No.62 ベンケと三つの袋

 私は必死で走った。岩などで足も悪かったがそれでも必死で走った。夜だから視界も悪い。熊みたいな大きな男は足元の悪さなどものともせず、私に近づいてくる。


 エリザベートがサイコキラーでも、あんな大男相手では絶対勝ち目なんて無い。


 捕まったらもう私はおしまいだ。私は必死で逃げた。


 近づく大男。


 何故だろう、走馬灯のように、モルダウのわが祖国が私の頭の中で流れ始めた。


 ああ、きっと最後なんだ。私の本能が感じとってモルダウのわが祖国を流しているんだ。


 平和だった、あの日々に戻りたい。幸せだったあの日々に戻りたいよ。


 お父さん、お母さん、私、悲劇のヒロインになります。先立つ不幸を、いいえ先立つ二度の不幸をお許しください。


 足がもう動かない。


 息が苦しい。


 脳内の、わが祖国がまるでオーケストラの演奏のようにダイナミックに流れ、私の体力はついに限界を迎えた。


「ーーーーうわぁっ!!」


 足がもつれ、私の体はそのまま崩れ落ちるように倒れる。


 ーーーーーードシャァッ


 そのまま骨折中の左手を庇うようにゴロゴロと転がり、地面の岩や石などが体中に当たった。その衝撃と痛みが私を襲う。


 痛いっ、でも、逃げなきゃ!!

 夜空を見ながら身体を起こそうと腹筋に力を入れる。その時、視界一面に、ぬぅっと私を見下ろす大男が現れた。


 私は、恐怖のあまり反射的に顔を手で押さえながら、叫んだ。


「やめてぇっ! こないでっ!」


「……………」


「やめてっ!」


「……………」


「やめて! こないでっ!!」


 ーーーーーーーん?


 あれ、本当に来ない。なんで?


 自分の顔を覆っている手の指を少しだけ、ずらして、その隙間から見ると、変わらず大男が私を見下ろしている。


「やめてっ! 来ないで!!」


 もう一度言ってみる。


 襲って……来ない………?


 よく見ると、熊みたいな大男は不思議そうな顔をして、私を見ていた。


「あれ? 来ないの……?」


「大丈夫ですか? オジョウ」


 大男のそのセリフに、私の脳内で流れていたモルダウの曲が急速にピッチダウンし、ギュィーーンと音を立てながら止まった。


「お……オジョウ……とは?」


「んぅ? オジョウと呼べと言ったのはオジョウですよ? また、オラの前歯を折るつもりですか?」


 この人は何を言っているの?

 そうは思いつつ、私は彼の口元をよく見てみると、本当に片側の前歯が折れて無くなっていた。


 ま……まさか、エリザベートが折ったの? その歯を?

 この大男の!? 嘘でしょ……どうかしてる。


 とりあえず、この大男が私に危害を加えるつもりがない事が分かり、体を起こす。


 すると、私の動きに大男の方が驚いたのか、少し後ずさった。


 ーーーーえ? ひょっとしてこの人、私のこと怖がっているの?


 私は恐る恐る、彼に聞いてみる。


「あのぉ……貴方はどういった方なのでしょうか?」


「そんな……オジョウ、冗談でも酷いです。オラのコト、オジョウの家来にしてくれたじゃないですか」


 ーーーーーーーは?


 けっ、家来!?

 こんな大きくて、乱暴そうな人を家来に………?


 いや、そもそも、何をどうしたら家来にできるのよ。


「あの、それで、貴方のお名前は?」


「オジョーーウ、そりゃないです。名前の無いオラに名前を付けてくれたのはオジョウですよ」


「え、そうなの? ごめんなさい。ちょっとド忘れしちゃって……」


「オラの名前は ベンケ だ。オジョウが決闘の時にオラに名前をくれたじゃねーか」


 決闘!? こんな大男と!?

 どうかしてるわ。エリザベート……。


「そっ……そう。それは大変、ね。 あの、それで、私が今まで何してたか教えてくれる?」


 私の問いにベンケは首を傾げる。


「オジョウ。そりゃ、オラに聞いても分からんです。ただオジョウが試したいことがあるって言うから、この山に登って、そしたら、ドーンって」


「ドーン?」


「大爆発でっさ、オラもオジョウも吹っ飛ばされて、気が付いたらオジョウがワシから逃げるんですから、全く酷いお方だ」


 いやぁ、そう言われましても、目覚めに、こんな怖い姿の人が来たら逃げるでしょ。普通……。


 しかも、私はベンケの事を知らないんだし。


 ベンケの大きさは、だいたい三メートルくらいありそうな大きさで、身体つきも熊のようにどっしりとしている。チリチリの髪と髭は肩ぐらいまで伸び、切り揃えられていた。とにかく何か熊っぽい。

 そこに可愛い気は全くない熊。

 

 熊のような大男! うん。ピッタリ。


 ベンケは、ふと思い出したかのように懐から私のバックを差し出した。


「そうだ、オジョウ。これを」


 私はバックを受け取ると、その重たさに、思わず落としそうになりながら、バックを地面に置く。

 意外な重さに驚きながら中を開けてみると、中には布袋が三つ入っていて、その上には手紙と地図が、また入っていた。


 いや、これは……どう考えても、嫌な予感しかしないやつだ。


 私は、そのバックのふたをそっと閉めながらベンケに話しかける。


「ベンケさん、まずは宿に戻りましょうか。町はどちらに行けば?」


「オジョウ、オラのこと、さん付けなんて、本当、どうしただ? いつも通り、ベンケと呼んで下さい」


「あ、あぁ、はい。ベンケ」


 こんな大男を呼び捨てにすることに、複雑な気持ちが沸いたけれど、それを拭うように、私はバックを肩にかけながら立ち上がった。


「痛っ」


 どうやら、さっき足首をひねったのか、右足首が痛くて、歩くことが出来ない。


「オジョウ、足を痛めたんですか? なら、オラがオジョウの足になりますよ」


「え?」


 返事をする間もなく、ベンケは私を軽々抱えると、スタスタと歩き始めた。


 お姫様抱っこ……いや、もうサイズ的に子供を抱っこしているような感じじゃないか?……コレ。

 ベンケが、あまりにも私を軽々と運ぶから、人間とは思えなくなってくる。


 いや、本当、熊に運ばれているようにしか見えないんじゃないかって思うけど……


 私がそんな事を考えていると、ベンケは何かを思ったのか一度立ち止まった。


「オジョウ、この体制は窮屈ですか? なら、こっちが良いですか?」


「うわぁっ!」


 ベンケは、私の両脇を抱えると、子供を高い高いするように、持ち上げ、ベンケ自身の左肩に、私を乗せてくれた。


 景色が、高いっ!

 あ、でも、ちょっと楽しいかも!


「絶対落としませんから大丈夫ですよ。ワシの髪を握っとって下さい」


「ありがとう」


 ベンケの左肩は凄く広い、ゴツゴツして少し座りにくい感じだったけど、慣れれば問題ない。


 見晴らしが良くて、私はその景色を少し楽しんでいた。


 私はベンケに言われた通り、引っ張らないように気をつけながら髪にしがみ付いた。


 ベンケの肩に乗せられ二時間ちょっと歩くと、町の光が見え始める。


「オジョウ、もうすぐです」


 ベンケはそう言うと、少し歩くスピードを上げる。道を見てみると、砂利道から舗装された道に入ったらしい。ベンケの歩くスピードは早くなっても、あまり揺れは感じなかった。



 町の明かりが見えてからは、あっという間に町に着いた。今何時なのか分からないけど、多分、夜が深い時間な気がする。それでも町は凄く賑やかだった。


 酒場からは主にドンちゃん騒ぎをしている声が聞こえる。路地裏みたいになっている場所では喧嘩をしている人もいるし、明らかに治安は荒れているように見えた。


 やっぱり、なんかこの町怖い。


 そんな私の気持ちとは裏腹に、ベンケは堂々と、道のど真ん中を歩いて行く。


 町の明るいところで見下ろすと、ただでさえ高く見えた景色が、よりハッキリと高い事が分かり、少しだけ、髪にしがみつく手が強くなった。


 ベンケは何も言わず、ただ歩いている。


 すれ違う町の人は、ベンケや私に近寄る者はおらず、むしろ、明らかに避けるように、遠ざかる者を何人か見かけた。


 もしかして、この町でベンケは怖い存在なのだろうか。まぁでも、確かに毛むくじゃらで熊みたいな大男、容姿だけでも、怖いけど……。


「オジョウ着きました」


 ベンケが宿の前でそう言って、また私の脇を抱えると、小さな子供を扱うようにストンと降ろしてくれた。


「ありがとう、ベンケ。私は、今日、このまま休みます。それと、エルフレットを知りませんか?」


「エルフレット? あぁ、オジョウの隣にいたひょろい奴ですか? それならオジョウの言いつけで、他の町に行きましたよ。あの時、オジョウがワシに言ってくれたじゃないですか。これからはベンケが私の側に居なさいと。オラは、しびれた!」


「へ、へぇ〜」


 なるほど、エルフレットは今、別の町か。

 それで代わりが、ベンケ……? 

 いや、いくら何でもエルフレットの代わりに、この熊さんを家来って、ちょっと、本当に、どうかしてるよエリザベート!


「ベンケ、あなたは、この宿で休むのですか?」


「いや、オラには家がありますから」


「そうですか」


「では、また明日、朝お迎えに上がります。このベンケ心を入れ替え、オジョウの為、ステイン家の為に、命を賭して働きます。オジョウの為に死ぬのは本望です」


 ーーーーーいやいやいや!


 怖い、怖い、怖い。


 だから、何をどうしたら、こんな大男がこんな忠実になるの?

 まさか、人質とか……とってないよね? 

 大丈夫だよね? エリザベート。


 動揺を必死で隠しながら、私は笑顔をベンケに向ける。


「ああああ、あのベンケ。気持ちは嬉しいけど、その、あまり無理はしないようにね。ね?」


 私の言葉にベンケの目はくわっと見開き、真っ赤に充血しながら涙を浮かべ、そして嬉しそうに頷いた。


 ーーーーえ? コレ、エルフレットと同じ反応じゃない?


 ちょと、エリザベートの人心掌握術が尋常じゃない。

 本当、何したらこうなるの……?


 私は呆れながらも、笑顔でベンケに手を振りながら、宿へと入って行った。


 部屋に入ると、さっそくバックの中を開ける。


 まず、バックに入っていた地図を広げると、そこには新しく印が書かれていた。


 多分、次はこの印の所に行かなくちゃいけないんだろうな……。


 そして、一緒に入っていた、手紙を手に取り、恐る恐る開く。



 ーーーーエリッサ殺す!

 

 やっぱり、最初にそう書かれていた手紙は、以前の手紙の内容と同じように前半に私を苦しめながら殺す内容が書かれてあった。殺し方は違ったけれど……。


 そして、やはり後半は、ただ淡々と地図に描かれた場所に行き、また薬を飲むようにと指示があるだけだ。


 そして、ベンケを家来にしたから、己の命が危ない時は、ベンケを盾に使えと書かれていた。


 盾!? 盾って……エリザベートさん……本当に人使いが荒すぎる。


 手紙の最後には、バックに入っている三つの袋には手を触れないこと。

 それから、絶対水には近づけないように。そう書かれていた。


 多分きっと、この町に来た目的は、この三つの袋だったんだろう。要するに、目的はちゃんと達成されたと言うことか。中身が何なのか分からないし、気にもなるけど……うん。エリザベートが触れるな、と言うのなら触れないようにしよう。


 さぁ、次は何処まで行けば良いんだ?


 私は地図に描かれた場所を、ちゃんと見てみると、此処からは、明らかに遠い場所だった。


「うげっ、めっちゃ遠いよ……」


 私は地図を眺めながら、色々考えているうちに、そのまま寝落ちしてしまっていた。

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