No.68 平民街の友達


 海賊船がガーデンに入港してから船内は静けさに包まれていた。私はこの静けさが不思議と居心地良く感じている。


 普段、船内が賑やかだったせいかも知れないが、この木箱の中で眠ろうと思えば眠れるほど、心の落ち着きが凄い。


 普通に考えれば、この静けさに緊張や、緊迫感を覚えて、吐き気を催したり、手に汗握るような状況のはずなのに、何故か全くそんな感じになれなかった。

 

 狭い所にいるから、逆に落ち着いているのだろうか。

 それとも今まで結構、波瀾万丈、大変な目にあってきたから、こんな状況にも慣れたのか。


 でも、そうか。確かにそうだよね。きっと慣れたんだ私。もう動じない心を身につけてしまったんだ。保育士の精神から進化し、戦う女性、ジャンヌダ……駄目だ。


 そのことは、考えないようにしよう。不吉だ。


 私は木箱の中で何も考えないように、じっと木目を見つめていた。見つめるうちに、だんだんと眠くなってしまう。何度か眠気に逆らおうともしてみたが、睡魔はなかなかに手強い。

 結局、図太い精神を身につけた私は、心地よい眠りへの誘いに逆らう事なくそのまま目を閉じた。




「……オジョウ? オジョウ!」


 私を呼ぶ声で、ぼんやりとしながら目を覚ますと、船員の男は困ったような顔をしながら私を見下ろしていた。


「オジョウ、起こしてしまってすいません。入港の手続きを終え、無事ガーデンに停泊することができました。ですが……」


「何か問題でも?」


「問題というか、ベンケの兄貴が……」


「え? ベンケに何かあったの?」


「いや、説明するより見て頂いた方が早いです。こちらへ、いいですか?」


 私は木箱から出ると、船員の男に促されるまま、ベンケが入っている大きな木箱へと向った。


 そのまま大きな木箱の中を覗き込むとベンケが安らかな顔で目を瞑っている。


「あら、ベンケ居るじゃない。寝ているんでしょ?」


「それが、俺らもそう思ってベンケの兄貴を起こそうとしたんですが……。全く起きないんです。何かベンケの兄貴の顔色も青ざめているように見えますし」


「そう? 私には安らかに眠っているような気がしますけど」


「オジョウ、その言い方だと……死んでるって事ですよ。安らかだなんて」


 あ! 本当だ、死んでる。その言い方だと、ベンケが死んじゃってるよ。


「あはははは、やだ、ベンケったら冗談がすぎるんだから」


 私は笑いながら適当にごまかしながら、ベンケを揺さぶった。


「ベンケ、起きてください。もう隠れなくても大丈夫ですよ。ベンケ」


「ベンケの兄貴起きないでしょう? オジョウの声でも起きないなんて、やっぱり」


「そうね、起きないわね。でも……」


 私はベンケの首筋にそっと手をやり、胸の辺りに耳を当てた。うん。しっかりとした脈と鼓動が聞こえる。死んではないようだ。


「大丈夫。死んではないみたいね。多分気絶してるだけだと思うわ。大変だと思うけど、何人か集めて、この木箱からベンケを出して頂戴。そしてそのまま寝かせてあげて。きっと数時間で目覚めるとは思うけど」


「分かりました。でもベンケの兄貴に何が起きたんですかね」


「えーっと……これはエコノミー症候群? かな、狭いところに居続けると時々気を失う時があるのよ。特に体の大きな方は発祥しやすいとか」


「はぁ、流石オジョウ。何でも知っている。エコノミー? なるほど、そういう現象ですか」


 嘘です。適当に言いました。

 たぶん、普通に閉所恐怖症で気絶しましたね。ベンケくん。


 まぁ、でもそんなこと言ったら彼の威厳が保てないだろうから、エコノミー症候群にしとこう。何となく雰囲気だけど、うん。


 それがいい。


「あの、ちなみに私達何時間くらい木箱に入ってたの?」


「そうですね、一時間半ぐらいですかね」


「ありがとう」


 絶対エコノミー症候群じゃないな。気絶ですね。


 しばらく、このままベンケくんを寝かせてあげよう。今まで、大変だったもんね。ありがとうベンケ。私のために、死んでくれて……いや、死んでないけど。


 私は船長室に戻り、身支度を済ませてから、船員の男達を集めた。


「皆さん、ここまで私を連れて来てくれて、ありがとうございます。私はこのまま一度、ガーデンに入ります。多分二、三日で戻ってくると思いますが、もし、丸々四日帰ってこなかったら、そのままガーデンを出て、ステイン家の領土へと向ってください。私の名で紹介状を書きましたので、それを見せればステインが存続する限り、貴方達はステイン家で働くことが出来ます。もし、ステインが存続できなくなるような状況になれば、このままこの船で逃げてください」


「オジョウ……」


 しんみりとする空気に、私は元気良く胸を張る。


「大丈夫です! 今の話は"もしも"の時のことです。ステイン家がそう簡単に無くなることはありません」


 ……うん、多分。


 なくならないよね?


 大丈夫。だってその為に私は此処に来た。


「皆、悪いけどベンケをお願いね。心配しないでって言っておいて」


 私はそう言って、笑顔で紹介状を船員に渡す。


 「また必ず会いましょうね」


 船員の男達は皆、照れたように、顔を赤らめながら頷いた。



 それから一度、船長室に戻り、身支度を整え、日が暮れた頃を見計らってコッソリと船を後にした。


 ガーデンに入ると、思っていたよりも街が静かだった。夜のせいだろうか。

私はあえて、汚らしいローブを深く被り、暗い夜のガーデンを歩く。


 初めローブで平民街を歩くことで、目立ったりしないだろうかと心配だったけれども、案外、大丈夫そうでホッとした。暗がりだからという可能性も大きいけれど、誰も私に気を止める気配は無い。


 平民街の夜は、貴族街の夜と比べて凄く暗かった。


 ちらほら夜道を歩く人達は、キャンドルを入れた四角いランタンを手に持ちながら歩いている。

目立つ不安から火を持たなかった私は、余計に暗く感じる平民街を目を凝らしながら歩き続けていた。


 平民街は貴族街と違って、レンガのような建物もあれば、バラックのような家もあって統一感がない。それは私のいた世界にあるスラム街のようにも思わせた。ただそれでも、割と綺麗な方ではあるのだろう。乱雑に散らかっている場所もあれば、綺麗な場所もある。

 要するに、まとまりがない、それが平民街のようだ。


 町の整備計画とかないのかな?


 そんな事を考えながら歩いていると、色々な匂いが鼻をかすめていった。それは、料理中であろう食べ物の匂いが主で、所々で色々な匂いが混ざる。それが、私には何故かホッとして懐かしさを感じさせた。


 暗がりの中、目を凝らしながら似ている場所や風景を探しても、やっぱり自分の知らない世界で、ここは異世界で……結局それをずっと実感してきたけれど、私は不思議とこの知らない平民街の街並みと雰囲気が好きだと思えた。


 どこか、少しドキドキするような気持ちで、私は平民街を好奇心のまま突き進む。


 アシュトンのからの手紙には、大まかだけれど、地図が書かれていた。その地図を頼りに、アシュトンの家を探し歩いたが、案外迷うこともなく家を見つけることができた。


 平民街の中で、一際大きな家だから、見て直ぐ分ったのが理由だ。


 なるほど、ここがアシュトンの家ですか。きっと偉いお医者さんのお家なんだろう。


 家の窓からは灯りが見え、私はそのままアシュトンの家の扉をノックした。


「はい。どなたですか?」


 そんな声と一緒に、中年だけれど、綺麗な女性が出ててくる。アシュトンのお母さんだろうか。


「あの、夜分にすいません。アシュトン君はいらっしゃいますか?」


 女性の視線は、私の足の先から頭までゆっくり見ると、何処か不思議そうな目をして首を傾げた。


「ご学友の方ですか?」


 そりゃ、こんな格好で夜分に尋ねるなんて不審者だよね。いや、不審者っていうかお尋ね者なんだけど。普通に考えれば警戒するのは当たり前だ。


 私はその女性に小さめの声で返事をする。


「はい。アシュトン君の学院での友達です」


 まぁ実際私は、アシュトンとの会話は少ししかしていない。しかも学院から逃げる時だけだ。でもアシュトンはあの時助けてくれたし、もう、学友でもいいよね? 大丈夫だよね。


「わかりました。少々お待ちください」


 女性は不審そうな顔をしながら、それでも家に戻って行った。一度閉じられた扉に思わず不安になる。


 大丈夫かな? 無事、アシュトンに会えるだろうか。

 数分後、バダバタとした駆け足の音と共に、ドアが開いた。目の前には、顔色を変えたアシュトンの姿。


「あの、こんばんは、アシュトン。覚えていないかも知れないけど。エリザベートです」


 私はフードを取ってアシュトンに顔を見せた。


「え……エリッサ様…………」


 アシュトンは信じられないものでも見ているかのように、目を見開いて呆然と私を見つめていた。


 えっと、私はどうすれば良いのかな? 海外的な挨拶で、軽く抱擁でもしたほうが良いのかな? 

 いや、待て。そもそも、平民の普通の挨拶、私分からない。

 それに、アシュトンとそんなに仲が良かった覚えもない。そんな覚えはないのに……。

 

 何故か彼の表情は他人を見る目ではないような気がする。


 いや、あの、私はどうすれば?


「アシュトン、あの、手紙のとおり……」


 思わず私が声をかけると、ハッとしたように、アシュトンは周囲を見渡し「エリッサ様、まずは中へ」そう言った。


「あっはい」


 私はアシュトンに促されるまま家の中へと入っていく。


 バタリと閉じられた扉の音と一緒に、庭先に咲く花の香りが、風に乗って優しく香った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る