No.29 アシュトン日記 其の一 下
平穏な日々が暫く過ぎたある日、突然、訃報が届いた。カミール殿下が亡くなったのだ。
学院はすぐに休校になった。ただし貴族達だけだ。
僕はカミール殿下を知らないし、見たこともなかった。噂ではとても聡明な方だと聞いていた。でもそれがどれだけ大変な出来事だったのか、僕は全く分かっていなかった。彼の葬儀の日から機能していない、止まってしまった王都ガーデンを見て、ようやく実感したのだ。
ただその反面、貴族が居ない学院は快適だった。授業も貴族が学ぶ以外の授業内容が主で本当にはかどる。久しぶりに集中できたような気さえした。
そんな、満足感に浸っていた休憩時間、貴族がいないクラスの中で、ふとデジールを見て僕は抑えきれない衝動のようなものに襲われる。そして、その気持ちの赴くままに、声をかけていた。
「デジール。少し、聞きたい事があるんだ。今いいかい?」
僕に声をかけられた彼女は少し困惑しているようにも見えたけれど「ええ」と短い返事を返してくれた。
彼女に初めて声をかけたくせに、遠慮などせずに構わずに聞く。
「デジール。君はエリザベート嬢と何かあるのかい?」
デジールは驚いように目を見開いた。その表情がなによりも雄弁な気がするけれど、デジールは戸惑いながらも首を傾げて見せる。
「何故です? 特に何もありませんよ」
「僕、見たんだ。君がエリザベート嬢から紙を受け取るのを、あれは手紙だろ」
デジールは明らかに狼狽していた。動揺を隠しきれずに言葉を詰まらせながら続ける。
「いっいいえ。そんなもの受け取っていませんよ? 目の錯覚です。気のせいですよ。私とエリザベート様が手紙のやり取りなんて。そんな事、ありえません」
怪しすぎるくらいに、凄く怪しい。でもこれ以上詰め寄っても、警戒されるだけで、何も聞き出せないだろう。
でもこれで分かった。デジールとエリザベート嬢は間違いなく親交がある。デジールの驚き困惑した表情がそれを雄弁に物語っていたのだから。
「そうか、変なこと聞いて悪かったね」
僕はそれだけ言うと、そのまま彼女から立ち去った。知りたいことは知れた。後はどういった関係なのかだが、それは色々彼女達の動向を見極めれば分かってくるかもしれない。
何故だろう。僕はエリザベート嬢を知りたいと、ただそれだけで、まるで深まる謎を追い求めるかのように彼女に夢中になっている気がする。
その翌日のことだった。まだ貴族達は休みのはずなのに、リリーとそして彼女の取り巻きが揃いも揃って教室にいた。
リリーは凄く上機嫌だった。そして彼女は、わざとらしいくらいに大きな声を張り上げて、取り巻きに言った。
「カミール殿下の死因が分かったらしいわよ。毒殺らしいわ。カミール殿下は殺されたのよ」
彼女の言葉にクラスの視線が一気に彼女に向く。リリーはそのまま視線など気にせずに続けた。
「カミール殿下の死の直前、一緒にいらしたのは確かカトリーヌ嬢でしたわね? 毒殺であれば、直前にいた人物が一番怪しいと私は思うの。皆さんもそう思わないかしら?
だって、ちゃんと毒を飲んだか確認できるのはカトリーヌ嬢だけですもの。それに彼女が犯人でないなら、一緒にいた彼女も毒で一緒に亡くなるのが普通でなくて? きっとカトリーヌ嬢はカミール殿下に嫉妬して毒殺したに違いないわ」
皆が沈黙する。それは、あまりに大それた発言だったからだ。リリーの言葉に、皆が戸惑っていた。貴族達が休みである今、ここにいる者は殆どが平民の者だ。平民が貴族に対して下手に口を挟むことは出来ない。
リリーはそれを知ってか、ニタニタと笑いながら、デジールに近づいていく。
「ねぇ、あなた。ステイン家のエリザベート嬢のお陰で随分と余裕そうなお顔でしたけれど、残念ながらもう、エリザベート嬢も立派な殿下殺しの親戚になってしまわれたわ。私達がエリザベート嬢に気遣う必要も、もう無いの。だって殿下殺しの罪人の妹なんですもの。ねぇ?
ふふふっ、そろそろ、あなたとまた、遊んで差し上げようと、ちょうど思っていたところなのよ?」
「そんなっ、カトリーヌ様がそのような事するはずありません。勝手な憶測や噂はお止めになってください。重罪に当たりますよ」
僕は驚いた。今まで、リリーに何か言うことなどなかったデジールが凛としてリリーに向かって話している。そこに怯えの色は一切見えない。むしろ静かな怒りにも似たデジールの瞳がリリーを真っ直ぐに見ていた。
きっと僕と同じようにリリーも驚いたのだろう。みるみるうちにリリーの顔が真っ赤に染まっていく。
パッシーーン!!
リリーがデジールの頬を打ったが、それでもデジールの瞳が変わることは無かった。
「下々の分際で、この私に向って何を言っているの!?」
リリーが思い切りデジールを突き飛ばすと、その反動でデジールが倒れる。それを見たリリーがニヤリと笑いながら、倒れたデジールのお腹を何度も踏みつけた。
デジールは蹲りながら、ただリリーからの暴力に耐えている。
何度も何度も踏みつけていたリリーは疲れた様子で息を切らしながらデジールから離れると、取り巻きが持っていた袋を奪い取り、そして、そのまま中身をデジールの頭にぶち撒けた。
中身は腐敗した生ゴミだった。一気にクラスの中に異臭が漂い、皆が鼻を押さえる。
「ふふふっとってもお似合いよ。早く死んで、そうやって腐ってしまえばいいのに」
そう言い残してリリーとその取り巻きの貴族達は教室を後にした。
結局、僕は……僕はやっぱり何も出来なかった。彼女が痛めつけられているのを黙って見ているしか出来なかった。
貴族の奴らが居なくなった後、僕はデジールに駆け寄った。
「デジール。大丈夫?」
そう聞いた自分自身に反吐が出る。大丈夫な訳ないのに…………。
それでもデジールは周辺に散らばった生ゴミを袋に戻しながら、僕に笑いかけた。
「ええ、ありがとう」
僕は、そんなデジールを見て、何故か無性に泣きたくなった。デジールさえ泣いていないのに。
僕の手は自然に一緒にゴミを片付けている。汚いとかあまり思わなかった。ただ自分が泣かないようにするのに必死だった。
「い、痛みはあるかい?」
「……うん、少し」
「肩を貸すよ。一緒に医務室に行こう」
「ありがとう」
僕は彼女を連れて医務室に向かって歩いた。
「君は凄いね。貴族であるリリー嬢にあんな風に意見が言えるなんて」
「ただ………ただ、間違っていると思ったから、いくら貴族でも言って良いことと悪いことはあるわ」
デジールの瞳が何かを思い出したかのように悲しそうに揺れる。
「君は見かけによらず強い人なんだね」
「え?」
「僕には真似できないよ。君がエリザベート嬢と親交があるのも分かった気がする」
「そんな、私とエリザベート様とは何もありませんよ」
「そうだね、そうしておくよ」
僕がそう言うと、デジールは本当に小さな声で「ありがとう」とそう呟いた。
きっと、この後、このクラスはまた荒れるだろう。リリーのあの言い草からしてエリザベート嬢の威圧も、もう効果が無くなるのかもしれない。
「随分、物騒なことになってきた」
「ええ、本当に……」
頷くデジールの瞳は悲し気だが、自分を憂いている訳ではなさそうだった。
きっとエリザベート嬢の心配をしているのだろう。
やっと静かになった貴族院がまた荒れるのは本当に嫌だ。それでも僕の胸騒ぎは警告のように止まらない。
デジールと歩く医務室までの道のりがヤケに遠く感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます