No.21 紅茶の入れ方


 私が部屋に入ると、水で湿らせた布を持ったマリアが寝ているデジールの側に立っていた。


「マリア、デジールさんは大丈夫?」


「大丈夫だとは思いますが、まだ、お目覚めになっていません」


「そう」


 マリアは眠っているデジールの顔を、布で優しく拭いている。私はその様子を暫く静かに見つめていた。


「お嬢様、デジール様がお目覚めになったようです」


 その言葉を聞いて、すぐにデジールの側へと寄ると、薄っすらと開いているデジールの目はまだ焦点が定まらず、ぼんやりとしているようだった。


「デジールさん、デジールさん」


 何度か名前を呼ぶと、小さな呻き声と一緒に意識を取り戻していくデジールは、ハッとしたように急に目を大きく開けた。


「こっ、ここは?」


「デジールさん、起きたのね。あー良かった」


「あの、私いったい」


「気を失ったんですよ。本当にごめんなさい、大変なことに巻き込んでしまって」


「………………」


「今回のことは全て私が悪いのです。まさか今日王子達が来るなんて、王宮での会食の件については、後で私から断っとおきます。デジールさんは気にしないで下さい」


「いえ、私こそ、驚いてしまって。失神など……まさか王族の方がいらっしゃるとは知らず、本当に申し訳ありませんでした。あの、でも、王家の方の招待をお断りなどして大丈夫でしょうか? もしそれでエリザベート様にご迷惑をかけてしまうようであれば、私は出席致します」


「デジールさん」


 なっ、なんて良い子なの!!

 まぁ確かに王族の誘いを断るのもアレだけど、だいたいにしてカミール王子の悪ノリのような感じだったし、デジールが気を失った時、焦ってたからね。断っても支障はないとは思うんだけど……。

 私が考えていると、デジールは申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません。エリザベート様、本当の事を言うと、私、エリザベート様に見捨てられたくないのです。リリー嬢に目を付けられてからの学院での日々は本当に苦痛でした。でもエリザベート様が学院にいらっしゃってから、この数日嘘のよう落ち着いているのです。私はエリザベート様に救われました。ですから、少しでもお役に立てる事があれば、お役に立ちたいし、ご迷惑だけはかけたくないのです。

食事の席ではエリザベート様に恥をかかせてしまう事などない様に全力を尽くします」


 必死で訴える健気なデジールのその姿と言葉に私の胸は熱くなる。


「デジールさん、ありがとう。そして本当にごめんなさい。こんな事に巻き込んでしまって、私もデジールさんにこれ以上迷惑を掛けないように致します」


「エリザベート様、デジールでいいです。それに私などに敬語もお止めください」


「ありがとう、デジール。私もエリッサと呼んでちょうだい。それが私の愛称だから」


「エリッサ様?」


「様はいらないわよ。もうお友達でしょう」


「いいえ、いくらなんでも、それだけは……お許しください」


 確かにデジールが私と対等のようにしていたら、他の人が悪く思うか。それはデジールを苦しめてしまう。私は「そうね」と静かに頷いた。

 本当身分社会が煩わしい。


「エリッサ様、ところでカミール殿下とグエン殿下は大丈夫なのですか?」


「ええ、今お姉様が対応してくれていますから大丈夫だと思います」


「そうですか。私、王族の方に失礼でしたよね。謝らなくては」


「デジール、無理はしないで。何か暖かいものでも飲んで落ち着きませんか? そういえば珍しい紅茶の葉が最近手に入ったんです。デジールは紅茶好き?」


「ええ、大好きです。父がよくお土産で買ってきてくれるので」


「そう、良かった。じゃぁ紅茶を飲みましょう。マリア!」


 すぐにマリアを呼ぶと、デジールが慌てて私を止める。


「あああ、あのでも待って下さい」


「どうしたの? デジール」


「ごめんなさい。やっぱり、まずは殿下のお二方に謝らせてもらえませんか? 存じ上げなかったとは言え、すぐに気がつかなったのもやはり失礼でしたし。やっぱりどうしても気がかりで……」


 確かにデジールの気持ちを考えると、不安でいてもたってもいられないか。デジールに無理はさせたくないけど、どの道、落ち着かないなら王子の所へ戻っても同じような気もする。


 カトリーヌは……カミール王子が何とかしてくれてる……かな? とにかくデジールのことは何とかごまかそう。バッチさえあれば、カトリーヌもいきなり疑って来ることもないだろうし。 もしカトリーヌにバレたら、きっと煩く怒るだろう。今、それは避けたい。怒られるのは私だけで充分だ。


「マリア、デジールにバッチを」


 マリアは「畏まりました」そう言うとデジールの胸に金バッジを取り付ける。デジールは緊張した面持ちでされるがままだった。


「デジールごめんなさい。本当に色々巻き込んじゃって」


「いえ、エリッサ様。大丈夫です」


 デジールは私にニッコリと笑った。不安や緊張、沢山の気持ちを抱えながら笑うデジールの顔がとても大人びて見える。


 私とデジールはそのまま王子達のいる客室へと向かった。客室の扉の前に立つとカトリーヌとカミール王子の楽しそうな会話が聞こえてくる。

 マリアが入室の許可を取り、部屋へと入ると、ご機嫌なカトリーヌと和やかに笑うカミール王子、不機嫌そうな顔をしたグエン王子が座っていた。

 本当、三者三様ね。


 まぁ気持ちは分かるよ。グエン王子。ドンマイ。


 いちゃこらカップルの中に入ったところで、当てられるだけで、楽しくなんてないだろうし、気まずいだけだよね。



「皆様、大変お騒がせいたしました。本当に申し訳ありません」


 部屋に入るとすぐさまデジールが謝った。視線が集まる中、カミール王子の目は心配そうにデジールを見ている。


「ご気分は大丈夫ですか?」


「ええ、おかげさまで」


「そう、それは良かった」


 カミール王子はデジールをかなり気にしていたようで、デジールとの会話で、ほっとした表情を見せていた。


「お嬢様、紅茶の準備が整っていますが、どういたしますか?」


 マリアがそっと私に耳打ちをする。


「そうね。マリア、こっちに持ってきてちょうだい」


 マリアに言うと、マリアは頭を下げ退室後、すぐにワゴンを押しながら戻ってきた。侍女達がすでにテーブルの上にあったカップを片付けて、手際良く新しいティーセットを並べていく。

 それを見ながらカトリーヌが言った。


「エリッサ、さっきカミール殿下から聞いたわ。貴女に、お友達が出来たなんて初耳ね」


 やっぱり、そこ聞きますよね。お姉ちゃん。


「ええ、こちら私のお友達のデジールさん。不慣れな私に学院の事などを教えてもらっているんです」


 デジールはカトリーヌに頭を下げた。


「デジールさん、エリザベートの姉のカトリーヌです。妹と仲良くしてあげてください」


「はい、こちらこそよろしくお願い致します」


 あれ? もっとくらいついてくるかと思っていたカトリーヌがあんまり詮索して来ない。やはりデジールに付けた貴族バッチのおかげかな!?

 いや、でも同じ貴族バッチでもリリー嬢の時にはかなり威圧的だった。デンゼンパパもだけど、やっぱりマクニール家を特別敵視しているってこと?


 私が首を傾げている間に、部屋の中はたちまち紅茶の良い香りが漂い始めた。

 カトリーヌはセットされているテーブルを見て満足そうにカミール王子に話しかける。


「最近手に入った茶葉なんです。確か葉の名前がスウィフトと言ったかしら? なかなか手に入らない珍しい紅茶らしく是非カミール殿下に飲んで頂きたいわ」


「カトリーヌ嬢、俺は?」


「ああ、もちろん、グエン殿下も……」


 カトリーヌのあからさまに視線をそらした適当な言い方にグエン王子は呆れた表情をしている。

 仮にも第二王子に対して、こんなに強気に出れるカトリーヌはある意味で流石と言えなくもない。


 しかし、こう見ているとカトリーヌとグエン王子の仲はあまり良くなさそうだ。確かに、かなり自我の強い二人だし。似た者的な意味で反発し合っていたりするのだろうか。


 各自の前にカップは置かれ、ティーポットから注がれる紅茶の匂いは甘く、ほんわりと癒されるような感覚がした。


 一口飲むと、ストレートの独特な苦味と一緒に、ほのかな甘みが口の中にふわっと広がる。鼻からぬける香りが優しくて美味しい。

 暫く浸りながら飲んでいると、隣に座るデジールが、カップに残り半分くらいの紅茶をスプーンでゆっくりと回していた。


「どうしたの? デジール、そんなに熱かったかしら?」


「いいえ、こうして空気に触れさせながら熱を冷まして飲むと、もっと甘くなるんですよ」


「へぇ、デジールは紅茶に詳しいのね」


「ええ、まぁ、父がよくお土産で買ってきてくれていたので」


 そういえば、さっきデジールが言っていたっけ。


 私とデジールの会話に聞き耳を立てていたカミール王子が、興味津々に頷きながら、同じようにカップの中をスプーンでゆっくりと混ぜ始めた。


「他にもおいしい飲み方はあるんですか?」


「ええ、ありますよ。普通に入れた紅茶に、茶葉をほんの一つまみ入れるんです。スウィフトの茶葉は熱が冷めていく時に甘みが増す特徴がありますので、沈んでいく茶葉に少しずつ甘みが増していく過程を楽しめると思います」


 デジールは飲み終わったティーカップに見本のように紅茶を入れた後、ほんの少しの葉を一つまみ入れた。


「葉を入れるとき、少し指で潰しながら円を描くように入れると、葉の香りが増します。私、この香りが大好きで」


 カミール王子はスプーンで混ぜていた紅茶を一口飲むと「あぁ、本当に甘みが増している」と嬉しそうに呟き、そのまま飲み干すと、わざわざデジールにおかわりを頼んだ。


「貴女と同じように入れてもらって良いですか?」


 そう言ってティーカップをデジールに差し出した。

デジールは恐縮したようにカミール王子のカップを受け取ると慣れた手つきで紅茶を入れ始める。

 さっき紅茶を入れていた時も思ったけれどデジールの紅茶を入れる仕草が凄く女性的で可愛らしい。


 きっとデジールは紅茶がとても好きなのね。


 ふとカトリーヌを見ると彼女も私と同じように思っていたのか、デジールの姿を食い入るように見つめていた。出来上がった紅茶をすっとカミール王子に差し出すと、カミール王子も満足そうに「ありがとう」とその紅茶を受け取る。


 私もデジールに入れて貰おうかなと、そう思った時だった。カチャカチャと不穏な音を響かせながらカトリーヌが自分で紅茶を入れようとポットを手に取っていた。おおよそ紅茶なんて入れた事ないであろう彼女の手元は覚束なく、ただ持っているだけのポットはカタカタと震えている。


 危ないとは分かりつつも、何故かその場にいた誰もがカトリーヌに何も言えず、妙な緊張感と共に固唾を飲み込みながらカトリーヌの手元を見続けた。

 ようやくカップの元までポットが辿り着き、次に注ぎ口をカップへと狙いを定める。傾けようとするたびに違う場所へと注ぎ口が移動してハラハラして仕方がない。ようやくここだと決めたカトリーヌはそのまま勢いよくポットを傾けた。


「「「あっ」」」


 カミール王子、デジール、私が思わず声を上げた時にはパッシャンと紅茶は勢いよく溢れてしまっていた。


「あはははっ! カトリーヌ嬢はまともに紅茶も入れられないのかよ」


 グエン王子が笑いながら言うと、カミール王子はすぐに「火傷は!?」とカトリーヌの手元を見た。幸いカトリーヌには火傷などはなさそうで、ホッとしながら、侍女を呼ぶ。溢した紅茶を片付けている間もグエン王子は一人笑い続けていた。


「いい加減にしろグエン」


 カミール王子がグエン王子を注意してもグエン王子の笑いは止まらない。

 こういう所は本当ガキんちょみたいだ。

 そう思いながらため息を吐いていると、いつも強気なカトリーヌの表情が次第に変わり、ポツリと涙が溢れた。


 ……………え!?


 ちょっ、ちょっと! カトリーヌが泣いちゃったよ!!


 私は急いで王子から庇うようにカトリーヌに近づき背中をさする。


「お姉様、たかが紅茶をこぼしただけですよ。お気になさらないで……」.


「うん……うん。エリッサ……ありがとう」


 えっ!? ちょっ、ちょっとカトリーヌ!!? いつも気が強い、あのカトリーヌはどこ行ったの!?


 失敗によってプライドを傷つけられたカトリーヌはまるて小さな子供のように儚く可愛らしい。元が保育士という職業柄のせいか庇護欲を掻き立てる者には弱く、今のカトリーヌをギュッと強く抱きしめて「大丈夫だから泣かないでね」そう言ってしまいたい衝動に駆られた。



 グエン王子も流石に泣いたカトリーヌに、対してさすがにバツが悪そうにしている。

 カミール王子が強めにグエン王子に注意するとグエン王子も素直にカトリーヌに謝った。


 結局、この後しばらく続いた微妙な空気はデジールの紅茶の入れ方教室で払拭する事が出来きたし、カトリーヌの機嫌も何とか取り戻すことができた。

 私は心の中でデジールに感謝しまくっていた。


 その後しばらくして、一時のお茶を楽しんだ王子達とはお開きになり、あっと言う間に1日が過ぎた。



 とりあえずの問題は、明後日だ。学院が終わり次第デジールには屋敷に来てもらうように言ってある。打ち合わせもした。

 流石に王宮へ行くのに貴族院の制服では、と思いマリアに頼んでデジールのドレスを用意してもらうことにしたのだ。



 王宮での会食、何もなければ良いのだけれど、色々不安が盛りだくさんだ……本当気が重い。

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