No.26 デジール日記 馬車での出来事……


 それは突然だった。

 カミール殿下が亡くなったと聞かされた。つい先日、王宮に招待され、広くて煌びやかな王宮や王族に目を奪われ、訳が分からないまま、食事会が終わっていた。

 帰りはカミール殿下が馬車のところでまで送ってくれて、ずっと穏やかに笑っていた。それが私の記憶に鮮明に残っている。

 馬車の中からカミール殿下を最後に見た時、彼の姿は月の光を浴びていて、あぁ王子様って紳士なうえ、あんなに神秘的で、カッコ良いんだと思っていた。


 それが、そんなカミール殿下が亡くなったと聞かされた。なんだか今の私には、起こりうる全ての出来事に、現実感がない。

 平民の私が王宮に招かれた事も、王族の方に間近で会えたことも、カミール殿下が近くにいて一緒に話しながら紅茶を飲んだことも、そしてそんなカミール殿下が突然亡くなってしまったことも、私には衝撃が強すぎて何が何だか分からなかった。


「ふぅ………」


 時間があれば、つい頭で色々な事を考えてしまう。エリッサ様は大丈夫だろうか。

 エリッサ様のお姉様、カトリーヌ様はカミール殿下の婚約者だった。カトリーヌ様はとても綺麗で、威厳がある中、チャーミングな笑顔が凄く素敵に見えた。

 カミール殿下と一緒に居られる姿はとても可愛らしく見え、お似合いの二人を見ていて、今後のこの国の未来もきっと暖かなのだろうと思わせてくれた。


 それなのに……。


 今はきっとカトリーヌ様は絶望の淵にいらっしゃる気持ちなのだろう。そう思うだけで私の胸も張り裂けそうに辛くなってしまう。


 夢のような王宮での食事会で、カミール殿下とカトリーヌ様の二人を見たのが最後なだけに、その思い出がどうしても悲しいものとなってしまっていた。


 そしてカミール殿下が亡くなってから王都ガーデンの朝は以前と全く違う朝を迎えるようになっていた。普段は朝から賑わう市も人も今は静かだ。

 貴族の馬車だけが慌ただしく道を走る。殿下が亡くなった事で貴族院に通う貴族の生徒は休校になっていたが、平民の生徒だけは変わらず授業があった。


 私はそんな王都ガーデンの町を眺めながら、貴族院へとゆっくり歩いて向かっていた。


 ーーーーーーガタガタガタガタ


 後方から物凄い勢いで走って来る馬車の音がして、私は驚きながら道端に体を寄せると、私を追い越した馬車が急に止まった。

 その馬車がエリッサ様の乗っていた馬車によく似ていたので私はつい、馬車の方に駆け寄り、伺うように「エリッサ様?」と声をかけてしまっていた。


 ーーーーーーガチャ


 馬車のドアが開き、そこから降りてきたのはエリッサ様ではなかった。


 私は顔を見た瞬間、思わず後ずさる。そこにいたのはグエン殿下だった。


「よう、何処かで見た顔だと思ったが、あんたエリザベート嬢の友人だったよな? 何故こんなところに一人で歩いている……?」


 グエン殿下は私の胸元を見ると、少し困惑した表情の後、ニタリと笑った。


「へぇ、なるほどなぁ、まぁいい。馬車に乗れよ、行き先まで送ってやる」


「いえ、私は………」


「断る権利など、お前にはない。乗れ」


「……はい」


 その威圧感に、私は言われた通り馬車に乗り込む事しか出来なかった。

 向かいに座るグエン殿下は大きな幅を取りながらドカリと座ると「それで、行き先は?」と低い声で聞いてくる。


「き、貴族院です」


 何だか怖い。以前と雰囲気がだいぶ違う。威圧感を物凄く感じるし、目が怖い。落ち着かない。


「お前、平民だったんだな。こんな所でバッチも付けずにふらふらと歩いて貴族院へ行くなんて、平民くらいだもんな?」


「……………」


 ああ、ばれてしまった。どうしよう。すぐに謝らなくちゃ。


「申し訳ございません。王族の方に身分を偽っていました」


「いや、まぁでも最初からおかしいとは思っていたんだ。あんた、見る度に、いつもビクビクした態度だったからな。とりあえず今は、貴族と偽ったことは咎める気はない。確かデジールとか言ったか?」


「はい」


「でも何故、貴族だと偽った?」


「あの、私みたいな平民がエリッサ……エリザベート様と仲良くすると、エリザベート様に迷惑が掛かると思い、平民であることを偽りました」


「ふーん、あんたが自分から偽ったんだ? エリザベート嬢にそうしろと言われた訳じゃないんだな」


「はい、私の身勝手な考えで行いました。お許しください………」


「へぇ、でもあいつも、エリザベートも知っててそれを許したんだろ? じゃないと王宮になんか来れないもんなぁ?」


「………………」


「要するに共謀して騙したんだな?」


「共謀だなんて、違います。偽ったのは私だけです。エリザベート様は違います」


「随分とエリザベートを庇うんだな。でも平民ごときが貴族、いや王族に嘘を偽るのは本来、死罪にもなるんだぞ?大それた事をする」


「も、申し訳ありません」


「まぁいい。デジール、お前もカミールが死んだ事は知っているな? それにより、次の王位継承者は俺になった。要するに俺はいずれ、この国の全てを手にする男になる。俺の言っている意味が分かるな?」



「……はい」


「バカじゃない奴は嫌いじゃない。お前の返答次第では先で爵位をやってもいいと俺は思っている」


「どういう意味ですか?」


 ククッと怪しげに笑うグエン殿下は 「デジール、俺と仲良くしようぜ」そう言って前髪をかき上げた。


 仲良く………?


 そのセリフはとても友好的には聞こえなかった。高圧的に逆らうなと言われているような気がする。爵位を簡単にやる、などと言っている時点で、良からぬ事を言われるに違いない。私は今すぐにでも逃げ出したい気持ちになった。



「俺とエリザベートの仲を取り立てろ」


「………え?」


「俺はな、諦めなかった。諦めなかったから今の俺がいる。王の座は間もなく俺のものになる。後はあの女、エリザベートだけなんだ。ステインの女でアレが一番美しい。あの女こそ玉座に座る俺の隣に、最もふさわしい女だ。なぁデジール、お前もそう思わないか?」


 無言のまま、視線を落としている私にグエン殿下は続けて言った。


「お前がエリザベートを慕っているように、エリザベートもお前を信頼しているんだろう。お前がぶっ倒れた時も、王宮での食事の時も常に気にしていたからな。だから、エリザベートがお前に寄せるその信頼を、俺が買ってやる。エリザベートに俺との婚約を勧めろ。俺は優しいからな、お前がどんな手を使っても咎めはしない。あぁ、でも傷はつけてくれるなよ?」


 この人は何を言っているのだろう?


 私は戸惑っていた。カミール殿下が亡くなって間もないのに、その死すら喜んでるようにも見える。そして自分の伴侶にエリッサ様が欲しいと言う。


 この人が次の王になる? だからエリッサ様を自分のものとしたくて、私を使いたいというの?


「わたし、私は、その、そんな事は出来ません」


「あ?」


「私みたいな身分の低い者がグエン殿下とエリザベート様の仲を、どうにかするなど恐れ多いです」



「あぁー、なるほどな、身分を弁えた良い発言だ」



 ニヤリと笑ったグエン殿下は「だが残念、不正解だ」そう言うと、右手を私の首元へと伸ばしてきた。


「ーーーっぐぅっ」


 突然の事で何が何だか分からなかった。痛くて、苦しくて、息ができない。グエン殿下が私の首を本気で締め上げている。殺されてしまうかもしれない、ただそれだけが頭に浮かんだ。


「苦しいかデジール。お前を殺すのなんて簡単なんだ。お前の罪状だって既にあるしな? そうそう、身分偽証の罪でお前の家族を皆死罪にする事も出来るぞ? 子の罪は親の罪とも言えるしなぁ」


 ふっ、と笑ったグエン殿下は私の首を締めていた手を緩める。

 呼吸をしたくて思いっきり、ひゅっと吸い込んだ途端に咳き込んだ。


「げほっ、げほっ………」


 視界が歪み、頭もくらくらする。


「でもまぁ、まだ生かしてやる。これはデジール、お前次第だ。俺からの褒美か、死か、どちらがいい? 俺はな、エリザベートが俺のものになるんだったら何でも構わない。こうやって脅されたのだと素直に言ったっていいんだぞ? さっきも言ったが結果があれば、方法など、どうだっていい」



 頭が回らない。逃げ出したい。怖い。

 逃げたい。

 でも………。


 頭に浮かぶエリッサ様は優しく、私の為に一緒に泣いてくれた。本当にお優しい方だ。

 いくら王子様でも、こんな風に人を思い通りにさせようとするグエン殿下がエリッサ様を幸せに出来るとは思えない。


 私がその為の手助けをする事なんて……出来ない。


 裏切りたくない。


 私はその思いだけで首を振った。


「私に出来る事はありません。お許し下さい」


「バカな女だ」


 グエン殿下の大きな手が再度私の首をきつく締めあげた。


「がっ………ぅぐっ………」


 指が首に食い込んで頭が熱くなっていく。目の前がチカチカした。

 私このまま死んでいくのかな……苦しくて痛い、でも、何でだろ、そんなに怖くないや、エリッサ様を裏切らない自分でいられて良かった。恐怖に負けなかった自分で良かった。

 涙が自然と溢れるのに、その涙の味がしょっぱくて笑えてしまう。


「ふっ………」


 あぁ意識が薄れていく。もうダメだ。そう思った瞬間、グエン殿下の手が急に離れた。


「がはっ……げっほ、げほっ」


「チッ……エリザベートもお前も本当に腹ただしい奴だ」


 朦朧としていた意識がゆっくりと鮮明になっていく。ひゅぅひゅぅと息を整えながら、私は何も言えず俯いて、締められていた首を手で押さえていた。


「まぁいい。お前の苦しむ姿を見て気が変わった。エリザベートを力づくで俺のものにするのも悪くないと思えた。あの美しい顔が涙と苦痛で歪む姿は、さぞ美しいだろうな。ああ、楽しみだ」


 そう言って高笑いするグエン殿下はもう別人のように見えた。何かに取り憑かれているようにも見え、不気味で怖い。


 何も言えず首を押さえながら、縮こまるように椅子の隅にいると、ようやく馬車が止まった。


 グエン殿下が無言で馬車の扉を蹴飛ばし、その音に身体を強張らせると「降りろ」と言われ、私は鞄を抱えるようにして馬車から降りた。


 グエン殿下が私を見て紳士のようにニッコリと笑う。


「次会った時、俺に逆らったら今度こそ殺す」


 そう言い残して馬車は去って行った。

 私はしばらく動けず、その場に立ち尽くしていた。

 エリッサ様の苦しむ顔が見たいとグエン殿下は言っていた。一気に不安が押し寄せる。自分の判断が何か間違っていただろうか。エリッサ様を助けたい。力になりたい。そう思うのに私には何も出来ない。


 首にはまだ痛みが強く残っている。


 どうしようもないこの現実と、憤りを抱えながら、ただエリッサ様の無事だけを祈った。


 なんでこんなに生きるって苦しいんだろう。大切な人が、私の知らないところで傷つけられるかもしれない。それを知ってても無力な私には何も出来ない。


 現実は辛い。


 何も出来ない自分が辛いよ……。

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