No.54 赤く染まる彼女


 ーーーーーーガタッ、ガタッ、ガタガタガタ


 小刻みに、そして大きく揺れる馬車。揺れが大きくなる度に、ダリアとコールは小さな声を上げ、ジョゼ叔母様の腕にしがみ付いていた。


 私もカトリーヌの手を握る。


 ーーーーーガタン、ガタン


 周囲は暗くなり、窓の外を見ても近くの状況は分からなかった。兵士などもまだ、確認出来ない。

 ただ静寂だった窓の外は、遠くの方で赤い小さな光が、ゆらゆらと揺れているのが見え、流れる景色の木々の間から、その赤い光がチラチラ見え隠れしていた。


 私はその小さな光を見て、今、自分達が置かれている状況がどれだけ大変なことなのか、実感していた。


「カリー、例えどんなことがあっても、私は、お姉様の側に居ますからね」


「………そんなの当たり前よ。私の側に居るのは当然のことなのよ……」


 不安そうな顔をしている癖に、並べる言葉は相変わらず強気のカトリーヌ。その威勢に、私はふとこみ上げてきた情から、彼女の頭を撫でてあげたい衝動に駆られた。

 そしてそんな自分自身に苦笑する。


 その時だった。


 ーーーーーーーーガンッ!!


 突然、火の線が馬車を襲う。


「きゃぁっ!!」


 ダリアが叫び、一瞬にして緊張感が増した。


 窓からは、火の矢が馬車に突き刺さっているのが、はっきりと見え、私もカトリーヌも黙ってその燃える矢を見つめている。


 矢先の炎は馬車の走る風で燃え広がることはなさそうだが、窓は赤く照り返していた。


 ジョゼ叔母様は子供達に、「落ち着きなさい」と小さく言うと、馬車内の灯りを足元に落とし、窓のカーテンを静かに閉めた。


馬の鳴き声と、蹄の音、ガタガタと乱暴に揺れる馬車の音が鳴り響く。


 ーーーガン! 

 ーーーーーーガン!  

 ーーーーーーーーーガガ!!


 矢が次々と馬車に当たり、その音が、馬車の中にこだまする。


 無意識にカトリーヌの手を強く握りしめると、カトリーヌがすっと私の体を覆うように抱きしめた。


「ーーーーえ?」


 私は突然の事に驚き、カトリーヌを見上げる。


「最近、貴女に抱きしめられてばかりだったから、今回は私が抱きしめてあげるわ」


 カトリーヌの優しい微笑みは、真っ直ぐ私に向けられ「大丈夫よ」そう呟くと、ぎゅっと力を込めながら私を抱きしめた。



 そんな……こんなの、ずるい。


 こんなの、本当の家族じゃん。



 ーーーーガガン!!!!!


 酷く大きな音がして、馬車が浮いた。同時に体も浮く感覚がしたけれど、不思議と恐怖心はなかった。力強く私を包むカトリーヌの温もりに、ただ身を委ねる。


 ーーーーダァーーーン!!!!


 振動と衝撃が私達を襲う。そのあまりの衝撃に私の目の前は真っ暗になった。


 焦げた臭いで、気がつくと、周囲は真っ白な煙で覆われ、息が出来ない。


「げほっ、げっほ」


 私は喉の痛みを覚えながらも、煙を吸い込まないように袖で口を押さえ、辺りを見渡した。煙のせいで視界が悪く、目がしみる。まわりは真っ白で良く見えなかった。それでも私の傍らにカトリーヌが倒れているのだけは分かる。


「カリー!? カリー!! 目を開けて!」


 カトリーヌを揺さぶると彼女は眉を潜めるように顔を歪めた。彼女が生きていることに安堵したのも束の間、カトリーヌの姿をよく見ると、ボロボロに汚れ、傷だらけで、酷く体をぶつけているのが分かる。


「酷い……ああっ、でもカリー、辛いでしょうけど、お願いよ。急いで、すぐに馬車から降りないと」


「……エ……エリッサ……? げほっ! げほっ! ーーーっつ!! ……いいわ、先に行って。私は後で行くから、ジョゼ叔母様と先に………」


「そんな……何を言っているの!? そんなこと、出来ないわよ!! 私はお姉様の側に居るんでしょ!? さぁ早くっ!! 私の首に腕をまわして! 動いて! 動かないなら、私が無理矢理引きずりますよ!」


「……私を……引きずる? ふふっ、私はステイン家の長女なのよ? 止めてよ。いいからジョゼ叔母様と………」


 カトリーヌの焦点は、また、合わなくなってきている。すでに意識を失いかけていた。


「カリー!? カリー! ねぇっ……、げほっ! げほっ! お姉様! しっかりして!!」


「……早く逃げ……て…」


 私が必死にカトリーヌの体を揺さぶっても彼女の意識はそのまま落ちていった。


「カリー!!」


「……けほっ、けほっ、どうしたのですか?」


 煙で視界が悪い中、近くにジョゼ叔母様の声が聞こえた。声の方を見ると、ぼんやりとジョゼ叔母様の形が見える。


「叔母様!? カリーの意識が……」


「エリッサ落ち着きなさい。まずはここを出ましょう、ダリア! コール! 大丈夫ですか!?」


 ジョゼ叔母様の声の後、ダリアとコールのすすり泣く声が聞こえ始めた。


「っけっほ、けっほ……うっううっ……グスッ……だっ大丈夫です」


 私は煙の中、叔母様に言った。


「叔母様、子供達とカリーを」


「ええ、分かってるわ。コール! こっちに来て。エリッサと共にカリーをお願いするわ。出来るわね? 私はダリアを運ぶわ」


「ううっ……っはい」


 コールはその言葉に、すすり泣く声を止めた。


 煙の中からコールが近づいてくるのが見える。目には涙を浮かべていたが、その眼差しは強く、小さくともちゃんと男の子だった。


「コール、カリーの左肩をお願い、私は右肩を、このまま引きずりますよ」


「はい」


 私とコールはカトリーヌの体の上半身を少し持ち上げながら、そのまま馬車から引きずり出した。


 煙から抜け出し、燃え広がる馬車からカトリーヌを引きずり出して近くの草むらに彼女を寝かせる。背後では、傷だらけのダリアを抱えているジョゼ叔母様が御者の使用人と話しているのが見えた。


 燃える炎の灯の中、カトリーヌの体を見ると、痣と切り傷、そして、左足がどう見ても折れていた。


 あのカトリーヌが、こんなに傷だらけになって、私を抱きしめながら守ってくれた。


 普段、とんでもなく自己中なあのカトリーヌが……私のために……?


 止めてよ……こんな時に……そんな、いきなり、お姉さんみたいなことしないでよ………。


 ーーーー私……私は………


「カリー! 起きてください。起きて! 起きなさい!!」


 カトリーヌを揺さぶり、頬や肩を軽く叩いて刺激しても彼女の意識は戻らなかった。不安に押しつぶされそうになりながら、一度深呼吸して、自分を落ち着かせる。

 彼女の口元に耳を当てると、呼吸はちゃんとしていた。同時に首に手を当てて脈をみても、その鼓動はちゃんと安定している。死んではいない。


 カトリーヌが息をして、生きていることに少しだけ安堵しながら、私は傷だらけの彼女を見つめていた。


「お嬢様? どこかお怪我を? 痛いですか?」


 コールが心配そうな顔で私を見ている。コールに大きな傷は見当たらないが、小さな擦り傷はたくさんあり、傷だらけだ。


 コールだって痛いはずなのに……。


「いいえ、ありがとう。私は大丈夫です」


「ですが、お嬢様の目から……」


「え?」


 私はコールに言われて、頬に手をやると、そこでようやく、自分の頬が濡れている事に気がついた。


 ああ、駄目だ。私、このまま自分が泣いていることを認めると、もうこの涙を止められない。


 駄目だ。泣いちゃ……私は泣いてなどいない。


 私はコールをぎゅっと抱きしめ、自分の涙を拭った。


「何でも無いわ。ありがとう、大丈夫よ。コールこそ大丈夫? 怪我してるのに、泣かずに強いわね。さすが男の子よ」


「ボクは……はい、大丈夫です。でも、ダリアが凄く痛がっていました。心配です」


「ダリアが?」


 私はダリアが心配になり、ジョゼ叔母様の方を向くと、ジョゼ叔母様はダリアを抱えながら、ちょうど私のほうへと歩いて来る。その顔付きは厳しいものだった。


「エリッサ、ここは危険です。追手が直ぐそこまで来ています。早く移動しなければなりません」


「はい」


 カトリーヌをチラリと見たジョゼ叔母様は少しだけ悲しい目をした後、視線を私に向けると、強い眼差しで私を見据える。


 今まで見たことが無い強い瞳をしているジョゼ叔母様からは、私に対する怯えは一切見えない。


「カトリーヌは気を失ったままですか。それにその足では、どの道、動けないわね。一緒に行くのは無理だわ。ここに置いて行きなさい」


「ーーーえ?」


「私がカトリーヌと一緒に囮になります。貴女はダリアとコールを連れて、行きなさい。貴女達だけなら何とか逃れられるはずです」


「叔母様!!?」


「早く行きなさい! ステイン家はここで潰れてしまうような家ではありません。貴女はステイン家の女として強くなるのです。エリザベート。以前の貴女のような冷淡で構わない。何が最善か、貴女ならちゃんと分かるはずよ」


「そんな……」


「貴女はこの子達を守ると私に言ったでしょう!? 行きなさいエリザベート!!」


 そんな……そんなの、無理よ………カトリーヌと叔母様を見捨て逃げるなんて、私には……。


 戸惑い動けずにいる私に、ジョゼ叔母様は無理矢理ダリアを抱かせる。ダリアの重たさが私の腕に、ずっしりとかかった。


「あなたが言ったのよ。守ると、だからこの子達は、貴女が守りなさい」


 傷ついたダリアは私の胸元で苦痛に耐えながら小さく泣いている。その重たさを感じた瞬間、背中にゾクリとしたものが走った。


 私は、こんな状況、考えも想像もしていなかった。


 こんなに最悪な選択を私は今までしたことがない。こんな選択を迫られる状況に陥ったこともない。


 こんな……こんな、残酷で悲しい選択……。


 私一人であれば、彼女達と共に居られたのに……一緒にいられたのに。


 私は、自分の唇を噛み締めた。


「叔母様……私行きます」


「カトリーヌは私に任せなさい。惨いようにはさせないわ。コールも頼んだわよ」


 ジョゼ叔母様はコールの頭を撫でながら微笑んでいた。その笑顔は本当に優しいもので、なぜか馬車の中で私を抱きしめてくれたカトリーヌと被って見えた。

 胸が締め付けられる思いに、ダリアを抱く腕に力が篭る。


 ーーーああ、なんて残酷な世界なんだ。


 私にはこんな世界、受け止められない。


 それでも今は………。


「コール! 行くわよ!!」


 私は目を瞑り、ジョゼ叔母様から無理矢理、背を向ける。コールの返事を合図に、私は、地面を踏み締め、歩き始めた。


 私の後には、コール、そして怪我をしてお腹を押さえている使用人一人が付いてきている。


 私はただ、前を向いて、歩いた。ひたすら無心に歩く。


 カトリーヌとジョゼ叔母様がいた馬車からある程度距離が取れた頃、馬の蹄の音が聞こえた。私はコールと、使用人に合図して、草むらにしゃがみ込み、身を隠す。


 ーーーードタ、ドタ。


「おかしいな、ここら辺で人影を見たんだが……居ないな」


「もういいだろ。我々も早く馬車に向おう。手柄を取られてしまう」


「ああ、だが……ここら辺に逃げた恐れもある。お前は馬車に向え、私はここをもう少しーーー」


 ーーーーーーパッキン


 近くにいたコールが、タイミング悪く小枝を踏んでしまったのが斜めに見えた。コールは真っ青な顔をして、自分の口を塞ぎながら、ぎゅっと目をつぶっている。


「オーガス、何か聞こえたか?」


「ああ、聞こえた。ここら辺に誰か居るぞ」


 兵士二人が馬から降りると、周囲を探しながら歩き始める。だんだん近づいて来る気配に、ああ、もうダメだ、見つかってしまう。そう思った瞬間だった。

 

 ーーーーガサッ!


 突然、大きな音を立てながら傷を負った使用人が兵達の前に飛び出て行き、叫んだ。


「おいっ!! お前ら、こっちだぞ!! お嬢様! 今のうちにお逃げください!」


 使用人はそう言いながら兵士達に飛びかかっていった。

 私とコールは一緒に走り出す。


「ぐあ"ぁぁぁっ!!」


 使用人の断末魔のような叫び声が背後から聞こえた。


「おいっ!! あそこに、女が居るぞ!」


「逃がすな!!」


 私とコールは必死で走った。ダリアは私の走る振動による痛みを必死でこらえている。


 絶対に、絶対に逃げなくちゃ!!

 この子達を守らなきゃ!!


「ぎゃぁっ!!」


 私の傍らで走っていた、コールが叫びながら倒れるのが見えた。何かが当たったのか、頭を抱えながら踠いている。


「コールッ!!」


  私はダリアを抱えながらも、倒れたコールの腕を掴み上げ、無理やり引き起こそうとした。その時。



 ーーーーッガン!!


 突然、後頭部に強い衝撃が走った。痛みと共に意識が朦朧とする中、涙を浮かべ、痛みに耐えているコールの顔が見える。胸にいるダリアも体の痛みを必死に耐えながら、泣いている。


 ………守れない。


 ああ、私は守れないんだ。

 

 この子達にこんな顔をさせてしまっている。


 カトリーヌを見捨てたのに。


 ジョゼ叔母様を見捨てたのに。


 それなのに、この子達も守れなかった。


 ごめんなさい、ジョゼ叔母様。


 ごめんなさい、カトリーヌ。


 私は、また、死ぬのか。


 今度は誰も守れずに……。


 ぐらりと、歪んだ視界には、冷たい土が見え、すぐに暗闇へと落ちていった。

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