No.85 おもてなしと風邪


 作戦会議の後、数時間眠り朝を迎えた。

 私は頭を抱えながら起き上がる。


「頭いたい……ゲッホ、ゲッホ」


 喉も痛い、これ、間違いなく風邪が悪化してる。ちょっと頑張り過ぎたかな。特にアシュトンの薬を飲んでから体が悲鳴を上げている感じがする。


 でも今ここで私が寝込んでいる場合じゃない。頑張らなくちゃ。


 私は重い体を無理やり起こし、薄く汚れた服に着替え、自室を出る。


 屋敷の中は静かだった。侍女達の姿は見えない。朝の明るい時間に見る屋敷は本当に酷いありさまだった。ここで争ったのもあるだろうけど、やたら物が壊されている。


 まだ平穏な日々を、この屋敷で過ごしていた頃、私は良くバルコニーで朝食を取っていたのを思い出していた。

 自然とバルコニーへと足が向き、様子を見に行くと、バルコニーは至る所に割れたガラスが散乱し、私のお気に入りだった、あの癒しの空間は見る影もなかった。

 ガラスを避けながら、バルコニーに出ると、そこから見える庭には、昨日戦った兵士と船員の遺体が一箇所に集められ、放置されているのが見えた。


「うぁ……酷い」


 思わず目線を逸らしたが、ちゃんと確認せねばと、薄目を開きながらチラリと見れば、やはり、庭の端には遺体が積まれている。


 マズいわ……。


 これからここに人を招くのに。 あの遺体なんとかしなくちゃ。


 私はすぐに、バルコニーから屋敷の中へと戻り、ベンケを探した。ベンケは昨夜のままダイニングで大の字になって寝ている。


「ベンケ、ベンケ!! 起きてください」


「んん」


「ベンケ!!」


「オ、オジョウ? 今度はどうしたんです?」


「お願いしたいことができました」


「んん……。オジョウは朝が早いですねぇ。オラまだ頭が……」


「それは昨日ベンケが沢山お酒を飲んだからでしょう? さっ! とりあえず起きて座って!」


 ベンケは、まだ眠たそうに顔を擦っている。私はベンケの覚醒を促す為に、ダイニングを離れキッチンへ向った。


 あ、そう言えば私この屋敷のキッチンには入ったことなかったな。えっと、多分、ここだよね。


 少し重めの扉を開きキッチンへと入ると、そこはレンガに囲まれた、薄暗い空間が広がっていた。炭の匂いが漂い、木材の台が何個か並べられている。奥へと進むと小さな煙が見え、そっと近づくと、幾つかの竈から何かを蒸しているのか、煙が立っていた。


 私は水を求め、周囲をキョロキョロと見渡す。すると、少し影に隠れるように、ラドフが壁にもたれながら寝ているのが見えた。


 私はそっとラドフに近づき声を掛ける。


「ラドフ、ラドフ」


 私の声にラドフの体はビクリと跳ね、ガタリと大きな音を立てながら椅子から落ちた。

 

 「だっ、大丈夫?」


 慌てて、手を差し伸べようとしたその時。


「うわぁぁっ! 来るな! 殺すぞ、近づくな!」


 そう叫ぶように両手を振り回しながらラドフは暴れ始めた。尋常じゃないその姿に驚きながらも私は声をかける。


「ラドフ! 私です! エリザベートです! ラドフ!」


「来るなっ! 近づくな!!」


「ラドフ!!」


「っは……」


 ラドフの動きがようやく止まり、呆然と空を見る。次第に焦点が合うと、ようやく私を認識したように目をパチパチとしながら瞬きをした。


「良かった、ラドフ。大丈夫?」


「お……オジョウか……」


「何か嫌な夢でも見てたの?」


「……いや。なんでもない。ところでオジョウ、何の用だ。」


 詮索されたくないのか、立ち上がったラドフは背を向けた。


 まぁ気持ちは分かる。聞かれたくないなら詮索しませんよ。私は大人ですからね。


「あの、ベンケにお白湯か紅茶を飲ませたくて」


「あぁ、分かった。容易する……」


「手伝います」


「いい、オジョウはここから出て行ってくれ。ここは貴族が来る場所ではない」


「わかりました。ダイニングにいるから、お願いしますね」


どうも、機嫌を損ねたみたいね。今はそっとしておこう……


 私はダイニング戻りベンケの様子を見ると、ベンケは今だ眠たそうな顔をしながらも私に気付き首を傾げた。


「オジョウ、誰か叫んだように聞こえたが、何かありましたか?」


「いえ、特に。誰か寝ぼけてるんでしょ」


「そうですか」


「そんなことよりもベンケ、頼みがあるのですが、庭に置かれたご遺体を埋葬したいの。あのままではいけないわ」


「船員の遺体の方は好きに片付けても問題ねぇですが、兵の遺体は一緒に片付けて良いんですか?」


「あぁ、確かにそうね。勝手に埋葬するのはまずいわ。でも、あのまま野ざらしで放置するのも良くないでしょう? 遺体が痛むわ」


「それは、慎みですか?」


「え、ええ、そうね……慎み。いいえ、違うわね。これは敬意よ。私達のために命を落としたんですから、敬意です」


「けいい? ……そうですか。オジョウは難しい言葉を良く知ってる。オラには違いも良く分からねぇが、とりあえずあのまま、野ざらしにしとくのは良くねぇ事だけは分かった」


 ベンケは重たそうに腰を上げ、ダイニングの窓ガラスから外を見渡した。


「オジョウ、なら馬小屋に遺体を置くのはどうです? 見たところ馬はいないようだし、野ざらしには、ならねぇですよ」


「馬小屋か……いいわね。あそこなら涼しい場所だし、そこに移しましょう。それから、遺体は布に包んで欲しいのだけど」


「構いませんよ。ここの屋敷には布がいっぱいありそうですし」


「そうね。じゃぁ、暖かい物を飲んだら一緒に移しましょう?」


「まさか、オジョウも遺体の移動を一緒に? それはいけねぇ」


「え? 駄目なんですか?」


「その手でいったい、何をするって言うんです? それくらいオラ達に任せて下さい」


「そう……? でも私に何か出来ることはない?」


「なら、オラ達を褒めてください」


「ふふっ、分かったわ。終わったら、ちゃんと褒めます」


 私とベンケが話していると、ラドフがワゴンを押しながらダイニングにやってくる。


「オジョウ、お待たせしました。紅茶の用意が出来ましたよ」


「ありがとう。ラドフ」


「それと、朝食を」


 ラドフは言いながら、ワゴンに乗せていた籠からパンと白いヨーグルトのような物を出してきた。


 おお、気が利く。その若さで出来る男子。なかなか有望なコックね。


「ありがとう。あ、そうだ! ラドフ少し相談をしたいんだけど、今いいかしら?」


「俺にいったい何の用です?」


「明日の会合なんだけど、貴族の方々が何かつまめるような物、例えばお菓子みたいな物を出したいんだけど……」


「俺が貴族に? 冗談よしてくれよ。俺はそんなたいそうな物は作れないぜ」


「そんなことないわ。貴方の料理はどれもすばらしい物だもの。貴族である私が保証するわ。だから、貴方のお料理で他の貴族の方々もきっと和んでくれるはず。ね? お願い」


「……俺は、普通の食事しか作れない」


「大丈夫。あぁ、そうだ。私、船でお肉の燻製をお菓子の代わりに食べていたの。とっても美味しかったわ。あれはどうかしら?」


「あー、ポカフか。あれならまだ船に残っていたな。そう多くはないけど……」


「そのポカフ? を小さく切ってパンに乗せて出すのはどうかしら?」


「パンか……。よし、分かった。ならパンに何かソースを塗ってからポカフを乗せよう」


「ありがとう。きっと素敵な軽食になるわね」


「飲み物は酒でいいか?」


「ええ、それでお願いします」


 私が微笑むと、ラドフは少し照れたように顔を逸らしながら、そのままキッチンへと戻って行った。


 ベンケと一緒に朝食を食べた後、ベンケは何人かの船員達と共に、庭に置かれた遺体を馬小屋に移し始めた。


 今頃、侍女や使用人達は会合に向けて、ステイン派の貴族達の元へそれぞれ向かっているのだろう。

 屋敷の中の人気は少ない。


 私は表玄関からダイニングにかけての屋敷の清掃し始める。何かしていないと気持ちが落ち着かないからだった。まず目に止まる生々しい血痕を、表玄関から大階段にかけて、ふき取るところから始めた。


 掃除をしていると、デジールが私の姿を見て急いで駆け寄り、手伝い始めた。

 血痕をふき取る作業を、デジールは嫌な顔もせず、一緒にやってくれている。血の跡なんて怖いだろうに、何も言わずに黙々と拭き取っていく。

 私は血の跡だとは分かりつつも、やはり本来ならあるはずの抵抗感などは無く、何も感じない自分に落胆しながら、淡々と掃除をしていた。


 掃除が進むにつれ、アシュトン達、最終的には船員の人たちも皆んなが一緒にやってくれた。

 屋敷は以前のような輝きはなくとも、人を招くには十分綺麗になったと思う。私は満足だった。


 気づけば夕暮れだ。


 夜が深くなる頃、侍女や使用人達が屋敷に戻ってきた。私は戻ってきた彼らをしっかりと労う。それが上に立つ者の務めだからだ。


 侍女達に話を聞くと、劇場で起こした私とイデアの騒動で、第三王子がステイン家に付いたという話が貴族達の間ですでに周知されていたらしい。その辺の情報収集の速さは、さすが貴族と言える。

 その結果、ステイン派の貴族達に今回の会合の話しを持ち込むのはそう難しくはなかったらしい。私は侍女達の話を聞いて少し安堵した。


 そして、次の日の朝。


「嘘……」


 私は自分の体を起こそうとしたのに、ほとんど力が入らなかった。絶望感にも似た感覚に思わず声が漏れる。

 体調は更に悪化し、体は重く、力も入らない。そして呼吸がしづらい、息苦しい。


 今日は大事な会合の日なのに……。こんな時に倒れてなんかいられない。それなのに私のこの体は思うようになってくれなかった。


 あぁこれ絶対エリザベートに怒られるな……。


 会合は夜行われる。私は侍女に言い含め、ギリギリまで寝かせてもらうことにした。


 夕方、私は意識が朦朧とする中、「ごめんなさい」と、エリザベートに謝りながら、アシュトンがくれた薬を口に含んだ。


 この薬自体、体にかなりの負担を及ぼす薬だ。今の私にこの薬は耐えられるのだろうか……。

 私は薬をゴクリと飲み終えてから、言いようのない不安に襲われた。

 すぐに嫌な感覚が自分の中で浮上してきたが、それさえも、ぼぉっとする頭と体のせいで鈍い。


「ふふふふ。そう不安にならなくてもいいわよ。お馬鹿なエリッサ」


(エリザベート……)


「随分と私の体で無茶したわね?」


(ごめん。でも、それは、私なりに上手く行くように……)


「馬鹿なりにね? 貴女が本当に馬鹿でよかったわ」


(ど、ういう事……?)


「上手く行っているってことよ。ふふふふ」


(でも、私……、凄く眠いの……。体もいう事きいてくれないし)


「そうでしょうね。貴方が今、この体を使うのは無理よ。そのまま寝てなさい。ふふふっ、エリッサ、この体は限界まで私に返してもらうわ」


(えっ……、待ってどういう事? 何するの? エリザベート)

 眠気で沈みそうになる意識を、私は必死に保とうとする。


「あら、これから楽しいことするのよ? ふふふふふ、あはははははは、ひひひっ」


(やめて……エリザベート、怖いよ。いったい何するつもりなの……)


「馬鹿は寝てな。ふふふ」


 エリザベートが嘲笑いながらそう言った瞬間、意識が全部エリザベートに持っていかれる感覚がした。


 眠い、眠い、眠い、ダメだ。寝たらダメ。


 でも、私の意識が……あぁ意識が…………


 深い闇に落ちていく感覚に私は逆らいきることができなかった。私はゆっくりと目を閉じ、そしてゆっくりと目を見開いていく。


 「ふふふふ、これで私の自由ね。さぁ、始めましょうか」


 そう言ってエリザベートは笑った。

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