No.11 貴族院初日


 数日後、ついにその日が来てしまった。私は貴族院の制服を着て、鏡の前に立つ。


 貴族院の制服は、私が想像していた制服とは違っていた。制服というよりもドレスに近い形をしている。形はドレスっぽくても色合いはシンプルな白をベースに、装飾はグレーで統一されていた。

 スカートはふわりとしたロングスカートで、そのスカートの裾にはグレーのレースが縫い付けられ、袖の端も同様のグレーのレースが縫われている。首元には白いスカーフをリボンにして巻かなければいけない制服だった。


 首にリボンスカーフなんて初めて巻いた。


 なんだか少しだけ、スチュワーデスみたいで照れくさい。


 この世界に来てからというもの、貴族だから仕方がないとはいえ、おしゃれで、華やかな物ばかりだった。制服ならば少しくらい地味かもしれない。そんな期待もあったけれど、貴族に地味や、動きやすさなんて無縁なものなのだと改めて実感した。


 まぁ制服だから、これでもシンプルな方なんだろうけど。でも私にとって、あの動きやすいジャージが正直恋しい。

 保育士の服って、基本ジャージとエプロンだから、あの頃の服がどれだけ楽で、利便性に富んでいたか、今になってつくづく思う。


 私は左の胸上あたりに指定された金色のバッチを曲がらないように付けた。金色の三角型のバッチがヤケに目立ち、違和感を感じる。

 白色がベースの、清楚なこの制服には全く合わない。正直バッチだけが悪目立ちしていて、少し悪趣味だとさえ思う。


 私は鏡の前に立ち。可愛らしい自分の姿を睨みつけた。

 エリザベートよ、何もしてくれるな。

 私に平和な生活を送らせてちょうだい。


 制服姿の私、美しいエリザベートが鏡越しに私を睨む中、心の中で必死に願った。


「お嬢様、お支度は済みましたか?」


「ええ、大丈夫よ、ありがとう。行きましょう」


 屋敷の表玄関に向かうと、そこには既に馬車が止まっていた。そして、その馬車の中にはカトリーヌが座っている。


「マリア、行って参ります」


「行ってらっしゃいませ、お嬢様」


 私は不安を抱きながら、馬車に乗り込んだ。静かに座り、窓の外を眺めるカトリーヌに挨拶をする。


「おはようございます、お姉様」


「…………………」



 ……………………………。



 無言


 ですよね~


 そりゃそうだ。


 馬車の揺れる音と、馬の蹄の音が響く。私とカトリーヌを乗せた馬車は気まずい沈黙と一緒に貴族院へと向かって走り出した。


 しばらく馬車に揺られていると、窓の景色を眺めるカトリーヌが沈黙を破った。


「エリッサ、貴族院ではあまり私に話しかけないでちょうだい」


 話しかけられると思っていなかった私は慌てて、どもるように「はい」とだけ返事をする。

カトリーヌの視線は変わらず外で、視線が合う事はない。


 カトリーヌは、私の返事など、どうでも良いかのようにそのまま続ける。


「パパの言いつけなので、最低限近くには居るつもりです。でも貴女に何かあっても私は助けるつもりはありません。見捨てます。いいですね」


「はい」


 そりゃまぁ、カトリーヌの気持ちは分かる。憎い私になんて出来れば関わりたくないだろう。パパの『言いつけ』ただそれだけを守る為の最低限だ。

 私はカトリーヌの言葉に静かに頷いた。


 馬車がゆっくりと止まる。どうやら貴族院に着いたようだ。

 先にカトリーヌが馬車から降りた後、私は意を決して馬車を降りた。


 降りてすぐに目の前に見えたのは、壮大な砦のような門だった。

 どうやらコレが貴族院の正門らしく、漆喰のような白い壁と、鉄の格子、格子は飾り格子になっていて、細やかな花柄がちりばめられていた。


 大きな門を眺めながら通ると、すぐに整えられた綺麗な花壇、そして、巨大な噴水が視界に入ってくる。その明らかな学校の域を超えている豪華な作りの噴水と花壇に私は、ただただ呆気にとられていた。


 どうやら、想像していた貴族院という学校は、私が思っていた学校とは全く違う建物のようだった。


 噴水を通り過ぎると、ようやく校舎が見えてくる。


 ってアレ校舎だよね?

 私には全く校舎には見えないのですが………。


 真っ白な大きな建物に、校舎中央に大きな塔がある。異世界感が溢れる、まるで絵本にでも登場するようなキラキラした飾りや異質な丸型の屋根が際立ち、全体的には奇妙だが、建物自体はとても洗礼されているように見えた。


 ただ、それはあまりにも異質で、見たことのない私にとってこの校舎はとても学校には見えない。



 どちらかといえば、おっきな教会? いや、やっぱりお城? のような……ステイン家の家も豪華だけど、建物としては洋式と言える範囲内のものだった。でもここはまったく違う、完全に異世界だと思わせるものだ。


 私は貴族院の校舎を眺め、あっけに取られていると、次第に周囲がザワザワと賑やかになっていった。


「おぉ、カトリーヌ嬢の後にいらっしゃる方は、エリザベート嬢? ここに通うって噂は本当だったのか」


「ウソ、あれがエリザベート様? 噂以上にお美しい方」


 ザワつく周りの黄色い声に、気まずさを感じながら私は軽い会釈をした後、遺族院校舎に入って行った。


 校舎内は外観に比べると、意外に落ち着いた雰囲気をしている。

 内部が更にキラキラしていたらどうしようかとも思ったけれど、ひとまず安心だ。

 まぁそりゃそうだよね。学校内が落ち着きが無かったら集中して勉強なんてできないものね。良かった。


 重厚感漂う校舎内は、私立のお金持ち学校をもっとグレードアップしつつも、何処か落ち着くようなレトロ感が残る校舎に見えた。


 壁は下半分が木の壁、上半分が漆喰の壁で、床もフローリングだけど、ワックスのようなツルツル感は無くマットな感じだ。


 この世界に来てから電気には無縁で、お城みたいな建物でも灯りは全てロウソクだった。

 どれだけ立派なシャンデリアも灯りは全てロウソクで、夕方になると、火入れする人が梯子を掛けながら一つ一つに火を入れて廻るのだ。

 そしてここの校舎の壁の上にも一定の距離でロウソク置きは設置されていた。


 ここの火入れも大変なんだろうなとぼんやりと眺めながら歩く。それでもこの校舎の設計上、太陽光を最大限に活かせるような作りのようで、今はロウソクなど使う事なく、明るい光が窓から差し込んでいた。その計算された作りが何処となく日本の学校の校舎の雰囲気をほんの少しだけ漂わせている気がする。



 校舎内を歩いて行くと、大きな階段が見えた。そのまま大階段を上り、上りきった先の左右に分かれた廊下を左に曲がる。少しだけ歩くと更に階段を上った。その階段は先程の大階段の半分以下の幅で、その階段はそのまま三階、四階へと続いていた。


 四階まで上り、廊下を歩くとずらりと教室が並んでいる。


 カトリーヌの後ろを歩きながら教室を見ていると、その生徒の多さに驚いた。


 貴族院って、結構生徒数が多いんだね。まぁでも建物も大きいからね。迷子にならないように気をつけなきゃ。


「エリッサ、一度しか言わないから、よく聞きなさい」


 相変わらずザワつく周囲の中、そんな事は全く気にせずに、カトリーヌは話し始める。視線は前を向いたまま、立ち止まる事はない。

 私もそのまま歩きながら「はい」と短く返事をした。


「ここ、貴族院には貴族以外の平民も通っているわ。多くは官僚の子とか、学が優秀な子達ね。でも、私達貴族と平民は住んでいる世界が違うの。貴女も分かっているとは思うけど、所詮平民は平民よ。その違いが分かるのが、貴女が今その左胸に付けてる金バッチになるわ。私達貴族の生徒は皆左胸にその金のバッチを付けているの。そのバッチが付いていない子は皆平民。いい? エリッサ、平民とは口を聞いてはダメよ。ステイン家の品が落ちます」


 私の想像より、貴族院の生徒が多いとは思っていたけれど、生徒が貴族だけではないという事か。

 金バッチが付いている子が貴族、付いていない子が平民なのね。平民がこの貴族院に通えるのは官僚の子か相当優秀な子達のみって事で、その優秀な子達と私は一緒に学ぶってこと!?

 私、今更、勉強とかついていけるのかな……。


 そして、この悪趣味な金バッチが貴族である証。制服に付けるには、かなり派手だとは思ったけど身分を明らかにする為だったのね。


「聞いているの? エリッサ」


「あ、すみません。聞いています。バッチが貴族である印ですね。ステイン家の品を落とさないように気をつけます」


「ええ、そうしてちょうだい。貴女が変なことしたらパパに叱られるのは私なんですから」


「はい」


 カトリーヌは貴族以外と関わってはいけないと言うけれど、でも逆を言えば、この貴族院には貴族以外の様々な人がいるってことになる。 

 そしてその人達は優秀なんだろう。私にとってまだまだ未知な事が多いこの世界の事や、この国の事を聞けるチャンスだ。情報社会で生きてきた私にとって情報がいかに大事で重要なモノかは良く知っているつもりだ。"大人しく"は出来るだけ頑張ろう。

 まぁでもあまり派手に動いてカトリーヌにバレでもしたら間違いなく怒られるし、不本意な結果になっても困る。

 まずは様子を見よう、私の体もいつスイッチが入って暴走するかも分からないし……安全第一。


 まずは様子見ね、様子見!


「ここが貴女の教室よ、いい? くれぐれもステイン家の品を落とすような事はしないように」


「はい。お姉様の言うことを肝に銘じ、学園生活を送りたいと思います」


「ふん、本当に気持ち悪いのよ貴女。私をお姉様と呼ぶのだってそう。私をからかっているの?」


「いえ、そんな………」


「まぁいいわ、それじゃぁね」


 カトリーヌはそう言うと、私から去って行った。


 衝撃の事実。エリザベートはカトリーヌをお姉様と呼んでいなかったのね…………。


 でもじゃぁ何て呼んでたのかしら? まさかパパが呼ぶようにカリー?


 いや、それは無さそうな気がする。それに、もしカリーと呼んで間違いだった場合、相当怒りそうだ。ここは安全にマリアに聞いとこう。

 そう安全第一。


 私は教室の扉の前に立った。

 少し緊張する、この緊張はなんだか懐かしい感じだ。学生だった頃の初登校って確かこんな感じだった。


 私はゆっくりとドアを開け、教室に入ると、教室にいた生徒達が動きを止めて一斉に私を見つめた。

 ちょっ怖い! 皆怖いから!

 ビビりながら、それでも表面上は淑女さらしく、私は一礼してから教室に入った。入ったは良いけど、何処の席に座ったらいいか分からない。私は教室の後ろの方に移動して、しばらく様子を見ることにした。


 こうも人に見られると居た堪れない、晩餐会の時もそうだったけど、多数の人が何を考えているのか分からないような目で、私を見る状況に慣れない。


 今、教室の中で私は完全に浮いている状態だ。誰かに声を掛けて席を聞くべきかとも思ったけれど、カトリーヌが言うステイン家の品という言葉が過り、私はただ、立ち尽くしたまま教室を眺めていた。


 気まずい………めちゃくちゃ気まずい!!

どうしよう。席だけでも誰か教えてくれないかな。

 そう思いながら視線を彷徨わせていると、1人見たことのある顔がいた。


 うわ、あの子は…………。


 リリー・マクニール。


 この前行ったマクニール家の晩餐会の主役。リリー嬢の姿があった。

 彼女は私をちらりと横目で見たが、気づかなかったかのようにそのまま席に着き、本を読み始める。


 き、気まずい、やっぱり怒っているのかな。あの日の晩餐会はリリーにとって最悪のものだっただろう。貴族ってやっぱりプライドが高いイメージだし。多分きっと……怒ってる。


 それに私は晩餐会には参加しただけで、直接リリーには何もしてないから、私から謝るなんて逆撫でするようなものだ。結局お互いの為にもリリーにはあまり近づかない方が良いという事になる。


 うん、極力問題を起こさないようにしないといけないし。

 何だかんだ立場や、この容姿によってだいぶ縛られている気がするな。


「失礼ですが、貴女はエリザベート嬢ですか?」


 私が心の中で自問自答していると、男の子の声が聞こえてきた。顔を上げると緑の瞳をしている少年がニッコリと笑いながら私を見つめている。金髪のサラサラした髪、華奢な身体つきに中世的な顔立ちが可愛らしい美少年だった。


 突然目の前に現れた美少年に驚きながらも、私は反射的に彼の左胸を確認する。輝く金バッチと周囲の視線に気をつけながら私も淑女らしく彼に微笑みを返した。



「はい、私はエリザベート・メイ・ステインと申します」


 周囲に感嘆のため息がもれる。

 少年は一瞬だけ息を詰めた後もう一度私に向かって笑った。



「良かった。私はエームと申します。学院でのことは何でも私に聞いてください」



 優しい美少年グッジョブです。

 居心地の悪かった私は助かったとばかりにエームに聞いた。


「ありがとうございます。では、私はどちらの席に着けばよろしいでしょう?」


「席はこちらですよ」


 エームは言いながら、私を席に誘導してくれた。

 私の席は、今私の居る場所から近く、教卓からは一番後ろの席だった。


 私はエームに会釈をしてから席に座る。



「学院での生活に最初は慣れないとは思いますが、クラスメイトは皆良い人達ですから、気軽に話しかけてください」


「ええ、ありがとうございます」


 確かに私も気軽に話しかけたい気持ちもあるけれど、ステイン家の品格やら、エリザベートとしての私の問題が未解決のまま、あんまり多数の人との距離感を縮める事は出来ない。少なくともオープンにお友達を作るのは難しい気がする。


 そう考えれば私が貴族としての地位が上なのが救いだった。私から寄っていかなければ、多分大半の人は見てるだけだろう。美しい容姿はある意味人を寄せ付けないものだし。メリット、デメリット両方ね。


 とにかく、しばらくは様子を見ながらクラスメイトとの距離感を測るべきね。


 あぁ、何も考えずに学生時代を過ごした頃が懐かしい。


 私は人知れずそっと溜息を吐いた。


 ……………学院生活、とにかく気が重い。

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