No.27 欲望のその先


 暗い、暗い……………。


 まただ、また、この嫌な感覚。


「ほーんと、無様なものね……エリッサ」


 ーーーーーー誰?


「私よ、エリッサ」


 もしかして、あなたがエリザベート……?


「ふふふ、正解。そうよ、私がエリザベート・メイ・ステイン。今では私の代わりに、貴女がエリザベートとして、のうのうと生きているけど、本当、生ぬるいことしているわねぇ、エリッサ」


 ……あなたのせいでどれだけ大変だったと。


「私のせい? なに被害者ぶっているの? 私の体を勝手に乗っ取っているのは貴女なのよ。本当は毎日毎日、八つ裂きにしても足りないくらいだけれど、貴女があんまりにも道化のように踊ってくれるから暫く見学していたの。どうせ、私はこのザマだしね」


 道化? ……でも、私は…………


「貴女、随分この生活に慣れたようだけど、気が付いてなかったのね。もしかして私を制したつもりでいた? それなら本物の道化ねぇ。ふふふっ。いい? エリザベートは貴女のモノではないのよ。私の身体なの。髪の毛一筋から指の爪先まで全てが私、エリザベート・メイ・ステインなの」


 どういう意味…………?


「あら? 言っても分からない? それとも忘れてしまったの? 私はねぇ、とーっても快楽主義者なの。血が見たいの。血を体に浴びたいの。それが、だぁい好きなの。可愛い子達の臓物をかき回したいのよ」


 そ、そんな……そんなの絶対嫌よっ!!


「貴女が望まなくても、体は覚えてる。そしてそれを望んでいるわ。どんなに必死で耐えたとしても、私は私、それは変わらないのよ」


 い、嫌よ。あなたの望むようなことは決してしないし、私は真っ当に生きるわ!!


「ふん、真っ当? 何それ? 貴女の常識なんて知らないわ。世界の常識だって常に移りゆくの。真っ当だなんて下らない。たかが王子が一人死んだくらいでこの世の終わりみたいな顔しちゃって、情けない。それが貴女の真っ当だとでも言うなら、貴女の命も時間の問題ね。私はそんな情けない女じゃないわ」


 でも、それは、カミール王子が……


「カミールねぇ、そもそも、あーんな、ひ弱な王子、殺されて当然なのよ」


 ーーーーーーえ?


 今なんて? …………殺された?


 何を言っているのエリザベート……?


「あら、気づかなかったの? カミールは殺されたのよ?」


 だ、誰に?


「さぁ? そんな事、私が知るわけないじゃない。でもカミールは間違いなく殺されてるわ」


 ねぇ! それって……もしかしてグエン王子!?

 だって、カミール王子が死んだ事を彼は喜んでいたの。次の王は俺だって言ってた。


「グエン? どうかしら? まぁ確かに彼が殺してもおかしくはないわね。私がグエンでも王になりたければ、カミールを殺すわ。ま、彼の求める玉座なんて下らないとは思うけど。あぁでも、そうね、私なら血肉を分けた兄弟を殺す時はあんな雑にはしないわ。ふふっ、もっと優しく、丁寧に殺してあげるの」


 どういう意味……?


「ふっ、ふふ、カミール、ふひひひ、あれはじわじわと長く苦しんで死でいったんでしょうねぇ。うふ、でも、あれはアレで素敵だったわ」


 苦しんだ……?

 そんな…………。


 で、でもっ、カミール王子は殺されたってあなたは言うけど、どうやって死んだの? エリザベートなら分かるの?


「そうねぇ、大体の予測はできてるわ。でも、今は教えてあげない。どうせ、いつもいつも、私との会話は貴女にとっては夢でしかない。貴女に利用されるだけなんて、まっぴらよ。だから、これが現実だとちゃんと理解するまで、お預け」


 え……ちょっ、ちょっと待って!!

 エリザベート!! あなたはいったい………


 追いかけようと右手を伸ばした瞬間、目の前に広い天井が見えた。


「夢……?」


 私はまた悪夢を見てしまった。しかもエリザベートと私が会話している夢。

 なんて最悪な夢を見てしまったのだろう。しかも、彼女はカミール王子が何者かによって殺されたのだと言ってた。


 殺された?


 カミール王子の死因はまだ分かっていない。病死なのか、事故死なのか、まだ不明のままにされている。


 殺された……カトリーヌは血を吐いて倒れたと言っていたけれど、そうなると、考えられるのは毒殺……?


 いや、まだ殺されたと決めつけるのは良くない。エリザベートが夢で言ってただけだし、あまり憶測で考えるのはやめよう。でも……エリザベートとの会話が妙にリアルで気になって落ち着かないのも確かだ。


 学院はカミール王子の死によって、喪に服す為に一週間休校になっている。私はバルコニーで朝食を取った後、食後の運動と気分転換を兼ねて屋敷の庭を散歩していた。


 カトリーヌは葬儀以来、自室からあまり出て来ない。食事も部屋で取っているみたいだった。デンゼンパパもカトリーヌの様子を侍女に聞きつつも、直接本人には何も言っていないようだった。多分そっとしておいているのだろう。


 私はカミール王子の葬儀が終わってから、何も考えないようにしていた。考えても考えても、先には暗闇のような未来しか見えなかったからだ。


 公爵令嬢である私やカトリーヌはデンゼンパパに言われた事は受け入れなくてはいけない。それを理解してるつもりではあった。

 ただ、それでもグエン王子が第一王子になった事で狂い始めている未来に、それを受け入れる覚悟はどうしても出来なかった。


 私は広すぎる庭をゆっくりと歩き、きれいな花壇や噴水を眺め、心を落ち着かせる。今は出来るだけ何も考えたくなかった。


 ふと屋敷の方を見るとマリアが早足で、私に向かって来るのが見えた。


「どうしたのマリア?」


「お嬢様、お寛ぎ中、申し訳ありません。お客様がいらっしゃいました」


「どなた?」


「グエン殿下です」


 マリアも何か察しているのか、眉間にシワを寄せ渋い顔をしている。

 最近のマリアは表情を出す事が増えてきたような気もする。そんなマリアを安心させるように、私は笑顔を作った。


「マリア、大丈夫よ。会います」


「畏まりました……客間でお待ち頂いております」


 私はその足で客間へと向かった。


 ーーーーコンコン


「入れ」


 言われた通りに入ると、グエン王子が、客間のテーブルに足を乗せ、横柄な態度で座っている。


「失礼します。ご機嫌ようグエン殿下。本日はどのようなご用件でしょう?」


「ああ、まぁ座れ、エリザベート嬢」


「はい……」


 私はグエン王子の向かいのソファに静かに座ると、グエン王子は腕を組みながら言った。


「で、どうだ、覚悟は決まったか?」


「え?」


「え、じゃないだろう。俺と婚約する話はしただろ?」


 私に会いに来たという事はその話のことだとは思っていたけど。それにしても来るのは早いし、ド直球だ。心の中で深い溜息を吐きながら、笑顔を作る。


「そのお話でしたら、やはり私には、決められません。婚約や結婚については陛下やお父様がお決めになることですから」


 もの分かりが悪い女だ。まるでそう言っているかのようにグエン王子が首を振る。


「エリザベート嬢、そうじゃないだろう? 次の王は俺なんだ。現王やデンゼンは関係ない。お前はただ笑って頷けば、それで良いんだ。俺に逆うこと、それは即ち死に値する」


 急に私の首筋がピリリと痛みだした。


「いたっ」


 思わず首筋を押さえる。


「なんだ?」


「いえ、何でも」


 急にくるこの痛みは前にもあったけど、いったい何なのだろう。何かに刺された様な痛みが走り、周辺がピクピクと皮がひきつれたように痙攣している。


「エリザベート嬢、俺から逃げようとしても無駄なんだ。お前に選択肢なんか無い。そうだな、何だったら今すぐにでも俺の女だと自覚させてやろうか」


 徐に立ち上がったグエン王子はニタニタと笑いながら私に近づいてくる。


 まさか…………


 ジリジリと近づいて来るグエン王子の雰囲気に、本能的に身の危険を感じた私は、背もたれに寄りかかるように体を引いた。


「こ、来ないで、これ以上私に近づくなら人を呼びます」


「ふーん? 呼びたいなら呼んでみろよ。俺に逆らう奴は皆んな殺してやる。侍女も執事もデンゼンもカトリーヌも皆んな殺す。そして殺されるのはお前のせいだエリザベート。それでも良いなら呼べ」


 私の胸ぐらを掴んだグエン王子が引き寄せると私の耳元で「次の王は俺なんだよ」そう低い声で囁いた。


 ゾワリと栗立つ肌と一緒に、またピリッと刺すような痛みが首に走った。


 ーーーーいやっ!!


 そう叫ぶ前に私の唇はグエン王子によって塞がれる。


 なんで……なんでこんな人が王子なの………?


 首の痛みが増していく中で、何故かふわりとカミール王子と同じ香りがした。泣きたくなんて無いのに涙が勝手に溢れていく。


「ああ、その泣き顔、堪らないな。やっぱりお前は俺の女に相応しい」


 首のリボンがシュルッと音をたてながら解かれる。焦った私は、必死の抵抗でグエン王子を払い除けようとするけれど、やみくもな力で敵うわけがなく無理矢理押さえつけられた。


「やめっ!……やめてっ!!」



「黙れ、エリザベート」



 ーーーーーーコンコン。



 ノック音が響き、思わずドアに視線をやる。


「お嬢様、いかがなさいましたか?」


 マリアの声が聞こえて思わず助けを呼ぼうと声をあげようとした時、グエン王子の手で口を塞がれた。

 耳元で響く低い声は私を恐怖へと導くように「まずは、あの侍女から殺してやろうか」そう言って楽しそうにクスクスと笑っている。



 ………ああ、ダメだ。



「な……何でもないわマリア」



 私の言葉に満足気に笑うグエン王子は「いい子だ」そう言ってもう一度私の唇を塞いだ。


 懐かしい香りがする。


 恐怖へと突き落とされているのに、ふわふわと香る匂いが麻酔のように頭をクラクラとさせる。


 滲む視界の端に笑うエリザベートの姿が見えたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る