No.69 久しぶりの再会
アシュトンの家の中はおしゃれな内装だった。ステインの屋敷はギラギラの派手で落ち着きがなかったから、落ち着いたおしゃれな家はとても好感が持てる。
「エリッサ様、ローブを」
「あっ、はい」
私は慣れた右手で器用にローブを脱ぐと、そのままアシュトンに手渡す。
扉の横にあるフックにローブをかけて振り返ったアシュトンは、私の姿を見て驚いた表情で固まっていた。
「エリッサ様……あの、その手は?」
「あぁ、コレ? まぁちょっと色々ありまして……。大した事はないと思うけど」
きっとアシュトンは、私の左手が包帯でぐるぐる巻になっているのを見て驚いているのだろう。
「何があったのですか? 誰かに襲われたのですか?」
「いや、それは……その……」
怪我の原因は、あまり詳しくは言えない。だって自傷行為だもん。何て言うの? 別の人格に手を痛めつけられた? いや、無理。絶対言えない。どう考えても頭おかしい子って思われる。
でも、何かしら理由を言わないと。
アシュトンが、めっちゃ心配そうな顔でこっち見てるし。
「ちょっと、ドジをしてしまって、転んだの。ほんと大したことじゃないの」
「でも、こんなお姿で……ここまでお一人で? さぞ、大変だったのでしょう」
まぁ、大変かと問われれば大変だったけど。死線は潜り抜けたし、姉であるカトリーヌも大変な目にあってる。でもこうして振り返ると、落ち込んだとしても私の立ち直りは早かった。人の死を前にしても不思議と恐怖心を抱く事もない。やっぱり私、ジャンヌダル……駄目駄目、何を考えているんだ私は。
私はアシュトンに向けてゆっくり首を振って見せた。
「そう心配しないで、私は大丈夫です。それよりもアシュトンを巻き込んでしまう事の方が心配で……」
「え……? いえ、僕は……」
ん?
どうしたんだろうアシュトン。
もしかして私の事で何かあった?
アシュトンの顔は、私の言葉で困惑しているように見えた。その姿を見ていて既視感のようなものを覚え、私は確信する。ああ、そうか、私じゃない、やっぱりエリザベートと何かあったんだと。でも、いったい何だろう。詮索しない方が良いのだろうか。
だけど、エリザベートは私でもあるわけだし。
んー。
「アシュトン、そろそろ私に説明をしてくれないかしら?」
私が考えていると、アシュトンの後ろにいた中年の女性が、困ったように問いかけた。
「母さん……ごめん。そうだね。紹介するよ」
アシュトンはそう言って、まず私にその女性を紹介するように手のひらを向ける。私は少し姿勢を正しながら向き直った。
「エリッサ様、こちら、僕の母です」
「母のジェニファーです」
「母さん、こちら、エリザベート・メイ・ステイン様です」
「っえ……? ステイン……?」
ジェニファーはアシュトンの紹介に言葉を失いながら、私を見つめている。
ですよねぇ。だってお尋ね者ですから……。
私はもう一度、誠意が見えるようにしっかりと頭を下げた。こういう時こそ礼儀が大事だろう。
「初めまして。息子さんを巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません。もし、出て行けとおっしゃるのであれば、直ぐに出て行きますので」
「いや、あの、そんな……」
まだ明らかに状況を整理出来ていないジェニファーに、アシュトンは私を庇うように立った。その姿からは強い意志を感じ取れるような気さえする。
「母さん、もしかしたら、このことで咎を受ける可能性がある。でも、僕はエリッサ様を見捨てるわけにはいかない」
「でも、アシュトン今は……」
「母さん、悪いけど僕は決めたんだ」
いや、これ完全にアシュトンを巻き込んでしまってる。ダメだ。だってこのままだとアシュトンもこの家も危険に晒してしまう。
「アシュトン……私、やっぱり」
「エリッサ様、僕に言いましたよね……? だから僕は覚悟を決めたんです。もう今更引き返せませんよ。最後まで側に居させてください」
今更引き返せない? 最後まで?
あぁぁっ! もうっ! エリザベートめ。完全にアシュトンを巻き込んでるじゃないか。何してくれてんのよ。
ジェニファーが、小さなため息を吐くと、困ったように笑った。
「そう。アシュトン、貴方そこまで言うなんて初めてね。分かった。良いわ」
「母さんごめん。巻き込んじゃって……」
「いいのよ。貴方が決めた道ですもの。見守るのは親の務めでもあるわ。何かあったら貴方を守るのは私。頼りなさい」
「母さん……ありがとう」
な、何て良いお母さんなんだ。そしてなんていい青年なんだアシュトン。こんな善良な人を巻き込んでいたなんて、許すまじエリザベート。……って、ここに来ている時点で私も同罪か。私が出来る事は、何かあった時、彼らに危害が加わらないようにすることだけだ。もしもの時には彼らとは無関係なようにしなくては。
「とりあえず、こんな所で立ち話も何ですから。アシュトン、エリザベート様を中へ案内なさい」
ジェニファーにそう言われたアシュトンは「エリッサ様こちらです」と私を奥へと案内してくれた。
ソファの端に鞘を立てかけて座ると、ジェニファーが暖かい紅茶を入れてくれる。
アシュトンとジェニファーが腰を下ろすのを見計らって、私は二人に向かってもう一度、頭を深く下げた。
「本当に、危険なことに巻き込んでしまい、すいません。もしもの時は、すぐに私を兵に差し出して下さい。エリザベートを見つけたと告発して下さって構いません」
「エリッサ様、でも、それは……」
戸惑うようなアシュトンの顔を見ながら私はゆっくりと首を振る。
「アシュトン。今私が頼れるのは貴方だけです。ですが万が一のことがあった時は迷わず逃げて下さい。これは貴方一人だけの問題じゃないんです。大事な家族を巻き込んで罰を受けてしまうような事は絶対避けなくては。だから、もしもの事があったら、迷わず私を切り捨てて、お願い」
「エリッサ様……」
「顔を上げて下さい、エリザベート様。息子が何故貴女様に手を差し伸べるのか、よく分かりました。貴女様は他の貴族とは違い、平民の私達に気を使い、頭まで下げられる。私達はそんな貴族を見たことがありません。不思議ですね。何だか、私もエリザベート様に協力したいと思えてきました」
そんな優しい声に、私は思わず顔を上げ、ジェニファーを見つめる。
「いえ、私は、そんな……たいそうな貴族ではありません。ただ、自分に降りかかった火の粉を払いたいだけの身勝手な貴族です。ですから、もしもの時は」
「だからエリッサ様、それはっ!」
「落ち着きなさいアシュトン。エリザベート様のお心を無碍には出来ませんよ。エリザベート様のお気持ちも察しておやりなさい」
「でも……」そう言ったアシュトンは暫く黙ると、小さな声で「分かりました」と呟いた。
「ありがとう、アシュトン。私の我ままだと思って。もしもの時は、自分と家族を優先に守ってね」
「はい……」
アシュトンは、頷きはしたけれど、少し落ち込んだような表情で俯いた。私はどうにも、この重たい空気を変えたくて、笑顔を作る。
「そう言えば、デジールは元気かしら? ずっと心配だったの。デジールに会いたいわ」
私の気持ちを察してくれたのか、アシュトンは顔を上げて、優しく笑った。
「デジール、ですか? ええ、元気にしてます。今呼んで来ましょうか?」
「いや、今日は……」
「あぁ、そうだ。一緒にマーティンさんも呼んできますよ。エリッサ様の指示通り、マーティンさんとも連絡を取れるようにしてあるので」
「そ、そう」
アシュトンからの手紙にもマーティンについて書かれていたけど、何でマーティン?
マーティンってカトリーヌにぞっこんだった、ちょっとストーカーっぽい人だよね。私の事を最初から怖いとか言ってビクビクしてた失礼な奴だったけど、学院でカトリーヌを庇ってた時はちょっと男らしかった。
エリザベートはアシュトンだけじゃなくてマーティンも巻き込んでいたの?
いったい何の為に?
「ちょっと待っていてください。皆んな呼んできます」
急に立ち上がったアシュトンはすでに行く気満々だ。
「でも、アシュトン、今日はもう遅いから……」
「いえ、夜の方がエリッサ様も動きやすいでしょうし、デジールもマーティンさんも会えるなら、すぐにエリッサ様にお会いしたいと思ってますよ。ですからエリッサ様、少しだけお待ち下さい」
そう言い残して、アシュトンは家を飛び出して行ってしまった。横からクスクスとジェニファーの笑い声が聞こえる。
「あんなに落ち着きがない息子を初めて見ました。エリザベート様のこと心酔しているのね。どうかアシュトンのこと、よろしくお願いします」
「そんな、こちらこそ。私こそ、アシュトンにはいつも助けられていますから」
私は複雑な気持ちを抱えながら答える。巻き込みたくないのに、それでもアシュトンに頼るしかない。こんなに良い人達を危険に晒してしまうかもしれない事への罪悪感が押し寄せた。
ジェニファーの入れてくれた紅茶を飲みながら待っていると、暫くして家の扉の向こう側から賑やかな声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声に高揚感を覚えながら立ち上がると、タイミング良くガチャリと扉が開かれた。
アシュトンの後からデジールの姿が見えてくる。
「エリッサ様!」
そう呼ばれる事すら既に懐かしささえ感じ、同時に嬉しさが込み上げる。
あぁ、デジールだ。私の友達のデジールだ。元気そうで良かった。
私の元へと駆け寄ったデジールは、私の姿を見て立ち止まり、顔色を変え固まっていた。
「エリッサ様、そのお姿は……」
恐らく、身を隠す為に変装も兼ねた、薄汚れた格好と、私の左手に驚いたのだろう。
みるみるうちにデジールの大きな瞳が揺れ始め、ぐしゃりと顔を歪ませながら泣き始めてしまった。
『泣かないで、こんなの大した事ないの。大丈夫だから』
待っている間に用意していた言葉は、何故か、自分の口からは発する事は出来ず、代わりにツンとしたものが込み上げてきた。
彼女の、デジールの姿を見た瞬間、堰を切ったように私の目からも涙が溢れる。
「デジールッ!」そう呼びながら、ただ彼女に抱きつく事が精一杯だった。
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