そうですか」とやわらかく微笑んだ。


「失礼致します」


 侍女の声がすると、マーティンが部屋に入ってきた。


「ジェフ! 来てくれたのか」


「勿論にございます。さぁ坊ちゃま帰りましょう」


「でも………」


 渋るマーティンにエリザベートは柔らかく微笑むと少しだけ頭を下げた。


「マーティン、この度は姉を庇い、守って頂きありがとうございました。姉に代わり、お礼申し上げます」


「いや、そ、そんな……」


「心配して頂くそのお気持ちも分かりますが、あなたも沢山怪我をしているように、お姉様も今は治療中です。すぐ会うことは出来ません。それに、今後、数日の間は屋敷を出る事もないでしょう。ご安心ください。

それでも心配なら後日、屋敷にお越しください、歓迎いたしますよ」


 マーティンはエリザベートと目が合った瞬間凍りついていた。

 自分の本能が全身で危険だと言っているかのように、生毛が逆立ち鳥肌が立っている。その綺麗な目から恐ろしい程の狂気を感じ、恐怖が襲ってきていた。


「そ、そうかい。なら、僕は帰るよ……ジェフ、帰ろう」


 マーティーンは静かに言うと、速やかに部屋を後にした。


 あまりの切り替えの速さに、きょとんとしていたジェフは頭を下げると、「では、失礼します」と慌ててマーティンを追って出て行った。


「お嬢様、よろしいのですか、マーティン様に聞きたいことがあったのでは?」


「もういいの。大体分かったわ」


「そうですか」


「それよりマリア。残った使用人達をまた大階段……いいえ、馬小屋に集めといて欲しいの。私はキッチンに行ってから向かいますから。マリアもそのつもりで」


「畏まりました」


 ステインの屋敷は驚くほど、静かになっていた。三百人以上いた使用人が残ったのは、たったの二十五人だった。皆、元々辞める準備をしていたかのように荷物は少なく、お金だけ受け取るとそのまま出て行く者が多かった。


 屋敷に残った、二十五人の使用人は、庭園前の馬小屋に集められ、エリザベートが来るのを待っていた。

エリザベートは馬小屋に入ると、使用人達を見渡し、柔らかに微笑んだ。


「皆さん、よく残られました。あなた達はステイン家に命を捧げる覚悟のある方、そう思ってよろしいですね」


 エリザベートの言葉に皆が頷く。


「そう、それは嬉しいわ……」


 使用人十二人、侍女九人、執事四人、エリザベートは、ゆっくりと歩きながら、彼ら一人一人をじっくりと見て歩いた。残っていた者たちはエリザベートが幼少期から使えていた者たちが大半で知った顔が多い。

 ふと足を止めたエリザベートは、一人の使用人の前に立つと、クンクンと匂いを嗅いだ。



「あなた、屋敷ではどのような仕事を?」


「庭師をしています」


「そう。それは大変な仕事ですね」


「うちの庭ではマリーの花を育てているのかしら? 貴方からマリーの香りがするわ」


「いえ、今はまだ、ただ種を調達して来たので」


「へぇ、そう。種をね」


 エリザベートはその男の背後に回ると、すっと彼の手首を掴んだ。


「あ、あの」


「いいのよ、じっとしていて。リラックスして、目を閉じるの」


 エリザベートは男の手首を握り、スルリと親指へと指を絡めると、ゆっくりとマッサージをする様に揉んでいく。


その時だった。


エリザベートは隠し持った包丁を取り出すと。その男の首を思い切り掻っ切った。


「きゃぁーーーーーーーっつ!!」


 侍女の悲鳴と一緒に、男の赤い血が一面に飛び散る。


 使用人達は顔色を亡くしそれを見ていた。今まさに人一人が首を切られ、息絶えようとしている光景を立ち尽くして見ている。


 エリザベートは彼らを見つめながら、不気味に微笑んだ。


「やっぱり、コレは何度見ても素敵よね。ふふっ。あなた達もそう驚くことはないでしょう? だって私に命を捧げて、仕えると此処に残ったのだから。ねぇ?」


 返り血をあびながら恍惚とした表情をするエリザベートの姿は恐ろしく、それでも尚、異様な美しさを放っていた。

 

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