No.12 ここにも王子!!
席についてから数分後、開かれた扉から教師が教室に入ってきた。
教卓の前に立つと、ちらほら立っていた生徒達も席に着き、話し声も静かになった。
丸メガネを掛けた四十代くらいの品のある女性の教師で、彼女は生徒をゆっくりと見渡すと、私を見て優しく微笑んだ。
「皆様ごきげんよう。本日からエリザベート・メイ・ステイン嬢がこのクラスに転入致しました。皆様もご存知かと思いますが、ステイン家のご令嬢です。エリザベート嬢がこの学園で分からないことや困っていることがありましたら、教えてあげて下さいね」
丸メガネの女教師はそう言うと、私を見つめながらニッコリと笑った。
「では、エリザベート嬢、一言ご挨拶をお願い致します」
私は席を立ち、出来るだけゆったりと丁寧に一礼をする。
「エリザベート・メイ・ステインです。今日から貴族院で皆様と学ぶことになりました。よろしくお願いします」
私は注目をされているのが分かっているから、あえて誰とも視線が合わないように視線を落としていた。
それでも集中的な視線が私に刺さる。
注目されるのも、ほんの少しは慣れてきたとはいえ、やっぱり食い入るように見つめられるのは本当に苦手だ。
引きつらないように、少しだけ笑って席に着いた。
うっとりとするような溜息が、至るところから溢れると、先生がクスリと笑いながら「エリザベート嬢がお美しいのは分かりますが、そんなに見つめては困ってしまいますよ」そう言うと、生徒達は慌てたように視線を前に戻した。
「エリザベート嬢、申し訳ありません。ご挨拶が遅れました。このクラスの担任をしております。ミーナ・デンキンと申します、以後お見知りおきを」
丸眼鏡のミーナ先生は淑女の見本の様な挨拶をして、私はお辞儀でそれに応えた。
やっぱり先生と生徒であっても、家柄や爵位の方が絶対的なのだと先生の挨拶を見てすぐに分かった。
まだまだ分からないことばかりだけど、その辺の上下関係も含めて色々と学ばないと……。
無知なせいでトラブルになってしまう事は避けたい。私は気を引き締めながら授業の準備をし始めた。
いよいよ、私にとっての異世界での授業が始まる。
まさか、自分が学生をやり直すなんて思っても見なかったけれど、授業自体はとても分かりやすかった。
勿論、私自身はすでに日本で義務教育以上のものを学んでいる。けれど異世界でそれが通用するのかは疑問だった。でも、それは杞憂だとすぐに分かる。
何故なら数学についての計算方法は日本の教育の方が遥かに上だったからだ。そして不思議だったのは語学。学んだ事などない異国のものなのにも関わらず、ポンポンと頭に浮かんでくる様に分かってしまう。
多分今受けている授業内容よりエリザベートの知識として持っているものの方が遥かに上だ。
そして逆に困ってしまったのは歴史やマナー。これについてはサッパリ頭に浮かんで来ない。極端にエリザベートの知識が乏しいのだと分かった。多分、記憶の欠落なのだろう。
その辺は私が一から学び直すつもりで頑張らないと更に遅れてしまいそうだ。
それでも知らない事を学んでいくというのは新鮮で楽しい。
心の中で、へぇ〜 とか、なるほど、とか唱えながらノートを取っていればすぐに授業は終わっていた。
気がつけばランチタイムだ。
どうするべきかと、悩む間もなく、ニッコリと笑ったエームが私に向かって話しかけてきた。
「エリザベート嬢、よければお昼をご一緒にいかがです?」
可愛らしさの残る美少年からの嬉しい誘いだけれど、この誘いを素直にホイホイと頷く訳にもいかない。多分カトリーヌが来るだろうし。
「その、お誘いは本当に嬉しく思うのですが、お姉様にお断りをしてからでないと……」
「お姉様? ああ、なるほど、貴女の姉上はカトリーヌ嬢でしたね」
納得したかのように頷いたエームだったけれど、すぐに「では、先にカトリーヌ嬢にご挨拶に伺いましょう」と無邪気に笑った。
優しげで可愛い感じの雰囲気なのに、エームって少し強引な感じがする。何かちょっとこの強引な雰囲気に心当たりがあるような気がするんだけれど、うーん、誰だっけ……。
急ぐようなエームと教室を一緒に出ると、すぐ目の前に不機嫌そうな顔をしたカトリーヌが私を見ていた。
カトリーヌがチラリと私の隣りにいるエームの姿を見ると、小さくお辞儀をする。そのまま私に視線を向けると、呆れた表情と一緒に溜息を一つ残して、何も言わずにその場を立ち去ってしまった。
「何かあったのでしょうか」
エームが心配そうに、カトリーヌの後姿を見ながら呟いた。
「…………」
いや、あの感じのカトリーヌは多分怒っている。でも何故? 私何かしたっけ? いや、特に何もしてない。私を見た瞬間、不機嫌になるのは常にだけど、無言で立ち去るほど?嫌味も言わずに?
今は確かにエームと一緒にいたけれども、同じ金バッチを付けている貴族の方だし、言いつけは守っている。いったい何が駄目だったのだろう。
「エリザベート嬢、食堂へ行きましょうか」
「え、でも……」
「先程、カトリーヌ嬢は何も仰っていなかったですし、大丈夫でしょう。それに、ここの案内もしたいですし、悩む時間が勿体ないです。さぁ」
少し強引だけれども、エームの言う通り時間は限られている。それに昼食だけでなく、校内の案内も自主的にしてくれるつもりでいた事に、彼の優しさを感じた私は、そのまま一緒に食堂へ向かった。
食堂に足を踏み入れて驚いた。もはや学校の食堂と言うより、何処ぞの高級レストランみたいな作りをしている。
何が美味しいのかも分からなかった私は、エームの勧めたものをそのまま注文し、食事をすることにした。
「エリザベート嬢、今日の授業の内容は大丈夫でしたか?」
「ええ、分かる所もありましたが、知らない事もたくさんありました。やはり学ぶ事は良いですね。全てが新鮮で楽しいです」
「新鮮? ですか」
キョトンと小首を傾げるエーム少年は本当に男の子かと思ってしまうほど可愛らしい。
きっと本当に良いとこのお坊ちゃんなんだろうなと思う。そうでなければ、私をステイン家の娘と知った上で、声をかけてくることもないだろう。まぁ少年に対して"可愛らしい''は失礼になってしまうから、もちろん言わないし、態度にも出すつもりもないけど。
「もし、授業で分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね。多分、僕は色々教えられると思いますから」
「ありがとうございます。歴史をあまり知らなかったので、歴史で分からない所があったら、教えてもらえると嬉しいです」
「ええ、それはもちろん、喜んで」
エームは嬉しそうに笑った。これぐらいの歳の男の子は素直に頼られることの方が嬉しいのかもしれない。うん、この子はやっぱり可愛い。
食事も終わり、紅茶を飲みながら周囲を見ると、席はブースのようになっていて、明らかに貴族と平民で完全に分かれていることが分かった。多分その中でも階級、爵位、家柄等で細かく分かれているのかもしれない。今の私には区別はつかないけれど……。
「その、一つ疑問に思う事があって、お聞きしたいのですが、よろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。なんでしょう?」
「どうして貴族院なのに、一般の方も通われているのですか?」
「ああ、それはですね、刺激ですよ」
私の疑問にエームは少し残念そうに、それでも何でもないかのように答えた。
「刺激?」
「ええ、理由としては、貴族だからと言って怠けてはいけないということです。平民に対しての示しが付きませんからね。それと、此処に通える平民は将来、皆、優秀なエリートになります。でなければ貴族院には通えません。勿論、人によるでしょうが、ある程度の未来も保証されるでしょう。でも所詮、平民は平民なのです。いくら優秀であっても、貴族の生徒には勝てないのだと、身をもって学ばなければならない。ですから、平民であっても貴族院に通えるのですよ」
貴族に勝てないことを、身をもって分からせる?
「それは学問でということですか?」
目を伏せたエームは、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、生まれです。生まれには決して勝てないのです。貴女もいずれ分かりますよ」
「そうですか……」
やはり、絶対的な身分制度が根付いているということなんだろう。子供の頃から教育として、植え付けられているのかもしれない。己れの領分を、弁えさせる為の教育。反逆者や、改革者の若い芽を、潰す為の教育ということだろうか。
何ともやるせないような気持ちを抱えながら、私は紅茶を飲み干した。
食後には、少しだけエームに校内を案内をしてもらった。と言ってもほとんど時間がなくて、本当に軽くだった。広い校舎内の案内など、ちゃんとしてもらったら最低でも数時間はかかりそうだ。
場所を覚える自信もないけれど……。
気がつけば、あっという間に午後の授業も終えていた私は、帰る生徒の流れを見ながら、馬車が待つ正門前へと向かった。馬車の扉が開くと、中には誰も乗っていなかった。
カトリーヌはまだ戻って来ていないようだ。私は1人馬車に乗り姉のカトリーヌを待った。
しばらくしてガチャリと扉が開くと、私を見たカトリーヌは深い溜息とともに座った。
窓を小さくノックすると、それを合図に馬車が帰宅へと動き出した。
「貴女って王子なら誰でもいいのね」
ん?
「どういう意味ですか?」
突如声をかけられた事にもビックリしたけれど、それ以上に言っている意味が分からず、思わず首を傾げながらカトリーヌを見た。
カトリーヌの瞳が私を蔑むように見つめながら、ハッと笑う。
「私の婚約者、カミール王子じゃ飽き足らず、エーム王子まで誑し込もうとして、貴女ただの好き者だったのねって話よ」
…………え!?
エームって王子だったの!!?
「し、知りませんでした。王族の方だったのですね。その、教室で何も分からなかった私に色々学園のことを教えてくれていただけなんです」
「それを誑し込んでるっていうのよ。信じられない。無自覚なフリして、周りを巻き込むなんて本当迷惑だわ。貴女みなたいな女が1番最悪なのよね」
私の足がピクリと動いた気がした。
マズい。
「すいません、以後気をつけます」
これ以上、私に何も言わないで、そう思いながら私はカトリーヌに頭を下げ謝った。
「ふん、どうかしらね。巻き込まれる王子が、かわいそ……」
ーーーーガン!!
あ……。
「痛ったぁ!! 今私の足踏んだでしょ!!?」
私は青ざめながら、頭を横にぶんぶんと振った。
カトリーヌは私を睨みつける。
私は何も言わずに、そぉーっと視線を窓に向けた。
カトリーヌも既に会話をする気は失せたようで、舌打ちをした後に、反対側の窓を眺めていた。
自然に流れる風景を見つめながら、私はカトリーヌに気づかれないように小さな溜息をついた。
まだ1日目。
今後の貴族院での生活を考えると……気が重い。
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