No.61 ここは何処?


 馬を走らせてから、半日が経った。エルフレットは、さっきから私を心配そうに見ている。


「あの、お嬢様、お疲れではありませんか?」


 確かに初めての馬だし今だに怖いし、お尻痛いけど。

 でも、早く行かないと……。


「あのっ、地図の印の場所までは、どれくらいかかりますか?」


「三日、いや四日は掛かりますね」


「えっ! 四日も!!?」


「はい。このペースで、四日です」


「そう……四日も……」


「一度、休まれますか?」


 正直、休みたい……でも、言えない。


 だって、急がないと……カトリーヌの事もあるし、また、いつ襲撃を受けるかも分からない。


 ここは我慢だ。


 あぁぁぁっ、でもっ……お尻いたいっ!!


「休まず、そのまま行って下さい」


 私はギュッと自分の服を掴みながらそう答えた。

 エルフレットは前を見据えたまま、私の言葉に返事をしなかった。次第に馬のスピードがゆっくり、落ち始める。


「………? あの、エルフレット?」


 エルフレットは眉を潜め、厳しい顔で私を見下ろしていた。


「お嬢様、無理はいけませんよ。今、無理をされても、良い事はありません。いざ目的地に着いた時、疲労で何も出来ない、なんて事になれば本末転倒です。一度しっかり休みましょう? 私の見た限り、お嬢様は、乗馬は慣れてないご様子。屋敷の襲撃の際には、馬に乗られていたのを見ておりましたので、慣れているものと勝手に思い込んでおりました。

私の配慮が行き届かず、申し訳ありません」


「そんな……エルフレット……」


「お嬢様、丁度ここは、宿場町になります。今日はこちらで休みましょう」


「でも、エルフレット、私には、本当に時間がないのです。ゆっくりしている時間は……」


「お嬢様、あまり、ご自身を追い詰めないで下さい。怪我もされておりますし、お嬢様が倒れられてしまったら、私共……いいえ、カトリーヌお嬢様も、ステイン家全てが路頭に迷ってしまいます。今は私達の為と思い、お休みになっては頂けないでしょうか?」


 エルフレットはそう言って、先に馬から降りると、下から私を見上げ、手を差し伸べた。


「分かりました。エルフレット」


「私の事は、エルとお呼びください。お嬢様」


「ありがとう。エル」


 私がエルフレットの手を取ると、彼は嬉しそうに微笑みながら、私をゆっくりと馬から降ろしてくれる。


 地面に足を着けた瞬間、ガクリと崩れそうになり驚く。エルフレットがそっと支えてくれていた。

  

 うわぁっ。


 確かに今日は、もう休んだほうが良かったかも。地面の感覚が無いや。


 足に力が入らないというか、ふわふわした感覚が気持ち悪い。

 足元が覚束ない私に、エルフレットは微笑みながら自分の左腕を捕まりやすいように、少し上げてくれた。


「ありがとう」そう言って、私はエルフレットの腕にしがみつきながら、何とか宿まで歩く。


 ようやく宿に着き、私が座っている間に、エルフレットは宿の手続きを全て済ませ、部屋まで案内をしてくれた。


「お嬢様、今日はこちらでお休みください、食事も部屋にお持ちするように宿の者に言ってあります。朝には、またお迎えにあがりますので、それまでこの部屋でゆっくりお休み下さい」


「あの、エルはどうするのですか?」


「私は、これからお嬢様の言いつけどおり、別の町まで行かせて頂きます」


「お嬢様の言いつけって誰のです?」


 エルフレットは不思議そうに首を傾げて私を見ている。


「エリザベートお嬢様ですよ? お嬢様の指示により、資金調達のため各町の金商人から、お金を回収しております。

金貨を集めるようにと、仰られたので、今は侍女や使用人が皆、金貨を集めに各地を転々としていますよ」


「金貨集め……?」


 そんなの知らない。これもエリザベートの指示だ。本当に、エリザベートはいったい、何を考え、何をしようとしているのだろう。

 でも、これは私が口を出すことではない。きっと何か大切なことなんだろう。今は全てエリザベートに任せる為に私はここにいるのだから。


「エル、ありがとう。大変でしょうが、よろしくお願いします」


 エルフレットは目を見開いて驚いたような顔をすると、そのまま頭を下げた。

「失礼致します」そう言って顔を上げたエルフレットの目は赤く、少し鼻をすするような音を立てながら部屋を後にする。


 私はエルフレットの立ち去って行く背中を眺めながら首をかしげた。


「エルは鼻炎かしら?」





 翌日、エルフレットが疲れた顔をして、私の部屋にやってきた。


「ねぇエル、もしかして休んでいないのですか?」


「はい。少々、距離がある町まで行っていました。お嬢様のお迎えに、間に合ってよかったです」


「良くありませんよ。まさか、このまま、また出発するつもりですか?」


「ええ、勿論、すぐに行きましょう」


「でも……それでは、エルが……」


「お嬢様、私の事は、お気になさらず、馬はこの町で借りましたので、元気ですし、問題ありませんよ」


「エル、そうではありません。私は、貴方のことを言っているのです。そんな疲れた体で、私を乗せながら馬を走らせて大丈夫なのですか?」


 エルフレットは一瞬無言になると、ただでさえ充血していた目が、更に赤くなっていく。


「……お嬢様、まさか、私の体を気遣ってくれているのですか?」


「そんな事、当たり前です。貴方が倒れてしまったら私はどうなるのです? 昨日、エルが言った事、そっくりそのまま貴方に返しますよ」


 私の言葉に、エルフレットは涙をポロポロ溢した。それを乱暴に袖で拭くと、恥ずかしそうに笑う。そんな中年のエルフレットを見ていた私は、何故か少し可愛いとか思ってしまった。いや、可愛いいはナイでしょ。ごめん、エルフレット。



「私も、年を取りましたね。ここまで涙もろくなるとは……いえ、申し訳ございません。お見苦しいものを、失礼致しました、お嬢様。

私は、大丈夫です。今は、お家の一大事、カトリーヌお嬢様の為にも、私は絶対に倒れません」


 涙を拭い、力強く頷くエルフレットに、私はそっとハンカチを渡す。


「これを使って。エルの気持ちは分かりました。でも、本当に無理をしすぎないで」


「……っ……はい。お嬢様、ありがとうございます」


 エルフレットは私からハンカチを受け取ると、また涙をポロポロと溢していく。止まらぬ涙をハンカチで拭きながら、嬉しそうに私に向かって微笑んだ。


 いや……そんな、泣くほど喜ばないで……。


 あぁ、でも、愛想のない怪物エリザベートに優しくされたら、皆、驚くのか? 疲れている時は特に情緒不安定になりやすいだろうし。これはギャップ萌え的な涙? いや、そんな生易しい言葉はエリザベートには似合わないか……。


 本当、ステインの人達は、仕事が出来る人ほど、待遇が厳しいと思う。これからは労わりの精神を広めねば、労働基準とか作るべきよ。うんうん。


 私は頭の中で、ステイン家の労働環境について妄想を膨らませながら、馬に揺られていた。




 それから、休みを挟みながら、ひたすら馬を走らせ、四日が過ぎた。


 目的地の、グラパス山脈ふもとの国境の町、バーキスがようやく見え、町と一緒に壮大な山々の景色を眺める。ここがエリザベートが地図に印をつけ、指示した場所だった。


 バーキスに到着する手前で、馬に揺られながら、エルフレットにグラパス山脈やバーキスのことについて教えてもらっていた。



 グラパス山脈は活火山が多く、よく噴火をする地域らしい。そのせいで、安定した町を築く事は難しく、周辺に住み着く者はほとんどいなかった。いくつか集落のような場所はあったものの、そこに住み着いた者は、気性の荒い者が殆どで、誰も好き好んで近づく者はいなかったそうだ。


 それが、十年ほど前、何の価値もなく、ただ噴火ばかりするグラパス山脈に、デンゼンパパが目をつけた。デンゼンパパは、ここが鉱山である事に気づくとすぐさま、開拓していき、今では、バーキスは鉱山の町へと変わっている。


 ただ、町へと変わっても、ここバーキスは基本的に気性の荒い者達の集まりであることは変わりなく、発掘者の大半が荒くれ者で、治安で言うなら、今でも危険な町には変わりないらしい。


 って、エルフレット。いやいやいや、ちょっと、そんな怖い場所なのここ。めっちゃ怖いんですけど………。


 町に到着すると、西部劇で見たような木材で建てられた家々が並び、周囲の砂煙が多かった。


 家々の周りには豚が多く囲われ、とにかく、家畜の匂いが凄い。私は思わず鼻を手で押さえ、口呼吸を意識していた。


「それで、お嬢様。これからどうなさるのですか?」


 エルフレットの質問に、私は首を傾げてしまう。


「さぁ、どうしましょう」


 こんな怖い場所で、エリザベートが何をしたいのか分からない。でも、ここで薬を飲んで、エリザベートに体を譲れって事だよね。


 もしかして私、体を譲ったまま、死んだりしないよね?

 

 まぁ、あのエリザベートに限ってそんなことはしないと思うけど……あ、でも、殺すって手紙に書いて……いやいやいや、まさかね。うん。


 そんな考えを巡らせていると、ちょうど、酒場らしき建物から大柄の男が出てきて目があった。男は訝しげにこちらを睨んでいる。明らかに余所者の私達を不審に思っているようだった。


 男の顔は傷跡だらけで、身なりも、つぎはぎだらけのボロボロの服を着ている。左の腰には大きな剣がぶら下がり、男は、その剣の柄を撫でるような仕草を見せながら私達を見ている。

 そのすぐにでも、襲いかかってきそうな雰囲気に私はビビっていた。


 ーーーーーーダメだ。


 死んじゃう、死んじゃうよ。襲われる。ここ、小娘が来ちゃダメな所よ。絶対そう。間違いない。


 私は青ざめながら、エルフレットの服の裾を掴んだ。


「エル、まずはここ、離れよう。そう宿……ヤドニ、イコウ」


「そう……ですね、宿に急ぎましょう」


 私と同じく青ざめているエルフレットと、ほとんど同時に後ろへ振り返ると、全力で宿に駆け込んでいた。


 駆け込んだ宿の店主は優しそうに見え、ホッとする。宿の手続きを済ませ、部屋へ入ると、私はエルフレットに言った。


「エル、これから……その、私はきっと、凶暴? になると思います。貴方が、自身の危険を感じたらすぐに逃げて下さい」


「……あの……それは、どういう?」


 エルフレットは、意味が分からないというような顔をしながら首を傾げているが、私は、それを無視して続けた。


「いいですね。身の危険を感じたらすぐに逃げるんですよ? 私、すっごい癇癪持ちなんですから」


 エルフレットはクスクスと笑いながら頷いた。


 駄目だ。


 絶対分かっていない。

 まぁでも多分、大丈夫だとは思うけど………。


 私は着替えたいからと、エルフレットを部屋から追い出し、一人になると、肩から下げていたバックに入れてあった薬を、もたつきながら片手で取り出す。


「はぁぁぁーーーー」


 思わず、深いため息が出る。


 覚悟を決めて、一気に薬を飲みほした。




          ※




 次に私が目が覚めた時、そこは真っ暗で、身体がザラザラの砂に埋もれていた。


 「ーーーーえ!? ここ、何処よ……?」


 私は砂に埋もれた体を起こし、泥だらけの体を右手で叩きながら、砂を落とす。


 頭が響くように痛い。自分の頭を手で支えるように触ると、髪の毛が絡まりまくり、ギシギシのぼさぼさだった。


「何が……いったい、どうなっているの? ちょっと、本当……ここ何処よ」


 暗闇に目が慣れ始め、周囲がだんだんと見えてくる。


 上を見ると、星空が見えるから、今は夜なのだろう。でも煙雲も見える。足元は岩だらけだし……だから、ここ何処よ?


「オジョーーウー! オジョーー!」


 何処からか、低くて太い男の人の声が聞こえた。


 声のほうを向くと、大柄で熊のような男が凄い形相で此方へ走って来ている。髭面の毛むくじゃらの男の図体は本当に大きく。ドスドスと音が鳴り響きそうな、凄い勢いで近づいてくる。


「うそうそうそ、何、何!? 怖いよ!! こっち来ないでよ」


 私は身の危険を感じ、男に背を向け、全速力で駆け出していた。


 ちょっと!! 何よここ!? 助けて!!


 誰か、助けてえぇぇぇーーーー!!


「オジョーーーウ! オジョーーー!!」


 こだまする、男の叫び声は恐ろしく、私は必死で逃げていた。

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