No.9 お酒と誘惑


 私とカミール王子はしばらく夜空を眺めていた。

 そよぐ風が気持ちいい。


 そう言えば、カミール王子の年齢っていくつなんだろうか。だいぶ、しっかりしてるけど、私と同じくらい? 見た目は25歳くらいに見えるから、精神年齢足して28辺りくらいかな?


「あの、そう言えばカミール殿下ってお幾つなんです?」


「私ですか? 35になります」


 マっジかーーーーーー!! 思ってたよりだいぶ上だったぁ!! the童顔!!


 通りでしっかりしてるハズだわ。対応が大人でスマートで余裕があるハズだわ。


「幼く見られる自覚はあるので、がっかりさせてしまったなら、申し訳ありません」


「いえっ!! そんなっ、がっかりなど、むしろ納得というか、本当に大人だなって」


「もう、おじさんですよ」


 少し照れたように笑うカミール王子とその不釣り合いな、可愛いおじさん発言にテンションが急上昇した私はつい「おじ様王子最高ですっ!!」とガッツポーズと一緒に心の声をだだ漏れにしていた。


 ………あ、やってしまった。


 目をまん丸としたカミール王子が私を見ている。

 私の急ごしらえで張り付けた淑女が、ボロボロと剥がれ落ちていく音が聞こえた気がした。


「エ、エリザベート嬢?」


「あああっ! すみません! すみません!!」


 クツクツと笑い始めた王子は、どちらかと言えば必死で大爆笑を堪えてる青年にしか見えない。


「構いませんよ。貴女が無理して取り繕っていらっしゃるのは分かってましたし、おじさん最高なんでしょう?」


 笑う王子に返事など出来ず、私は恥ずかしくて下を向くしかない。


「ふふっ……失礼。貴女を見ているとつい、カトリーヌを思い出してしまう」


「え? お姉様ですか?」


 意外だ。

 そう言えば確か私が馬車から降りた時も言ってたっけ?

 カミール王子は私とお姉様が似てると……。


「ええ」と小さく頷きながらカミール王子はまるで私越しにカトリーヌを見ているかのように優しく笑う。


「貴族の結婚は、政治的な意味合いが含まれる事が多いでしょう? 皆それが当たり前ですし、疑問に思う者の方が少ないでしょう。私とカトリーヌの婚約も勿論そうです。ですが正式に婚約が決まった時、正直私はカトリーヌに申し訳ない気持ちの方が強かったのです」


「それは……ちょっと意外ですね」


 カミール王子なら、そんな事気にせずにカトリーヌを手中に収めてしまいそうなのに。


「そうですか? 先程も言ったように、カトリーヌやエリザベート嬢にとって私は年配者でしょう? 勿論年齢差を否定する訳ではないのです。人それぞれでしょう。私達の場合も立場や状況を含めて、これ以上ない良縁だと思っています。でも、それはあくまでも政治的な意味です。個人ではない」


 まぁ確かに、そりゃそうだ。

 仕方ないよ。

 恋愛結婚なんて貴族様には不可能に近いだろうし。


「ですから、私にとって美しいカトリーヌ嬢を娶る事は嬉しくもあり、同時に申し訳ない気持ちもあった。正式に婚約が決まり二人で初めて話した時、私はその事を正直に話しました」


 真面目に話していたカミール王子の顔が、何かを思い出したようにふっと顔が緩んだ。


「話を聞いたカトリーヌ、貴女の姉上は私に何て仰ったか分かりますか?」


 その時お姉様が何て言ったか、そんな事分かる訳ない私は首を傾げるしかない。


「先程の貴女と同じ事ですよ」


 そう言ってカミール王子はニッコリと笑った。


 マジで!?

 あの、カトリーヌがカミール王子に、おじ様王子最高!! とか言ったの!? いや、流石に台詞は違うかな?

 いや、それでも似たような事をカミール王子に言ったという事か。

 お姉様、なかなかやりおるな……。



「その時、私の彼女に対しての罪悪感は綺麗に消えました。同時に、心からカトリーヌを幸せにしてあげたいと思った。そして今日のエリザベート嬢、貴女を見ていて思ったのです。カトリーヌも貴女と似たような経験を、何度もして来たのだろうと……。

けれども、その弱さを彼女は出さない。カトリーヌ、負けず嫌いですしね。もし今日みたいな事があれば、彼女なら逆にリリー嬢を怒っていたでしょうね。"祝いの席で逃げ出すなんて、私に負けましたと宣言しながら、自分の父親の顔に泥を塗るようなものだ"それくらいは言いそうです。それでもね、やっぱり貴女を見ていて重なるものがどうしてもあった。貴女を放っておけない気持ちになるのは、そのせいでもあるのでしょう。

今日は貴女を知る事が出来て良かった。今後は義妹としてもよろしくお願いしますね」


 そう言ってカミール王子は微笑んでいた。


「カミール殿下がお姉様を大事に想って下さって私も嬉しく思います。お姉様も幸せだと思うわ。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」


 そう笑顔で言いつつ、私はいたたまれない気持ちになっていた。


 もうっ完全に当てられた。


 っていうかカミール王子!どんなけノロけるのよっ!!!!

 カトリーヌ溺愛宣言を受けて私はどうしろと!!?

 聞いてる私が恥ずかしいわっ!!

 変にドキドキとしてしまうこの心臓。

 この場をとりあえず離れたい。離れよう。

 そして落ち着こう、私!!


「あの、カミール殿下、何か飲まれますか?」


「いいえ、私は大丈夫です。エリザベート嬢何か飲まれますか? 取って参りましょう」


「い、いえいえっ!すぐそこに取りに行って来るだけですし、私ちょっと飲み物を取ってきますね」


 私は少し強引にカミール王子の元を離れた。カミール王子の顔を見ていられない。

 ああも堂々と溺愛宣言出来るのは素敵だと思うけど、恥じらいを重んじる日本人の私には聞いてるだけでも恥ずかしさが上まる。

 まぁそれと同時に王子様推しの私は、どうしたってニヤつく顔が止まらない。

 でも良かった。カトリーヌお姉様、あんなに完璧な王子に溺愛されているなんて素敵ね。素直に羨ましく思ってしまう。


 私は給仕が運んでいたピンク色のグラスを手に取り、そのまま口に運んだ。シュワシュワの刺激に甘い香り。うんっ。美味しぃーっ。


 このシュワシュワ感久しぶりだわ。これはシャンパンね。

 そうよ、もうっ、こんな夜は飲まなきゃやってられないわ。

 そう言えば私、毎晩晩酌してたくらいお酒好きだったし、強かったしね。


 喉が渇いていた私はそのまま一気にグラスの中身を空にした。そして、おかわりのシャンパンを片手にカミール王子の元へ戻る。


「エリザベート嬢………?」


 カミール王子は私を見て、目を丸くして驚いた表情をしている。


 ん? なんで、そんな顔をしているんだろう。私何かした?


「エリザベート嬢、あの、その手に持っているのは、もしかして」


「ああ、これですか? 結構刺激は強めですが、香りはいいですよね。飲みやすくて、美味し、ヒック」


 あれ? なんかおかしい?


「エリザベート嬢、駄目ですよ。貴女にお酒はまだ早いです」


「いえいえ、私これでも、ッヒク」


 ん? 目の前が歪んで見える。クラクラして暑い。


 あ…………そうだった………。


 すっかり忘れてた!!

 私の身体、今14歳!!!

 アルコール耐性無しだったーーーーー!!


 アルコールが勢い良く回っていく感覚がする。

 これはマズい。

 ふわふわとする気分の良さと比例するように私の足元は覚束なくなっていく。


「カミール殿下、私やっちゃいました。っうわ」


「危ない!」


 そう言って、私のよろける体をカミール王子が支えてくれた。同時に持っていたグラスを取り上げられる。


「ああ、すみません」


「いえ、大丈夫ですか?」


 近づいたカミール王子からまた、ふわりと甘い香りが私の鼻を掠めていく。

 ああ、ほんと落ち着くなぁこの匂い。良い匂い。

 くらくらして、頭がぽーっとしてくる。


「王子様は、なんか匂い付けてますぅ?」


「え? 匂い? ですか? いえ、私は何も、香は余り得意ではないので……ってもう完全に酔ってますね」


「よいしょっ」と言いながらカミール王子が、私の体を壁に、もたれかけさせるように体勢を整えてから離れようとした。


「まってぇ、においぃー行っちゃヤダぁ。もぉちょっとー」


 カミール王子の胸ぐらを掴み、無理矢理自分の方へと引き寄せながら、思いっきり匂いを、すぅっと吸い込んだ。


 あぁ、さいっこー。


「ちょっ、エリザベート嬢!? 離れて、お水持ってきますから、ここでいい子に待ってなさい。いいですか?

絶対ここから動かないで下さいね? すぐに戻ります」


「はぁーーい」


 慌てたカミール王子は、無理矢理私を引き剥がすと顔を真っ赤にしながら扉から出て行った。


 んふっ、王子さまったらかわいいなぁ。


 あぁ、ふわふわするし、王子さまはステキだし、ねむくなってきた。


 ・・・・ーーーーーーパタン


 すぐにまた、扉の音が聞こえる。


 もう戻ってきたの? かみーるおーじ?


 私が振り返ると、そこにはグエン王子が立っている。


「ようやく、兄上が居なくなったな。エリザベート嬢、自己紹介をしても?」


 グエン王子は言いながら、ずかずかと私に近づき、私の右手を奪うように手に取る。


「俺は第二王子のグエン・アル・クレイン。エリザベート・メイ・ステイン嬢、以後お見知り置きを」


 いくら多少強引だろうと、反抗期っぽいヤンチャ系に見えても、グエン王子の挨拶は流れるように綺麗な所作だった。ああ、やっぱりグエン王子も、ちゃんと王子様なんだなぁと、ぼぉーっとする頭で、何処か他人事のように眺めていた。


「エリザベート嬢?」


 ただぼうっと無反応の私を見て、違和感を覚えたのかグエン王子は不審そうに私の顔を覗き込む。


 顔がちかいなぁ。

 でも近くてもイケメンだなぁ

 イケメンは近くてもイケメンだった。

 なんちゃって。


「ふっふふふ」


 私が1人笑っていると、グエンが何かに気づいたように怪しくニヤついた。


「酒か……? ククッ……まさかあの注意深い兄上でもこの美貌にグラついた?」


 ぐらつく? 何が?

 かみーる王子はカンペキでしたよー?


「いいねぇ。その何が何だか分からないとでも言うような無垢な顔。息を飲むようなその美貌。なぁどうだ、エリザベート嬢、俺をアンタの夫にしないか?」


 おっと?

 おっとにしないか?

 なにこれ、ぷろぽーず?

 ユメが叶ってるのかな? それともコレがゆめ?


「兄上はカトリーヌ嬢と結婚する。アイツがどんなに紳士ぶってアンタに近寄ろうとも、それは変わらない。なら俺でいいだろう? アンタのその美貌に寄り付く、ハエのような男共は全て追い払ってやる。結婚をいきなりしようってんじゃない。婚約で十分だ。俺が守ってやるよ」


 なんかグエン王子がカッコいいこと言ってる。

オレオレな王子、王子さまに守られるお姫さま、確かにそんな物語にも憧れてたなぁ。

 でもさ、けっこん? こんやく? って言った?

 ざぁんねん、私、お姫さまじゃないんだよなぁ。

 でもお姫さまな気分はいい気分。


「ふふふふっ」


 いい気分だなぁ。


「そこで笑うのか……。まぁいい」


 グエン王子の手が私の頬を優しく撫でた。甘い懐かしいムスクの香りが近づいてくる。グエン王子の顔が私の顔に近づいてきたその時。


「グエン!!」


 カミール王子の声で、グエン王子が止まった。


「ッチ……本当、タイミングが悪いな」


「グエン、今すぐエリザベート嬢から離れなさい」


「はい、はい、兄上の言うことは聞きますよ」


 肩を竦ませながらグエン王子は私から離れていくと、すれ違いざまに、カミール王子の肩をポンポンと叩いた。


「今はな……」そう怪しく言った気がした。


「エリザベート嬢、また今度ゆっくり会おう」


 それだけ言うとグエン王子は去っていった。


 カミール王子は小さなため息だけついて、何事もなかったように、私にお水を渡すと「飲みなさい」そう言って口元まで運ぶのを手伝ってくれた。


 冷たい水が喉元を通り少し頭がハッキリした気がする。


「あの、ありがとうございます」


「気分は大丈夫ですか?」


「はい」


「なら良かった。侍女には伝えてあります。もう少し、落ち着いたら、馬車まで送ります」


「はい」


 しばらくお水を飲み続けると、頭がだいぶハッキリとしてくる。


 そして思い出されていく記憶。

 気持ち良さに身を任せて、ぼぉーっとしてた現実。


 私グエン王子からプロポーズまがいな事言われた上に流されるままグエン王子とキスするところだったよ!!


 ギャーーーーー!! あっぶない!! 

 危なかった!!

 カミール王子が来てくれなかったらマジでキスしてたよ!!

 自分怖っ!!


 私が1人顔を赤くしたり青くしていたりすると、カミール王子が深いため息を吐き出す。


「エリザベート嬢、これに懲りたら本当にお酒はダメですよ。私も油断してました。今回で貴女が何をしでかすか、分からないという事がよく分かりました。私はデンゼン様の心中をお察ししますよ」


 あれ?


 カミール王子、なんか怒ってる? 呆れてる?


 顔が怖いんですけど……。


「ご迷惑を、申し訳ありません」


「反省して頂けたら結構ですよ。私も、もっと貴女に注意するべきでした。申し訳ありません」


「いえ」


 これは自業自得です。完全な私の不注意です。


「そろそろ大丈夫ですか? 馬車までお送りします」


 ふらつかないよう気を張りながら私はマリアが待つ馬車へと向かった。

 カミール王子のエスコートで転ぶことはなかったけれど、お屋敷の玄関に到着する頃には、足元がまたフラフラともたついてきた。


 それに気づいたカミール王子は、お屋敷の扉が閉まると同時に「失礼」そう言って私を軽々と抱き上げる。


「ちょっカミール殿下!? 私大丈夫ですからっ」


「馬車までの間です。我慢なさい。足元が悪い外で転ばれて怪我でもされたら私が困るのですよ」


 有無を言わせない。こんな所は王子の資質にもなるんだろうか。


 しっかし、ホンモノの姫抱っこ!!!!

 コレは恥ずかしい!!

 もう馬車まで耐えて俯くしかない。そう思ったのに私の顔が王子の首元へと吸い寄せられるように近づいた。


 え? 今勝手に………?


 王子の首元から、より一層濃い香りが私の鼻を刺激する。ああ、ダメだ、くらくらする。


 馬車に着き、カミール王子がマリアに挨拶をする。

 マリアと一緒に馬車の中へと入り、抱えていた私を降ろそうとした時だった。


「えっ……? 何で?」


「エリザベート嬢……?」


 私の腕が勝手に王子の首に絡みつき、王子を離さない。


 ちょっ、ちょっとエリザベート待てーーーーい!!

 コレはダメ!! ダメなやつ!!


 そう思いながらも、王子から香る匂いに惑わされるように、ゆっくりとその首元に私の顔が近づいていく。

 あぁ、抗えない……そう思った時には、私の唇はカミール王子の首へと触れていた。


  ーーーーバッと引き剥がされる感覚と、ビックリしながら首元を押さえる王子と目があった。


 やってしまった……。


 恥ずかしさと、抗えなかった罪悪感から自分の涙腺が緩みかかっている。


 カミール王子は息を飲むように私を見ながら顔を赤らめていた。


「申し訳ない。失礼する」


 それだけ言うと王子は馬車から降りて扉を閉めていった。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 マリアの心配そうな顔が私を覗く。


「マリア、駄目です。私……本当に駄目な娘みたい」


「お嬢様、カミール王子は幸せ者ですね、お嬢様に好かれるなんて」


 マリア、そういう問題ですか!!?


 でも確かに……。

 私の意思とは関係ない所でこの体が、エリザベートがカミール王子の事を好きな事が分かった。


 ってまずいでしょ!!

 どう考えても自分の姉の婚約者に手を出すのはまずいでしょ!!!


 私は自分の身体が勝手にやらかした羞恥に赤面しながら、罪悪感と一緒に頭を抱えてしまった。

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