No.51 ジョゼフィーヌ回想録二
森に入って、すぐ狩を始めようとする陛下に私は遮るように馬をつけた。
「少々お待ち下さい陛下。ヨーワンのヴェスコの森には恐ろしいチットベアーがいます。もし狩りに集中している際、チットに襲われたらひとたまりもありません」
「チットベアー?」
「熊です。と言っても、とても大きな獣で爪も牙も大きいのです。去年には村の人も一人食べられてしまったと聞きました」
「ほぅ、そうか。だが、騎士も五人いるし、俺もほれ、強力な弓も、武器も持っている。そう恐れる必要はないだろう。何なら狩ってみたいがな」
「いけません陛下、チットベアーは危険な猛獣、狩りには不向きです。いくら陛下がお強くても怪我をされる恐れがあります。万が一にでも陛下に何かあってはいけません」
「ははははっ! あいも変わらずジョゼフィーヌは幼い頃から心配性だな」
「兄に同じ事を言われます。でも殿方だってすぐに無茶をなさるじゃありませんか。心配性くらいで丁度良いのですよ。
念のため、チットベアー用の撒き餌を持参しましたので、狩場から少し離れた場所に撒いて頂きたいのです。護衛の方に頼んでも構いませんか?」
私は言いながら、自身の腰にぶら下がるバッグから餌を取り出して陛下に見せた。
「これは?」
「チットベアーの好物の腐りかけの肉です。肉を細切りにし、毒をまぶしてあります。この毒は猛毒ですが、匂いはさほどありません。腐りかけの肉の匂いに釣られ、チットはこの肉もろとも毒を食います。私達に遭遇する前に毒で死ぬでしょう」
「獰猛な熊を毒で? 猛毒なんだな」
「ええ」
私は返事をしながら取り出した拳ほどの大きさのこま肉を護衛の騎士に渡した。
「素手で触っても大丈夫なのか?」
「大丈夫です。口に入れなければ問題ありません」
「そうか、その毒は何の毒なんだ?」
「ステイン領のカウイーンの森で取れるウールの葉です。この葉の成分が猛毒で、絞った汁を使っています」
「なるほど、猛獣を殺せるほどの毒か。分かった。
おい、お前達。これを散開し、撒いておけ」
陛下は護衛の騎士達に毒の肉を渡すと、騎士達はすぐにそれらをばら撒き始めた。
コルフェ陛下は背中に担いでいた、長い弓を持ち準備を始め、毒肉を撒き終わる頃には準備万端だった。
「さて、では狩りを始めるとするか。だが、ただ狩りをするのもつまらぬな。ジョゼフィーヌとイデアの持っているラーバル弓と俺の長弓で狩りの勝負をするのはどうだ? まぁラーバル弓のような小さく貧弱な弓では俺には敵わないだろうから、二人で協力すると良い」
「勝負、ですか?」
私とイデアは同時に顔を見合わせた。
イデアはほんの少し困惑している表情をしていたが、その手にはちゃっかりラーバル弓が握られている。
「分かりました。いいですよ。やりましょう。女でも殿方と同じように活躍出来る所をお見せ致します」
「ほう、それは是非見たいものだ。では狩る獣の数で勝負をしよう。大きさや獣の種類は不問にする。良いな」
「ええ、それで」
「よし。ならば、お前と、お前、令嬢方の護衛を。後は俺に付け」
陛下はそれだけ言うと、すぐに馬で駆けて行った。
「ジョゼ、大丈夫でしょうか?」
「何が?」
「狩りです。私達だけで陛下に勝負だなんて」
「イデア、そう気負わなくても大丈夫よ。ここはヨーワン。ステイン領だもの。私にとっては庭みたいなものだわ。ちゃんと狩りの穴場も知っているのよ? さっ、私達も行きましょうか」
馬を走らせ、数時間が過ぎた辺りで、遠くから陛下の声が聞こえた。
「おーい、そろそろ休憩を取らないか」
「はーい!」
私は返事をしてから、少し離れた場所で、弓を構えるイデアに声をかけた。
「イデア行きましょ」
私の声が届かなかったのか、鳥を狙っていたイデアは集中した様子で弓を引いていた。
ーーーーバン!!
イデアの放った矢は木に止まっていた緑の鳥に当る。
「あら、当たりました」
「本当、当たったわね」
イデアが仕留めた鳥の元へ行くと、落ちた鳥はちょっと珍しいワークスという名の鳥だった。
「イデア、凄いわ。この鳥、結構珍しいのよ」
「そうなのですか? 私ったら、ただ夢中で」
「ふふふ、このワークスを見たら、陛下もきっと驚くわ」
「驚きますか?」
「驚くわね。さぁっ陛下がお呼びよ。驚かせに行きましょう」
護衛の騎士を付けた私とイデアは森の入り口へと向った。
陛下の元へとたどり着くと、いかにも苛立っている様子で待っているのが見え、失敗したとすぐに思った。
「遅い」
「申し訳ありません。イデアが珍しい鳥を捕まえたので」
「ふん、そんな鳥、どうという事はない。俺を待たせたことの方が問題だ」
「夢中になってしまい、申し訳ありませんでした」
「以後、気をつけろ」
「はい」
男性の一番嫌いで苦手なところだ。気を緩めると、すぐに横柄になる。特に権力を持った人ほど態度があからさまだ。
機嫌を損ねた陛下はそのまま、昼食を取っていた。
私とイデアはピリピリした空気を纏う陛下から少し距離を取りながら食事をしている。
「ジョゼフィーヌ様、申し訳ありません」
私の近くにいた護衛の騎士がそっと小声で呟き、私は首を傾げながら同じように小声で返事をした。
「何がです?」
「陛下です。最近機嫌が悪く、周囲も困っておりまして。今回、ヨーワンに来たのも、陛下の優れないご機嫌を少しでも直せたらという計らいでした」
「何故、そんなにご機嫌が?」
「クリスティーナ王妃が原因かと。このところ王妃の体調が優れず、今では会うことも許されないご様子。心配からか次第に陛下が不機嫌に……最近では些細な事でも癇癪を起こされるようになり、正直どうしたものかと」
「そうなの……。」
「流行病にかかられてから、ここずっと体調がすぐれないのです。」
「そう、それは大変ね」
「ですから、ジョゼフィーヌ様。陛下が癇癪を起こしても、あまり気にされなくて大丈夫ですよ」
「ええ、分かったわ。教えてくれてありがとう」
護衛についていた騎士と話していると、突然、見張りについていた騎士が慌てた様子で陛下の元へ駆けてきた。
「陛下! お逃げください!」
「何だ騒々しい」
「大きな獣が! 猛獣が!」
「猛獣だと? 下らん、お前達、我らは狩に来ているのだぞ? 向かってくるならば、ここで叩き斬ってやる。お前達も騎士ならば武功をあげよ」
陛下は腰に挿していたサーベルに手をかけ、猛獣がいると思われる方へと歩み寄ろうとしていた。
私はその様子を見てとっさに駆け出し、コルフェ陛下の前に飛び出す。
「いけません! 陛下! ここはお逃げください!」
「馬鹿者! 男の戦いに女が出しゃばるな!」
怒鳴る声に一瞬足元がすくむ。それでも私は怯む事なく陛下を見据えて、強く言い返した。陛下の態度に苛立ちもあったせいか、好戦的な感覚になる。
「いいえ、出しゃばります。ここはヨーワン。ステイン領の領地です。いくら陛下でも領地の者に従って頂きます」
「何だと!? 俺は王だぞ!」
「私はステイン家の令嬢です! 陛下に万が一の事があれば、皆が傷つき、心を痛めます。ですから、陛下、ここはお下がりください」
コルフェ陛下が抜きかけていたサーベルの柄を私は上から両手で押さえつけた。
「でかい熊が来たぞっ!」
背後から聞こえてくる騎士の声に私は振り向くと、大きなチットベアーが威嚇するように立ち上がり、私達に向って吠えた。
陛下を囲うように騎士が集まる。
「陛下どうかお下がりください。ここは我らがっ! ジョゼフィーヌ様も陛下とご一緒に安全な所へ」
騎士の一人が言い、私はその言葉に頷くと、陛下をじっと見つめた。
コルフェ陛下の顔は不本意そうに眉を寄せていたが、剣を鞘に収めると、イデアがいる後方へと下がる。
私も、陛下と一緒にチットベアを刺激しないよう、ゆっくり下がっていった。よく見るとそのチットの口元から緑色の液体が垂れているように見える。
「陛下もう少しお下がり下さい」
私は後退していた足を止め、ゆっくりと騎士達に向って歩いた。
「ジョゼフィーヌ様? ここは危険ですので、お下がり下さい。いつ襲ってくるか分かりません」
「大丈夫よ。貴方達もゆっくり下がって」
「え?」
「口元を見て」
騎士がチットの口元へと視線をやる。
「あれは撒いた毒を食べたのよ。だからすぐに、あのチットは意識を失うわ。きっと毒の苦しみで苛立っているのね。今戦えば、こちらも怪我をするだけよ。さっ、ゆっくり下がって。暫くすればこのチットは死ぬわ。それを待ちましょう」
騎士達はゆっくりとチットベアーから離れ、遠ざかって行く。
チットは変わらず威嚇しながら吼えていたが、次第にその吼え方も苦しみが混じるようになってきた。それを見ていた騎士達はそのままゆっくりと下がり、チットが死ぬのをじっと待っていた。
「何があった?」
様子を見ていたコルフェ陛下が私の隣へと来て静かな声で聞いてくる。
「このチットは撒いていた毒を食べていたようですね。随分と体が大きいので毒が回るのが少し遅れていたのでしょうが、ようやく毒が回り始めたようです」
陛下は一言「そうか……」と呟くと、それ以降無言のまま、死にゆくチットベアーを、ただ見つめていた。
その後、結局狩りは再開する事なく帰ることになった。陛下の気分が乗らないらしい。それでも収穫は大きかった。チットベアーを持ち帰ることが出来るのだ。チットベアーの毛皮は貴重だから、きっと陛下もその毛皮は気に入るだろう。少しでも機嫌が良くなるといい。そう思っていた。
狩りの帰り道、ずっと無言で馬に揺られるコルフェ陛下が私の横に来て、気まずそうに声をかけてきた。
「さっきはすまなかった。俺の浅はかさから騎士達を危険な目に合わせるところだった。そして、俺自身も……礼を言う」
「いえ、ヨーワンの領主者として当然のことをしたまでです」
「お前は俺を恐れず、俺に助言をくれる。さすが、あの兄を持つ妹だ」
「いえ、そんな。私は恐れていますよ。今も怖いです」
「はっはっはっ。そうか? そうは見えないが……冷静沈着、流石ステインの女だ」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
「それでだな。その、ジョゼにちょっと相談なんだが、王宮に来ては貰えないだろうか?」
突然のことに、私は困惑し言葉を返すことすら忘れていた。
陛下はそんな様子の私を見て困ったように笑う。
「いや、妃のことなんだ。私の妃、クリスティーナと我が息子であるデンの為に、来てくれないだろうか」
「私が、ですか?」
「ああ、俺に指図できる女はクリスティーナしかいなかった。他の者は俺の顔色を伺うばかりだ。だが今、その妃の体調が優れず、男である私は会うこともままならない。妃のことで何が正しいのか、何が悪いのかもサッパリ分からない。それにデンも寂しがっている。
ジョゼ、お前は先程私を恐れず、言葉にしたな? 俺は今、ハッキリ言ってくれる奴を求めている。
ジョゼならば、クリスティーナも何かと話しやすいだろうしな。身勝手は承知だが、少しの間王宮に来てはくれないか?」
私が困惑していると、後から、イデアが声を掛けてきてくれた。
「ジョゼ、馬のペースが落ちてますが大丈夫ですか?」
「イデア……」
私がイデアの顔を見た時、陛下が思いついたかのようにイデアに声をかけた。
「そうだ。イデア、お主も王宮に来ないか? ジョゼも一人では心細いだろう。友がいれば心強いはず。ジョゼフィーヌの付き添いとして、頼めないだろうか」
「王宮、ですか?」
イデアも陛下の突然の申し出に困惑しながら私の顔色を伺う。
どうしたら良いのか分からなかった私は、結局「少し考えさせて下さい」と陛下に答えるのが精一杯だった。
ヨーワンの屋敷に帰り、兄のデーズにコルフェ陛下の話をすると、物凄い剣幕で私を怒鳴りつけ、その日の夜には兄の判断で私とイデアは王宮に行くことが決定していた。
あれよあれよと言う間に準備は整えられ、一週間も経たないうちに王宮に住む日が来た。
でもこれが、私の人生に影を落とした、最大の転落の始まりだった。
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