No 63 普通に犯罪
朝、宿を出ると、ベンケが律儀に宿の前に立ち、私を待っていた。
ベンケに声をかけようと、扉を開ける手前で、不機嫌そうな顔をした宿の亭主に止められる。
「お客さん、ビッグベアを店の前に置かれては困ります。他の客が怖がって店に近づけない」
「す、すいません……」
ビックベア? って多分ベンケの事だろう。
この町での彼の名前なのかあだ名なのかは分からないけれど、薄々感じていた雰囲気で、やっぱり、ここでは恐れられている存在なんだと分かった。
私はベンケの前に立つと、にこやかに挨拶をする。彼に対する恐怖心は、ほんの少し薄れてきているし、熊っぽさは怖いけど、頑張れば愛嬌があると思えなくもない。
うん。
多分……。
「おはよう。ベンケ」
「おはようございます、オジョウ。足の具合は大丈夫ですか?」
「ええ、ベンケのお陰で、無理をしなかったから、だいぶ良くなりました」
「そりゃ、良かった。左手もまだ治らんでしょうし、気をつけて下せ」
「ありがとう、ベンケ。それで、あの、私はこれからアルツァと言う町に行かなくてはならなくなりました。私と共に来てくれますか?」
「そりゃ、勿論です。オラはオジョウの家来ですから。どこまでも一緒に行きますよ。ところでアルツァ? とはアールッツァーのコトですか?」
んー、多分そこだよね?
アールッツァー?
発音がちょと分からないな。
不安になった私は、ベンケに地図を見せ、印の場所を指でさした。
「ベンケ、出来るだけ早く、ここに行きたいの。馬で何日くらいで着くと思う?」
ベンケは、まじまじと地図を眺めながら、納得したように頷いた。
「ああ、やっぱりアールッツァーだ。ここだと……馬車で行くより、船を使ったほうが早えぇ。オジョウ、どうします?」
「船? 船で行けるの?」
「はい。ただ、ここから港まで、馬を走らせても一日掛はかかる」
「そうですか。では、すぐに参りましょう」
「はい。オジョウ。で? 馬はどちらに?」
「あ………馬………」
そうだった。私、エルフレットに連れてきてもらったんだから、エルフレットが居ないなら馬もいないんだ。
「その、ベンケは馬を持ってる?」
「いいえ。オジョウは?」
「あったけど、多分、エルが乗って行ってしまったから、今は……」
「そうですか。ならオラの出番だ。ここは、どーーんとオラに任せて下さい。がはははは」
ベンケはそう言って、大きな巨体を震わせながら町の中へ、ドスドスと足音を立てて消えて行った。
ーーーーーーーガラガラガラ
数十分後、宿の前でぼーっと立っていると、大きな荷馬車が私の前に止まった。
「さぁ! オジョウ。コイツに乗って下さい!」
ベンケが荷馬車の手綱を握り、笑顔で私に言う。私は戸惑いながら頷いた。
「でも、これ……この馬車どうしたの?」
「オジョウ。とりあえず、出来るだけ早く出発したいなら、急ぎやしょう」
急かされる私は、慌てながら、ベンケの隣に座る。
「ハイヤッ!」
ベンケは手綱を波打たせ、馬を叩くと、馬は勢いよく走り出した。
「うわぁっ!」
「オジョウ。悪いが、少し揺れやすよ」
ーーーーガッタン!
「きゃっ」
荷馬車の衝撃に、自分のお尻が跳ねると、思わず出てしまった小さな悲鳴と同時に、荷馬車の手すりに右手でしがみ付いた。荷馬車のスピードはどんどん加速していく。
いやいや、確かに急いではいるけど……でも何で、そこまで急ぐの!?
ベンケは何故か、落ち着きなくチラチラと後を振り向きながら、馬車を走らせると、独り言のように呟いた。
「っチッ、随分と気づくのが早えぇ」
「は?」
私はベンケの不穏な言葉に、思わず振り返り、馬車の後方を見る。
すると、後ろから三頭の馬が、この荷馬車を追いかけていた。勿論、その三頭の馬には男が、それぞれ乗っている。
「あの、ベンケ? あれは……なぁに?」
「へへへっ、この馬車の持ち主です」
ちょっ、ええぇぇぇぇぇぇぇ!?
何してくれてるの、ベンケ!?
「大丈夫だ。安心してくれ、オジョウ。もし追いつかれても、叩きのめせやすし。ただオラ、追いかけっこが好きでな。オジョウには悪りぃが、ちぃっとばかし、オラのお遊びに付き合ってくだせぃ」
いや、お遊びって……何考えてるの? これ、ただの泥棒ですよね? 普通に犯罪ですよね?
唖然としている私を他所に、ベンケは大笑いしながら荷馬車を走らせていた。そのうち、追って来ていた馬達の姿が見えなくなっていく。
「ガハハハ! 撒いたぞ! 撒いた! オラの勝ちだ」
満足そうに、大笑いするベンケの隣で私は頭を抱えるしかない。
駄目だこの人、私とは全く価値観の合わない人だ。そう心の中で悟っていた。
「ベンケ、この荷馬車は、ちゃんと持ち主に返しましょう? 今ならまだ間に合います」
「ハッハッハッ、オジョウ。その手には引っかかりませんぞ。また、そうやってオラをからかって。面白い」
「いいえ。からかうだなんて……私は本気です」
「ガハハハ、オジョウは本当に演技が上手いなぁ。ガハハハハハ!」
「いや、これは演技なんかじゃなくて……」
「ふふふ、オジョウ、言ってたじゃないですか。今は非常時、オジョウの為ならオラは何でもして良いって、もしオジョウが咎める事があっても、それは演技に過ぎないって。えっと、何でした っけ? 令嬢としてのつつ……ん? 何だ?」
「嗜み?」
「そうそう、つつしみだ。慎み。オジョウはその慎みを演じてるんでしょ? ふふふ、公爵令嬢とやらも大変ですな。ガハハハハ」
エリザベート! なんて事、言ってくれてるの。
私の為なら何でもしていいだなんて……。
ベンケの言う、何でもして良いの、"何でも"のふり幅がだいぶ怖いんですけど……。
前もってこんな話をされていたなら、私が何を咎めても、慎み演技で全て終わっちゃうじゃない。
いや、本当エリザベート。あの、何をするか分からないベンケくんが、本当に怖いんですけど。
ベンケはそのまま上機嫌に馬車を走らせ、日がだいぶ落ち、うっすら星が見えた頃、潮の香りが鼻をかすめた。
何だか懐かしい。海が近いんだ。
そういえば、私はこの世界で海を見るのは初めてだわ。
海かぁ、久しぶりだなぁ。
私は背筋を伸ばし、海が見えないか、そわそわしながら、前方を見ていた。我ながら子供のようだとも思ったけれど、潮の匂いは元の世界と共通だったから、懐かしく思うのも仕方がない。
「オジョウ、今日は、あそこの港町に止まりましょう」
「ええ、ベンケ。そうしましょう」
荷馬車が港町に着いた時には、すっかり日が落ちてしまっていた。潮の匂いや、かすかに波の音がするけれど、暗すぎて実際に海は見えない。
荷馬車を宿の前に止めると、ベンケは荷馬車をガサガサとあさり始める。
「ベンケ? 何を探しているの?」
「ふふふっ。あったあった。これで大丈夫だ。オジョウ」
ベンケはそう言って、パンパンに膨らんだ袋を私の目の前に差し出した。
「なんです? これ」
ベンケはニンマリした顔で、袋の中をあさると、ジャラリと銀貨を取り出して、私に見せる。
「ぐふふっ、荷馬車の持ち主のだ。売り上げ金を積んだままなんて、間抜けな奴ですなぁ、がははは」
間抜けって……いや、突っ込み何処はそこじゃないな。ダメだ。突っ込みどころが多すぎて感覚がマヒしてくる。
「オジョウ、今日はこの金で宿に泊まってください。オラはこの馬車で一夜を過ごします」
「ベンケ、それでは貴方が風邪を引きますよ? 私と一緒にこの宿に泊まりましょう」
「カゼ? それは何です? 何かの食いもんですか?」
……え? 風邪をひいたことないの? いや、もういい、ベンケをあまり詮索するのはよそう。
「ベンケ、それにそのお金は使えませんよ。 元の持ち主に返さなくては」
「ははは、そうですな。オジョウ。その通りです。ですが、今は非常時、この金はいずれ返しましょう。さぁさぁ、オジョウ、これで慎みは保たれましたぞ。ガハハハハ」
はぁ……駄目だ。私もまんまとエリザベートに転がされている。
私は頭を抱えながら、ため息を吐くと、ベンケに言った。
「分かりました、そのお金で宿へ泊まりましょう。でも、いずれお金は返しますからね」
「がははは、慎みとは随分と、面倒ですな」
ベンケはそう言いながら私に銀貨の入った袋を渡す。
ーーーードッシャ
「ちょっ、おもっ……。ベンケ、お金は今日の宿代だけでいいです。残りはベンケが持っていてください。そのお金があれば、もう他で盗む必要性はないでしょう?」
「そうですか……」
私は、何枚か適当に銀貨を取ると、袋ごとベンケに渡した。
「ベンケ、また明日朝ここで会いましょう。いいですか、ベンケも慎みを持って行動してくださいね」
「がはははは、分かりましたオジョウ。つつしみですな、がはははは」
ベンケは大笑いをしながら、私を宿まで送った。
朝、宿のカーテンを開けると、そこはキラキラ光る海の景色が一面に見えていた。
「海だぁ!!」
私は子供のようにはしゃぎながら、窓の外を眺め、その景色を暫く楽しんだ。
朝の食事をし、宿を出ると、宿の前でベンケが私を待っている。
宿の店主は、注意こそされなかったが、迷惑そうな顔でベンケと私を見ていた。
「おはようございます。オジョウ」
「おはよう、ベンケ。昨日の夜は慎みながらすごしていましたか?」
「はぁ?」
訳がわからないと言いたげに首を傾げるベンケを見て、私は絶望していた。
あぁ、駄目だ、この人まったく理解していない。
昨日大人しくしていてくれたなら良いけど。もし何かしでかしてたらどうしよう。それこそ気が重い。
「さて、オジョウ。さっそく船でアールッツァーへ向いましょう。オラちょうど良い船を見つけたんでさぁ」
ベンケはそう言って、満面の笑みを私に向けた。
いや、その笑顔……なんか、嫌な予感しかしないんですけど……ベンケくん!!
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