No.50 ショゼフィーヌ回想録一


 あれは、私が16歳の頃ね。馬に乗るのが得意で、とてもおてんばな少女だったの。ふふっ、想像つかない? 

 でもね、私は、本当におてんばで、そして無知だったのよ……。



 ーーーーその日は、朝から慌ただしかった。私の兄であるデンゼンが、珍しく私の部屋を訪れ、腕を組んで立っている。


「おい、ジョゼ。ナタリーの調子がよくないぞ」


「ちょっとデーズ、ノックぐらいしてよ。本当デリカシーがないわね」


「ん? あぁ、すまん。だが一大事だ。俺の愛馬、ナタリーの機嫌がどうも悪い。こんな大事な日なのに……なぁ、お前が見てやれば落ち着くかもしれん。ちょっと見てやってくれないか?」


「あら、ナタリーが? 珍しいわね。分かったわ、すぐ行くから。でも、とりあえず私の部屋から出て行ってよ」


「分かった、分かった。あぁ、それと、いい加減俺をデーズと呼ぶのはよせ」


「そんなの、仕方ないじゃない。パパがお決めになった呼び名ですもの。デーズはデーズ。でしょ?」


「父は何でデーズなんて、呼び名……」


「女みたいで嫌だと言うのでしょ? それはデーズが赤ん坊の頃女の子のように可愛かったのがいけないんです。全てはデーズがいけないんですよ。さぁっ、早く私の部屋から出て行って」


 私はデーズの背を押しながら無理矢理部屋から追い出し、深いため息を一つ吐いた。相変わらず、デリカシーのカケラも無い兄に苛立ちを覚えたが、とりあえず、デーズの愛馬、ナタリーが心配だ。エプロンを付けて馬小屋へ行く準備を手早く済ませる。



 三日前から、ステイン領であるヨーワンに若きコルフェ王が訪れていた。今日はヨーワンにあるヴェスコの森でコルフェ王とデーズが馬に乗り、狩りに出かける予定なのだ。

 それなのに、乗って行く予定だった馬のナタリーが不調。兄にとっては一大事だろう。


 乗馬も勿論だが、馬の世話が得意な私に、デーズが頼りたくなる気持ちも分かる。それでも私の苛立つこの気持ちは別物だ。


 全く、困った時だけ兄のように接して。男って本当に都合が良いのだから、やんなっちゃう。私はそう思いながら、馬小屋へと向かった。


 柵の手前で、イデア・ブーン・バートが立っている。イデアはヨーワンに遊びに来ていた貴族院でのお友達だった。私に気が付くと、優しい笑みを浮かべ、お淑やかにお辞儀をしてくれた。私もそれに笑顔で応えると、歩く歩幅を早める。


 イデアは元々エスターダ国出身の貴族ではない娘だった。隣国であるデールの国(デールズローン国)から少し離れた、アーリン国(アリアーン国)出身の下級貴族の家の娘だ。家の都合でこのエスターダ国の貴族院に通うことになり、私は彼女がアーリン国出身だと言うだけで、興味本位で近づいたのが始まりだった。



「おはようございます。ジョゼフィーヌ嬢」


「あら、イデアおはよう。今日も素敵ね。でもイデア、いつになったら私をジョゼって呼んでくれるの? お友達なのに他人行儀なんて私、嫌よ」


「ごめんなさい。でも、恐れ多くて……」


「友達を恐れてどうするの? これじゃ貴族院の子達と変わりないじゃない。ここなら誰もいないのだし、折角なんだから呼んでみて? ジョゼって、ね?」


「ジョゼ……」


「そう、それでいいの。せっかくヨーワンに遊びに来てくれたのだから。ちゃんとお友達として接して欲しいわ」


「はい……でも」


「ああ、デーズね」


「あの、先程凄い慌てていましたが、大丈夫でしたか?」


「本当にごめんね。急にコルフェ陛下が来られて、ゆっくりヨーワンを紹介しようと思っていたけれど、もう屋敷がごった返しちゃってるのよ」


「馬が大変なのだとか?」


「そうなの、ナタリーの調子が良くないみたいで、ちょっと待っててね。私、様子を見てくるわ」


 私はイデアにそう告げながら、馬小屋に入ると、ナタリーの居る囲いを覗いた。


 ナタリーは背を向け跪いて寝ている。


 そっとナタリーに声をかけて、ゆっくり囲いの中に入った。優しく撫でながらナタリーの体を丁寧に見ていく。見たところ何も変わりはない。風邪でも引いているのだろうか。


 念のため私はそのままナタリーを立たせた。


「ごめんねナタリー、ちょっと辛いと思うけど我慢してね」


 耳を揺らすナタリーに「ありがとう」と声をかけてから足元をチェックしていくと、後ろ足に傷があり、腫れているように見えた。


「あら、これは大変」


「どうなさったんですか?」


 私の言葉にイデアが囲いの外から様子を伺いながら聞いてきくる。


「ナタリーが怪我をしているの。馬番の方は気づかなかったのかしら」


「治りそうですか?」


「さぁ、傷口が腫れているから分からないわ。今日の狩猟は無理なことは分かるけど」


「それは大変ですね。どう致しましょう」


「知らないわ、デーズの馬だもの。他の馬を使うでしょ。それにしても、いつ傷を負ったのかしら」


 私はナタリーを寝かせた後、馬小屋を後にした。


「ジョゼフィーヌ嬢、どちらに?」


その声に振り返ると、後ろからついてくるイデアが心配そうな顔で首を傾げていた。


「馬番にナタリーのことを伝えるの。それと、デーズの馬を探さなきゃ」


 私は馬番を探し、ナタリーの事、そしてデーズに代わりの馬を探すように伝え、私とイデアはそのままイデアが宿泊しているステインの屋敷の別宅で朝食を取った。


朝食を取っていると、デーズが不機嫌に私とイデアの前にノシノシと現われた。


「ジョゼ、俺の乗る馬がないじゃないか、どうしてくれる」


「どうしてくれるって、私にどうしろと?」


「俺はコルフェより早い馬じゃなきゃ嫌なんだ。ナタリーは俺を乗せてもコルフェの乗る馬よりも早い。でも他の馬は駄目だ。これではコルフェに負かされる」


「負かされればいいじゃないですか。陛下に花を持たせて差し上げてはいかがです?」


「いいや、忠義は示すが、これは別だ。これでは王の家臣として役立たずに見えてしまう。俺は王より優れていなければならん」


「くだらないプライドばかり強くては、嫉妬を買いますよ?」


「嫉妬? 誰に」


「そりゃ他の家来の皆さんに、そして勿論陛下からもです」


「ハッ! くだらんな。嫉妬結構!! ステイン家は嫉妬されてなんぼの家だ。陛下は俺の親友。陛下が嫉妬するなら、嫉妬の対象それら全部がお前の物だと言ってやるさ」


「まぁ、本当豪胆ね」


「ジョゼ、お前も豪胆になれ。お前にはステインの気質が足りん」


「そんなのどうでもいいわ。だって私は私ですもの」


「ふん、意地っ張りめ。まぁいい、今はそんな話をしている場合ではないんだ」


「そうですか。なら文句が済んだようなので、早く陛下の元へ向かって下さいな」


「いいや、俺は行かん。ジョゼ、お前が行くんだ」


「え? 私? 何故」


「だってそうだろ? 俺は馬が無い。ならばコルフェ陛下との狩りに、俺は行けないだろう? だから俺の代役で妹であるお前が陛下の狩りに付き添うのだ。ヴェスコの森もお前なら陛下に案内ができるだろ?」


「嫌です」


「ダメだ。どんなに嫌がってもこればかりは従ってもらうぞ。これはステインの主としての命令だ」


「そんな……私にはお客様がいるのですよ」


 デーズは私の隣に座っているイデアを見て、ニッコリと笑った。


「ふむ。美しい娘だな。名は?」


「イデア・ブーン・バードと申します」


「そうか。イデア嬢には申し訳ないが、ジョゼを陛下の側にやらないといけない。あぁそうだ、イデア嬢も一緒に狩りに行っては?」


「え……私が?」


「ジョゼの性格は明るいのだが、妙なところで人見知りをするタイプでな。いまだ陛下の前ではろくに会話も出来なくなってしまう。陛下の家臣にも会話を振られると顔を引き攣らせるありさま、全くステインの女とは思えん」


「デーズ、酷いです! 私はそこまで……」


「いいや! 俺から見たらジョゼはステインの女として気質が足りん。もう一度言う。もっと豪胆になれ。そして、人見知りなどいい加減克服しろ。と、そう言うわけだ。イデア嬢、ジョゼの為、付き添ってはくれないか?」


「あ、あの、付き添うだけなら……」


「イデア、そんな……いいの?」


「狩りには何度か行った経験もありますし。ジョゼの為になるのならば、私は付き添いますよ」


「よーし。よく言った。ジョゼ、良い友人を持ったな。では、すぐにそう手配しよう」


 デーズはそう言って、私達を見つめながら首を傾げる。


「おい。何してる?」


「何って?」


「いや、陛下と狩りに行くんだぞ? 何のんきに朝食を取っているんだ。さっさと、狩りに行く支度をしろ!」


 パンパンと両手を鳴らしたデーズは「さぁ急げ!」そう言って私達を急かした。


 面倒な兄に反抗したい気持ちをグッと抑えながら、朝食を切り上げると急いで、支度を始める。


 デーズの代わりに私とイデアが行く事になり、瞬く間に、周りが忙しく支度を始め、気づけば私はヨーワンの屋敷の前で馬に跨っていた。


「朝からステイン家は大変だと聞いていたが、約束の時刻には丁度だ」


 白馬に乗る男性は赤いマントをゆったりと揺らしながら私の隣へとやって来た。


「ジョゼフィーヌ、久しいな」


 随分と久しぶりに見るコルフェ王だ。


 コルフェ陛下とは幼少の時から知った中だが、少し気取ったような所がある人だった。まぁ王様になる為の教育でもあるのだろうとは思うけれど。

 子供の頃はデーズと同じで、良く遊んでくれた良いお兄ちゃんではあったが、王故か今では頑固で癇癪持ちが目立つようになり、どうにも苦手意識が拭えなくなっていた。


 私は笑顔が引き攣らないよう気をつけながら微笑む。


「陛下ごきげんよう」


「デンゼンの奴、今日は急に体調を崩したのだとか? 代理がジョゼフィーヌか」


「申し訳ありません、陛下。身勝手な兄をお許しください」


「いや、構わん。両手に花を添えながらの狩りもなかなか無いからな。でだ、ジョゼフィーヌ。其方の隣のご婦人のお名前は?」


「はい。貴族院での私の学友、イデア・ブーン・バート嬢です」


「陛下、馬上から申し訳ありません。イデアと申します」


「ふむ。イデアか、本日は狩場に行くのだ。そう畏まらなくて良い。それより、ご婦人達は弓は使えるのか?」


「陛下、私を侮られては困ります。これでも弓は得意ですよ。ラーバル弓の名手だと、パパが褒めて下さった事があります」


「はっはっはっは。そうか、そうか。確かにラーバル弓ならご婦人でも扱えるな。乗馬に使う弓であれば最適だ」


「ええ」


「イデア嬢もラーバル弓を?」


「っはい。でも本日、私は付き添いですし、あまり弓は得意な方では……」


「ふむ。イデア嬢はジョゼフィーヌより女性らしいな」


「まぁ、陛下」


「あぁ、すまん、すまん。では参ろうか」


 コルフェ王はそう言って手綱を引きながら、ゆっくりと馬を走らせた。後を追うように、私とイデアも手綱を握る。

 


 私とイデア、コルフェ陛下、そして護衛の騎士五人はヨーワンのヴェスコの森へと向かって出発した。

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