No.22 ドレスと傷痕
会食の当日、私とカトリーヌは学院が終わると、馬車を走らせ、急いで屋敷へと戻った。
デジールには学院を少し離れたところに馬車を用意し、そこからから馬車に乗って屋敷に来るように伝えてある。
まずはデジールを変身させなくては。
屋敷に着くと、カトリーヌは急ぎながら自室へと向かって行った。おそらく自分の用意に手一杯になるカトリーヌは、この後デジールがこの屋敷に来ることは気づかないないだろう。
私はカトリーヌが行った後、ゆっくりと馬車から降り、そのままテラスでデジールが到着するのを待った。
数十分後、蹄の音と共にデジールを乗せた馬車が到着する。
「エリッサ様、お待たせいたしました」
「いいえ、大丈夫よ。デジールも問題はなかった?」
「大丈夫です。問題ありません」
「そう、良かった。なら、急ぎましょ」
私とデジールはそのまま用意してある衣装部屋へと急いで向かう。
あらかじめ、デジールが着るドレスはマリアに決めてもらうよう言ってあったが、マリアは数着用意し、その中からデジール本人が好きな物を選べるようにしてくれていた。
本来ドレスは自分の身体に合った寸法で仕立てなければならないけれど、今回は時間が無かったので、デジールのサイズに合うものを、既存のドレスから見繕っていた。
デジールはドレスを一通り見ると、胸元があいていない青いドレスを選ぶ。そのドレスを選んだ途端、周囲にいた侍女達が慌ただしく動き、デジールが今着ている制服も脱がし始めた。
「ああああの、自分で着れますから………」
デジールは慌てて侍女達を止めようとするが、侍女達の手が止まることはなかった。
私もデジールから少し離れた所で自分の準備をし始める。
何せ時間が無いのでデジールと私の準備は同時進行だ。抵抗してない私はさっさと脱がされ、シュミーズの上にコルセットまで完了していた。
まぁ要するに下着姿な訳だけど。
「デジールごめんね。これに関しては諦めて。私も最初は嫌がったのだけど、マリアや他の侍女に言われてしまったの。私達の仕事を奪わないでくださいって。それを言われちゃうと私も反論出来なくて、それに彼女達は手際が良いからすぐ済むわ。恥ずかしい気持ちも分かるけど、同じ女性だし、少しだけ我慢してほしいの」
「……でも」
服を脱がされながらデジールは、やたらと手で胸元を隠したがっていた。恥ずかしさは分かるけど、何故かそれは少し過剰に見える。
「デジール様、少しだけですので、その腕を解いてもらえますか?」
侍女の一人がデジールに言いながら、腕を解こうとしたけれど、デジールは自身の腕をギュッと掴みながら外そうとしない。
不審に思った私は思わずデジールに声をかける。
「デジール? どうしたの?」
デジールは黙り込み、そのまま俯いて黙ってしまった。
明らかに態度がおかしいデジールが心配になり、私が近づこうとした時、たまりかねた侍女の一人が少し強引にデジールの腕を掴み、解いた。
「あっ……」
デジールの小さな声と共に露わになったのは胸にあった大きな傷痕だった。侍女も私も思わず動きを止める。
「え……?」
白い肌に生々しく大きく残る傷痕。しかもその傷は古い痕ではない。瘡蓋が盛り上がり、明らかに治りかけの傷痕だ。
見なかった事にも出来る。そう一瞬だけ頭に過ったけれど、それ以上に聞かなくてはいけないとすぐに思った。彼女の胸にある異様な傷痕を見てしまったのに、それを知らなかった事には出来ない。
それが彼女にとっての心の傷に触れてしまうことになったとしても、それでも……。
私は近くにあったショールを俯くデジールの肩にかけて胸を隠すようにしながら、出来るだけ落ち着いた声で問いかけた。
「その胸の傷はどうしたの? 古い傷痕には見えなかったけれど」
デジールは俯いたまま、少しの沈黙の後、小さな声で言った。
「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません」
「デジール、私は見苦しいなんて言ってはいないし、思ったりもしてないわ。でも貴女が心配なの。それとも私には言えない?」
デジールが顔を上げて首を振る。その瞳は今にも泣きそうに潤んでいた。
もしかして、言えないのではなく、言うのが怖い………?
「大丈夫よ。デジール大丈夫。私は貴女の味方よ」
コクリと頷くデジールは視線を落として、震える自分の身体を抱きしめながら、呟くようにポツリと言った。
「リリー嬢です。学院で、リリー嬢にナイフで刺されました………」
ーーーーーなっ!!?
何それ、そんな酷いことがあったの……?
私はデジールの肩を掴みながら「それは学院の方にちゃんと言ったの!!?」と思わず聞いた。
私の言葉に驚いた表情のデジールは「いいえ」と首を振ったあと、自分を落ち着かせるように小さく深呼吸をする。
「エリッサ様、私は平民です。貴族であるリリー嬢に何をされても文句を言える立場ではありません。
そして、それは学院の先生方も似たようなものなのです。本当は以前からリリー嬢に学院を辞めるように言われていました。でも家の事情もあり、すぐに学院を辞める事が出来ませんでした。きっとその姿がリリー嬢にとっては、私が逆らっているように見えたのかも知れません」
そんなバカな……。
「いいえ。デジール、そんなの理由にはならない。そんな事が理由になっちゃいけないの。気に入らないから傷つけて良いなんて……リリー嬢がそこまでする子だんて思わなかった。こんなのあまりにも酷すぎるわ」
貴族って、貴族だからってなんなんだ。エリザベートもそうだ、人を傷つける事を何とも思っていない。まるで貴族以外は人では無いとでも思っているようだ。そんな風にこの世界が、社会が成り立っている? そんなのあまりに理不尽で酷すぎる。
私は沸々とこみ上げてくる怒りを抑えきれない。
それはリリーにも、そして、私を苦しめているエリザベートにもだ。
「貴族だからって、何か偉いことしてるの!? いつも偉そうに、ただ贅沢しているだけで、いったい平民と何が違うのよ!! ただ生まれが違うだけで、努力して、一生懸命生きている人を傷つけるなんて、許せない。許されるもんですか!!
お姉様はリリーとは一定の距離を保つよう言っていたけど、今の私には無理よ。こんな事をするリリーを許すことは出来ないわ。打倒リリー、打倒マクニールよ!!」
私が一人意気込む中、デジールは微笑みながら静かに首を振る。
「エリッサ様、ありがとうございます。でも良いのです。私の為にエリッサ様が巻き込まれることはありません。私は数ヶ月先には学院を辞めます。ですから……」
「駄目よ!! デジール。学院を辞めるなんて。リリーのような子がのさばり、許される学院なんて今後の貴族社会はお先真っ暗になるわ。貴女は辞める必要なんてないの」
「でも……私の事は本当に良いのです。貴族の方に目をつけられてしまう行いをしたのは私です。あとほんの数ヶ月です。私はリリー嬢の矛先が私以外に向けられてしまうのが何より怖い。私の家族やエリッサ様がもし危ない目に遭われてしまうような事があったら、そう考えるだけで恐ろしいのです。ですから、あと数ヶ月、ほんの数ヶ月だけ、そっとしておいて下さい」
そんな……こんな理不尽なことがまかり通るの……。
こんな儚げな娘を傷つけて何が良いの……リリーもエリザベートも自分勝手で理不尽だ。
私はいったい彼女に何が出来るのだろう。何をしてあげられるだろう。
「でも、私、嬉しいです。エリッサ様が私の為にこんな風に怒ってくれて。私、本当は、あの、失礼な事だって分かってますが、貴族の方は皆んな血の通っていない悪魔のような方々だと思っていました。失礼な事を言ってごめんなさい。でも同じ貴族の方でもエリッサ様は違いました。平民なんかの私に対しても謝ってくれたり、怒ってくれたり、それに私の為に泣いてくれています。ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」
デジールの瞳からはボロボロと涙が溢れ、それでも私に微笑んでいる。気づけば私の目からも涙が伝っていた。
デジールは本当に良い子だ。自分が辛い中で、それでも嬉しかったんだと、ありがとうと泣いている。そんなデジールを私は抱き締められずにはいられなかった。か細い肩をそっと抱き寄せ、そのまま、ぎゅっと抱きしめた。
「デジール。大丈夫よ。私が貴女を守るわ。私もね、貴族なのよ? 貴族はね、身勝手で我がままなの。知っているでしょう? だからね、貴女が嫌がっても、私が勝手に守るの。そう決めたの。だからね、もう泣かないで」
「ーーーっ……はい」
私とデジールはそのまま抱き合いながらしばらく泣き続けた。
気まずそうに声をかけてきた侍女に二人で我に返り、その時ようやくだいぶ時間が押していた事に気が付いた。その後慌ただしく侍女達に準備をしてもらい、ようやく私とデジールの準備が整った頃、マリアが少し恥ずかしそうに部屋へと入って来た。
今まであまり表情がなかったマリアが照れているように見える。
…………珍しい。
照れたような表情と、着飾ったドレス姿が本当に綺麗で、マリアがいつもと違う女性に見えた。マリアは私達に気を使ってシンプルなドレスを選んだのかもしれない。でもそのシンプルさが、とてもマリアに似合っている。
「マリア、凄く綺麗よ」
私が素直に褒めた途端、マリアの表情はいつもの真顔に戻り「いえ、お嬢様が世界で一番お綺麗です」そう答えていた。
まぁ、うん。分かってたけど、マリアはやっぱりマリアよね。
むしろ私も出来ればマリアみたいなシンプルなドレスを着たかったのだけれど、デンゼンパパが用意してくれている私サイズのドレスにそんなシンプルなものはなかった。
正直マリアのドレスの方が羨ましい。
そんな事を言ったらマリアはすぐにドレスを脱ぎ捨てそうだけど……あ、うん。ダメ、マリアなら絶対やるわ。
屋敷を出発する時刻が迫り、私達は馬車が待つエントランスの方へと向かう。待たせていると思っていたカトリーヌはまだ来ていなかった。
思わずホッとしてしまう。
カトリーヌが来る前で良かった。待たせて機嫌を損ねられるのは面倒だと思っていたから。
先に馬車に乗って、カトリーヌを待とうとしたその時、背後から自信に満ち溢れた高飛車な声がする。
「あら、あなた達、意外に早いのね」
振り返ると一際派手なドレスを来たカトリーヌが仁王立ちで、どうだと言わんばかりに立っていた。
「お、お姉様、随分と輝いていますね」
「勿論よ。でも、ありがとうエリッサ」
満面の笑みを浮かべるカトリーヌに、思わず私の笑顔が引きつった。ステイン家の習慣なのだろうか、この派手好きは………。
決める所は決める。それは分からないでもないけれど、そのレベルが人の想像を遥かに超えてくる。
いや、マジで凄いわ。うん。私も派手だと思っていたけれど、大丈夫だった。むしろカトリーヌの引き立て役になっている。
カトリーヌも同じ様にそう思ったのか、私達のドレスを一通り眺めて満足そうに「皆んなお似合いで素敵よ」そう言って誰よりも先に馬車へと乗り込んだ。
粧し込んだ私達四人を乗せた馬車はゆっくりと王宮へと向かって出発する。
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