No.53 反乱は突然
ジョゼ叔母様の語った話は、コルフェ王に対する不審と兄であるデンゼンからの酷い仕打ちだった。確かにデンゼンの取った行動はステインを守るものであっかかもしれないが、彼女の心の傷は一生残ったに違いない。
「なんて酷い話。叔母様はそれでいいの? パパもパパだけど、コルフェ王の行いは酷すぎるわ」
「カリー。もう良いのよ。それは、もう良いの。私が無知で幼かった。ただそれだけなのよ。それよりも貴女達のこれからのことを考えましょう。さっき話したように、私の知っている王は平気で裏切る方。ただ、それが今起きている事と同じとは限らない。それに今の状況で、王が、ステイン領である、このバストーンまで、兵を出すことはしない思うの。でもそれも、時が経てば、分からないわ。ここも危険になる可能性は十分にある。
だから、私としては、今はとにかく王から逃げる事が一番最善だと思うわ」
カトリーヌがその言葉にピクリと反応する。
「それって………」
「ええ、そうよ。この国を出るの。幸い、私達ステイン家には他国にも領土があるわ。エスターダ国に一番近い国デール、小国だけどエスターダ国からは遠いテルント、資源が豊かなオートゥスクル、そういったエスターダ国から離れた国の領土に逃げれば、王も簡単には私達に手を出せなくなるはず。ただ、王都ガーデンで幽閉されているデンゼンは、この後どうなるか……」
ジョゼ叔母様が俯き黙った。
確かに私達は、まだ逃げる事はできるが、デンゼンパパは王に捕まっている。もしかしたら、デンゼンパパを人質にカトリーヌを差し出せと取引を持ち出してくる可能性だってある。
だけど、そんな選択、私には出来ないし、ジョゼ叔母様の表情からも、そんな選択は出来ないのだと思えた。
それに、きっと娘を溺愛しているデンゼンパパも、そんな取り引き望まないだろう。
「やはり、頼みの綱はイデア王妃だけね……」
ジョゼは独り言のように呟くと、続けて言った。
「イデアは私の親友だった方、今のステインの状況をイデア王妃なら王を宥めて救ってくれるかもしれない。でも、あれから連絡を途絶えてしまったから、イデア王妃が私達に目を向けてくれるか………」
私はジョゼ叔母様に向かって力強く頷いてみせる。
「叔母様、やってみましょう。少しでも希望があるなら、やるべきです。私も協力します。ただ、カリーをこの国に留めさせるのだけは危険だと思います。カリーだけでもジョゼ叔母様の言う他国のステイン領土にーーー」
「そんなの嫌よ! 私一人だけ他国にいくなんて、絶対に嫌!!」
カトリーヌは立ち上がりながら声を荒げた。
「カリー、そんなこと言わないで。今、一番命の危険があるのはカリーなの。そして私達が今、出来る最善の選択はイデア王妃の交渉とカリーの身の安全の確保よ」
「そうね、確かにエリッサの言うとおりだわ。カリー、貴女はエスターダ国から早めに出た方がいいわ。それと、エリッサ、貴女もカリーと一緒に行きなさい。イデア王妃への連絡は私だけで十分です。もし、イデア王妃が私を見限ったとしても、危険な目に合うのは私だけで十分。二人はエスターダ国から逃げて、イデア王妃の動向を見守ってちょうだい」
「ジョゼ叔母様……」
私は、何も言えなかった。
もし、ここで、私もジョゼ叔母様と一緒に残ると強く言えば、カトリーヌは他国に逃る事を嫌がるだろう。でも今、絶対的に一番危険なのはカトリーヌだ。
仮に他国に逃れたとしても、カトリーヌの周りには危険がついて回る。お嬢様育ちで、世間を知らないのなら尚更。
結局、私の本音である、カトリーヌの側にいたい。その気持ちを救いとった、優しいジョゼ叔母様の言葉に、私は何も言えず、ただ言葉を飲み込むしかなかった。
「いいですか、貴女達二人は他国に逃れる準備が出来次第、すぐに、このエスターダ国から出て行きなさい。それと、カリー、もう我がままはいけませんよ。今後は更なる辛い状況になる可能性だってあるのです。今は、ステイン家が一致団結するべき時。その事を肝に銘じて動きなさい」
ジョゼ叔母様の言葉にカトリーヌは真剣な表情で静かに頷いた。
「……はい、ジョゼ叔母様」
長く重い話と一緒に朝食が終わり、カトリーヌと私は、再び部屋の模様替えの続きをしていた。
ただ、殆ど会話もすることなく、黙々と作業をする。
私がエレノアの物を部屋から出して、カトリーヌがガーデンの屋敷から持ってきた装飾品を部屋に飾る、その作業をひたすら繰り返していた。
気がつくと、窓から差し込む光は濃いオレンジ色へと変わっている。侍女がロウソクに火を入れ始めるのを見て、私はようやくカリーに話しかけた。
「ねぇ、カリー、そろそろ、夕食の時間ですよ。今日はこの辺で良いんじゃないかしら」
私の言葉に、カトリーヌは手を止め、少しだけ俯きながら、その手に持つ宝石をじっと見つめていた。
「私、何をやっているのかしらね。結局、こんな事しても、私はすぐに、この屋敷を出て行かなければならないのに……」
「カリー……」
私は、背中を向けているカトリーヌの両肩をそっと抱きしめた。
「いずれ、また帰ってこれますよ。そしたら、私とカリー、ジョゼ叔母様でこの屋敷でゆっくり暮らしましょう」
カリーは子供のようにコクリと頷いた。けれどもすぐに、何かを思いついたかのようにハッとして振り返った。
「それは嫌よ。何で、私が、こんな小さな屋敷で暮らさないといけないのよ。全て解決したら、ガーデンの屋敷に戻るわ」
さっきまで、肩を落として落ち込んでいたくせに、こういうところは相変わらずのカトリーヌだ。
それでも彼女の元気がないよりずっといい。
「そうですか。でも私はあのガーデンのお屋敷よりもここの方が落ち着きます。色々と終わったら、私はここのお屋敷に戻りたいかな」
「駄目よ」
「え?」
「それは駄目、貴女は私の側にいるの。ここになんていさせないわ。それに、ジョゼ叔母様も一緒にガーデンに行くの。皆であの屋敷に戻るのよ」
「そうですか………」
「なによ?」
「いえ、私をここには戻してくれないんですね」
「そうよ。当たり前じゃない。貴女は私とずっといるの。絶対に離れちゃ駄目よ」
そんなわがままな………。
「カリー、あの、私はエリザベートでもあるんですよ? 私みたいな危険な存在を傍らに置くのは、お勧めしませんけど」
「あら、だってもう、エリザベートにはならないんでしょ?」
「なるつもりはないですが、私には制御できませんので……」
「制御しなさいよ」
そんな横暴な。私も好き好んで、悪癖、エリザベートを出したりなんてしていないのに。
「それが出来たら苦労はしていませんよ」
「貴女の体でしょう? 何とかなるわよ」
いいえ。カトリーヌ、この体は元々エリザベートの体ですよ……。
そう突っ込みそうになりながらも、私は何も言わずにただ黙って頷いた。
カトリーヌの部屋を後にして、侍女達が夕食の準備をしている少しの時間、私は自分の部屋で一人、ベッドに座っていた。一人になるとやっぱり不安な気持ちが押し寄せてくる。カリーのこと、デンゼンパパのこと。この後一体どうなるのか私にはまったく分からない。
「マリア……」
唯一、私が目覚めてからずっと支えになってくれていたマリアも、もういない。でも、それは私が決めたことだ。それなのに、自分の決めたことでも、マリアが実際に側に居ないという現実が、どうしようもない不安となって私を襲ってくる。
マリアは確かに私の支えだった。それは間違いない。
もしも私だけに仕えてくれたなら………。
そんな言葉が浮かんでは無理矢理、頭の中から消していた。
この世界で目覚める前の、あの幸せだった、保育士の仕事が懐かしい。こんな王族との争い事なども何もなく、ただすくすくと育つ子供達を見守っていた。それだけで私は良かった、それだけで幸せだったのに……。
「皆、元気にしてるかな……」
ポツリと溢れた言葉に寂しくなる。私はここに来てから独り言が増えていた。
ーーーーーードタドタドタ! バタン!!
突然、侍女であるヘレンが顔色を変えて私の部屋に駆け込んで来ると「お嬢様!! ぶっ、武装をした兵達が屋敷に向かっています!!」そう叫んだ。
そのヘレンの切羽詰った表情と言葉に、私の背筋が凍りつく。
心臓が鷲掴みにでもされたかのような、そんな緊張感が一気に押し寄せた。
「お嬢様!! 早くお逃げください!!」
突然の事に動けないでいた私にヘレンが怒鳴り、その言葉に弾かれるように部屋を飛び出す。
使用人達の案内に従いながら、見たことのなかった薄暗い通路を走ると、その先は屋敷の裏口へと通じていた。すぐにカトリーヌとジョゼ叔母様も裏口へ向かって駆け寄ってくる。
カトリーヌは顔色を変えず、落ち着いた様子で侍女達の説明を聞いていた。その姿が毅然としているように見えていたけれど、よく見てみると、彼女の手が、小さく震えているの分かった。
私はとっさにその震える手を取り、握る。
「エリッサ………?」
震える彼女の声に私は、力強く頷いて見せた。
ジョゼ叔母様の両脇には、ダリアとコールがジョゼ叔母様の手を握りながら、怯えるように、しがみついている。
「侍女達からは、兵が屋敷を囲んでいると聞きました。すでに表門は、包囲されているようです。屋敷に入られる前に、こちらの裏口から、馬車に乗って脱出しましょう」
ジョゼ叔母様の指示に、私とカリーは頷いた。
屋敷の裏口から外に出ると、外は気持ち悪いくらいの静寂に包まれていた。三人の使用人が静かに馬車の用意をしていて、私達は、そのまま馬車に乗り込む。私の隣にカトリーヌが座り、向かい側にジョゼ叔母様、ダリアとコールが座った。
「出してちょうだい」
ジョゼ叔母様が声を落としながら合図をだすと、馬車はゆっくりと動きだした。馬車から窓の外を見ると、侍女や使用人達が荷物を抱えながら隣の荷馬車に乗り込む姿が見えた。
屋敷を兵士が囲んでいると侍女達は言っていたが、馬車の窓から兵士を確認することは出来なかった。
「叔母様?」
私は向かいに座るジョゼ叔母様の方へと向けると、馬車の中のぼんやりとした灯りの中でも叔母様の額が真っ赤になっているのが分かった。
「叔母様!! 発疹が!」
私が慌てて言うと、ジョゼ叔母様は私の目をみつめ、優しくニッコリと笑った。
「大丈夫。いいのよ。あなたのせいではないわ」
蕁麻疹だ。やっぱりまだ、私に慣れていなかった。
今の私はエリザベートじゃないのに……。
ーーーーーーーガッタン!!
突然、馬車の方向が変わる。
ジョゼ叔母様は馬車の窓を見つめ、厳しい表情で言った。
「あれは、王の兵ではありませんね。あの鎧の形はバストーン領の兵です」
「バストーンって私達の兵ってこと!?」
カトリーヌが驚いたようにジョゼ叔母様に聞いた。
「ええ、ですが、ステイン領の兵士が屋敷を囲むなんて、ありえません。いったい、どうなっているの………? でも、あの様子……近づくのは危険そうですね」
ジョゼ叔母様は窓を見つめながら話しているけれど、私からは薄暗い夕暮れの中、窓の外の風景の何処に兵士がいるのかも全く分からなかった。
馬車は凄い速さで暗い森を走っていた。
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