No.48 荷馬車とマリア


 私とカトリーヌ、そして数人の侍女達も後を追うように下へ降り、荷馬車が止まる屋敷の外へと飛び出した。


「マリア!? これはいったいどうしたの?」


 マリアを見つけ、私はすぐに声をかける。

 背を向けていたマリアが、振り返って私を見ると、困惑の色を見せたあと、すぐさま眉根を潜め、一瞬だけ、苦い顔をした。


 そのマリアの、態度と表情を見た瞬間、駆け寄ろうとしていた私の足が思わず止まる。


 あぁ、マリアは私とエリザベートの事を既に知っている。そう頭に浮かんだ。

 おそらく、この荷馬車についても、エリザベートの指示でマリアは動いていたのだろう。


 足を止めて、立ち止まっていた私に向かって、マリアは歩み寄り、何を考えているのか分からないような、いつも通りの無表情な顔で、私に声をかける。


「お嬢様、旦那様の書斎にあった書類等をこのお屋敷に移動させて頂いています」


「そう、分かったわ、マリア。お疲れ様。悪いけど、それがひと段落したら私の部屋に来てちょうだい」


「畏まりました」


 私がマリアと話している間に、カトリーヌは慌てたように、荷馬車へと駆け寄り、積んである箱を次から次へと開け始め、何かを探し始めた。不思議に思った私は、思わずカトリーヌに尋ねる。


「お姉様、何かお探しですか?」


 振り向いたカトリーヌは「これは違うわ」と言いながら私を睨んで、また次の箱を開けた。


「あんたに止められていたけど、執事に隠して入れておくように言っておいたのよ。あぁっ、もうっ、こっちも違う」


 カトリーヌはそう言いながら、手を休める事なくまた次の箱を開ける。

 近くにいた執事が気まずそうに、私を見た後、頭を下げた。


「エリザベートお嬢様、申し訳ありません。カトリーヌお嬢様が、どうしても、とおっしゃったものですから」


「あぁ、いえ、良いんですよ。それで、いったい何を探してるのですか?」


「あった!! あったわ、エルフレット! この中に入っている物を私の部屋に入れてちょうだい」


「はい、畏まりました。カトリーヌお嬢様」


 エルフレットと呼ばれた中年くらいの執事は、すぐにカトリーヌの開けっ放しにしていた箱を片付け始める。ただ、長旅で着いたばかりのその執事が、酷く疲れているように見え、私は思わずその執事を呼び止めていた。


「あの、大丈夫ですか? 箱の片付けは、ここの屋敷の使用人達も手伝うように言いますから、一旦屋敷でお休みになってください」


 私の言葉を聞いた執事は、びっくりした表情をして立ち止まった。その執事の反応に違和感を持った私が首を傾げていると、執事は慌てた様子で頭を下げる。


「い、いえ、私はまだ大丈夫です。お気遣い、感謝いたします」


「でも、無理は駄目ですよ? 体を壊します。さっきからあまり顔色が良くありませんもの。さぁ屋敷の中へ、残りは元気な者達に少しずつやってもらいましょう」


「お……お嬢様」


 執事であるエルフレットの目は何故か潤み、酷く感動しているように見えるけど。


 いや、いや、ちょっと待ってよ。私、普通のことしか言っていないよね?



 私は屋敷の侍女や使用人を集め、カトリーヌの部屋にする為の模様替えをしていた者達を最小限にして、他の者達は荷馬車の荷物を屋敷に入れ込む作業を手伝うように指示をした。


「マリア、貴女も疲れているでしょう。屋敷へ入り、少し休みなさい」


「いえ、私は」


「駄目よ、無理は良くないわ」


「はい」


 少し不満そうな表情に見えたような気もしたけれど、私はほとんど無理矢理マリアを屋敷内へと入れた。


「お嬢様………?」


 私の強引さに疑問を持ったのか、マリアは少しだけ首を傾げながら、私に付いてくる。


「そうね、ちょうど良いわ、話もあるから私の部屋に行きましょう」


「畏まりました」


 私は自分の部屋に入ると、ベッドに座る。マリアは部屋の端っこに立っていた。

 

「それで? マリア、あの荷物はいったい何なの?」


「理由は存じ上げません。ただお嬢様……いえ、エリザベートお嬢様がお運びするようにと」


「そう、それで貴女は何処まで知っているの?」


「何処までとは?」


「私のことよ。貴女はさっき、荷物はエリザベートからの指示だったと言ったわね。もう、本人に聞いたんでしょう? 今の私はエリザベートではないと、貴女は知っている」


「……………」


 マリアの無言が、何よりもの肯定だと思った。私は小さく息を吐いてから、覚悟を決めてマリアを見据える。


「貴女がいくらエリザベートを肯定していても、私は決してエリザベートを認めることは出来ないし、私は彼女を否定し続けますよ。

例えば貴女が私に対して反旗を翻し、私がエリザベートではないと、否定したとしても、それは変わらない。今、この体に居るのは私、あんな快楽殺人者ではないわ。

それでも、貴女が今後もエリザベートに仕えたいと思い、仕えるのであれば、すぐにこの屋敷から去りなさい。

私は貴女が思うエリザベートではないの。彼女の悪事に加担する気もない。そしてマリア、貴女にもエリザベートには関わって欲しくない。だから、貴女がエリザベートにまだ未練があるなら去りなさい。二度と私の前に現われないで」


 少しの沈黙の後、マリアは体を震わせ始めた。ガタガタと震え、その体を自分自身で支えるかのように両手で抱くと、そのまま崩れ落ちるように跪いた。


「お……お嬢様、お許しください。私は……私はっ、汚らわしい人間です。ですが私は、お嬢様を愛しているのです。私の全てが、存在の意味がお嬢様なのです……私は……」


 マリアの目からはボロボロと涙が溢れ出ていた。

 表情があまり変わらないからこそ、マリアから溢れる涙が痛々しく見える。


 傷つけているのは私だ。


 でも、マリアの感情をここまで揺さぶっているのは私では無い。

 普段、無表情な事が多く、殆どの事に無関心な彼女をここまで依存させるエリザベートとはいったい何なんだ。

 きっとエリザベートは、今まで私が考えていたような、ただのサイコキラーじゃないのだろう、マリアを見ていてそう思った。


 でも私にはそれが余計に怖い。


 エリザベートが目覚め、この体で何をしたのか、何をするつもりなのか私はそれを知る事すら怖くてたまらない。私の知らないところで、この屋敷の地下室にいた、あの子供達のような事をしていたら、私は止められなかった自分を許す事が出来ないだろう。


 だからこそ、エリザベートを肯定し、それに仕えるマリアを近くにおいて置くのは危険だと思った。


「私は……エリザベートお嬢様から直接お話を、お聞きました。もう、ご自身である、エリザベートお嬢様は死んでしまったのだと。貴女様が眠りについている時の、エリザベートお嬢様の存在は、ただの本能と、貴女様の魂の一部を借りて動いてるに過ぎないのだと。そう仰ってました。

でもっ、それでも、私にとっては愛しのエリザベートお嬢様でした。だって、動いてらっしゃる。今までと変わらず、指示を下し、私を使って下さる。なんら変わらず生きているじゃないですか。

勿論、それだけではありません。私にとって貴女様も愛しいエリザベートお嬢様なのです。

私はお嬢様のお側に居られるのであれば、なんだって構いません。私の全てを貴女様に捧げます。

お許しください。どうか……お願いします。卑しい私を、貴女様のお側にお仕えすることを、どうかお許しください」


 マリアの涙は止まる事なく溢れ続け、必死で訴えかけてくる。その彼女の姿に、私の心は抉られていた。それでも、ここで情に流されるわけには行かなかった。

 彼女は……マリアは、やはり一緒にいる限り、エリザベートを否定出来ないだろう。きっと有能である彼女は、指示があれば、エリザベートの望み通り動き、忠実であろうとする筈だ。



「マリア、エリザベートを否定できないのであれば、今すぐにここを去りなさい。私は貴女を必要としていません」


「お……お嬢様……」


 私の言葉に、彼女は放心状態になり、ただ、呆然としながら涙を流していた。


「ヘレン! ヘレン!」


 私は大きな声で、ヘレンを呼ぶと、ヘレンが慌てた様子で、私の部屋に入ってきた。


 そして、部屋に入ったヘレンはマリアの姿を見て、目を見開きながら、声も出せずに驚いている。


「ヘレン、マリアを屋敷から追い出してちょうだい」


「えっ………?」


「何をしているの? 早くマリアを追い出して!」


 マリアが声を震わせ言う。


「お、お嬢様。どうか……どうか、お願いします」


「マリア、貴女はもう私の侍女ではないわ。さぁ出て行きなさい。今まで私に仕えてくれた事、本当に感謝致します。でも貴女はもう自由になりなさい」


 ヘレンは戸惑い、呆然としていが、私は尽かさずヘレンを怒鳴りつけた。


「ヘレン!!」


「……はい。畏まりました」


 ヘレンは、マリアを労わるようにゆっくり抱えると、私の部屋から出て行った。



 一人になった部屋で、必死に堪えていた涙が頬を伝い静かに流れていく。


「ごめん……ごめんなさいっ。マリア……でも……でも、私にはっ……」






 その日の内にマリアは屋敷から居なくなっていた。侍女達、使用人達は、私がマリアを追い出した、その出来事に皆困惑していた。

 マリアはこの屋敷で、侍女長を勤めていた。エリザベートから誰よりも信頼されていたのを皆知っていたし、その信頼は使用人の間でも、変わらなかった。その彼女が理由も分からず解雇され、屋敷を追い出されたのだ。

 屋敷で働く者達の心には疑問と共に不安があるように見えた。


 その日の夕食、カトリーヌと私、そしてジョゼ叔母様は食事の席を共にしていた。


「エリッサ、聞きましたよ。本日マリアを急に辞めさせたと」


「はい」


「いったい、どうしたのですか? あんなに側に置いていたのに。皆が不安になっていますよ?」


「申し訳ありません。それは、言えません」


「マリアのような侍女はなかなか居ません。貴女にあんなにも尽くしていた。主従関係とはいえ、それでも、あそこまで主人に尽くせる者はいませんよ」


 叔母様、それが理由です。マリアが尽くしてくれる。尽くしてしまうから怖いんです。

 私はもうエリザベートに振り回されたくないのです。そう言いたい。でも……言えない。


「ごめんなさい、言えません………」


 ジョゼ叔母様は困り果てた表情をしていた。


 夕食を終えた私は、部屋に戻る途中、屋敷のいたるところにデンゼンの書斎の本や書類の箱が置かれているのを目にした。ヘレンがすれ違い様に頭を下げる。


「申し訳ありません、お嬢様。この屋敷の物置に置ける場所がもう無くて、こうして、空いている所に置かせてもらっています。足元には気をつけて下さいませ」


「そう………」


 ヘレンの言葉に、愛想も何もない返事しか出来なかった。


 思わずエリザベートが残した、デンゼンの本や書類の入った箱を睨む。


 エリザベート……貴女は一体何がしたかったの?


 私はエリザベートが怖い。今、どうしようもなく彼女が怖いのだ。

 魂がないと言う彼女が、私の知らない間にこの体を使い、動いていた。それは知っていた。


 でも、この屋敷に来た時のマリアの姿を見て、ただならぬ、異様な気配を確かに感じた。きっと何かがあった。それを直感したからこそ、怖くなった。


 私は、エリザベートの制御など、全く出来なかったのだ。眠っていた空白の六日に何をしていたのか、それを知ることも怖いし、また同じような事が起きた時、彼女が恐ろしいことをするのではないのかと思うと、それだけで気分が悪くなる。


 彼女は、夢の中で私がエリザベートになると言った。そして現に身体は乗っ取られていたのだ。魂は無いと言いながら、彼女の意思はハッキリしている。


 彼女は、いずれ私を消すつもりでは無いのだろうか………。


 私は、見えない亡霊のようなエリザベートが、ただただ怖かった。

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