No.16 空席の子


 教室の扉の前で、私とカトリーヌ、リリーが立っている。リリーの笑顔が、私に向けられていた。


「エリザベート嬢、お話するのは二度目ですね。クラスでは皆さんの目もありましたし、エリザベート嬢に自ら話しかけるなど、恐れ多く思っていました。お話出来て、嬉しく思います」


 小柄で可愛いらしいリリーは、見た目とは違い、話しをするとしっかりとしている印象を受ける。


 どうしよう。リリー嬢と呼んでいいのかな?それとも、さっきカトリーヌが呼んでいたようにリリーさん?

 晩餐会の時は、確か私はリリー嬢って呼んだわ。そしてカミール王子もそうだった。

 でも、ここにはカトリーヌがいる。デンゼンパパはマクニール家を敵視していたし、カトリーヌも、威厳だとか格についてはうるさいもんね。ここは、カトリーヌと同じ呼び方が無難かな。学院だし。


「私も晩餐会でご挨拶をしたリリーさんだとは思っていましたが、お話するタイミングが難しくて。学院生活では、色々初めてな事ばかりでしたので、戸惑ってしまいました。クラスメイトとしてよろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ、よろしくお願い致します」


 リリーは言いながら、右手を私に向けて差し出した。私も自然の流れで右手を出そうとした瞬間、首筋にピキッと痛みが走り、差し出そうとしていた右手を、反射的に首筋に当てる。


「どうなされました?」


 不思議そうに、リリーが首を傾げた。


「いえ、ちょっと急に首筋に痛みが……」


「それは大変。医務室へいかれては?」


「いえ、多分、神経痛ですから大丈夫です」


「え? しんけいつう?」


 あ、ここでは通じないのか?


「いいえ。もう大丈夫です、痛みもなくなりました」


 私は話を変える為、それと微妙に気まづい、この場を早く終わらせる為に、カトリーヌへと向き直った。


「お姉様、今日はお昼を案内して頂き、ありがとうございました。また色々と教えて下さい」


 そう私が言えば、ツンデレガールのカトリーヌは『ふん、仕方ないわね。なら、帰りにでも校内を案内してあげなくもないわ』


『ありがとうございます。では放課後に』


 そんな感じで会話が終わるかと思っていたのに……食い気味に話しに入ってきたのはリリーだった。


「あら、お二人でお食事をしていらしたのですか?」


「えっ、ええ」


「では、今度、わたくしもご一緒してよろしいですか?」


 ニッコリと笑う可愛らしいリリー嬢の食事の誘いに、私が返事をしようとした時、眉間にシワを寄せ、厳しい顔をしたカトリーヌが先に答えた。


「あら、それは駄目よ? お父様からの言いつけで、マクニール家とは一定の距離を保ちなさいと言われています。勿論、社交場ではご挨拶しますが、それは表面上ですもの。今、貴女にお話しをしたのも、先日の晩餐会に、私が出席出来なかったお詫びで、ご挨拶をしたまで。貴女とは、お友達のような振る舞いは出来ません。それにリリーさん、貴女はもう少し、立場を弁えた方がいいわ」



 って、えぇーーーーーーっ!!?


 ちょっ、それめっちゃキツいよ!!

 なんて事言ってくれてんの!! お姉ちゃん!! 私のクラスメイトよ!? ほんの少しだけ、緩和されていた最初の気まずさが、今まさに倍になった!! いや、今も膨らみ続けている!!


 あ、ほら、リリーちゃんが、めっちゃ悲しそうな顔してるじゃない。



「そっ、そうですね。大変申し訳ありませんでした。エリザベート嬢にも、失礼いたしました」


 俯きながら、話すリリーに、カトリーヌは追い討ちをかけるかのように、上から見下ろした。


「リリーさん。こういう場合は様付けよ? しっかりなさって」


「……はい……カトリーヌ様……エリザベート様、同じクラスメイトとして、今後お困りのことがあれば、お声掛けください」


「ええ、ありがとうございます。リリーさん、私の妹を、よろしくお願いしますね」


 カトリーヌは、満足そうな顔しながら答えている。

 その顔は、やはりどこかデンゼンパパを思わせる顔で、私は心の中で、ドン引きしていた。


 これがステイン家か……と。


 っていうか、そもそもクラスメイトは私なんだけど!? よろしくするの、私なんだけど!?

 私は項垂れるように、深いため息を心の中で吐いていた。

 もう、これ完全に修復不可能。リリーちゃんとは気まずい関係フォーエバーだわ。


 リリーは小さい声で「失礼します」と呟くとそのまま教室に入って行った。

 そのなんとも言いようのない、リリーの背中が私には痛く感じる。


 ごめんね。リリーちゃん。

 私だって、出来れば仲良くしたかった。晩餐会の事も、話し合えたらって思ってたんだよ。でも、こればっかりは家の方針には逆えない。


 特に今はまだ…………。


 この世界で私を守ってくれるのは、ステイン家しか、今の所はないのだから。


「いい? エリッサ、以前の貴女は本当に生意気で、可愛らしさのカケラも無い、クソ餓鬼だったけど、ステイン家の権威については、私以上に厳しかったわ。あんなマクニールの娘に、軽々しく手を差し伸べようとするんじゃないわよ」


 自分の手がプルプルと震え出すのを、すぐに押さえつける。

 エリザベート、落ち着きなさい。今のはそう、褒め言葉だから! ね、落ち着いて私の身体。


「申し訳ありません。気をつけます」


「まぁいいわ。それじゃぁエリッサ、丸くなるのは構わないけれど、威厳と品だけは忘れないことね。私の妹らしくしてちょうだい」


 お姉様……貴女の妹らしくしたら今頃、引っ叩いて殺しかけていますよ。


 それにしても、エリザベートはカトリーヌよりもステイン家の威厳に対して、厳しかったというのは驚くべき事だ。エリザベートは、ステイン家なんて、どうでも良いと思っている子だと勝手に思ってから。


 まぁでも分かってはいたけど、ステイン家には、本当にまともな人間はいないのね。それにマクニール家に対しての対応も、だいぶ厳しい気がする。何故だろう。


 ほんと、知れば知るほどステイン家が怖いわ……。


 カトリーヌが、教室に向かって歩いて行く背中を見ながら、自分の教室に入る。リリーを見ていられなかった私は、視線を向けないように自分の席に座った。


 私に対して、みんなが声を掛けてこないのは、カトリーヌの噂のせいかと思っていたけれど、噂話しの有無だけではなく、根本的に、ただステイン家に怯えて、声を掛けてこないのかもしれない。


 まぁでも、両方よね。

 ステイン家は怖いし、噂を聞けば更に怖くて、もし私がクラスメイトでも、自分から声を掛けようだなんて絶対思わないわ。エーム王子は、王族だから、私に対して気軽に接してくれたけど。


 クラスの皆は、まず無理だろう。


 安全面を考慮してる分、私自身の孤立は構わないけれど、クラスメイトの視線が怯えからのものだと思うと、申し訳なさと気まずさがある。

 そして問題が……。


 私の本来の目的は情報収集したいのーーーっ!! って事だ。


 カトリーヌの情報だけだと、どうしても偏りが出る。他の貴族の子の話も聞きたいし、出来れば平民の子の話も聞きたい。話しかけてもらえる可能性が無いに等しい私は、タイミングを見計らいつつ、自分から声をかけなければ、誰とも話すことは無いだろう。


 私は目立たないようにしながら、教室を見渡した。誰か話しかけやすそうな子はいないだろうか。出来ればグループに入っていない子で、私みたいに一人ぼっちな……ーーーーん?

 あの子は、横分けびっちり男子。確かずっと一人で本読んでるし、これは孤独感満載ボーイだ。そして、物知りオーラが半端ない。今度彼にこっそりと話しかけてみようか。


 いや、でも男子は話しかけづらいかな? 目立つ?

 …………むむむ、どうしたものか。


 私は自分の前の席に、ふと、目をやった。そういえば、この席って誰も座っていない。エーム王子みたいにお休みなのかな?


 私はその空席をぼやっと眺めながら、密かに友達を作る方法を、考えていた。





 次の日も私は同じように孤独に授業を受けて、カトリーヌと同じようにお昼をとった。昼にはマーティンがひょっこり顔をだし、カトリーヌがマーティンを罵倒する光景を見て終わった。そしてまた午後の授業を孤独に受ける。


 今日の授業は政治と数学だ。政治はさっぱり分からなかった。全く知らない国の話を先生はしていて、私はそれをただ聞いていた。政治というより歴史の話が多かった気がする。歴史から政治に繋がるのだろか?


 数学は変わらずに簡単だった。知っていることを教えてもらえるのは共通点があるのだと分かって、ほっとする。


 授業を受ける度に思う。エリザベートの知識の記憶については本当に極端だ。多分エリザベートが好きだったものに関しては本当に凄い量の知識が記憶の中に残っているのに、知らないものは本当に何も知らない。その差が激しすぎて困る。何とか頑張っていかないと。


 その日も私の前の席は空席のままだった。



 貴族院四日目、私は少し遅れて学院に着いた。カトリーヌは急ぐそぶりも見せず、普段通り優雅に歩いている。


 私は遅刻している現実に耐えられず、ぷんすか怒るカトリーヌを置いて、急いで教室に向かった。


 遅刻が怖いだなんて日本人の習慣のようなものかもしれない。貴族の人は遅刻の概念があまりないように思った。


 教室に入り、急いで自分の席に着くと、すぐに違和感を感じた。前を見ると、ずっと空席だった席に少女が座っている。彼女は私に気づいたのか、ゆっくりと後を向き、私を見つめた。

 私とは多分、目が合っているとは思うけれど、ぼーっとするようにただ私を見ている。不思議に思った私は挨拶をしてみようと彼女にニッコリと笑いかけた時、タイミング悪く教室に先生が入ってきた。


 彼女は驚いたようにハッとして、すぐに前を向いてしまったけれど、彼女のなんだか親しみやすいそのそぶりに、とても話しかけてみたい衝動に駆られた。


 でも、何だろう? 可愛い少女だけれど、ぼーっとしていた顔が儚げで、何故か瞳がとても悲しそうに見えた。何より彼女が纏う空気が重い。私はそれがとても気になった。


 いったい彼女はどういった娘なんだろう。

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