No.86 終わりの始まり


 エリザベートがベットから起き上がると、ちょうど部屋の扉の向こうからノック音が響いた。


「どうぞ」


 そう言ってエリザベートは小さく返事をする。


「失礼します、お嬢様お体の方は如何ですか?」


 心配そうに部屋に入ってきたのはヘレンだった。


「死にそうよ。でも気分は凄くいいわ」


「え……」


「まぁ、どの道これを乗り切らなければ、私は死んじゃうもの。今は死線を越えられるかってところね。ふふっ、でもそれは私の体調など関係なくヘレン、貴女も同じよ? そうね、どうせ死ぬならヘレンは最初に死んでね?」


 ヘレンは少し困惑した表情で、それでも力強く頷いた。


「勿論です。お嬢様をお守りするのが私の使命ですから」


「ふふふ、違うわよ。私は貴女の死に顔を見たいの。皆の死に顔を見てから私は死にたいのよ。ヘレンが最後にどんな顔して死ぬのか、気になって先になんて死ねないわ」


「まぁ、お嬢様ったら」


「でも安らかに死んじゃ駄目よ? できるだけ苦しんで死んでね。ちゃんと声をあげて、恐怖に飲み込まれて死んでね?」


「えっ……と、はい。その時はそう勤めます。あの、お嬢様……私お嬢様に何か……」


「ふふふ」


「私を殺すのですか?」


「ふふふ、ははは。そう戸惑わなくてもいいわよ。私が貴女達を殺したりはしないわ、勿論それは裏切らない限りだけど。今ね、私の命が燃えているの。そう感じるの。だから、貴女みたいな人の死に顔を求めてるのね。気にしないで、半分冗談と思って良いわ」


「はぁ……」


「でもね、ヘレン。これだけは約束してね。私の前で死ぬ時は我慢しちゃ駄目よ。貴方の心のままに死になさい……」


「……私、死にますか?」


「死なないわ。でも、もしこれが失敗したら皆死ぬんだから、その時のことを言っているの。私の為に死んでくれる?」


「はい」


「我慢しないで、ちゃんと死に抗って死んでくれる?」


「はい」


「とても良い子ね。もしも、その時が来た時は楽しみにしているわね」


「はい……」


「それで、ヘレン、私の体調を聞く為に来たわけじゃないでしょう? いったい何の用かしら?」


「あっはい、執事のエルフレットが先程戻りました。お嬢様に報告したいとのことで、面会を求めていらっしゃいます」


「あら、ようやく帰って来たの、ギリギリね。良いわ、ここに呼んで頂戴。それと、アシュトンもここに呼んで」


「畏まりました」


 ヘレンがエリザベートの部屋を出て、エルフレットとアシュトンを呼びに行ってから数分後、再びエリザベートの扉をノックする音が響いた。


 「どうぞ」とエリザベートが声をかけるとエルフレットとアシュトンが入ってくる。

くたびれた姿のエルフレットを見てエリザベートは優しく微笑んだ。


「エルフレット、ご苦労様。ギリギリでしたが間に合いましたね」


「遅れて申し訳ありません」


「間に合えばいいのよ。それで?」


「ええ、全て倉庫にあります。他の者達が用意したものも倉庫に移動しました」


「そう、ではそれら全てをダイニングの中央に持ってきて頂戴」


「ダイニングですか?」


「ええ、貴方達の努力はすべてこの日のためです。ですからダイニングへ」


「畏まりました」


「それと……アシュトン。エルフレットの後に隠れていないで、私の隣に座りなさい」


 エリザベートは自分が座っているベットの隣をポンポンと軽く叩く。

 アシュトンは戸惑いながらエルフレットを見たが、その後頭部からは何も読み取れなかった。

 エリザベートは早くと言わんばかりにアシュトンを睨み、その異様な視線から逃れる術もなく、半ば強制のようにアシュトンはエリザベートの隣に座った。ふかふかのベッドに石像のように固まっている。



 無言のままのアシュトンをチラリと横目で見たエリザベートはエルフレットへと視線を戻した。


「エル、ダイニングの方が終わったら貴方はもう休みなさい。ここでの貴方の役目はもうないわ」


「……畏まりました」


「明日朝早くにガーデンを抜け、またバストーンに向かって欲しいの」


「カトリーヌお嬢様ですか?」


「違うわ、あんな馬鹿女今はどうでも良いわ」


「あ、あの、では……」


「私の要件はマリアよ。きっとバストーンの何処かの村にいるはず。もしかしたら行き倒れているかもしれないわ。何としても探し出しなさい。死んでいたとしても、必ず死体を見つけて。マリアを見つけるまではここには帰って来ないで。いいわね」


「そんな……たかが侍女で? それよりもカトリーヌおーーーー」


「エル、それ以上何か言ったらこの場で殺すわよ」


「もっ申し訳ありません。明日早朝にバストーンに向かわせて頂きます」


「いいえ。やはり気が変わりました。ダイニングの件は誰かに指示し、引き継ぎなさい。そして貴方は、今すぐバストーンに向うのです」


その言葉にエルフレットが驚きながら、エリザベートを見つめた。


「何しているのです、早くマリアのところに行きなさい」


「か……畏まりました」


「エル、戻って来た時、お前の隣にマリアがいなかったら、お前の首を切断しますからね。これは冗談ではなくてよ? その覚悟を持って必ずマリアを見つけ出しなさい」


 青ざめた顔色のエルフレットは、エリザベートに頭を下げると、すぐさま部屋を出て行った。


 異様な緊迫感が残る部屋の中、エリザベートと二人きりになってしまったアシュトンは、変わらず置物のように微動だにしない。


「アシュトン……」


 エリザベートのその声にアシュトンは反射的に「っはい!」と返事をしながら大きく体をビクつかせた。


「お願いがあるの。私を明日まで生かして……」


「え? ど、どういう事ですか?」


「ふふふ。言葉の意味の通りよ。明日の夜まで私を生かして欲しいの」


「エリッサ様……?」


 アシュトンは言われた言葉の意味がすぐには理解出来なかった。エルフレットとの会話の声色より弱々しく感じたエリザベートの声と、今目の前にいる彼女の顔をじっと見つめ、ハッと気づく。


「申し訳ありません。エリッサ様、失礼します」


 そう声をかけながら、アシュトンはエリザベートの額に手の甲を当てる。触れた場所から感じる熱さに思わず眉を顰めた。今のエリザベートから発せられている熱はすぐに分かるほど異常に熱い。

 本来なら意識が朦朧としていてもおかしくないほどの熱だとすぐに分かる。


「私の体、明日の夜まで、なんとか持たせて頂戴。もしかしたらギリギリ死んでしまうかもしれないけど。でもなんとかして。貴方、医者の息子でしょう?」


「そんな、僕はまだ……」


「ふふふっ。貴方は私の共犯者なんだから、堂々と私を見ていればいいのよ。ただ、今の私の体に治療の薬は入れないで。もし私が倒れたとしても、その時は体を治療する薬を使わずに何とかして。刺激的な匂いとか、何か飲ませても構わない。でも治療する薬だけは私に入れないで欲しいの」


「エリッサ様、そんな、そんな無理をしては」


「そう、だからね、明日まででいいの。明日まで私を生かして。さっき飲んだ薬のせいか、体は随分と死に近づいているわ」


「エリッサ様……申し訳ありません。それは、ぼっ僕が作った薬のせいですよね」


「あら? 薬については自業自得だからいいのよ。私も分かっていて飲んだのだし、必要だった。それに薬のせいだけではないの、風邪を引いていたのもあったのよ。でも、今はそんな事はどうでも良いの。とにかく明日の夜まで私を生かして。それだけでいいの」


「……エリッサ様」


「アシュトンにしか頼めないの。お願い」


「とりあえず、今は無理せず横になって下さい。寒くはありませんか?」


「寒くはないわ。ただとても熱いだけ」


「熱は上がりきっているようですね。でも汗をかいてません。すぐに冷やしましょう。それから水分を」


「アシュトン、会合でもしも私が倒れたら、必ず起こして」


「はい」


「ふふふ。ありがとう。楽しみだわ、今日と明日がすっごく楽しみ」


「エリッサ様、まずは横になって下さい。明日の為にも直ぐに冷やしましょう。侍女の方を呼びますね」


「アシュトン、それはダメ。侍女達は他の仕事があります。私の体の事は全て貴方に任せます。それから、デジール達は大人しく部屋に居るように言いつけておいて欲しいの。特にデジールは危なっかしすぎて、エリッサは心配するから」


「? 分かりました。とにかく直ぐに冷やす物と水分をお持ちします」


「ええ、お願いね」


 アシュトンは急いでエリザベートの体を冷やす為の水を用意し部屋へと戻ってきた。水で濡らした布を、彼女の額に当てると、エリザベートは更に数枚の布を濡らすようにアシュトンに指示し、脇の下、首の後、太ももの付け根を冷やすように言った。

 大きな血管が通っているから体を効率的に冷やすには良いのだと言うエリザベートにアシュトンはただ言われた通りに行いながら、返事を繰り返した。


 数時間後、ヘレンがエリザベートの元に訪れ驚いた顔で部屋に入ってきた。


「お嬢様……?」


「ヘレン、どうしたの?」


「会合はいつでも始められます。貴族の方々もすでにダイニングに集まっています」


「そう、ありがとう。ヴィルヘルム将軍も来ているの?」


「はい、いらっしゃっています」


「そう、来ているのね。楽しみだわ」


「お嬢様……その」


 ヘレンは気まずそうに、チラチラとアシュトンに視線を送り、その意図を理解したエリザベートはニッコリと笑った。


「大丈夫。アシュトンは私の共犯者なの。貴女は気にしなくていいわ。これから始まる会合のことだけ気にしてなさい。私も直ぐに行くから」


「はい。畏まりました」


 ヘレンが部屋を出て行き、扉が閉まると同時にエリザベートはすっと立ち上がった。


「アシュトン、そこのクローゼットにあるワンピースを取って」


 返事をしたアシュトンは立ち上がると、クローゼットへと向かい、扉を開ける。殆ど衣類が入っていないクローゼットの中には、ふんわりとした白いワンピースがかかっていた。手に取ると柔らかで、すぐに上質な物だと分かった。

 そのままエリザベートに渡そうと、振り返るとそこには裸のエリザベートが目の前に立っていた。


「うわぁっ! え、エリッサ様!?」


 アシュトンは慌てて顔を逸らし、クローゼットの方を見る。馬鹿みたいに心臓が鳴り響いているのを自覚しながらも、アシュトンの頭の中はパニックになっていた。


「アシュトン、それを私に着させて」


「ーーーーえ? ぼぼぼぼぼ僕が?」


「そう。アシュトン、時間がないわ。早くそれを私に着させて」


 全く抑揚のない声で言うエリッサに、アシュトンは小さく返事をすると、なるべくエリザベートを見ないようにしながら、ワンピースをそっと着せた。


 着替え終わったエリザベートは、鏡を見ながら満足そうに微笑み、アシュトンに向き直った。


「さっ、早く会合に行きましょう」


「あの、エリッサ様、その格好でですか? あまりにも薄いのでガウンを……」


「ガウンなんか要らないわ。だって体が熱いんですもの。薄着でいいでしょう?」


「でも、それでは……」


「私の体綺麗だった?」


「え……?」


「今も綺麗に見える? 儚く見える?」


「ええ……それは、はい。とても」


「ありがとう。だから、それを使うの」


 エリザベートはそう言うと、部屋の隅に立てかけた鞘を手に取り、バックから取り出した袋をアシュトンに渡した。


「それも持って行くわ。アシュトン、それ大事なものだから落とさないでね」


「はい。畏まりました」


「では、行きましょうか」


 エリザベートはふらふらと、覚束ない足元で自室を後にし、皆がいるダイニングへと向った。

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