No.10 怒りの行方


 ………重苦しい、周囲は真っ暗で何も見えない。


 ああ、またこの夢かとすぐに分かった。



 重い。重たい。暗くて、冷たい。寒い、寒い。


「アナタ……よくも私にこのような屈辱を負わせましたね」


 ねぇ、だから貴女は誰?


 私は冷たい地面にうつ伏せに倒れ、身動きが取れない。彼女の姿はいつも見えないままだ。


「アナタのせいで、私のこの体が汚されているのです」


 私は誰の体も汚したりなんかしていない。私は首を振って否定する。


「よくも下女の分際で!!」


 ーーーゴスッ!!


 私の背中に何かが突き刺さるような強烈な痛みが走った。


 ーーーーーうぐっぅっ!!!!


 痛いっ!!!


「ふふっ……痛い? 痛いでしょう? でもね、私の屈辱はこんなものでは済まないの。分かるでしょう? それともまだ足りない? ねぇ分からない?」


 やめてっ! お願いっ! 痛いっ! 

 苦しいっ……。


「そうね、いいでしょう。アナタに生きている価値などない。そのまま死んでおしまいなさい」


 私はまだっ!! お願いっーーーー


「やめてっ!!!」


 私は、勢いよくベッドから起き上がった。

 息は乱れ、汗がびっちょりと額にへばりついている。気持ちが悪い。


 すぐに隣の部屋からパタパタと慌ただしい音が聞こえ、心配そうな顔のマリアが私の部屋を覗いていた。


「どうなされました、お嬢様」


「いえ、なんでも、ちょっとまた嫌な夢を見てしまったの」


 最近、あの晩餐会から悪夢を見るようになった。誰かは分からないけど私を痛めつけて殺そうとしてくる夢。苦しくて辛く、一瞬、本当に現実かと思ってしまうほどの悪夢。


「私、何かに呪われたのかな」


 これは、エリザベートの呪い………?


「まさか、そのような……こんなにお美しいお嬢様が呪われるわけありませんよ。きっとお疲れになっているのでしょう。王都での暮らしは、まだ日が経っていませんから」


「そう……そうよね、きっと疲れよね」


「明日にでもアロマなど準備致しますか? 眠る前に良いとされる物もあり、気持ちが落ち着くと聞いています」


「そうなの? そうね、それもいいかもしれないわ。お願いしようかしら」



「畏まりました。お嬢様、まだ早朝ですが、もう起きられますか?」


 流石にあの悪夢の後で二度寝する気にはなれない。


「マリアありがとう。もう起きるわ」


「畏まりました。お嬢様、おはようございます。今日も素敵な1日になりますよう。本日の予定ですが、昨夜遅くお帰りになられた旦那様がお話があるとおっしゃり、本日の朝食は、皆様が揃われてからになります。お時間がまだありますので、紅茶でも入れましょう」


「え? 皆ってカトリーヌお姉様も!?」


「ええ、旦那様がその様にと」


 それは……朝から不安しかないわね。


 あの時みたいに、またカトリーヌを見た瞬間身体が暴走したりしないだろうか。それに晩餐会でのカミール王子の事で後ろめたい気持ちもあるし、正直カトリーヌお姉様にはあまり会いたくない。


 それでも、普段からデンゼンパパは忙しく、食事は各自で取るのが常だった為、私にとっては初めての家族での食事の誘いだった。あのパパの誘いを断る勇気など、私にはない。


 …………あぁ、気が重い。


 時間を見計らい、ダイニングに向かう。広い部屋を歩きながら見渡し、私が大きな長テーブルに着くと、先に座っていたカトリーヌお姉様が、私の顔を見て嫌そうな顔をした。私は申し訳ない気持ちと気まずい気持ちの中、大人しく席に座る。


 数分後、デンゼンパパがご機嫌な様子で席に着き慣れない雰囲気の中、朝食が始まった。


 朝から次々に並べられる数々の品に、胃もたれがしそうな中、カトリーヌが口を開いた。


「パパ、今日は朝からいったい何なのですか?」


「ああ、そうだそうだ、今日はエリッサちゃんのことだ」


「エリッサ? じゃぁ私には関係ないじゃない」


「いんや、カリーちゃんにも関係あるのじゃ、まあ焦らず聞いておくれ」


 デンゼンパパはスープを一口飲み、髭をひと撫でしてから話を続けた。


「エリッサ。来週から貴族院に行きなさい」


 え……………?


「き……貴族院ですか?」


「そうじゃ、そろそろエリッサちゃんもここの生活にもなれた頃じゃろ。そろそろ貴族院に行き、ステイン家にふさわしい公爵令嬢になる為のお勉強をしてきなさい」


「それは……」


 大丈夫なの? 貴族院って学校って事で、学校は人がいっぱい居る。いつ暴走するか分からない私に学校は危険だと思うんだけど……。


「パパ、私、貴族院には」


 行きたくない。そう口に出す前に、パパは人差し指を立てて左右に振る。


「ノンノン。エリッサちゃん、残念じゃが、そのワガママは聞けない。もう決定事項じゃ。既に届けも出してある」


「そんな……」


「それでな、カリーちゃん。カリーちゃんにはエリッサちゃんの為に暫く学校では一緒にいてやって欲しいのじゃ」


「はぁ!? なんで私がこんな悪魔と一緒に居なくちゃいけないのよ。それに私とは学年が違うわ」


「カリーちゃん! 妹に悪魔など、エリッサちゃんは天使じゃぞ」


 いいえ、パパ、お姉様が正しいです。


「学年は違えど、授業以外の時間は極力一緒にいて欲しいんじゃ、天使のエリッサちゃんにどんな虫が寄り付くか分からん。カリーちゃんがエリッサちゃんを守っておくれ」


 カトリーヌは私を見て、苦虫を噛み潰したような、もの凄く嫌そうな顔をしていた。


「カリーちゃん、これはパパからのお願いじゃ。聞き分けなさい。ステイン家の未来を守るため、そしてカリーちゃんもステイン家の女として、エリッサちゃんを守っておくれ」


「………はい」


 カトリーヌは俯きながらも小さく頷いている。


 絶対的な権力を持つパパには誰も逆らえない。それでも私は、今後の自分の為にも言わなければならなかった。


「いいえ。パパ、私は一人でも大丈夫です。一人で何とかやります」


 だってカトリーヌお姉様が一緒の方がトラブルになる可能性が高い気がする。



 ーーーーバンッ!!


 デンゼンパパはテーブルを強く叩くように立ち上がり、身を乗り出した。


「エリッサちゃん!! それは絶対駄目じゃ!! これはステイン家の未来の事、天使のエリッサちゃんを守らなくてはいかん!」


 だから、パパ。エリザベートは悪魔なんだって。


 それでも、ここまで強く言うパパに反論出来ずに、私も小さく返事をする事しかできなかった。


 私はカトリーヌお姉様を横目で見る。握り締めたスプーンが小さく震えていた。



 カトリーヌ………。



 私も今後のカトリーヌとの関係性に不安で仕方がない。自分の体をちゃんと自制できるのか、暴走してしまわないか、そればかりが頭の中をグルグルと巡っている。



 そんな重苦しい表情をしていたカトリーヌ、そして私とは真逆に、デンゼンパパは満足そうに「これでステイン家は安泰じゃ」そう言ってニンマリと笑っていた。





 ーーーーーー・・・・その日の夕方だった。




 ーーーードンドンドン!!!



 急に部屋のドアを殴り込むような強く叩きつける音が響き、私が返事をする前に、ドアが乱暴に開かれる。



「エリッサ!! 貴女どういうつもりっ!!!?」


 キンキンとした高い声で怒鳴りながらカトリーヌが私の部屋に入ってきた。

 慌てたマリアが私を庇うように前に立つ。


「カトリーヌお嬢様? 急にどうなさいました?」


「マリア、貴女は黙っていなさい!! これは私とエリッサ、いいえ、ステイン家としての問題よっ!!!」


 カトリーヌはその勢いのまま私に怒鳴りつける。


「三日前のマクニール家の晩餐会は貴女が出席していた事はパパから聞いていたわ!! 私の婚約者、カミール王子のエスコートだった事も知ってる!!」



 ………………………。



「ねぇ!! でも貴女とカミール王子の噂が広がっているのはどういうこと!!? 晩餐会中はとても仲が良く見えたって、エリッサがカミール王子に抱きついていたって!! 皆んな言ってたわ!!」



 ………………………。



「よりによって何でカミール王子なのよ!? カミールは私の婚約者なのよ!? なんて卑劣な真似をしてくれたの!!」


「あの、ごめんなさい。お姉様、私お酒を飲んでしまって、その、酔ってカミール王子にご迷惑を……」


「お酒に酔って!? それで、それで私の婚約者に抱きついたの!?」


 言えない、あの香りに惹きつけられたなんて。本当は抱きついただけではなく、別れ際、王子の首筋に触れてしまったこと……。

 身体が勝手に動いていたとはいえ、良い匂いだと抗いきれなかった。


 本当に何であんな事……私、どうかしていた……。


 あの時の私は確かに酔っていた。

 ふわふわして、気分が良くて、香りでクラクラして意識が朦朧とするような。身体が勝手に動いてしまう事に、気持ちさえ抗えなかった。


 まさか、あの時の私の感覚さえ、エリザベートが関与している!?



 一気に血の気が失せていくような感じがする。



「ちょっと!! 聞いているの!? エリッサ!!」


「申し訳ありません」


「っつ!!? 謝って済むと思ってるの!?」


 カトリーヌは私の前に立つと、私の胸ぐらを思いっきり掴んだ。


「いけませ……お姉様、私に近づいたらっ!!」


 私は自分の身体に力が入らなくなり始めているのに気がついていた。


 自分の手を強く握り締め、必死に堪えるけれど、離れてほしいと思うカトリーヌ本人には、私の声など全く届いてはいない。



「そうやって、また私をバカにするっ!! 許せないわっ!! エリッサあぁぁぁぁっ!!」



 カトリーヌが右手を大きく振り上げる姿が、スローモーションのように見えた。

 


 ーーーーあぁっーーーもうダメっっ!!!


 


「ーーーーぐっふぅっ」



 瞬間、私の拳がカトリーヌの鳩尾にめり込むと同時にカトリーヌの呻き声が響く。


 カトリーヌの振り上げた右手は、私に届く事はなく、そのままお腹を抑えるように前に倒れ込んだ。


 私の目の前に差し出されたカトリーヌの丸い頭を私は見つめている。


 自分の口元がニヤリと歪んだ気がした。


 いやっ、やめてエリザベート! 悪いのは私なんだから、やめて!


 言い知れぬ恐怖心が、ザワザワと私の心を揺さぶる。いくら自分に言い聞かせた所で身体は言うことを聞いてくれない。


 私は目の前にあるカトリーヌの綺麗な長い髪の毛を鷲掴みにして立ち上がると、そのまま、カトリーヌを引きずりながら歩きはじめた。



「痛いっ!! 痛い!! 痛い!! エリッサ!! ごめんなさい! ごめんなさい!! 離してっ! 痛いっ」



 カトリーヌの手が髪の毛を離してともがく中、私の左手がカトリーヌの手を鬱陶しそうに振り解きそのまま首元へ狙い定める。



 ーーーーヤバイ


 このままじゃ本当にーー殺してーーー


 それは絶対にダメっ!!!!


 顔を上げると視線の先に佇むマリアに私はとっさに叫んだ。


「マリア!! 何を見ているのっ!! 早く止めなさいっ!!」


「え? カトリーヌお嬢様の息の根をですか?」


 バカっ!!! マリアのバカっ!!!


「違う!! 私を止めなさい!! 早くっ!!」


 マリアは「畏まりました」と頷くと、急いで私の手を掴み、優しくカトリーヌから離した。

 不思議なことに、マリアが私を触った瞬間、私の感覚がふっと自分に戻っていった気がする。


「っつ……いたい……ひっく……何でこんな……」



 子供のように泣きじゃくるカトリーヌ………。


 私は急いでカトリーヌから距離を取った。自分の手に違和感を感じて右手を見ると、髪の毛が何本も抜け落ち、私の指の間にに絡み付いている。


 自分の身体が恐ろしくて、恐ろしくて勝手にガタガタと震え始めていた。


 こんな、酷い………。


「ーーーーっお姉様、本当に申し訳ありません………わたっ私が………」


 カトリーヌは何も言わずにただ泣き続けている。その姿を見ていた私は、何も言えずに言葉を飲み込んだ。


 何も出来ない私と、私に傷つけられたカトリーヌ。


 彼女は何も悪くない、ただカミール王子との関係を守るために怒っただけだ。

 私は怒られて当然の事をしたのに、彼女に殴られることさえ出来ない。むしろ更に追い詰めた。


 それなのに、どうしたって私には何も出来ない……。カトリーヌの害にしかならない。

幼く見えるカトリーヌの細い肩が震えている。


「マリア、お姉様を丁重に介抱してあげて」


「畏まりました」


「あ……そのガウンを」


 ベッドにあった私のガウンをマリアはカトリーヌに掛け、蹲るカトリーヌの背中を優しくさすっている。


 カトリーヌが落ち着くまで、私は暫く部屋を出ていよう。そう思った時、タイミング良く執事の声が聞こえた。


「失礼します。やはりこちらでしたか、カトリーヌお嬢様」


 カトリーヌが入ってくる時に、開け放っていた部屋の扉から、申し訳なさそうに執事が頭を下げていた。


「何か?」


「カトリーヌお嬢様にお客様です。その……」


「今日はお引取り頂いて、今は誰ともお会いできる状況ではありません」


「はい。あ、いや、しかし、カミール殿下なのですが……」


「………あう……」


 カトリーヌは声にならない声で呟いた。


「お姉様………」


 このタイミングでカミール王子が尋ねるなんて最悪だ。私は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「お姉様、カミール王子にお会いしますか?」


 私が聞くと、カトリーヌは泣きながらも小さく頷いた。


「でしたら、お支度を」


 私はドアの前に立つ執事に、出来るだけの侍女達を呼ぶように指示をした。


 それからは大変だった。涙でぐちゃぐちゃのカトリーヌの顔をメイクで隠し、私によって荒らされた髪を整え、清楚に見える服に着替えさせ、全ての準備を整えた後、カトリーヌはカミール王子に待つ応接間へと向かった。


 カトリーヌがカミール王子と一緒に過ごしている頃、私は気分転換にとバルコニーで1人、中庭を眺めていた。


 暫くするとカトリーヌとカミール王子が二人で中庭を散歩している姿が見えた。寄り添うように腕を組んで歩く二人。さっきまであんなに泣いていたカトリーヌは、カミール王子の隣で幸せそうに笑っている。そしてカミール王子も晩餐会の時とは違う顔でカトリーヌに微笑んでいた。


 ああ、良かった。


 2人の姿は物語に出てくる王子様とお姫様に見えて、素直にお似合いのカップルだと思った。

 そして、今のカトリーヌの隣りにカミール王子が居てくれて心から良かったと思う。


 私はバルコニーから、この2人の幸せがいつまでも続きますようにと、密かに願っていた。



 夜の風が私の髪を撫でる。

 私は夜空を見上げてため息をついた。


 とりあえず、カトリーヌは大丈夫そうだ。私がいなければ……。

 本当は、私が関わらなければもっと良いのだろうけど……。


 でも、今考えるべきは、自分の身体。


 1番の問題はこれから始まる貴族院……危険要素と不安要素しかない。私が一緒に居れば、あの幸せそうに笑うカトリーヌをまた泣かせてしまうかもしれない。そう思うと、私は重たい頭を抱えるしかなかった。


 どう考えたって、諸悪の根源は私なのだから。

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